楽器が弾きたい
夜になった。部屋にはおれしかいない。
ベッドに寝っ転がりながらため息をつく。電灯がないのになぜだか明るい天井が広がっていて、暖炉は昼間から休むことなくばちばちと音を立てながら部屋を暖めている。少し頭を動かして閉まったカーテンを見る。夕方から吹雪いていたし、たぶんまだ吹雪いているだろう。
ホワイトレースとキリーヌが教えてくれたことを頭のなかで反芻する。ここは『スオーロテッラ』という国で、おれは国王の息子らしい。第一夫人の四番目の子供で三男だそうだ。だけど次男がすでに亡くなっていて、王子だけど次期国王としては数えられていない。伸び伸びと育てばいいそうだ。これは有り難い。何の取り柄もないおれが国王だなんてどう考えたって無理だし、なったとしても心労で倒れるか早々に見限られるかするに違いない。
……そんなに長い間王子として暮らすことはないと思うけど。
ホワイトレースとキリーヌはおれの側近だ。ホワイトレースは側仕えで、キリーヌは護衛騎士。キリーヌが剣を携えていたのは騎士だったからだ。でもあんな小さい子で有事の際におれを守るなんてできるのか? はっきりいって不安である。
そもそも護衛が必要なほどの危険が日常に潜んでいるのか? ……潜んでいるらしい。逆恨みした平民はもちろん、移動中に魔物が襲ってくるかもしれないそうだ。『平民』という言葉に引っかかるものがあったが、それ以上に気になったのは『魔物』だ。そんなものが本当にいるのかと聞くと大層驚かれた。このときにおれは悟った。この世界はおれの知ってる世界とはまったくの別物だと。
……国の名前からして聞いたことないし。
そういえば、なぜかおれの喋る日本語が通じているけど、二人が日本語を喋っているとはちょっと思えない。不思議だなあ。助かるけど。
ちなみに文字はわからなかった。ホワイトレースに落書きのようなものを見せられて「これが読めますか?」と聞かれたけど、当然わからなかった。かぶりをふったおれを見てホワイトレースはこめかみを抑えた。何度か見る彼女の仕草だけど癖なのかもしれない。
親の名前や魔物について聞いた直後に目眩がして額を押さえたら、「今日はもうお休みください」と強制的に寝かされていまに至る。
……暇だ。
体調が悪いと思われたからだろうけど、暇つぶしになるようなものを何も与えられてない。扉の前には護衛としてキリーヌがいて、外に出ることができない。かといって部屋のなかに娯楽のようなものがなにもない。あるものといえば植物と、キリーヌが持っているものと同じくらいの大きさの剣ぐらいだ。あれはおれのものなのかもしれない。けど、剣をいじる趣味はない。
……音楽が聴きたい。
ヘッドフォンを付けて聞きなれた世界に没頭したい。おれの気分転換やストレス解消はいつだって音楽だった。幼いころはピアノを習い、中学生になってからはギターにだって手を出した。あまり上手くはなかったけど、自分で音を奏でるのは楽しく、幸せな時間だった。ここにはそういった楽器はないのだろうか。
「キリーヌ! ちょっと入ってきてくれ!」
体を起こして扉へと声を出すと、キリーヌが「いかがなさいましたか?」と姿を見せた。
「なあ、楽器はないか? 暇なんだ」
「楽器ッ……!?」
ただ質問しただけなのに、キリーヌは息を飲んでばっとなにかを見た。視線を追うとおれのものであろう剣があった。
「……どうかした?」
「いえ、なんでもありません」キリーヌは小さく首をふって、「申し訳ありませんが、いま『リーテンライアー』を弾くのはご遠慮ください」
「めっちゃ暇なんだけど」とおれは口を尖らせる。
キリーヌがじっとおれの目を見た。「いま王子は『具合が悪いから』と国王様たちご家族の面会をお断りしている状態です。にもかかわらず楽器の音が部屋からしているのを聞かれては、あまりにも外聞が悪いです」
「……そういえばそうだった」
寝かされてすぐ、国王――父親――の使者から面会の依頼があったとホワイトレースが教えてくれたが、「まだ本調子ではないので……」と断ったといってたっけ。
……でも暇なんだよ。それにここに来てから緊張しっぱなしで心が休まった瞬間がないんだ。やたら疲れてるけど寝れないし。
目が覚めたら王子と呼ばれ、記憶喪失だということにされ、自分は柏床勝也という日本人だともいえない。そもそもいまいるここは聞いたこともない国で、魔物なんてフィクションでしか聞いたことのないものまでいるらしい。全然知ってる世界じゃない。意味不明。せめて一日の最後ぐらい、やりたいことをさせてくれてもいいじゃないか。
……願うだけ無駄か。
自然と大きなため息が出る。それを見たキリーヌが「……少しお待ちいただけますか?」と部屋をぐるっと一周した。ところどころ石のようなものを落としながら。そしてベッドの側面にやってきて、おれに大きな石のようなものを差し出した。
「これは?」
「魔石ですが」
「……魔石?」
「これの記憶もありませんでしたか」
淡々とそういって、キリーヌは「失礼します」とおれの手首をつかみ、魔石と呼ばれた石におれの手のひらが乗るように動かした。
「この魔石に魔力を流し込めば、外に音が聞こえなくなります」魔力とは何だろうと思ったが、聞くまでもなくキリーヌは説明してくれた。「魔力とは我々貴族が持っている魔法を行使するための力です。魔術具と呼ばれる道具を使うためにも用いられます」
また理解しがたい言葉が出てきた。なるべく考えないようにして尋ねる。「どうしたら魔力を込めれるんだ?」
「まず体の内側にある力を開放する、と思い描きます。するとお腹のなかが温かくなって、たちまち全身が温かくなります。その熱を手に集中させて、押し出してください」
「……ごめん。全然わからない」
「言葉で説明するのは難しいですね……」キリーヌはふるふると頭をふって、夜色の瞳でおれの目を見た。「今回はわたしが補助しますから、身を預けてください」
おれが戸惑いがちにうなずくと、キリーヌはわずかに笑みを浮かべておれの手の上にそっと手を重ね、最後に右手も重ねた。
手の甲に温かくて柔らかい手の感覚が。だけど硬くなっていてざらっとする部分もある。騎士としての訓練とかでマメができてしまってるのだろうか。
「始めます」
なにが起こったのか、キリーヌの言葉とほぼ同時に体温が上がる。魔石がぼんやり光りだした。不思議現象に怖くなって魔石から手を離そうとしたけど、キリーヌに阻まれて離せない。
「怖がらなくても大丈夫ですよ」
そういわれても怖いものは怖い。勝手に身体に力が入って硬くなっていく。瞬きができず、目が開きっぱなしだ。
部屋の壁際も弱く光り出した。右、左、右と首を回す。キリーヌが今度こそはっきりと笑みを浮かべておれの手を上からぎゅっ握る。
なにも言葉はなかったけど、それだけで少し安心できた。すとん、と心のつっかえがなくなった気がした。
だんだんと手を乗せた魔石の光が弱まって消えていく。完全に消えると、壁際の光もなくなった。
キリーヌが重ねていた手を離した。
「終わりましたよ、王子」
「あ、ああ」
おれは魔石からほんの少しずつ手を離す。汗のせいかペタッとした感覚があった。キリーヌがいった通り、たしかに体温が上がっている。でもたぶん緊張の度合いも大きいと思う。胸がどきどきしている。
「……これで、外に音が聞こえなくなったのか?」
「はい。でも内緒ですよ?」
「どうしてだ?」
「本調子ではない王子の魔力を使わせた、なんていったらホワイトレースに怒られてしまいます」
どうやら魔力を使うと健康状態が悪化とまではいかなくても、影響は出るらしい。たぶん使いすぎるとよくないのだろう。
「そうか。なら秘密にしておくよ」
「ありがとうございます。ではリーテンライアーを取ってきますね」
キリーヌは壁の前まで行くと立ち止まった。なにをしているんだろう? と思ったが、キリーヌが壁に手を当てると、音もなく扉が出現した。
「なッ……!」
キリーヌが首だけ回して、「王子もこの壁に魔力を流せば同じことができますよ」と姿を消した。すぐに戻ってきて、弦がいくつもついた楽器を渡してくれた。
「これがリーテンライアーです」
リーテンライアーと呼ばれた楽器を手に取る。ギターピックを大きくしたような形が木で作られていて、やや尖っている方の上部に大きな穴が開いている。その穴の部分に弦がいくつもいくつも無数に張られている。
……小さいハープだ、これ。
膝の上に乗せて、穴の開いたところから挟み込むように弦に触れる。弾くと音が鳴った。ちゃんとした鳴らし方はわからないけど、達成感のようなものが胸に宿った。
「……弾けそうですか?」
「いや、弾き方はわからないな。教えてくれないか?」
キリーヌが決まりが悪そうにそっぽを向いた。
「キリーヌは弾けないのか?」
「……女のくせにって思いますか?」
「まさか。女の子だからって楽器が弾けなきゃいけないわけじゃないだろ?」
キリーヌが頭をかくっと下げて「そうでした……」とつぶやいた。
「いえ、女性であればある程度は弾けないといけないんです」
「……そうなのか? 別にそんなのどっちだっていいと思うけどな……」
「……わたしも、そう思います」
いままでで一番感情のこもったキリーヌの声。なぜだかわからないけど笑いが漏れた。
「な、なんですかっ」
「なんでもないよ」
「だったらなんでにやにやしてるんですか」
「楽器に触れたからかな」
ぽぽーんと適当に音を出す。温かみのある音は、じとっとしていたキリーヌの目の力を取り除き、微笑みを作った。
「……弾き方がわからないのなら、演奏を聴きませんか?」
答えを聞く前にキリーヌはポケットから魔石を取り出しておれに差し出した。
おれが自分から進んで手を乗せるとキリーヌが先ほどのように手を重ねた。身体が温かくなって魔石が光るけど、もう怖くない。
おれの方は心中穏やかだったけど、キリーヌはそうじゃなかった。
「えっ? あれ、魔力が……」
キリーヌが驚いた声を出す。そして目を強くつむって歯を食いしばりだした。
「おい、大丈夫か!?」
「王子お願いします! 手を離してください!」
鬼気迫るものを感じて魔石から手を離そうとしたけど、頑固な地縛霊のごとく動かない。
「動こうとするでない、愚か者」
女の声がした。頭のなかに直接話しかけてきている妙な感覚がした。気持ち悪いとか驚くよりも先に恐怖が襲ってきた。この声に逆らってはいけないと本能が訴える。
「よろしい。そのまま力を抜いておれ」
謎の声がそういった途端、魔石がまばゆい光を発して部屋中を照らし出した。風を感じないのに髪の毛が後ろに流れる。向かい合っているキリーヌの髪も後ろに流れて大きく揺れている。
「うッ……!」
キリーヌが苦しそうに呻く。
「しっかりしろ!」
「も、……もう、魔力、が……」
キンッと高い音が魔石から響いて光を消した。後ろに流れていた髪の毛がふわっと降りてくると同時、キリーヌが胸をぎゅっと抑えて床に両膝を付いた。
「キリーヌ!」
素早くベッドから降りてキリーヌの背中に手を当てる。汗をびっしょりかいていて息が荒い。
「大丈夫か?」
「は、はい……。なん、とか……」
背中をさすってあげる。少しの間そうしていると「もういいです」と視線と手で合図をして、キリーヌが立ち上がる。
「……ありがとう、ございます。だいぶよくなりました」
「全然そうは見えないからイスに座ってくれ」
キリーヌはイスを見ながら動きを止めて、わずかに迷いを見せたけど「わかりました」と座った。それを確認しておれもベッドに腰掛ける。
「しかし、いまのはなんだったんだ?」
「……わかりません。なぜあれほどまでに魔力を吸い取られてしまったのか……」
「キリーヌが苦しんでるのはそれが原因なのか?」
「はい。王子は大丈夫そうですね」
「そういえばそうだな。なんでだ?」
キリーヌが悲しそうに目を伏せた。「王子の方がわたしより魔力がずっと多いからです」
「なるほど。……それはいったん置いといてさ、変な声が聞こえなかったか? 女の声だったんだけど」
「……いえ、わたしには聞こえませんでしたけど……」
「そうか。それならいいんだ。おれの気のせいだったんだろう」
ふわっとした結論で納得しようとしたけど、そうは問屋が下りなかった。
「気のせいではないぞ」
また頭のなかに直接響くような声がした。
「だれだ!?」
「王子!? いかがなさいましたか!?」
キリーヌが周囲を警戒するように視線を巡らす。いつでも戦えるように右手が剣に添えられて準備万端だ。
「キリーヌには声が聞こえないのか!?」
「声なんてしてませんよ!?」
「どうなってんだ!?」
「まったく、お主らは騒々しいのう……」
呆れる声がしたと思ったら、ベッドの上に放ってあった魔石が宙に浮いて輝きだした。
思わず距離を取ると、キリーヌがおれを守るように魔石との間に入る。キリーヌが座っていたイスが床を滑って壁にぶつかった。
魔石の輝きは徐々に人の形を作り、やがてそれは三十代後半ぐらいの女の姿になった。
女がいった。「ほれ、これで安心して話ができるじゃろう?」
なにいってんだこのババア。見た目の割に話し方が婆臭すぎるぞ。上から目線でいきなり現れた不審者なんかと話なんてできるわけないだろ。
おれの考えとキリーヌの考えは違ったらしい。キリーヌは戦闘態勢を解いてしまった。
「まさか……、サウンソニード様……?」
「いかにも」
……いや、だれだよ。
遅くなりました。
明日は夕方の5時までに更新ができなければ休みです。
キリーヌは一応護衛勤務中なので、自分の魔力はできるだけ使わないようにしていました。無駄になってしまいましたが。