魂に刻む
オルディネル様は条件を考えているのか、どうしたものか、というポーズをとってホワイトレースを吹っ飛ばしたらしい方向を眺めている。
秩序の神の表情からは焦りがまったく見えない。いつ悪魔に乗っ取られたホワイトレースが戻ってくるかわからないのに、やさしい手つきで耳の上の髪を後ろに流した。
……オルディネル様からすれば焦る場面じゃなくても、こっちにとっては死活問題なんだよ!
このままオルディネル様から助力を得るための条件を引き出せずにホワイトレースが戻ってきてしまったら、きっと神様はこの場から消える。もともと助けるのに消極的だし、いまのオルディネル様では悪魔に勝てないみたいだから、逃げるように姿を消してしまうだろう。
そうなってしまったらホワイトレースを救うどころかおれの命が危ない。いや、終わる。
「……これから私が毎日オルディネル様に祈る、というのはどうでしょう」
じれったくてこっちから切り出す。
オルディネル様が「ん?」と瞬きをしておれを見下ろした。
「『私個人に祈りを捧げているのなら助けます』ということは、神様にとって個人的に祈られることは有益なんですよね? でしたら私がこれから毎日祈ります」
ですからホワイトレースを救うのに協力してください、とバイトのときとは比べ物にならないほどに頭を下げる。
頭の上から唸るような声が聞こえて、ため息に変わった。
「足りませんね。あなただけでは足りません」
二度目の『足りません』の最中で顔を上げると、オルディネル様が首をふっていた。もうひと押しあればいける、そんなように見えた。
「キリーヌにも祈らせます。……それと、無事に助かったらホワイトレースにも」
「ホワイトレースに祈らせるのはやめてください。私が穢れます」
突き放したいい方に、悪魔と契約した人間は神様からよほど嫌われる存在なんだなと思ったとき、オルディネル様の目つきが鋭くなった。
「来ましたね」
オルディネル様の視線を追う。遥か遠くから宙に浮いたホワイトレースがぎゅんっと近づいてきて、急ブレーキをかけたように止まった。
距離はあったけど瞳の冷たさが視線から伝わる。なにかを考えていたのか、数秒間を置いて小さく息を吐いたように見えた。
「……余計なことしてくれたな」
風邪にかき消されそうな音量だったけど、怒りが伝わってきて寒気がした。
「出番ですよ」
慌てた様子を見せないオルディネル様が光る石をホワイトレースに向かって軽く投げた。届かせる気がなかったのか、オルディネル様とホワイトレースの中間地点までもいかずに地面に落ちた。
石が完全に動きを失う。まさかなにも起こらないのかと不安になる。オルディネル様を見ると心配するなといいたげな表情をされた。
いきなり視界の端の端が明るくなった。
肩がびくっと動いた。光る方を見る。三つの石が光の柱を立てていた。雲を突き抜けるほど高く立った光の柱のなかに人型が出来上がっていく。見覚えのある神が三人。サウンソニードと、その仲間の男神だ。名前は忘れた。
「さあ働きなさい。悪魔を足止めすれば命を取るのはやめてあげましょう」
光の柱が弾けるように消し飛ぶ。一気に暗くなった。
驚いたようにきょろきょろしていたサウンソニードが振り向いて、品もなく唾を飛ばしながら「無理に決まっておろうッ……!」とオルディネル様を睨む。
「……なにもせずに処刑されるか、可能性を信じて悪魔に抵抗するか、……どうします?」
「――ッ! この……」
サウンソニードが強く歯を食いしばる。ギシギシと音が聞こえてきそうなぐらい力を入れている。だけど歯を食いしばっていたのはわずかな時間で、すぐに覚悟を決めたように目力を入れ、おれたちに背を向けた。男神たちもそれに従った。
オルディネル様がふんわりと笑う。「物分かりがよくて助かりますよ」
「……お主、碌な死に方せんぞ」
捨て台詞らしきものを残してサウンソニードがホワイトレースに向かっていく。二人が互いにレーザーを繰り出して弾ける。爆音が耳のなかで弾ける。爆風が土を弾け飛ばした。ばちばちと肌に当たって痛い。
オルディネル様がさっと手を上げた。おれと足元のキリーヌとオルディネル様が白い光に包まれる。光のなかは穏やかそのもので、大きな音も土も飛んでこない平和な空間だった。
「ふう。これでゆっくり話ができますね」
「……できるんですか?」
サウンソニードの口ぶりから察するに、長い時間は持たないと思うけど……。
「彼女たちも神です。意地のひとつぐらい見せてくれるでしょう」
「ある程度の時間は稼いでくれるということですか?」
「命の保証まではしませんけどね」
少なくとも敵になった者や気に入らない者に冷たい神様だな、と思った。くすっと口元に手を当てているのが演技に見える。この世界の神様は想像以上に慈悲の心がないようだ。
笑い声を漏らす知識の神に「オルディネル様」と呼びかける。ピクッと体を動かしたかと思うと、覗き込むようにオルディネル様がおれの瞳を見つめた。観察されてる気分になって嫌な気持ちになる。
「ホワイトレースを救うことに、協力していただけますか?」
「……キリーヌも含めて、毎日私にお祈りをすると誓えますか?」
「誓えます」
オルディネル様が黙って顔を近づけてくる。離れたい気持ちに駆られたけど、ここで引いたらいけない。
強い心をもって神様の目を視線で射抜く。緊張が高まってきて唾をごくりと飲んだとき、オルディネル様が笑みを浮かべた。
「では、魂に刻ませてもらいます」
「……魂に刻む、ですか?」
「絶対に破れないようにするために必要なことです」
「もし破ったらどうなるんですか?」
「旅立ちます」
喉の奥で「うっ」と音が鳴った。死ぬということだ。おれにとっては価値のわからないお祈りを、たった一日でも忘れたら死ぬ。脅しではないだろう。おっかない言葉を使ってはいるけれど、落ち着いた様子の神様は事実を淡々と話しているだけだと本能が告げている。
「それで構いませんから、早く魂に刻んでください」
……まあ、日課が増えると思えばいいんだ、きっと。
それにホワイトレースを救いたい。おれが彼女と接したのはほんの短い期間だ。だけど助けてもらったし、よくしてもらった。初めて出会ったときの抱擁と涙からは、どうしても悪人だとは思えない。
悪魔と契約してしまったことはよくないことで、疎まれることなのだろう。非難されても仕方のないことなのだと思う。
オルディネル様の力を借りてホワイトレースを救ったとして、ホワイトレースがおれに仕えてくれるかわからない。救ったところで、偽物なんてお断りだろう。
それでもかまわない。
おれはおれの正しいをする。それだけだ。
「ふふっ」オルディネル様が笑いをこぼした。「よい返事です。それに、強い目をしています」
満足げなオルディネル様が、地面に横たわるキリーヌに触れる。淡い光がキリーヌを包んで消える。
「う、ううん……」
キリーヌが片目だけ開けて体を起こした。立ち上がれないのか、地面にペタンと座っている。汚れを顔につけたまま、どこかをぼんやりと眺めているような目をしている。
「キリーヌ」おれはしゃがんでキリーヌの顔を指の腹で拭ってあげた。「大丈夫か? おれがわかるか?」
肩を軽く揺らすとキリーヌが唸りながら頭を上下に揺らす。こんなに隙だらけのキリーヌは初めて見る。
少しの間なすがままだった小さな騎士が、驚きの表情を浮かべて狼狽えだした。あちこち視線を動かして口を動かす。「……はっ!? お、王子!? いったいわたしはどうして……」
「落ち着け」
「落ち着きなさい」
オルディネル様と声がかぶった。
キリーヌはオルディネル様の声に口を大きく開けてふり返った。「オルディネル様!? いったいなにがどうなって……」
キリーヌの取り乱しようを見て思うことがあった。もしかしたらおれと同じように、キリーヌもよくわからない映像を見せられていたんじゃないだろうか?
「世話のかかる子供たちですね」
呆れたように息をつくオルディネル様。口の形をろうそくの灯を消すように変えて、キリーヌに向かって息を吹きかけた。
「……そうです! あの悪魔はどこに!?」
「あそこです」
目に力が戻ったキリーヌにオルディネル様が悪魔の場所を教える。指差された方を二人してみる。サウンソニードと悪魔と、名前を忘れた男神が……、一人……?
「あ、あれ? 一人減ってないですか?」
「やられたみたいですね」
「なに他人事みたいにいってるんですか!? まずいじゃないですか!」
サウンソニードが無理といっていたけど、こんな短い時間に一人やられてしまうだなんて思ってもみなかった。想像以上に神と悪魔の力の差は大きいらしい。
「どうしてサウンソニード様とハイレーヴェン様がホワイトレースと……?」
オルディネル様が視線で『お前が説明しろ』とうながしてきた。
手短に説明する。キリーヌがわかりやすく口元をヒクッとさせた。
「……お祈りを、毎日、ですか」
「まずかったか?」
キリーヌが目を閉じて素早く首をふる。「いえ、問題ありません」
……そうは見えないけど、いまはこれでよしとしなければ。
「では早く魂に刻みましょう。もうあまり時間はなさそうですし」
嫌な予感がしてホワイトレースたちの様子を確認する。男神の右足がない。
おれはごくりと唾を飲んだ。もしかしたらあれは、おれの未来の姿かもしれない。怖い光景から目をそらし、オルディネル様を見る。
「どうすればいいですか?」
キリーヌが答えた。「わたしのマネをしてください」
キリーヌが跪いてこうべを垂れる。おれも跪いた。右手を胸に当てていたのでそれもマネする。
「よろしい」オルディネル様の声が頭上から聞こえた。「では柏床勝也とキリーヌ。其方らは先の約束を未来永劫守り切りることを誓えるか?」
キリーヌが「誓います」と返事をしたのを聞いて、すぐにおれも返事をした。
おれの頭になにかが触れる。たぶんオルディネル様の手だろうと見当をつけたとき、胸のあたりに衝撃が走った。
「うぐっ!」
「うっ」
キリーヌの小さなうめき声も聞こえたことから察するに、同じことをされたに違いない。
「胸から手を離しなさい」
命令され、ゆっくりと手を離す。白くて丸い野球ボールのような物体が手に乗っている。
「出しなさい」
いわれるがままそれを差し出す。キリーヌも従っていた。
オルディネル様がボールから手を離す。だけどボールは落ちることなく宙に漂ったままだ。この場にいる三人で作る三角形の間、オルディネル様の側で光るボールが二つ。
秩序の神が人差し指を立てて息を吐いた。指の形を保ったまま腕をふり上げて、一気に下ろす。指がボールをかすめた瞬間、胸が切り裂かれたかのような激痛に襲われる。
かすれた声が出て、胸を抑えずにはいられない。服の上から肉までぐっとつかんで痛みに耐える。涙が一滴零れた。すると、痛みが嘘のように引いた。
「……あ、あれ?」
「痛みがなくなったようですね」
「王子、大丈夫ですか?」
「……なんとか」
「いま、あなたの魂は刻まれました。決して祈りを忘れることなく、生涯を全うしなさい」
「はい、必ず」
オルディネル様は同じことをもう一度した。今度はキリーヌが苦しんで、魂が刻まれたと宣言され、痛みが引いたのか、ほっと息をつく。
「大丈夫か?」
「問題ありません」
キリーヌは涙目にすらなってない。あれほどの痛みに我慢できるだなんて、騎士という職業についている人はすごい。おれには絶対になれない。
「魂を返します」
キリーヌが立ち上がる。おれもそれに倣う。
オルディネル様が白いボールをおれの胸に押し込んだ。特に痛みも違和感もなくボールは身体のなかに沈んでいった。
「……なんともないですね」
胸をさすってみても特に変化はなさそうだった。
「魂をあるべきところに戻しただけですからね」
……あれが魂だったのか。なんか、思ってたよりショボかったな。魂というからにはもっと神々しいものだと想像していたのに。
「さて、これで魂を刻み終えたわけですが、くれぐれも早死にしないように気をつけてくださいよ?」
キリーヌが首をかしげた。「できるだけ長くお祈りをするために、でしょうか?」
「そうです。それに、釘を刺しておかないと柏床勝也はあっさり暗殺されてしまいそうで……」
「あ、暗殺ッ!?」
「暗殺なんてさせません! 王子はわたしが命を懸けてお守りしますから!」
……そもそも暗殺ってなに? そんなこと起こり得るの……?
疑問にはすでに回答がされている。暗殺は起こり得る。キリーヌが暗殺という言葉に疑問を持っていないのは明白だ。そうである以上、この世界ではそういった可能性があるということになる。
命を散らされるのは許容できないけど、おれを守ってくれることは間違いない。いま現在もいままでも守り切ってくれたのだから、きっとこれからも大丈夫。
おれの思いとは裏腹に、オルディネル様はキリーヌを訝しがる目で見て、首をふった。「あなたでは不安なのですよ。魔力が脆弱な、あなたでは」
キリーヌが痛いところをつかれたといわんばかりに表情を変えた。彼女の沈黙がおれの胸に重苦しく響いてくる。
オルディネル様がおれを見た。「それに、あなたもです。あんな死に方をするほどに、警戒心が薄いのですから」
「あんな死に方……ですか?」
「悪魔に見せられたでしょう? 夜道を一人で歩いているときに刃物で刺されたあれですよ」
「……たしかに見ましたが、あれは実際にあったことなんですか?」
「信じられないのはわかります。ですが、あれは真実です。神の名のもとに誓ってもいいですよ」
神の名のもとに誓う、というのがどれほどの価値があるかは知らないが、キリーヌがピクリと反応したのを見るに、大きな意味を持つのだろうと推測できる。
……ということは、あれがおれの最期なのか……。
バイト帰りに通り魔に襲われて死亡。おれの人生はそこで終わったはずだった。だけどサウンソニードが何らかの思惑があっておれを蘇らせた。こんなところだろうか、おれがこの世界にやってきたのは……。
「……そうですか」
サウンソニードに思惑があろうとなかろうとどうでもいい。なんでオルディネル様がおれの最期を知っているのかもどうでもいい。ホワイトレースを乗っ取っている悪魔が、おれに死の間際の映像を見せた理由もどうでもいい。
「それはひとまず置いといて、悪魔を追い払いませんか?」
いまはホワイトレースを助けるのが先だ。
目を向けると、ホワイトレースは健在だが男神の姿はもうなく、サウンソニードだけになってしまっていた。
「いつの間にかハイレーヴェンもやられてしまってますね」
敵対したものが死のうとも感情を揺さぶられたりはしない。オルディネル様の言葉のトーンからそんなことが読み取れた。
サウンソニードが必死の形相でこっちを見た。さっさと助けに来い! そんな感じに口が動いている。
「では守りを解きます。準備はいいですね?」
キリーヌがおれの前に移動する。ちらりとこっちを見た彼女が頼もしそうに笑ってうなずいた。
お久しぶりです。全然更新できなくて申し訳ありませんでした。
次話はなるべく早く投稿します。お待ちくださいませ。




