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記憶にない死

 悪魔ってなんだよ。わけわかんねえよ。


 その程度の言葉も頭のなかでいい終わらないほどのスピードで近づいてきたホワイトレースは、全然反応できていないキリーヌの剣を素手で叩いた。「あっ」とキリーヌが声と剣をこぼす。

 キリーヌが前を向いたまま反身になって、手を伸ばして後ろにいるおれを押した。「ぐっ」と衝撃に声を出して背後に一歩よろめく。自然と下を向いた視線の先、キリーヌの足が浮いた。つられるように顔を上げると、キリーヌが首をつかまれていた。


「キリーヌッ!」

「動くな。動くとこの女を殺す」


 別に睨まれたわけじゃない。押さえつけられてもない。ただ冷たい声を聞いただけ。それだけで簡単に動けなくなってしまう。歯がカタッと鳴り、足がガクガクッとする。


 キリーヌが苦しそうな声を出しながら足を懸命に動かす。両手はホワイトレースの手を目一杯つかんでいるが、まったく効果がない。

 より一層苦しそうな、限界が近いことを予感させる息をキリーヌが漏らす。抵抗も激しくなる。体をねじって苦痛から逃れようとする。


 ホワイトレースがふっと笑みを浮かべたときだった。キリーヌの体から力感が失われ、手足がだらんと下がった。

 おれの体のなかでなにかが起こった。制御を失ったかのように叫び声を上げてホワイトレースに突っ込む。声ごと体がぶつかる。地面に倒れた。指に力を入れる。指の間の土を盛り上がった。すぐさま顔を上げる。ホワイトレースがおれを見下ろしていた。目が合うと、冷酷に笑った。


「そんなにこの女を殺してほしいだなんて」

「や、やめっ……」


 手を前に突き出したけど意味はなく、キリーヌは無情にも投げ飛ばされた。木に激突し、声を出すことなく土の上に転がった。

 すぐさまおれは駆け寄っていた。どう体を動かしたのか全然記憶にない。いつの間にかキリーヌの顔が近くにあった。肩を揺らし、髪の毛をかき上げて目を閉じている顔を確認する。


「その女にはまだ利用価値があるから殺しはしない。安心するといい」


 ホワイトレースの口調がおかしい。悪魔の力とやらの影響だろう。

 精神的になぶるようにゆっくりとホワイトレースが近づいてくる。


「くっ」


 おれはキリーヌを抱きかかえて走る。弱いけどちゃんと息をしていた。だけど足がもつれて転んでしまった。衝撃があってもキリーヌはピクリともしない。


「無駄な抵抗はしないでもらおうか」


 もう一度キリーヌを抱えようと動いていたおれの体が固まって倒れる。視界がかすんで気が遠くなって、あっという間に意識がなくなった。




「う、うーん……」


 あ痛っ、と頭を押さえて上半身を起こす。周りを見る。ここはどこだ?

 黒い地べたに白線が引かれていて、枠内に車が何台か止まっている。夜なのに明るく光る建物の扉が勝手に開いて、なかから人が出てきた。びっくりして立ち上がる。出てきた人はビニール袋を片手に車に乗り込んでどこかに行ってしまった。


 ばっとふり返って建物を見る。ものすごく見覚えがある。コンビニだ。おれがバイトしていたコンビニだ。


「どういうことだ? キリーヌは……?」


 人目をはばからず、止まっている車のなかやコンビニ内を覗いてみるも、キリーヌの姿がどこにもない。


「クソッ! 意味わかんねえ……」


 元の世界に戻ってきたとか、家族に会えるとか、それよりもキリーヌだ。おれを守ってくれておれのために働いてくれて、いま気を失っているあの子の安否が気になって仕方ない。

 駐車場で頭をわしゃわしゃしていると、また自動扉が開いて人が出てきた。


「……は?」


 おれだった。柏床勝也だった。

 店内から出てきたおれはおれに気づいていないのか、なにかが入ったビニール袋を自転車のかごに突っ込んで走り出した。それに合わせておれの体が勝手に移動する。


「な、なんだなんだ!?」


 自転車のスピードに合わせておれの足が動く。意味がわからないながらも頭を働かせて考える。

 空が暗い時間帯に店内から出てきたおれは、バイトをしていたはず。そもそも学校から近いあのコンビニには働きにしか行かないから間違いないだろう。で、時間は十時過ぎぐらい。高校生は十時までしか働けない。方向的に自宅に向かっているはず。バイトが終わったあとに行く場所なんて家以外にない。


 そしていまのおれはたぶん周りから見えていない。最初にコンビニから出てきた人も、働いていたはずのおれも、おれのことを気にも留めてない。じっと見たりあとをつけているのに不審に思うそぶりさえ見せないのは、そういうことだろう。

 自転車が信号につかまる。いくら走っても疲れない体を自転車の横まで移動させ、ビニール袋のなかを確認する。弁当が入っていた。


 ……どういうことだ?


 この時間は家に帰れば母さんがいる。夕飯は温めるだけの状態で置いてあるはずだ。それなのに弁当を買っているのはおかしい。いままでもバイト帰りに弁当を買った記憶はない。

 疑問をよそに、自転車に乗ったおれは自宅に向かって走る。けど、なにかを踏んでパンクしてしまった。


 ……これも記憶にないな。


 いままでに何回か自転車をパンクさせたことはあるけど、バイト帰りにはなかったと思う。おれがいま見ているこの光景はいつのものなんだろう?

 自転車に乗っていたおれはため息をついて自転車を押す。もう家まで近いこともあるし、おれは自力でパンクを直せない。


「きゃっ、ちょっとやめてよ~」


 前方から聞き覚えのある女の子の声がした。小学校から中学校まで一緒だった風本香帆だった。隣には同じ制服の男子もいる。

 好きな女の子。好きだった……か? そんな幼馴染だ。


 中学三年生になってから風本と同じ高校に行きたくて必死に勉強した。結果的におれは学ランで風本はブレザーになったけど、彼女のおかげで行くことになった高校はワンランク上になった。充実感がありつつも無力感があった。第一志望の合格発表はよく覚えてる。何度見ても何度見ても、いくら目を凝らそうとも、掲示板におれの番号はなかった……。


 男子の指でつつかれている風本は「もうっ」と笑みを浮かべながら体をよじっている。本当に嫌がってるわけじゃないのは顔を見ればわかる。あんな顔、おれに見せることはなかった……。

 すれ違うまであと数歩となったとき、風本が自転車を押しているおれに気づいた。はっとしてからそっと微笑む。その普通の笑みを見るだけで気分が高鳴るのは昔のままだ。昔といっても二か月前の中学の卒業式なんだけど。


隣の、たぶん彼氏であろう男子は風本がおれに軽く挨拶したことに気がついていないみたいで、イケメンといっても差し支えない顔から白い歯を出して、風本の体で遊んでいた。その度に出る風本の声と表情がおれの気持ちを暖かくも冷たくもした。あんな風におれも風本とじゃれあってみたかった。羨ましい。


 風本たちとすれ違って少し経った。バイト帰りのおれを先回りして表情を見ると、気にしないように努めている無表情だった。

 おれは目を見開いた。無表情に驚いたからじゃない。通ってきた道から包丁を手にした男か女かわからない人物が近づいてきていたからだ。


「逃げろッ!!」


 暗くても妖しく光る刃を見たら叫ばずにはいられなかった。叫び声もむなしく、おれと不審者の距離は確実に狭まっていく。


「逃げろっつってんだろッ! アホ!!」


 のんきに自転車を押すおれが、もう手遅れだというタイミングでようやくふり返った。不審者が包丁をふり上げて、事態が呑み込めていなさそうに立っている高校生の頭めがけて刃を落とす。

 刃の先端が当たって赤いものが一瞬見えたところで映像が途切れた。




「――起き――い。――ブ、――さい」


 目を開けたおれはすぐさま顔を上げて頭を触った。痛みがあった。心臓が跳ねる。思い通りに動かない手を顔の前に持ってくる。土がついてるだけの、普通の子供の手だった。唾を飲もうとしたけどうまく飲み込めない。


「落ち着きなさい、クライブ」

「……オルディネル様……?」


 荒れた息と汗をかいて熱い体で見る神様は不機嫌そうだった。


「えっと、いったいなにが……。いまのは……?」

「……仕方ないですね」


 オルディネル様がろうそくの灯を消すように口をすぼめて、おれに息を吹きかけた。体の熱が飛んでいく。


「……そうだ! キリーヌは!?」


 キリーヌがホワイトレースにやられて気を失っていたことを思い出して首をあちこちに回した。「ううん……」という声が下から聞こえて目を向ける。キリーヌが地面に転がっていた。


「キリーヌ……」

「安心しなさい。そのうち動けるようになるはずです」


 塊のような息を吐いて、キリーヌの頬に触れる。柔らかい丸みに指の腹がわずかに埋まる。そっとなでるとオルディネル様に咎められた。


「破廉恥なことをしている場合ではないでしょう」


 はっとして手を離す。いまの行為が破廉恥かどうかはともかく、たしかにこんなことをしている場合ではない。


「あの、ホワイトレースは……?」


 オルディネル様が顔をしかめておれの背後を指差した。「向こうに飛ばしました。いずれ戻ってくるでしょう」

「倒してはないんですか?」

「いまの私では無理です」


 思わず「えっ」といってしまう。


「サウンソニードたちと戦って消耗した私に悪魔を滅する力はありません」

「あの、滅するのではなく、ホワイトレースの体から悪魔を追い出してほしいんですけど」

「なお無理です。契約者ごと滅したほうが楽です」


 楽とかそういう問題じゃないんです。救ってほしいんです。神様でしょ?


「そこをなんとか……」

「あなた、勘違いをしてませんか?」オルディネル様が目を尖らせた。「私はサウンソニードたちを捕らえに来ただけであって、悪魔の相手をしに来たのではありません」

「……苦境に立たされた人間を救ってはくださらないのですか?」


 神様なのに、と胸のなかでつぶやく。


 そんなおれにオルディネル様ははっきりといった。「普段から私個人に祈りを捧げているのなら助けますが、都合のいい時だけ助力を求める者に貸す力はありません。サウンソニードたちを捕らえに来たのは彼女たちが人間を傷つけるという大罪を犯したからであって、あなたたちを助けるためではありません」


「それならどうしておれが死ぬところを助けてくれたんですか?」

「違う世界で天に旅立ったにもかかわらず、無理やり馴染みのない世界に転生させられたあなたを不憫に思ったからですよ」

「でしたらもう少しだけ助けていただけませんか?」

「私のいいつけを守らなかったのに、なんて図々しい」

「いいつけ、ですか?」


「……なぜ私とサウンソニードたちの戦いに参加しなかったのですか?」

「悪魔に邪魔されたからです!」たぶんこれは好機だ。全部悪魔のせいにしてやる。「おれたちはオルディネル様のもとに向かおうとしていたのですが、凶悪な悪魔のせいで叶わなかったのです」

「その悪魔と契約したのはホワイトレースでしょう」


 ……知らないよ。契約者だとか契約だとかよくわかんないです。だいたい想像はつくけど、違う世界の人間にもわかるように話してくださいよ。


「だとしても悪魔のせいなのです!」

「そうは思いません」


 ちっ。勢いだけじゃダメか。


「……どうしたらオルディネル様の助力を得ることができますか? 条件があれば教えてください」


 オルディネル様が毛穴の汚れを見つけようとするかのように視線を鋭くする。少しして、口を開いた。

「仮に私が悪魔をホワイトレースから追い出したとしても、彼女のこれからは決して明るくないと思いますが、それでも助けるのですか?」

「……明るくない?」

「……まさか、悪魔と契約した人間を側近として置いておくつもりですか?」

「それでホワイトレースが救われるなら」


 オルディネル様が息を飲んだ。たぶんおれは非常識なことをいっている。でも、それがどうしたってんだ。


「ホワイトレースは本物のクライブ王子が亡くなったと知って混乱しているだけだ。死を受け入れることができれば、もとのホワイトレースに戻るはずだ。おれの側近をつづけてくれるかどうかはわからないけど、普通の生活ならできるはずです」

「…………あなたがそう思うなら、そうかもしれませんね」


 一応の納得をしたようなそうでもないような神様に、おれは問う。「それで、どうしたら助けていただけますか?」


 オルディネル様がため息をついて頬に手を当てた。

次回は3~5日後です。

しばらくお待ちください。

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