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王子生活の始まり

 すぐ隣に純白の髪。鼻には甘い香り。耳にはすすり泣く声。


「王子……。よかった。本当によかった……」


 ぎゅっと抱きしめられる。服が汗のせいで肌にぺたりとくっつく。


  ……どういうことだ?


 悪夢から目覚めたらいきなり抱き着かれた。知らない女の人に。

 動悸を感じながら周りを見渡す。赤い絨毯が敷き詰められた床にレンガのような壁。アンティークのような暖炉まであり、体の下には汚れのない清潔な白いベッド。隣にはすすり泣く女性。服に違和感がある。非情に動きにくそうな、日本人が着るような服じゃないし、そもそも髪色からして日本人じゃない。


「あの」


 ここはどこですか? とつづけようとして言葉に詰まる。自分の声じゃない。幼すぎる。反射的に喉を掴んだ。違和感を覚えて唾を飲む。喉仏がない。


「王子?」


 おれに抱き着いていた女性が体を離しておれの顔を覗き込んだ。穢れのない短い白髪と透き通るような碧眼はまるで人形のようだ。

心臓がさらに強く脈打つ。震える唇で言葉を絞り出した。


「……ここはどこですか? それに、あなたは……?」


 それと鏡を見せてほしい。伝えようとしたけど割り込まれた。


「王子!? しっかりしてください! わたしです! ホワイトレースです!!」


 肩を掴まれて身体をぐわんぐわんと揺らされる。すごい力でまったく抗えない。


「ちょっ、ちょっと待って……」


 頭に鈍い痛みが走る。頭を強く抑えて歯を食いしばると、ホワイトレースと名乗った女性はおれから手を離した。


「待っててください! いま医者を呼びますから!」


 そう残して彼女は部屋から出ていった。足音がどんどん遠ざかる。部屋がしーんとする。


「なんなんだよ、いったい……」


 頭の痛みが少し引いたおれは手を見て驚いた。小さい。指が細い。手首は簡単に折れそうだ。


 嫌な汗が服の下で流れて寒気が襲ってきた。ぶるっと体を震わせる。


 ……なんだろう。すごく怖い。


 胸を抑えながら動くたびにしわを作るベッドを降りる。気がつかなかったけど掛布団のなかは暖かかったらしく、少し体が冷えた。足元を確認すると、やっぱり足も小さかった。それに目線が低い。

 首を回して鏡を見つけると駆け足で寄った。鏡の前に立つと、鏡のなかに外国人の子供が現れた。赤の短髪に同色の瞳。ややたれ目でなかなかの容姿をしている。

 子供と目を合わせながら右手を上げると子供も手を上げ、ほっぺたを掴むとこれまた真似をする。思いきり力を込めると痛みが生じた。


「痛てててて……」


 頬をさすりながら鏡を見る。やっぱり赤髪の子供しか映ってない。おれの姿がない。


「どうなってんだよ……」


 鏡の両枠を掴む。顔が大きく映った子供の表情から色が急速に失われていく。


「どうなってんだ!? どうなって……」


 おれは柏床勝也だ。日本生まれの日本人で髪色は黒。高校一年生だ。断じてどこかの外国の子供じゃない。ないんだよ。

 顔を伏せて「意味わかんねえ……」とつぶやくと同時に、どたばたと慌ただしい足音を立てながらだれかが入ってきた。




「どうやら王子は記憶を失くしてしまっているようです」


 息を切らしながら戻ってきた女性と、ややふくよかな医者によって高そうなイスに座らされたおれは、よくわからない機器のようなもので体を調べられた後にいろいろな質問をされた。

 ご自分のお名前がわかりますか? ここがどこだかわかりますか? 動物と思われる絵をいくつか見せられて、どれが『ビーヘッグ』がわかりますか?

 ほとんどの質問に「わかりません」と答えた。

 自分の名前もそう答えておいた。ホワイトレースさんも医者もおれを「王子」と呼ぶなかで、おれが「柏床勝也です」といったところで信じてもらえるはずがないからだ。意識はともかく外見が王子と呼ばれる子供である以上、おれは王子なんだ。人は見た目で人を判断する。


 ……それにこういっといた方が都合がいい。


 ここでうっかり「柏床勝也です」と口にしてしまえばどうなるだろう? きっと『頭が狂った』と思われる。理由はわからないが、別人の体に意識が入ってしまった以上はこの体で生活していかなければならない。『狂った』と思われながら生きていくのと『記憶を失くした』と思われて生きていくの、どっちか選べといわれたら後者だ。知らない場所で狂人だと後ろ指をさされて生きていけるとは思えない。おれは精神的にそんなに強くない。


「そんな……」


 ホワイトレースさんが青ざめながら口元を手で覆う。おれがうっかり名を名乗らなかったのはこの人のおかげだ。自分より冷静じゃない人がいると冷静になれるというのは本当だったらしい。ホワイトレースさんは部屋に戻ってきてからずっと青ざめたままで、なにかを恐れるように体を震わせている。


「王子、嘘、ですよね? わたしのことを忘れるはず、ありませんよね?」


 床に膝をついてしまったホワイトレースさんがほろほろと涙を流す。あまりに痛々しくて直視できなかった。


「……ごめんなさい。ぼく、あなたのことを全然覚えてないんです……」


 胸が痛くなる。『元から知らない』と『覚えてない』にそれほど大きな違いがあるとは思えないけど騙してるみたいで気分が悪くなる。


「うっ……、そんな、……そんな……」


 とうとうホワイトレースさんは顔全体を覆って下を向いてしまった。きっと手の下ではだれにも見せられないほど顔をくしゃくしゃにしているに違いない。


 ……本物のクライブ王子はこの人に愛されていたんだな。


 この嘆きようを見れば嫌でもわかる。

 なんて言葉をかけていいか戸惑っていると、医者が気遣うような声でいった。


「……時間が経てば記憶も戻られるかもしれません。それまで王子が安心して暮らせるよう、あなたがしっかりしないといけませんよ」

「わがっ……、わかっています」

「では、私は失礼いたします。王子、ご自愛くださいませ」


 顔を覆ったまま鼻をすするホワイトレースさんとおれに、医者が目配せをして部屋を出ていった。

 ときどき咳込みながら泣くホワイトレースさんになにもしないというのは心が持たなくて、おれは目の前まで近づいた。


「ホワイトレースさん……」


 声をかけると目だけ見えるように手を動かしたホワイトレースさんが、真っ赤になった目でおれを見上げた。


「王子……」


 涙が溜まった目元を指で拭う。しっとりとした人差し指に温かさが伝わってくる。もしかしたらこの温かさはホワイトレースさんがクライブ王子に与えてきた愛情の証拠なのかもしれない。

 そんなことを思っていると扉をノックする音が聞こえた。


「王子、キリーヌです。お目覚めになられたと聞いて参りました」


 幼い女の子の声は、冷たいと感じるぐらい落ち着いていた。

ついに始めてしまいました。

よろしくお願いします。

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