CRON: aide;strong-香椎華詩歌-rescue
――焦らないで落ち着いて、今はゆっくりおやすみなさい。
いつかの――覚えのある景色を観た。
乱雑に散らばった書類の束、どんよりと黒く大きな雲と、
今にも土砂降りが降りそうな雨の匂い。
次に観た景色は鈍色の鎖と熱を帯びた鉄の焼き印と、首に近づけられていく鋭い針。
身動きが取れず、無謀な偽善的行動をとってしまったのかもしれないと酷く後悔した自らの最後を予期して、諦観した気持ちに染まった眼を、瞼を強く閉じた。
瞬間、かすかに紅茶の香りがしたような気がして。
それでも、其れが睡眠薬なのか何なのか分からずにいたので、
下手に眼を開けて刺激するのは良くないとじっと耐える事にした。
と言っても瞼を閉じて耐えていた時間はそう長くはなくて、
コンクリートの床に叩きつけられたような音が乱雑に耳に入った後、
遠くに居ただろう何者かの足音がこつんこつんとこちらへ向かって、
響きながら近づいてくるのが伝わってきた。
ああ……ついに来てしまったか。と悲観を通り越して晴れた気持ちのまま眼を開いた。
――眼の前に、見知らぬ童顔の男性が立っていて。
わたしが観た一瞬、彼は険しい顔をしていたけれど、
わたしが彼を観ているのに気付いた後の表情はとてもやさしくて――。
ああ、わたしは。
【ピピピピピピ】
何を言おうと、何を思おうとしていたのか分からない。
それくらい唐突に、甲高く単調な音がピピピピと耳に響いて不快感を示して、はっとした。
気が付くと眼先にあったのは真っ白な天井で。
不意に伸ばした白い手にはいつかの褐色の火傷の痕がしっかりと残っている。
昨日ちゃんと閉めていなかったのか、
ベージュ色のカーテンがしっかりと閉まってなくて、
窓から眩しい陽のヒカリが大きめに差し込んでいる。
「うるさいなあまだ寝足りないのに」のんきにもそんなことをベッドに入ったまま声に出していた。
古いまるがたのデジタル置時計の数字と、枕元に置いてあるはずの携帯端末が、
ベッドの何処にもなかったという二つの事に気が付くまでは。【12:20】
「うわああああ」あの一件以来精神的にも弱くなり、大声を出す事もなくなったわたしが、
珍しく大声を出したのが、大事な用件の待ち合わせ時間を過ぎてまで、
熟睡していたからだったというのはなんともまぬけで恥ずかしい話だ。
おまけに携帯端末は近くにない。慌ててベッドから飛び出てとりあえず支度をしようとして、
いっ――!!何かに足をぶつけた。
足元にあったのはわたしが探していた携帯端末で。
ほうと安堵した息をついて端末を手に取って確認したはいい。
問題は、画面に、【連絡:40】なんて数字が見えたことで。
どうしようどうしようどうしよう――。
予定時刻をもう二時間も過ぎている。
今回の件は確か船で行くという話だったから、今からタクシーを出して貰って、
港まで行けばなんとかなるだろうか。いやならない。
いくら港に近い場所に宿泊したとはいえタクシーを使っても港までは30分くらいかかるはず。
とりあえず、連絡を。と思って端末を手に取ろうとしていると、
コンコンと部屋の扉がノックされた。
【一瞬にして感覚にスイッチが入る。】
ある一件以来、より強く戦闘に対する意識を強化した自分が、
扉のノックくらいでこんなにも鋭くなるのかと、以前のわたしなら苦笑してしまうかもしれない。
「はーい。」
色々危惧していてもとりあえず返事をしてみたいことにはわからないから、
とりあえずのんきにそう返事をしてみると。
扉の外から「香椎様、お迎えに参りました。支援者の一人です。
水路用超ジェットバイクなら――ギリギリ間に合うかもしれません」
そんなこんなで……。
気が付いたら、猛スピードで走る水路用超ジェットバイクの勢いに、
顔を歪めながら、「移動ちゅううううううう」
はああああああああ!!顔の肌がちぎ入れてしまいそうやわああああああ
――ああ、ああ。
顔がちぎれるかという不安と鋭い風が肌に当たるたびに泣きそうになる。
首下には溺水のクッションがもこもこと膨らんでいる。
このクッションは水に浮かぶときは膨らんで、
水の中に入るときは薄くなって、取り外さなくても水の中を泳げるようになって、
しかも泳いでいる最中に溺れた場合でも段々と膨らんで、
水上にぷかぷかと浮かぶことが出来るという優れものらしいのだ。
ジェットバイクを運転している真っ黒なゴーグルをつけている誰かは、
無言で微動だにしないままで。
なんて怪しい人なんだろう、本当に支援者の方なのだろうか、と今更ながらに不安を抱いた。
けれどいつまで経っても一向変わることの無い肌に当たる鋭い風と勢いの前では、
如何に不安を抱こうと、砂が風に吹かれてさらわれる様にいとも簡単に現実に引き戻されてしまって。
今のわたしに出来る事は、ただただ運転する彼の腰元手を回し、
背中にしがみついて耐えるしかなかったのだ。
そんな恐怖から抜け出したのは、目的地の港についてからだった。
ぎゅっとしがみついていた状態のままでいたわたしに対して、
「すみません、飛ばし過ぎました。
どうやら、出られた船よりも先についてしまったようでして……。
香椎様?、大丈夫ですか?」
身体を控えめに揺らされてやっと、はっとして。
「ああああ、大丈夫です。待っているのもあれなので、
船と合流して貰っても良いですか?」そうわたしが告げると、
ジェットバイクを運転していた彼は、ゴーグルを外して、
にっ、と口角を上げて「おまかせください。次は別の航路を進んでみますので。」とほほ笑んだ。
左瞼に、一本の傷を見つけて。
改めてジェットバイクの後ろに乗せて貰ったけれど、
何故だか二回目の移動は、最初より緊張も不安も感じなくて。
ジェットバイクに乗りながら、
左右の海を眺め、船を探すくらいは出来ていて。
港からだいぶ離れた後、運転をしている彼が、
「香椎様!!、私達の遥か前方に中型の船が二隻確認できます。
一隻はこちらに猛スピードで向かってきますが、
もう一隻は路を逸れて黒煙を出しながら留まっています。どうなさいますか?」と口にして。
その黒煙という単語を聴いた瞬間、わたしはいやな予感がして、
「スピードを上げて、黒煙の出ている方に向かってください!!」と彼に指示をした。
段々と上がっていく速さに波が肌と顔を濡らす。
途中すれ違った中型の船には、焦った顔をして運転している、
船長さんらしき人が乗っている意外には、人の姿は見えなった。
続いて黒煙が登っている船の近くにジェットバイクが向かうと、
既に船が崩れ始めていて、黒煙の他に火の手が回り始めていた。
眼の前の光景に、焦りと身体が不自然に冷えていく感覚が渦巻いている。
灯香ちゃんっ望深さんっ!!
最悪の事態を想像して身体が震えてきてしまう。
「香椎様、香椎様は船の上からお二人をお探しください。
私はお二人が流されていないか近くを探索してみますので、
もし香椎様が着水されるような事態になられた場合でもすぐにお迎えに参りますので。」
そう声をかけられた後、わたしの身体が急いでばらけた船の中へと進んでいく。
船の中に入った瞬間、甲板には所々に血が点々とついていて、
眼先には船の後ろ側部分が崩れて沈んでいるのが見えた。
そこには、甲板の部分に見えた血が、崩れ浮かぶ後ろ側部分の板についているのが見えて。
思わず――速く歩いて分断されている後ろ側部分から海を覗き込んだ。
すると、海の奥から腕のような形をしたものがみえて――。
もしかすると、切断されてしまったのかもしれないという嫌な想像が浮かんだけど、
そんなことを気にしているほどわたしに余裕はなかったのかもしれない。
気が付くとわたしは海に飛び込んでいて、
こうしている間にもどんどんと沈んで行くはずの、
腕のようなものを探して、探して、さがして。
海水によって眼がしみて、うまく開けられない。
息が苦しい。身体が重い。
そんな感覚がずっと続いた時、うっすらと腕のようなモノがみえたので、
無我夢中で腕を伸ばして手を掴んだ。
水のゆるりとした感触の中に、ぷにぷにとした肌の感触を感じて。
ああ、この感触は――灯香ちゃんだ。
安心しきったわたしは海の中で完全に意識を手放しそうになったが、
ゆっくりと膨らんで浮かび上がろうとするクッションの感触のお陰で、
程ほどに保つことが出来た。
いつの間にか「ぷばあ」と声を出して海の中から頭を出したわたしは、
しっかりと灯香ちゃんの腕を掴めている事を確認して一息ついた。
辺りには沈みかかっていた船の姿は既に無く、
船の破片だと思われれるモノがいくつも海に浮いていた。
灯香ちゃんを海面引き上げようと思ったが、
やれたことは少しだけ顔を出せたことくらいだった。
灯香ちゃんの顔はいつもよりも真っ青で、唇も紫色になっていて。
はやく誰か助けに来てくれないかなあ――。
そう思うのと同時にわたしの意識はゆっくりと落ちていった。
意識が沈む前、遠くからジェットバイクの走行音が聴こえて。
眼が覚めると、眼の前には白い天井がみえた。
柔らかい感触が腕、肌を撫でる。
この感触は布団かな……?
そう言えば――わたしなにをしてたんだっけ……?
そんなことを考えている内に頭に浮かんだのは船の破片についた血痕と、
真っ青な顔をした灯香ちゃんの顔で。
「灯香ちゃん!!」はっとして身体を起こそうとすると、
白衣を着た女性と男性の二人組によって止められた。
その後、「おはようございます香椎さん。
ここはメディカルルームですので、あまり大きな声を出してはいけませんよ。」と言われた後、
声を小さくして灯香ちゃんは?と尋ねると、くすりと笑った二人の看護師さんは、
隣のベッドに顔を向けて。
その看護師に促されるまま隣をみるとそこには。
柔らかく寝息をたてる灯香ちゃんの姿が見えて。
「よかったっ……」そう声を零した後、
またはっとしてあの望深さんはっ――。そう口にすると、
看護師の女性はわたしの乱れた布団を直しながら、「望深様は別の場所にて発見救助されたようなので、
もうしばらく落ち着いてゆっくりお眠りくださいね。」耳元で言われたので、
少しだけどきどきしつつ、おとなしく眠る事にしました。
また眼が覚めた時には灯香ちゃんと一緒に望深様を迎えに行かなきゃと――そう心に決めて。
わたしがゆっくりと眠りにつく直前、
となりの方からぐうっとお腹の鳴る音がしたのは、
起きてからの話のたねにしたいな。
二人が穏やかに寝息を立てている中に、
コンコンと柔らかいノックが響く。
ガララと音を開けて入って来た左瞼に傷のある人物に、二人の看護師はお静かに手ぶりをして。
それに気が付いた誰かは申し訳なさそうに頭を軽く下げた後、
寝具の近くにある小さな机に持ってきた袋から果物を取り出して、
音を出さないようにゆっくりと置いてにっとほほ笑んで部屋を後にした。
机の上においてある橙色と真っ赤に染まった果物は、
実に美味しそうな色と香りを辺りに添えていた。