CRON:■■■■ Spiral∞;ShadowMan
――諦めないで来てくれて、ありがとう。
古びた石造りの通路を進む一つの影がある。
辺りはジメジメと湿っていて、重苦しい雰囲気が漂っている。
入り口は疾うに過ぎているのか、一筋の明かりや光も無い。
あるのは深い暗闇と、コツコツという革靴が鳴らす音だけ。
暗闇の中、ゆっくりと鳴り続けた革靴の鳴らす音が、
ある時瞬として静寂を迎えた。
音の止まった先に、光が漏れているのを誰かが見つけたからだ。
息も声も漏らす事が無いまま少しばかりの光が漏れている場所へ近づいた誰かは、
光が小さく漏れている場所がセメントのような色をした壁に遮られていることに気付く。
其処でようやく、誰かがため息をふうと吐いた。
ため息をついた理由が何故なのかと問われるとしたら、
暗闇の中歩き進んだ誰かはこう言うだろう。
「唐突に送られてきた黒い本と、其れに挟まっていた一枚の紙きれ、この場所に至るための地図には、
こんなにも大きくて不自然な壁など記されてはいなかったぞ」と。
胸の中でどれ程に悪態をついても、物事は何も動きやしない。
其れがわかっているからこそ、悪態をつくのだと。
矛盾した行動こそが生き物らしいなと考えた後、
思い切り私は不自然な壁を押した。
そりゃもうおもいっきり。
けれど、何の変化も無いし、むしろビクともしない。
明かりをつけることを何故だか良しと思わなかった私は、
手のひらで壁を触っていく。
ジメジメとした湿った感触は通路と同じように、
心地が良い物ではなかった。
――――だが。
自らの上半身よりも少しだけ上の方を触っていた時、
丁度触ったことのある大きさのくぼみが在ることに気が付いた。
いや、まさか、そんな筈は無いだろう。
【念の為にと思ってきて持ってきていた一冊の黒い本】がご丁寧にこんな用途で使える訳がない。
古びた肩掛け鞄から一冊の黒い本を取り出して、
何が起こってもいいように深呼吸をした後、
ゆっくりと、ゆっくりと手に持っている本をそのくぼみへとあてがい、はめ込んだ。
何が起こるのだろうかと、少しだけ身構えながら用心して辺りや左右前と後ろを確認してみる。
何の音もしない。
何の変化も感じない。
こういう場合は通常鉄球が落ちてきたり足場や天井が崩れたりするものでは無かったのかと。
少し前に見た小書籍を思い起こす。
このまま何も起こらないので有れば、
早めにこの場所から引き上げる必要があることを早急に知覚していたというのに、
私はまだ、【この世界の真実】とやらに案外と執着の念があるらしい。
とは言え、今自らが進み立っているこの場所は、表よりも遥かに奥深く、
底を目指すように沈んだ場所にある。
となれば、当然酸素も薄く、息も詰まるし、視界も悪く狭くなる。
この先に何が待っているのかを考察する事に力を出し惜しみすることはないだろうが、
手持ちの水と簡易的な乾燥食料では、持つわけもない。
その証拠に視界も霞み、唐突に眠くなってきた。
「チッ」と舌打ちをして、この場所から引き上げる為の準備を開始する。
まず手始めに、厚手のズボンのポケットの中にある、
此処まで来た時に使った地図を無くしていないかを確認する。
なんせ、ここに来るまでに懐中電灯や小型発光棒など、
安全な路を視認できるモノは大抵がオジャカになっているのだ。
そうとなればある種目的の地点まで来た段階で、
帰りの路の事を考えておかなければ冒険者も暗殺者も、
探偵だろうと観測者だろうと死に至る危険性が増す。
進み往くモノに必要なのは、
物事に関して臆さず進む事が出来るか、
そして肝心な部分での気分の高揚や先走る気持ちを一旦落ち着いて観る事が出来るか。
この二点が重要であるのは間違いない。
けれどこの二点程、時と場合、自己における運という要素によるモノも少なかろうと、
唇を強く噛みたくなる気分だ。
そうして、無駄とも思えるようで自らの気持ちを落ち着かせるために必要な自己整理をし終えた後、
長らく触れていたであろう指にクシャりとした紙の感触が指に伝わった。
大丈夫だ地図はある。
小さく、安堵の息を吐いて壁にもたれかかった。
安堵のせいか、疲れのせいか自分の身体がすごく重く感じる。
思った以上に疲れ切っているようで、
今のままなら湖に沈みきってもいいかなと思考がよぎるが、
その前に此処が地上よりも遥かに深い場所であることを思い出して。
その事実が、愚かしい程にぬるい息を口から逃がそうと急かす様にしていくのを感じて嫌になる。
もたれてままの状態の中、思わず作った握りこぶしでイラつきを消すように壁を叩く。
痛みなんて感じなかった。
だから何度でも叩き続けた。
いつの間にか、酸素の薄さが身に染みる様に、
息を吸っても吐いても苦しさが変わらない事に気付いて。
先ほどまでがむしゃらに振るっていた手は、
ぬめり気を含んだような液体に触っているのか、
気持ちが良いとは言えない感触にさらされている。
視界がざわつく、ぼやけていく。
まるで煙霧の中に居るようだ――――。
ああ、等々、此処で終わりなのか。
結局のところ、世界の理も真意も心理も、
好きな女性とした、大切な約束さえも果たせないまま朽ちていくのか。
倒れ、地に伏せようとする身体を無我夢中で、
壁に身体を押し付けながら立たせようと力を入れる。
せめて、せめて帰らなければ。
帰って……大切な家族に、大切なあのこに、
失敗したと、疲れたと呟いて。
一生懸命な頑張り屋の小さな手で、家族の真似事をしているあの子に、
頭を撫でてもらわなければ―――――― !!!!
視界は見えない。
けれど、地に倒れる音も聞こえない。
ただ、何か在るとするならば。
壁にあったであろう、
【くぼみにはめ込まれた黒い一冊の本があった場所】には、
べったりと何者かの血がついて在った。