0-3 離宮への旅
馬車は順調に南へと進んでいた。
西の離宮までは、まずは王都から南へ1日でアマノツ市へ、その後海沿いの街道を西へ向かい、4日ほどで国境近くにあるアカホ市に至る。この街はモモクサ川の河口にあり、ここから川沿いに北上すること3日、ようやく目的の西の離宮のあるサヨの里に至る。
好天に恵まれ順調にいって一週間あまり。ほとんど本街道のみを通るため不測の自体は考えにくいが、それでも悪天候で足止めされることも考えられる。まだ1歳の子が乗っていることから速度も上げられないから、日程は遅くなることはあっても早まることはないだろう。
一応、レイゼイが予定旅程として提出してある書類には、2週間の旅程としてある。
旅の一行は、馬車の中にさやか、ジュザ、イオの三人、この他に御者が乗り、脇を馬に乗った騎士が一人、従者を一人連れて付き添っていた。騎士は、20代前半と見える若さがあった。赤毛の髪を後ろに束ね、艶消しの墨を塗ったブレストアーマーに手甲をはめ、鎧下にチェインメイルを着込み、腰には剣を佩いていた。足は、流石に旅装だからだろう、レザーブーツであった。また、視界が悪くなるのを嫌ったためか、兜はつけていなかった。また、鞍には短弓と矢筒がつるされ、矢筒には10本余りの矢が刺さっていた。
従者は、胴丸のような軽鎧の他は防具らしいものは付けていなかったが、足ごしらえは革の足袋に草鞋履きで、実用的に見えた。脇差を腰にさしている他、手には胸までの短槍を持っていたが、これは息次の棒を兼ねているようだった。髪は赤毛であったが騎士よりも少し暗く、それを短く刈り込んでいた。
この騎士は、名はタケオミ=レイゼイ子爵といった。従者も彼の従者でニハチという。ニハチとレイゼイ子爵は又従弟であった。彼らはさやか達が乗った馬車が教会を出た後、街のはずれでイオと落ち合った際に合流したのだった。
「タケオミ=レイゼイ子爵であります。陛下よりジュザ王子の傳役及び西の離宮管理役を仰せつけられました。これから西の離宮に同道致します」
これが俺が最初に聞いたレイゼイ子爵のセリフだ。軍人貴族、とでもいうのだろうか。キビキビとした動きが印象的な、武人然とした男だった。
「よしなに」さやかが返事を返し、イオも続けて言った。
「急ぐ旅でもありませんが、それでも立ち止まるのも問題でしょう。詳細は夜に、宿ででも」
その夜はアマノツ市で泊ることになっていた。
街道は、道幅が10m程で馬車がすれ違っても問題ない幅が確保されていた。森の中では道の両側は木が生い茂っていたが、時折時代劇の茶店のような店があったり、笠や杖などを売る小間物屋があったりと、街から離れていても活気があるようだった。流石は主要街道というべきか、土・砂利の類ではなく石畳の類で、馬車の質も良いのだろう、揺れはそれほど酷いものではなかった。
俺はといえば道中、ほとんど初めて見るこの世界の風景を眺めるのに夢中だった。街外れから少し進むと番小屋があり、その後は徐々に人家が減っていき街道は森に差し掛かった。交通量は少なくなく、すれ違う馬車だけで昼過ぎまでに10台はいただろうか。大半は貴族などのものと思われる立派なものであったが、もう何台かはいわば乗合馬車のような粗末なもので、天気も良かったからか幌も半分以上開けていた。この他、徒歩、馬も多くいたが、駕籠はいないようだ。
窓から眺めるに、一般的な旅装というか服装は、男性は作務衣に近い服装に腰に脇差のようなものをさしていることが多い。独り歩きであれば背に荷を担っているか、さもなければ手にそれほど大きくもない袋を提げているのが普通だった。勿論、中にはレイゼイ子爵のように鎧を着けた者や、背広としか思えない服装をしたものもいない訳ではなかった。女性は、街道を歩いているという事情からか、ほとんどがもんぺだった。時代劇のような和服で歩いている女性はほとんど見られない。さやかやイオが今着ているような和装に袴という服装が時々いる位か。もっとも貴族の女性は馬車に乗るのが普通で、歩いたりはしないのだろう。頭は笠をかぶっているのが2割ほどで、ほとんどが黒から赤までの髪をしていた。
現代日本でほとんど見られない珍しいところでは、男女は分からないがローブを着た人が一定数いるという点だ。そういった人は、手に杖程度しか持っていないのが普通だ。
初めての馬車の旅の初日は体の興奮もあってきゃっきゃと騒ぎ、疲れきって眠り、起きた頃には日が落ちていた。宿までもう少しかかると言われて窓から外を見たが、外は既に暗く、ほとんど何も見えなかった。
起きた頃はまだ市街地が遠かったからか明りはほとんどなかったが、市街地に近づき番小屋を通ると、街灯が灯っていて明るかった。ガスでも電灯でもない明かりのようだったが、そういえば屋敷でもろうそくのような明りは見た覚えがなかった。
宿に着いたのは夕刻も遅くなった時分であった。遅めの夕食をとり、その日は途中眠ったのにやはり疲れていたのであろう、すぐに眠った。
ジュザが眠ったのを確かめて、さやかとイオはレイゼイを呼んだ。今後のことを話すためだ。
「改めて名乗ります。自分はタケオミ=レイゼイであります。爵位は子爵位を継いでおります。そこにいるのは従者のニハチであります。陛下より傳役を仰せつけられました」
さやかは会ったときと同じく、よしなに、と言った後続けた。
「ここから先、堅苦しい言葉は抜きにしましょう。私はさやか。一応、更衣、だったかな? ジュザの母ね。で、そっちがイオ。元々は昔からの友人でカエデさま付きの女中だったのに、この一件で睨まれたからか私付きに変えられたわ」
「辛気臭くしても仕方がありませんし、お酒……は拙いわね。お茶ね。お酒は話が終わってからにしましょう」
そういってイオがお茶を用意し、いきわたったところでレイゼイが口を開いた。
「まずは日程のことですが、とりあえず西の離宮まで1週間程という日程になっています。が、急ぐ旅でもなし、王子を連れて速度を上げられないという事情も分かっていることですから、2週間程度までなら問題もないでしょう。書類上では2週間ということにしてあります」
さやかが同意したところで、レイゼイは続けて言った。
「西の離宮に着いた後、西の離宮を含むサヨの里近辺を離れるのは、基本的には王都の許可が必要になります。しかし、最低でも王太子が決まる4年後、おそらくは王位が継承されるかジュザさまが成人されるまでは、許可が下りることはかないますまい。事実上の軟禁になります」
さやかとイオは、やはり、という表情になり沈黙が訪れたが、やがてイオが口を開いた。
「で、傳役のことについてはほとんど何も聞いていませんので、説明してもらえますか。最初は私たちだけ、という話だったはずよね」
レイゼイは、自分の失態の対策として急遽決まったことであること、教育係と護衛を兼ねた一般的な傳役であるということを述べたうえでこう言いきった。
「自分の任務はジュザさまを成人の儀まで守り、無事に陛下に会わせることです」
実は、イオは面識こそなかったが、レイゼイ子爵の評判は知っていた。
評判のハンサム、という程ではないがまずまずの美形で、しかもゼント王国の1伯4子爵の一つを継いだばかりの独身青年貴族。その上で剣の腕は国でも五指に漏れても十指には確実に入る剣士であり、正義感にあふれ義侠心に富んだ武人。
……と聞けば女性陣にもてるはずだが、一切の浮名がない。という以上に異常なる堅物で通っていた。無論交際を求めた女性も多かったが、その全てを拒絶し続けているといわれていた。許嫁がいるためだという名目であるが、本当であると信じている者はほとんどいない。許嫁がいること自体は事実ではあるものの、本当に結婚するかどうかは神のみぞ知る、という微妙な相手であると、イオはある事情で知っていた。
とはいえ、人づきあいが苦手なのは本当であり、社交界ですら子爵位を継ぐ前後を問わず数回の義理でのつきあい以外はほとんど顔を出す程度しか関わらなかったそうだ。
「腕は立つし信頼もできるが、腹芸は出来ず不利益があっても自分の正義を優先する」
とは、イオのかつての主、カエデの評であった。この評は、「だから手駒としては使えない」と続き、この評の直後に第四王子であった王庶子と母親が共に流行病で死んだことになっていた。 真相は分からないが、子爵が関わっていた可能性は極めて低い。その彼が言っていることだ。彼が刺客というのは考えからひとまず外しても良いかもしれない。もっとも、彼が刺客であれば抵抗などする余地はないだろう。
翌朝ゆっくりと宿を出、海沿いの街道を、海を左に見て馬車は進んでいった。主要街道を通っているためか、馬車の窓から見える景色は、左手の海以外はほとんど変わらなかった。俺はといえば段々風景にも飽きてきていたのは確かだ。
小休止の際に、少しだけということで砂浜におりてみたが、現代日本と全く変わりがない、ゴミの類のない分だけみごとな砂浜であり、体が要求したから多少の砂遊びはしたものの、波のかかるところには行かせてもらえなかった。もっともこの体が泳げるとも思えないし、着替えもそれほど多くは用意していなかったのだろう。
とはいえ、毎日新鮮な海の幸を食べることができたから、大々的にスキップを使いたいと思うほどではない。
毎日の食事は魚介類で、刺身の類も出された。白いご飯に刺身、醤油もワサビもあるようだし、煮物の類もあるから、基本的には日本の和食と似たようなものだ。箸に茶碗、汁ものに漬物もある、いわゆる箱膳に近い形式だ。勿論、さやかが補助して食べさせてくれているのだが。
王都でもいわゆる離乳食が普通食に移行している時期だったこともあり、この旅行中に刺身も白身魚の刺身(多分ハマチ)をふた切れほど食べたが、それ以外は焼き魚か煮物、茶碗蒸しが多かった。王都では鶏肉と野菜類がほとんどだったから、大きな違いだ。王都は内陸だから魚が少なかったのかもしれない。
ただ、大人の一人前をぺろりと平らげていたのは、最初は流石に驚かれていた。
精々数時間程度の短いスキップを繰り返して、退屈な移動時間はほとんど飛ばしていった。
アマノツ市を出て5日後、予定よりも一日遅れでアカホ市へ着いた。ここから川沿いに北上していくという。脇道はモモクサ川の東側の土手の上を通っており、これまでとは違い土の道でうねるような曲線が続いていた。
「川沿いに北上する脇道は主要街道ではありません。馬車は使えますが、道が悪くなるため速度は落ちますし揺れも激しくなります。気分が優れなくなるかもしれません。そうなったら小休止しますので、いつでもおっしゃって下さい」
とは御者の弁だ。確かに相当揺れるが、それでも速度が遅いためもあるのだろう、運転の荒いバスよりは快適だ。こまめに小休止を入れながらということもあり俺は問題無かったが、さやかはかなりつらそうだった。
とはいえ脇道に入ってから一番大きく変化が出たのはレイゼイ子爵主従だ。服装こそ変わらなかったが、子爵自身は馬車の前、従者のニハチは後ろで警戒態勢に入っていた。相当にピリピリとしているようで、わずかにすれ違った村人と思しき人に対しても警戒しているようだった。
馬車の窓から見える景色は、左側に今までは海だったものが川になったという大きな変化があった。川幅は50mもあるだろうか、流れのゆるい川に見えた。川で漁をしている人も時折は見かけたが、ほとんどが子供だった。川には橋はほとんどかかっておらず、初日にアカホ市の近くで見た以外は、その日の暮れに宿場に着く直前に一本見ただけだった。その代わりに渡し船は毎日2か所は見かけていた。
右側の窓から見える景色は、それまでの街路樹があり建物が建っているというものから大きく変わり、田園風景が広がっていた。ほとんどが水田で、一部に畑もあり、遠くには果樹園らしきものも見えた。農業もそれなりに振興されているらしい。働いているのは大部分が女性か子供というのが少し気になったが、この辺りでは例えば男性は狩り、女性は農業、というようなものなのかもしれない。
脇道に入った夜、宿舎でレイゼイ子爵はニハチと話をしていた。
「付けられている。それも相当な手練だ。その気になればこちらの宿を皆殺しにする位の実力はありそうだな」とレイゼイが言えば
「やはり夜番が必要ですな。この宿舎の夜番がいるとしても、どうも心もとない」とニハチと返す。
この2人にしても魔力については並の魔道士に毛が生えた程度でしかないので、宿ごと破壊するつもりで打つ強力な広域殲滅魔法を受ければ結界なしに生き残るのはかなり難しい。しかもジュザをはじめとする3人を守りながらということになれば、魔力の高まりを感じてすぐに魔道士を始末する以外、手がない状況である。かなり広域に対する、魔力察知と気配察知は、大きな魔法を使うという前提でかなり粗いものにしているものの、範囲を広げて察知を切らさないというのは、交代で行うにせよかなりの精神力を要求するものであった。
レイゼイ子爵らの緊張は、しかし報われなかった。報われる場合は何らかの攻撃を受けた時だから報われなくてむしろ良かったのだろう。その後も特に何事もなく、アカホ市を出発して3日目の夕方、無事にサヨの里に着いた。着いた時のレイゼイ子爵らのほっとした顔は忘れられない。
とにもかくにも、サヨの里に着いた。