幕間 レイゼイ子爵のこと
時は、命名の儀よりしばらく遡る。王都執政府の執務室。王は腹心の一人サカキ大臣と話をしていた。
「ところで陛下、顔が優れませんが」
「あぁ、俺は醜男だよ。……いや、分かっている。あの老婆との関係を、政務に差し支えるからと二日に一度にしてくれたのは感謝しているし、さやかを救出してくれたのも感謝している。だが、なぁ」
「さやかを下賜されないことに反対ですか」「本人の意思次第だ。それよりも、なぁ」
「西の離宮へやることに反対ですか」
「いや、反対はない。下賜に比べれば西の離宮は随分とマシだ。何より我が家名を名乗ることができる。だが、なぁ」
何とも歯切れが悪い。何しろ、折角城に引き取ったとはいえ、監視の目が厳しくて未だにさやかと息子に会えていない。
最低限、王都の周りであれば、偶然を装って会うことも出来たんだが、と、王は一つため息をついた。命名の儀は、父親である王が行う。この命名の儀の後、立太子が済むか15歳の成人の儀までは会うことはないはずだ。残念だが仕方があるまい。会わないことと、あの子に王位を継承させないこと、この二つを条件に、二人には手を出さないことを約束させたのだから。
心中お察し申し上げる、とサカキが言うのを抑えて言った。
「それはそれとして、仕事の話だ」
その日、二人は頭の痛い問題を抱えていた。配下の貴族の一人、レイゼイ子爵がノブナ公国の貴族と一揉めしたという。
「詳細は聞いていないのだが、ま、詳細はこの際どうでもよい。して向こうは」
「は、調査の結果は向こうが非、と出ましたから、首は要求されませんでした。賠償金もなし」
ほぅ、と王が右眉を上げた。
「要求は、彼を当分は表に出さないこと、です」
貴族社会のこうした問題の処理は、複雑なようで意外に単純だ。事実関係はさておき、力関係を考慮して両方の顔を潰さないようにすれば良い。問題は、力関係が瞬間ごとに変わることと、どちらの顔も潰さないという選択肢がなくなった場合の立ち回りだ。
今回は、力関係は圧倒的に向こうが上だ。王国と公国なら王国の方が強いような気がするが、国力の違いは如何ともしがたい。しかもこちらは継いだばかりの子爵、向こうは中年の伯爵で公爵の女婿に当たる。相手が悪すぎた。
ならば、向こうの要求をのむほかはない。問題は、この顔を潰さないという点だ。
「落とし所はやはり……」「当分表舞台に出られない程度の左遷、ですか」
そんな便利な役職はない、か。分かっている。
地方駐留ということになれば、子爵位であれば当然表に出ざるを得ない。一方、中央の小普請役などならば国としては表に出ない。が、社交界には出ざるを得ないから、やはり表には出ることになる。
とすれば、一度平民に落とすか。平民とすれば、下級位にとどめている限りは表には出ない。ならば長期の謹慎、蟄居とするか。が、どう考えてもこちらに非がない以上、それはやり過ぎだ。代が変わったばかりだから隠居させることも難しい。
軽い罰則に見えて、なかなか厳しい。だが変更するように働きかければ借りになる。何をとりたてられるか分かったものではない。
「……一つ、ございますな」
しばらくして、沈黙を破ってサカキが口を開いた。
「西の離宮の管理、兼、第五王子の傅役です。あの王子は庶子ですから、後見をしても表には出ませんし、西の離宮は、要は山奥ですからな。他の貴族連中も用もなしにあそこには近づきません」
ふむ、と王は右眉を上げた。なるほどな、と言いかけて王は言った。
「しかし、アカネとカエデが納得すると思うか? 既にさやかには侍女をつけているのだ。その上に傅役まで付けるとは他の三人の王子並みだ」
サカキはこともなげに続けて言った。
「するでしょう。彼は野心は少ない上、この度のことで周囲は累を恐れて及び腰です。王子を担ぐ心配もございません。何より左遷された先という扱いですからな。それに剣の腕も確かですから、従兵も少数で良いでしょう」
む、ではそうしよう、と裁可された。
レイゼイ子爵には即日、辞令が出された。
一、即日謹慎を解く
一、以後、庶子である第五王子の傳役とし、同時に西の離宮の管理に当たること
一、庶子である第五王子の生母さやかと共に出発しすること。以後、別命あるか庶子である第五王子の成人まで帰還するに及ばず
一、委細は口授すべし
辞令を受けたレイゼイ子爵は、喜ぶべきか悲しむべきか悩んでいた。
出発までは3日しかないが、今日はもう遅いから身の回りを整理し、明日は引き継ぎ、手続きなどを済ませ、その翌日には出立だ。慌ただしいが、時間は充分にある。問題ない。
軍務を離れる。これは仕方があるまい。西の離宮の管理。何をしろというのかが不明だが、焼け跡も同然のまま再建の予定もないはずだ。
先日の件で、おそらく向こうの方が力関係が強かったのだろう、左遷されたのだ。とはいえ、首を要求されてもおかしくないと思っていたから、左遷程度で済んだのは良かったのかもしれない。
分からないのはこの後だ。
第五王子の傳役、これが分からない。庶子とはいえ傳役という大役を、子爵位があるとはいえ家督を継いだばかりの若輩者に任せるとは。栄転ならば衝突した相手方が納得すまい。失敗する任務ということか。
帰還するに及ばず。帰ってくるなということか。
委細口授、とは普通は日程などが多い。が、書面で残すことが適当ではない命令でもあるのか。
ふと思い当る。第四王子の病死の件もある。陰謀もあり得るか。
「ふん。出たとこ勝負、といこうか。さやか様、王子の二人を守れ、という解釈にしておこうか」
だが陰謀に手を貸すのは真っ平御免だ、と心の中で付け加えながら。
西の離宮の管理の引き継ぎは、鍵が二本と周辺にあるサヨの里の村長への紹介状を受け取るだけで済んだ。前任者もその前任者も、西の離宮に行ったことはなく、そのため西の離宮のこともサヨの里のことも、書類上のことしか分からなかった。小者が年に一度程度見回っているはずだが、その小者は王都を離れているため会うことができないようだ。
命名の儀が翌朝に迫っていた日の夕刻、レイゼイはサカキの執務室に呼び出された。
「レイゼイ、お呼びにより参りました」
「来たか。本来ならば王が自ら命ずべきなのだろうが、王は少し忙しくてな。それへ」
は、と中に入った。大臣と王がそこにいた。
「陛下は忙しくてここにはいない。良いな」サカキが念を押すように言ったが、レイゼイは反発心を覚えた。
「事情が分からぬので承りかねます」
「だから陛下は忙しいのだ。重ねていう。国王陛下はここには来ておらぬ。良いな」
「事情が分からぬので承りかねます」
はは、と乾いた笑いがして、王が口をひらいた。
「サカキ、もう良い。……レイゼイ子爵は武人だな。正直なのは良いことだ。だが少しは融通も覚えた方がよかろう。先日のような例もあるからな」
他国の貴族ともめたことか、と顔が暗くなる。王にも迷惑をかけたに違いない。
「ま、そのように剛直で通すのもよかろうがな。……さてレイゼイよ、命令を下す」
は、とレイゼイは直立不動をとった。
「第五王子、ジュザと名付けることが内定しておるが、そのジュザだ」
暗殺せよと言われたら断るつもりだった。先日の件もあり爵位は無くなるかもしれないが仕方があるまい。場合によってはこの場で手討ちにされる、か。
「ジュザを守れ。ジュザに生きて成人の儀を受けさせよ」
暗殺ではなかった。安堵すると同時に、第五王子の危うさも感じた。
「はっ、ジュザ王子を守り、生きて成人の儀を受けさせること。拝命いたしました」
それからな、と王はサカキに書面を渡すよう促す。
「ここを出てすぐに、その書面の場所へ行き小剣を受け取り、ある程度の成長を待って、そうだな5歳の誕生日になったらジュザへ渡せ」
拝命いたしました、と答えると王が言った。
「済まんな。10年以上にわたる任務だが、おそらくお前はこの任務をやり遂げても出世はしない。ジュザは王位を継がないから、むしろ疎まれるだろう。僻地に押し込めるから貴族同士のつながりも期待できまい」
「陛下、出世など。富貴は時の運。正しき道であれば、任務に否はあり得ません」
外に出、その日のうちに小剣を受け取った。柄頭に王家の紋が入れられており、何かあったらこれで身の証を立てろということらしかった。
そして翌日、命名の儀において、群臣の末席に連なり、レイゼイは王の宣言を聞いた。
「こはわが子、庶子なれどもわが子なり。名はジュザ、ジュザ=アカシなり」
レイゼイは、この短い宣言に2度も「わが子」と入れた王の気持ちや、その後退出するまで見送る目を見て、良い王に仕えたと、少なくとも悪い王に仕えたのではないと思ったのと同時に、10年以上にわたる長い任務を完遂する、との決意を改めて強くしたのであった。