ヒロインは友だちが欲しい〈前〉
――季節は桜咲く春。
今日は待ちに待った王立学園の入学式――
私は見覚えのある場所と時間に再び戻っていた。
まだ一度も汚していない制服と共に、桜の花びらが舞う門の前に。
「…ああ! こ、今回はこの展開に感謝します!」
『えー、そんなにカインが嫌だったの?』
「ちゃんと嫌がってたじゃないですかっ! 女神様は一度も聞いてくださらなかったけど!」
『ふうむ、なんでだろうねえ。乙女ゲーのようでいて、育成ゲームとしても微妙な気もするんだけど、これ…』
なんだかブツブツ言っている声が聞こえるけど、さすがに私も聞き流すことに慣れてきた。
「あのう、女神様? もう、カイン様とは…」
『うん、ごめんね、カインとはもう無理に会わせない。今度はどうしたいの?』
案外とあっさり謝ってくれて、気抜けしそうになる。
邪神かも?とは思ったけれど、私の運命を左右する存在には違いないのだから、頼らずにはいられない。
今がまたこれから始まる学園生活の大きな分岐点になるのだ。
どうしよう…と門を笑顔で通り過ぎていく生徒達の顔を見ていると、心の中で燻っていた願いがひとつ浮かんできた。
「私――私、友だちが欲しいです…」
『友だち? あー、うん、そうね、その方面は全然いなかったもんねえ。最初はサポートキャラもいらない程の運びだったし、次は私がいたし…』
「ええ、誰より話をしていたのが女神様でした…」
『私が友だちってことでいいんじゃない? もう女神様呼びとかしなくていいよ』
「ええっ、で、でも何て呼べば? そういえばお名前はあるんですが?」
勢いで聞いてみると、ちょっと戸惑うようにぽつりと名前が聞こえてきた。
『…エリ』
「……」
家名にも感じた適当感が今また感じられるのは、きっと気のせいではないはず。
『やっぱりやめとこ! 女神でいいよ、女神で!』
私が感じたことを本人も感じたのか、結局はそう言い直した。
うん ‘エリ様’ なんて、ちょっと人に聞かれたら、自分を様で呼んでいるとしか思われないだろう。
素直に頷いておく。
『えーと…うん。じゃあね、屋上に行ってみようか。入学式は今回もいいから』
「屋上? そんな場所あるんですか?」
『そういえば、一度も行ってないか? 行き方はね…』
行き先を聞き門から離れると、アシュレイ様とカイン様が門から入っていく姿を遠目で見えた。
今度は近寄らないようにしようと心に刻みつつ靴の紐を結び直せば、気持ちも新たになった。
教えられた棟に向かい階段を上ると、思いのほか段数が多い。
そういえば前回は勉強ばかりで運動不足だったかも…と息を切らしながら到着することになった。
普段なら鍵がかかっているらしい扉を押し開けると、風が頬をなでて心地よい。
息を整えながら足を進めると、高みにある空が近くなったように感じられる。
うん、これは気持ちいい場所だわ――
…と大きく息を吸い込むと、煙たい空気が流れ込んできた。
「っ!? けほっ!」
『おお、いたいた!』
「え、誰、がっ…?」
咳込みながら煙の方向を見ると、煙草を手にした人物がこちらを見ているのが目に入った。
赤みがかった金髪に、少し垂れた目のせいかとろりと甘い表情に見える男性…
「サイモン様?!」
思わず声に出してしまうと、すっと目が細くなるのが見える。
どうしてここに?と思う間に、その姿は距離を詰めて目の前にやってきた。
「まさか、新入生のサボりがいるとはねぇ。しかも僕を知っているのは、どうしてかな? 僕の方は君を知らないのに」
サイモン様は私よりもひとつ年上。
侯爵家の嫡男で、王族の方々に次いで学園で知らぬ者はいない方だった。
それだけ有名人だった――主に、女性関係の社交が派手なお陰で。
しかもそれが醜聞にならず、女性からの憧れではなく多くの男性からも一目置かれているという希有な存在でもあった。
「あ、あなたもサボっているのでは? しかも煙草は禁止ですし…」
「煙草ではないよ。ハッパだよ」
「葉っぱ?」
『うわ、何、そんなモノもあるの? ていうか、ハッパとか貴族が言うかっての!』
またケラケラと楽しげに笑ってる声が聞こえてくる。
うう、これはまた、女神様の思惑にはまっているだけなのかも…?
『ほらほら、サイモンに友だちの作り方を教わらないと。彼ほど友だちを上手く作れる人はいないでしょ?』
「…!」
そう言われて、ようやく私は気持ちを立て直した。
確かにそうかもしれない。
噂では人たらし、と言われる程の方なのだ。
しかも導かれて屋上に来なければ、言葉を交わす機会もなかった筈の。
私、カイン様のせいで女神様を疑う習性がついてしまっているわ、いけない!
「悪いけど、このことは黙っててくれるかな。君もサボっている時点で同罪だと思うし」
「そ、それはもちろん! でも、あの…!」
「うん?」
この状況は既にひどく不躾だと思うのに、とても素敵な笑顔を返してくれるので、私は言葉を繋げることができた。
「私、新入生のエリザ・ウィンドウと言います! お願いです! 友だちを作る方法をご教授くださいませんか?!」
いきなりの懇願に、サイモン様はやはり目を瞠って驚いていた。
けれど次には再び目を細めて、さっきとは違う微笑みを見せながら、一歩距離を狭めてくる。
そしてそのまま指が伸びてきたと思うと、私の顎の下に入れられ、顔を上げさせられた。
見定めようとするような顔が、目の前に迫って…
『顎クイ! 顎クイ!』
ま、また、何か興奮してるーっ!
「エリザ、ねえ…可愛らしい顔立ちをしているけれど、その奥は随分としたたかなのかな? どういうつもり?」
「は? え?!」
したたか、って?
「つもり、も何も、あの…私、友だちが作りたくて…」
「へぇ? 入学の日にそんなに焦ることかな。作りたいのは、恋人じゃないのかい?」
「こっ…?」
そんなもの…い、いえ、一度か二度は出来かけたっけ。
でもでも、今は。
「違います、友だちが欲しいんです!」
サイモン様は笑顔を変えないながらも、軽く息を吐いて呆れた様子になった。
確かに必死過ぎるし、訳が分からない願いかもしれない。
でも他にどう頼んだらいいのか分からなかった。
「この僕にそんなことを頼むなんて、とてもそうは思えないけど。恋人の真似事ならしてあげようか?」
そう言いながら、まるでキスをするかのように顔を寄せてくる。
こ、これは… ‘カベドン’ よりも心臓が持たない!
「いやーっ!」
思わず、手が動いていた。
パン!という音と共に、右手に痛みが走る。
でももっと痛いのは、私の掌を受け止めた方だろう。
驚いて笑顔を失ったサイモン様の頬は、赤くなっていた。
『うわー、叩いちゃった』
た、叩いちゃったー!
「ひっ、ご、ごめ…も、申し訳ありませんでしたー!!」
もうその場にいられなかった。
転げるように走り逃げ出す自分に既視感を感じる。ああ、情けない。
でも、どうしよう。
今回は逃げてしまってはいけなかったのかも。
『これはダメでしょ。後で謝りに行かないとね』
…やっぱり、そうですよね。
『土下座じゃない?』
……そこまでしなくちゃダメですか?
翌日。
再び女神様に促されて、私は始業前に屋上に上がってみた。
見てみれば、昨日と同じ場所で煙が見える。
重い気分のままで顔を上げられず、靴の見える状態まで進んでから、潔く下に膝をついて深く頭を下げた。
「えっ? あの…」
「昨日は本当に申し訳ありませんでした。私のような者がサイモン様に勝手なお願いをした上に、頬を叩いてしまうなどとというとんでもない行い。どれだけのお怒りでしょう。いかなる罰も受けるべきだとは思いますが、お許しいただけないでしょうか。煙草…葉っぱのことはもちろん誰にも言いませんし、私からのお願いも、いえ、私そのものを忘れていただければと思います。何卒…」
『ちょ、そこまで、へりくだらなくても…!』
女神様の声が慌てた声が聞こえる。
昨日は騙されかけたけれど、やはり女神様の狙いは ‘攻略’ なのだろう。
だからって、こんな社交的な方と私がうまく行くとは思えない。
昨日のことを思い出せば、カイン様とは違う緊張感で、ちっとも気が休まらないのは確実だと思うし。
ここはもう邪神…女神様の言葉は忘れて、とにかく謝って離れようという決意の謝罪だった。
「…困ったな。女の子にそこまでされると、許さない訳にはいかないよね」
「本当ですか?!」
嬉しさでぱっと顔を上げると、いつのまにかしゃがみ込んでいたサイモン様が私を見てくすくすと本当におかしそうに笑った。
「おでこ、跡がついてるよ。そこまで真剣に謝ってくれるとはね。もういいから、ほら、立って」
手を額にやると、確かにざらりとした石の表面の跡が感じられた。
ついでに膝も地味に痛い。
差し出された手に甘えて立ち上がると、最大級の笑顔がそこにあった。
「あのっ、許していただけるんです、ね?」
「ああ、もちろん。それに、友だちを作る極意も教えてあげようか?」
「ええっ? いいんですか?!」
許しをもらえたら、疾風のごとく去ってしまおう…と思っていたのに、私は食いついてしまった。
だって、極意って!
「あのね、友だちっていうのは、互いに何かしら同調したものを持っていて引き合うものなんだよ。本来はその波長を持つ相手とうまく出会えれば良いんだけど、上手い具合に見つかるとは限らない。君はとにかくすぐに友だちが欲しいようだから、自分から相手に合わせてあげることを覚えるべきだね」
『へー…意外と普通なアドバイスじゃない?』
さすがの女神様も感心した様子。
私も大きく頷きながら「なるほど…!」と聞き入ってしまった。
いつしか両手を取られて、見つめ合っている形になっていることにも気づかぬ程に。
「友だちになりたい候補の子はいるの?」
「いいえ、それはまだ…」
「そう。じゃあ、僕の妹も学園に入ったばかりなんだ。まずは彼女に合わせて過ごしてみたらどうかな」
「妹様、と?」
侯爵家のお嬢様? それは同じ女としてちょっと敷居が高過ぎる気が…!
『いいじゃない、それ! 頷いておきなよ!』
躊躇ってしまったけれど、女神様の声に押されてこくりと頷いてしまう。
「よかった。妹も友だちが少なくてね。君とならうまく行きそうな気がするよ」
華やかな笑顔に、思わずこちらも笑い返してしまう。
やはり、この方の醸しだす雰囲気はすごい。
謝る前までの気まずさは消え、関わりを絶とうと思っていた気持ちも消えてしまっていた。