第二話:デブがデブたらしめるのは。
大変ご無沙汰しております、かれこれ実に四か月ぶりの更新です。お待たせしてしまいました。
全然忘れてなんておりませんとも。ええ。
――――気に入らない。ああ気に入らない。
二年B組、舞原萌子は、とてもイライラしていた。
顔を険しくさせ、お弁当のニンジンを箸でぶっ刺してそれを口に運ぶ。そして荒々しく咀嚼する。
「あ、あの、萌子ちゃん……聞いてる?」
「んー……?」
萌子と向かい合い、一緒に食事をとっているのは、同じクラスメイトの瑞木達郎。
萌子とは昔からの腐れ縁で、数えるのも億劫なほどの長年の付き合いである。
男というには中性的かつ華奢なので、よく女の子と間違われていた。事実、今も男物の制服を着ていなければ男と判別が付かない。
「な、なんか……怒ってる? 怒ってるよね?」
「……べっつに。あんたにゃカンケーないでしょ」
恐る恐る、という感じで達郎が尋ねると、ぶっきらぼうに萌子が返す。それを受けた達郎は『ご、ごめん』と言って、萎縮したように身体を小さくした。
一応念を押しておくと、彼らはもちろん恋人などという甘酸っぱい関係ではない。萌子にとっては、達郎は自分の家来か子分、それ以上でもそれ以下の認識でもない。
しかし、達郎としては、萌子を数少ない『自分のお友だちになってくれる人』と思っている辺り、涙を誘う。
「……ちっ」
さて、そんな萌子の視線の先には、一人の男子生徒がいた。
弁当だけでなく山ほどの菓子パンを貪り、座ってるだけでも目障りなほど幅を取っている巨漢。
大園拓二。同じクラスメイトの男子生徒である。
萌子は、彼が気に入らなかった。
特に理由はない。というかそもそも、同じクラスとなったのも二年になった二ヶ月前からのことだ。
しかし、気に入らない。何故か気にくわない。
「がるるるる……!!」
「も、萌子ちゃーん……」
自分が睨まれているわけではないというのに、びくびくと怖がる達郎。
さて、そんな熱い視線を向けられている拓二はと言うと――――。
「――――これはマイマヨ、これはマイケチャ、そしてこれはマイ醤油だーッ!!」
「なんで学校で台所の調味料が揃ってんだよ!?」
彼は友達らしい男子と、仲良く(?)談笑している。その様子は、周りからは和やかな雰囲気で見られていて、男女問わず人が集まっている(相変わらず余ったおかず等をあげているだけなのだが)。
それが萌子から見ると、拓二がちやほやされているようで、面白くない。本当に面白くない。
「ね、萌子~」
その時、萌子の女友達が後ろから話しかけてきた。
まさにその次の一瞬である。
「――――え、なぁにっ☆?」
語尾にキャピッ、とつけそうなほど猫かぶりで、萌子が振り返った。
目には溢れんばかりの星屑が散らばり、声は媚っ媚の可愛い系の甲高いものだった。
「う、うん。あのさ、今度の土曜空いてる? みんなでカラオケ行こうよ」
若干引いている彼女が、そう誘う。
「うんもちろんっ♪ また駅前のカラ館? あっ、なんかお菓子とかお弁当持ってこうか☆」
「カラオケなのに……!? い、いやいいよいいよ。飲んで歌おうよ、ね?」
「うん分かった! 楽しみにしてるねっ☆」
「はぁい、また今度連絡すんねー」
といったやり取りで、その女友達は去っていった。
「……ふぅうううううう」
萌子が、そんな重々しく心の底からしんどそうな、しかし達郎しか聞こえない程度のため息を吐いたのは、その女の子が教室の外へと出ていったすぐのことだった。
「……あー、マジだっる。友達付き合いとかほんっと面倒だわー」
「萌子ちゃん……それはちょっと……」
「ああん?」
「ひっ、いや何でもないです……!」
もちろんこのドスの利いたダミ声も、会話の内容も周囲には聞こえないようにしている。
要は、隠しているのだ。波風立てぬよう、自分の棘を自覚してめったに他人に見せないで愛嬌よく振る舞っている。
彼女なりの処世術というやつである。
「アンタ……分かってるとは思うけど」
「い、言わない言わない! 死んでも言わないよ、萌子ちゃんが猫かぶってるのなんて――――痛いっ!?」
「うっさい、大声で余計なこと言うなバカ……!!」
「何が余計なことなんだ?」
「ああん?」
ギロリ、と思わず声をかけられた方に睨み付け――――ここで既に軽い失態を犯しているのだが――――何よりも、萌子のとって失敗であったのは。
「――――ぅげっ」
女の子がしていい限界すれすれの声で萌子が呻く。
よりによって、その現れた第三者が、萌子の毛嫌いしていた大園拓二であったからだ。
突然出現した拓二に、内心テンパっている萌子。
だが、必死に頬の筋肉を持ち上げ、懸命に笑顔を作って堪えた。プロ根性である。
「な、なな、何か用かな、大園くんっ☆ 乙女の会話を盗み聞きなんて酷いんだゾ♪」
「ああいや、そういうつもりじゃなかったんだが……」
――――くそくそっ、何よこいつ! さっさとどっか行きなさいよ!
――――何が『そういうつもりじゃなかったんだが』、よ!! 近寄んなやキモデブ! 私を押し潰す気!?
というあんまりな心の声が、当然拓二に聞こえるわけもなく、当の本人は誠実に謝意を述べてから、
「瑞木、ほらこれ」
「え?」
達郎に向けて差し出したのは、一冊のノートだった。
「昨日風邪で休んでただろう。よかったら写すか?」
「え、いいの?」
「ああ、いいぞ。済んだら返してくれ」
それだけ言って、その場から立ち去ろうとする。向こうで拓二を購買へと呼ぶ友人の元へと足を進める。
「あ、あのっ、ありがとう……!」
「はっはっは、お礼の言葉はプリンから受け付けるぞー」
達郎の言葉に応えるように、手をヒラヒラさせて拓二は教室を出ていった。
その後ろ姿を、尊敬の眼差しで見届ける達郎。
堕ちたな。だが男だ。
「大園くん、いい人だなぁ……ね、萌子ちゃ――――ピィッ!?」
そして、萌子は視線で殺さんばかりの形相で怒り狂っていた。
すぐにその矛先は達郎へと飛んだ。
「ひ、ひひひひゃいっ!?」
がしっ、とその肩を掴まれた。
「…………」
「も、萌子、ちゃん……?」
冷や汗垂らしまくりで、今にも泣き出しそうな顔で、萌子を窺う。
「……して」
「へっ……?」
一方萌子は、怒りにうち震えた声で、しかし周りの目を気にして必死に内なる衝動を堪えている様子でこう言った。
「ちょっと、放課後さあ……あいつ呼び出して」
■ ■ ■
ということで、時間は飛んで放課後の学校の屋上。
日が落ちる前の冷えた風でスカートがたなびく中、腕組みして萌子は待っていた。
その脇で、達郎がビクビクしながら落ち着きなく視線を散らばしている。あまり、萌子の方を見ようとしない。
「……遅いわね。タツロー、アンタちゃんとあいつに伝えたんでしょうね」
「つっ、つつつ伝えたよぉ……! ちゃんと屋上に来てくださいって!」
そういう風におどおどとしている様は、まさに女子らしく、嗜虐心をそそられる。
だが、男だ。
その時、屋上に繋がる扉が開いた。
「よっ……せ、狭っ」
が、少しその扉に身体がつっかえた。
その大きな人影は、身体を横向けて辛うじてくぐり抜ける。
そう、そのかなり控えめに言ってぽっちゃりした体型の人影こそ、大園拓二である。
「舞原、それに瑞木……お前らが俺を呼んだのか?」
拓二は少し驚いた様子で口を開いた。
「え、えとそれは……」
「――――そうよ!」
蚊の飛ぶ声のようにか細い声を紡ぐ達郎に相対して、威風堂々と腕組みをする萌子。
単純な体格差は拓二と達郎の二人を比べるよりもかけ離れているのだが、彼女に尻込みした様子はまるでない。
「何で呼ばれたのか、理由はわかる!?」
「ふむ……」
拓二はしばし考え込む素振りを見せる。
何度か萌子と達郎の間に視線を左右させてから、やがて納得したように手を打ちこう言った。
「――――なるほど、恋愛相談か!」
「はああ!? 」
まるで検討違いのその言葉に、思わず耳を疑う萌子だったが、拓二はなるほど納得と言わんばかりに続ける。
「いやあ、俺もよく大和の相談に乗ってやってるから分かるぞ。俺は知らなかったが、舞原と瑞木は恋人なんだな! でも少し意識の違いが出来てきたから、第三者の俺に公平に見てほしいってことだ。そうだろ?」
どんどん独自の物語を作っていく拓二。
あわあわするしかない達郎。
そして――――怒りのボルテージが目に見えて跳ね上がっていく萌子。
傍から彼ら三人を見たら、関わりたくないタイプの修羅場だと思うだろう。
「そういうことなら思う存分頼ってくれ! 出来る限り力になるからな!」
「違うに決まってんでしょッ!!!!!!!」
萌子の大絶叫が、日の沈む前の夕暮れに轟いた。
「…………」
全身全霊の怒りをぶちまけたせいか、その怒鳴り声で力を持ってかれたかのように肩で息をしている。
少し呆気にとられた拓二だったが、気を取り直して優しく尋ねかけた。
「……俺、何か間違えたこと言ったか?」
「全部間違えてるっつーの! そんなトっロいグズ、何とも思ってない! ただの奴隷よ、ど・れ・い!!」
「おいおい舞原、いくら彼氏と言っても言っていいことと悪いことが――――」
「まずあんたはそのクソみたいな誤解を解け!!!」
――――これで拓二自身は真剣も真剣、大真面目なのだから、余計にタチが悪い。
「あんた、ムカつくのよ!!」
「……うん?」
キリがないと悟った萌子が、激しい語気を伴って拓二を咎めんばかりに指を差す。
拓二が首をかしげた。
それもまた気に食わないというように目を細め、
「痩せる気もないキモデブのくせに、学校に来て、友達と楽しくわいわいして! 普通に過ごしてるの見てると何かムカつくのよ!」
「……俺、そんなにお前と絡んだことあったっけ?」
「視界にちらつく。それだけで不愉快よ。胃がムカムカしてくるわ」
あまりに横暴な言葉に、拓二でさえも言葉を失った。
要するに存在そのものが嫌だというのだから、妥協策も何もないのだから、たまったものではない。
「んなの俺にどうしろと……」
思わずため息と共に、そんな呟きが溢れた。
「ふっ、ふっふっふっ……」
すると、その言葉を待っていたというように、萌子が不敵に笑い出し始める。
いったい何事かと拓二が様子を窺おうとしたその時、再び彼に向けて指を差した。
そして、高々とこう言い放った。
「――――あんた、あたしと勝負しなさい!」
「しょ……勝負?」
■ ■ ■
「――――第一回! チキチキ☆人間そーごーりょく勝負ーっ!」
祝日でほとんどの部活動が出払っている学校。
そのグラウンドに、一人の少女の声が楽しげに響いた。
「さあこの時がやって参りました、人間そーごーりょく勝負。今回はここ私達の学校を使い、多種多様な種目で人間としての価値をガチで競う一対一の大決闘です! 実況は私、淡島蓮子と!」
「……の、ノリノリですね、淡島先輩……」
「はいっ、解説の源川ささらちゃんの二人でお送りしております!」
一体どこから持ってきたのか、運動会でよく流れるルパ○三世の曲をラジカセで流し、オモチャのマイクを持って蓮子が場を盛り上げている。
「あ、ちなみにスペシャルサンクスとして、
宮路大和くんにはざつよ――――もとい、試合進行スタッフを務めてもらっています。お休みの日なのに今日はありがとうね、宮路くん」
「い、いえいえっ! 先輩のためなら何でもやりますから!! 俺!」
そう言ってちからこぶを作ってみせる彼は、つい数十分前まで家で積みゲーをするためこの雑用に難色を示していた。
蓮子が来ると言われた途端、やっていたゲームを投げつけここに参上した次第である。
「うんうん、それじゃ頑張ってねー」
「あっ、せっせせせせ先輩っ……こ、これが終わったら、ご一緒にディナーに……」
「さて! それじゃあさっそく選手の紹介です!」
そんな大和の声は聞こえたのかどうなのか、被せるように蓮子は声を張り上げた。うなだれる大和を横目に見て苦笑いを浮かべるささら。
「それじゃまずは、赤コーナー! 我が文学部唯一の男子生徒にして救世主! そのメタボは一体何を包む!? おおぞの~~~た~くじ~~~っ!!」
そんな謎の紹介とともに、焚かれたスモークからその巨体が現れる――――わけもなく、普通にそこにピザが立っていた。学校の中だからと一応制服姿ではあるが、一体この状況が何なのか掴み損ねている様子だった。
「続いて青コーナー! チャンピオン拓二くんに真っ向から挑戦だ! ちっさな身体にでっかい態度! まいはら~~~もえこ~~~っ!」
「ちっさいゆーな!!」
萌子が蓮子の言葉に噛みついた。
が、いとも簡単に無視される。
「さて、ルールはいたって簡単。お互いがそれぞれ先攻後攻を決めて、先攻の人から勝負内容を決めて勝負をするだけ! それぞれ自分が得意とするお題を出してもらうよ。その勝負が終わったら次は後攻の人、次終わったら先攻の人って感じに、それを三回ずつ交互にやっていって、勝った人が一ポイントゲット。結果、総ポイント数が多い方が勝ちだよ!」
カンペでも見ているかのようにつらつらとそのルールについて語っていく蓮子。
「なお、同点は時間があれば延長戦ありで。以上、何か質問はある?」
「いや、いやいやいや。お願いです待ってください部長」
そこに口を挟んだのは、当の本人である拓二だった。
彼からしたら、突然朝にここに呼び出されてきただけなのだ。もちろん、前情報はない。
なのでただいま絶賛混乱中なのである。
「一体これはどういうことなんですか? どうして部長達がここに?」
「どうしてって、頼まれたんだよ。萌子ちゃんに」
「舞原に?」
首をかしげる拓二。
「そうだよ。萌子ちゃんとは知り合いでね。昨日突然、『大園と勝負するわ!!』って言ってきたから、生徒会長権限で学校を借りちゃいました♪」
「が、学校を、ですか?」
「そうそう。あとでちゃんと後片付けしなきゃだめだけど。体育館とグラウンド、あと施設をいくつか使ってもいいって。職権濫用ってやつだね」
それでいいのか生徒会長。
しかも思った以上にした準備が大がかりであることに驚きながら、拓二は疑問をぶつけようとする。
「でも、勝負ったって……」
「何を今更ぐちぐち言ってんのよ!」
が、萌子によって言葉はさえぎられてしまった。
「あんただって、屋上じゃ『その勝負受けた!』とか乗り気だったじゃない!」
「まさかここまで本気とは普通思わないだろう……」
「なに、ビビっちゃった? こんなか弱い女の子相手に?」
「ビビったというかなんというか……」
展開の速さについていけないというか、という言葉を口の中で転がす。
「さて、話はまとまったかな?」
「…………」
この謎の状況を作り出した張本人はあくまで他人事のように笑顔でそう言う。
なんとなく逃げられないことは分かり、拓二はこれ以上何か言うのを諦めたように肩を落とした。
■ ■ ■
ラウンド1:裁縫
「――――よし出来た、うさぎのビーズ人形だ」
先攻の拓二が初手で選んだのは、三十分の制限の上での裁縫勝負。審査員は蓮子、ささら、達郎の女子(?)三人組である。
いきなり地味な勝負と思ってはいけない。
そんな彼が作り上げたのは、ビーズでこしらえた立体的なピンクのうさぎだった。ご丁寧に、ストラップに出来るようにしつらえてある。
「これは……売り物みたいですね……」
「わあ、凄い……!」
「上手だねえ」
以上が、拓二の作品を見たささら、達郎、蓮子三人の審査員の反応。
一方、萌子はというと。
「……何よ。何か文句あるなら言いなさいよ!?」
彼女の力作は、パンダのアップリケ……のはずなのだが。
糸は解れ、生地は歪んでたゆんでいるだけでなく、時間が足りなかったのがよく分かる、白黒模様が欠けている中途半端な仕上がりだった。
正直、これを初見でパンダと見ることは難しいだろう。
「……ノーコメントで」
「これは、ちょっとひど……ひい! ごめんなさいごめんなさい!」
「味があるねえ」
結果、この勝負は2対1で拓二の勝ちだった。
■ ■ ■
ラウンド2:50メートル走
「ふっふっふ……悪いけど本気でいかせてもらうわよ」
そう言うスタートラインに並ぶ萌子の顔は、意地悪く笑っている。
後攻、萌子が選択した競技は、運動系の勝負だった。もちろん、拓二が不利であるものを見越してのこと。
彼女の辞書に容赦という言葉はない。
「さっきは不覚を取ったけど、花を持たせてやっただけ。しょせんデブはデブ……走るのが遅いのは見なくても分かるわ」
「舞原、お前は足速いのか?」
「普通の男に勝てるほどじゃないけどね。遅くはないわよ。ま、あんたも頑張れば勝てるんじゃな~い?」
そんなことはまあないけどね、と余裕綽々な顔で笑う萌子。
だがしかし、そういう台詞は大体死亡フラグであるもので……。
「二人ともー、準備はいいー!?」
ゴール手前の遠くから、蓮子の声が聞こえる。
振り上げた片手には、ご丁寧にもわざわざ借りだしてきた合図用のピストルが握られていた。
「それじゃ、位置についてえ……用意、どん」
パン、と軽いクラッカーのような音が響き、二人は一斉に駆け出した。
「――――ダニィ!?」
そして、どこぞの王子のような声で萌子は驚愕する。
速い。巨体を揺らし、全力で疾走する拓二の姿が、萌子の視界に映った。
慌てて追い縋るも、追い越せない。
「ゴール!!」
「タイム……大園くん7秒35、舞原さん7秒81ですぅ!」
タッチの差で、拓二の方が早かった。その拓二は、ゴールした途端スライディングするように前に転がり込んだ。
「お、大園くん大丈夫!?」
「あー、大丈夫大丈夫。こいつまたあの走り方したな」
達郎が心配する必要もなく、大和が言うようにすぐに立ち上がる拓二。
息は荒いものの、怪我はしていないようだ。
「ど、どうして……!」
同じく肩で息をする萌子が、信じられないといった風に口を開いた。きつい視線で拓二を睨む。
「なっ、なんであんた……そんな速いのよ……!! デブのくせに……!」
「あー、言っとくけどこいつ、そんなに運動神経悪くないぞ」
代わりに、大和がそれを受け答える。
「特に50メートル走だとこいつ、前傾姿勢で走るもんだから、自分の重さ堪えるのに必死で足回すのメチャクチャ速い。んで、ゴールした途端足動かさなくなるから絶対転ぶ。俺らのなかではこの走り方を、『デブの本気』とまことしやかに囁かれてる」
「『動けるデブ』が……座右の銘だからな……」
息も絶え絶えに、それでもいい汗を流しながら、拓二がそう言った。
「……達郎っ!」
「は、はい!!」
「あんた男子体育で一緒なのに、何でそんなこと教えなかったのよー!!」
「で、でも言おうとしたら萌子ちゃんが『ヒントなんていらないわ、引っ込んでなさい』って~!」
「うっさい、このノロマグズ!」
負けた萌子は、達郎に八つ当たりしていた。
■ ■ ■
それからラウンド3では、先攻後攻を入れ替え、バスケットボールフリースロー十本対決を選択した萌子。
だが、これは萌子の本来の得意分野であり、彼女がバスケ部なのもあって、拓二が四本、萌子は七本決め、萌子の勝ちとなった。
これで総合2対1。
次に、ラウンド4。拓二は一時間の料理対決、品目はデザートの料理を選択。
いつも小腹が空くため自分で食べ物を作る拓二に隙はなかった。彼はただの食べ専ではないのだ。
あれば食う。無ければ作る。だから彼はデブなのだ。
ちなみに萌子の料理は……言わずもがな。
一応彼女の尊厳のため、その内容はプライバシー保護に徹させていただこう。
結果はやはり、2対1で拓二の勝ち。
総合では3対1で、この時点で拓二の負けはなくなった。
最後のターンになると、時刻も夕暮れになろうとしていた。
負けられない萌子が、ここで本気を出し始める。
ラウンド5は、拓二が選んだ記憶力対決。
蓮子が作成した絵を三十秒間見て、何が描かれていたかという質問にフリップで同時に答えるというもの。
蓮子が描いた絵は、とある風景画だった。
夕暮れの河原を、まるで模写したかのように正確に、そして美しく描いていた。
「では問題。絵の中に木は何本あったでしょう?」
六問目程の問題で、ついに二人の答えが別れた。
拓二は十本、萌子は十二本と答えた。
「ついに分かれましたね……」
「あの、これどっちも間違ってたら……?」
「ドロー。残念だけど時間が推してきたから、無効試合とさせてもらうよ。……でも、そんなことはないみたいだけど」
つまり――――……。
「答えは……十二本!」
「よっしゃあ、やりぃ!」
もはや猫かぶりも完全に忘れて、少年のように手放しで喜ぶ萌子。
これで、今のスコアは3対2となった。
次で拓二が勝てば、4対2で拓二の勝ち。萌子が勝てば、3対3で引き分けである。
そして最終ラウンドは――――萌子に勝負の選択権が与えられている。
■ ■ ■
「さて、とうとうここまできたね。色々長かったけど、はてさてどうなるかな?」
蓮子は、楽しげに言う。長丁場でも元気である。
場所は、運動場。その手には再び、合図用ピストルが握られている。
「宮路くん、準備出来たー!?」
「はいっ! 準備完了でーす!!」
遠くで大和が叫ぶ。それを聞いて、蓮子は満足そうに頷いた。
日が沈み欠けているグラウンドには、線引きで面積一杯の大きな輪が作られていた。
「それじゃ、最後の勝負は――――持久走、グラウンド十周勝負。二人とも、用意はいい?」
最終ラウンドに萌子が告げた勝負内容、グラウンド十周。勝敗はシンプル、先に十周した方が勝ちである。
これもやはり、拓二の不利を突いた上でのものなのだが……。
「……ど、どうなのかな。さっき、大園くん50メートル走早かったし……」
意味なくおろおろする達郎が、そう言う。
「実は、こういうのも大園くんは得意とか……」
ささらは、何だかんだ、息を呑みながらスタートラインに並ぶ二人を見つめている。
そして、蓮子は二人に対し意味ありげに笑う。
「まあ、どうなるか見てみようよ。……じゃあ、始めよっか」
蓮子がビストルを持ち上げ、準備する。
後がない萌子は、しっかりとクラウチングスタートの姿勢をとる。先ほどの50メートル走ではしていなかった、本気である。
「ここまで来たら負けない……絶対に、こいつには……」
「…………」
いつの間にか、お互いに余裕はなく、特に萌子は闘志をぎらつかせている。
まさか自分の勝ち筋が消えてしまうとは思いもしなかったのだろう。見下していた相手に、良くて引き分けに持ち込むしか無くなってしまい、かなり屈辱的だった。
「じゃ、行くよ……位置について」
ぐっ、と二人が身体を強張らせ、構える。
この場において二人は対等で、デブも、女も、何もかも今はまるで関係なかった。
「ようい――――どん!」
空に溶け行くように響いた発砲音に弾かれたように、二人は同時に飛び出した。
グラウンド十周ともなると、体力が重要となってくる。なるべく最初は抑えて走っていくのがベターであるはずだ。
しかし――――
「! おっと萌子ちゃん飛び出した!」
まるで短距離走でも走っているかのように、萌子が全力で駆けていく。
もちろん何も考えなしに走っているわけではなく、先に出来る限り距離を稼ぐ算段であるのだが、そんな全速力がずっと持つわけもない。
一方拓二は、ジョギング当然の走り方をしているのだが……様子が少しおかしい。
ゆっくりゆっくり進んでいるのに、息が荒すぎるのだ。喘ぎ喘ぎ呼吸をして、今にも倒れてしまいそうに。
「……まるでうさぎと亀だね」
そんなまるで性質の違う二人を見た蓮子は、静かにそう呟いた。
いったん一周した萌子が、立ち止まって大きく息を整える。傍から見てもかなり辛そうだ。
拓二はまだ半周を過ぎたところで、差に余裕はある。
「はあっ……はあっ……負けらんない。デブのまま何も苦労してないやつなんかに、あたしは負けない……!」
萌子は大きく息を吸って、再び走り出した。
拓二よりもその足は速い。が、そのペースも二周目、三周目と続けていくうちに、段々落ちてきている。
拓二はまだ、走っている。
と言っても、もはや歩くスピードとそう変わらないくらいの速度で、ゆっくりとその重い足を動かしていく。
しかし、二人の差は時間が経つにつれ、俄然開き続けていく。
「お、大園くん! 急いでください! このままじゃ、追い付けなくなっちゃいます!」
ささらの言葉に、そばの蓮子が冷静に答える。
「……50メートル走、バスケのフリースロー、そして一日の最後にこれだから、かなり疲れてるんだろうね。これが限界……いや、もうそれ以上だよ」
「そんな……」
「今はかろうじて走れてても、いずれ……」
そして両者の差が一周差となった時、まさに蓮子の言葉通りとなった。萌子が拓二を追い抜こうとしたして――――その大きな身体がぐらりと姿勢を崩し、音をたてて倒れた。
「――――え!?」
追い抜いた萌子が、慌てて立ち止まって拓二に振り返る。
前のめりに倒れて、動かない。ひゅうひゅう、とか細い息切れの音だけが聞こえた。
「あ、あんたっ……!?」
戸惑う萌子。
すると、その声に応えたかのように、拓二がゆっくりと膝を立てた。
「……ぐっ、おお……」
手を付き、立ち上がったその巨躯がぬっと影を伸ばす。
「ふーっ、ふー……」
蓮子の言う通り、拓二は立っているだけで限界だった。運動神経は悪くなくても、結局デブはデブ。 その重たい身体を動かすのには、常人以上のエネルギーがいる。
だからこそ、自分はなるべく動かない勝負を選択して時間を稼いでいたのだが、ついにガタが来た。
萌子の選んだ50メートル走とフリースロー対決が、ここにきて効いてきたのだ。
「ちょっ……ちょっと! もうやめなさいよ!」
萌子が叫ぶ。
が、それは敵として意地悪い煽りではなく……顔や体操服を汗と泥に汚した男を諌める言葉だった。
「流石に無理でしょ!? 一周も差があんのよ!? もうさっさと諦めなさいよ!」
「…………」
拓二は、一歩足をを進めた。
また、一歩。一歩、とふらふらとよろめきながら進む。
萌子は、それを見ていた。
その場を動かず、嫌いだった相手を目に映していた。
「……が」
「え……?」
「『動けるデブ』が……座右の銘、だからな……」
萌子は、大園拓二が気に入らなかった。
デブのくせに教室で笑ったり、デブのくせに友達と話したりしているのを見ていると胸のうちがムカムカした。
自分がクラスに溶け込もうとするのに、何時でもニコニコしてなきゃいけないのに、どれだけ苦労しているのか、何も知らなそうにしていたから。
そんな苦労をせず、のうのうと学生生活を謳歌している拓二が目の端に映るのが、何より気に入らなかった。
「意地が……あるんだよっ……男にはなあ……!!」
そんな怠慢の象徴のような存在が、今こうして目の前にいる。
簡単に勝てるはずだった勝負には勝ち越し、もう諦めても負けはないというのに、それでも息を切らして前に進もうとする。
怠慢のように見えていた男が、今、自分に迫っている。
そして、その横を通り過ぎようとした時――――今度こそ、重力に身を任せ、地に伏した。
もう、身動き一つしない。
この時点で、萌子の勝利は確定した。
「勝負あり、だね」
いつの間にか近付いていたささら、達郎、大和、蓮子のその他四人。
「だ、大丈夫!? 大園くん!」
「おいおい、死んでねーだろな……!」
大和、達郎が心配そうに拓二のそばに寄る。
「これじゃ勝負は続行不可能だよ。持久走対決は萌子ちゃんの勝ちで3対3。お疲れ様」
「淡島先輩、今はそんなこと言ってる場合じゃ……」
「いいから」
ささらの咎めるような声を手で遮るような仕草をして、まっすぐに萌子を見た。
ここまでやっといてなんだけど、と蓮子が肩をすくめてから続ける。
「引き分けちゃったね。すごくいい勝負だったよ」
「……これで終わり?」
「残念だけど、時間切れかな。まあもし決着を着けたかったら、二人でやってもらったらいいしね」
そして、すうとその目が細まった。
まるで、なにかを見定めるかのように。
「なんだったら、また別の機会を作るけど……どうする?」
「…………」
再戦。
またやり直してどちらかの優劣を決めるかどうか。
一日前なら……いや、この持久走をする前までは、意地でも自分が勝つために迷うこと無く再戦を希望しただろう。
「あたしは……」
その時。
ぐうう~、という場に相応しくない間抜けな音が夕方の空に響いた。
「こ、こいつ……今腹鳴ったぞ! これ倒れてんの腹減ってるだけかよ!!」
「う、うぅ……ん、もう食べられん……」
「うっせ! そこは『腹減って死にそう』だろ心配返せアホ!」
「ちょっ、し、死んじゃダメだよ!?」
大和が突っ込み、そのデップり腹をポヨンポヨン蹴る。それを慌てて止めようとするささらと達郎。
そんな様子を呆然としながら見た後、萌子は呆れたような疲れたと言うような風に脱力した。
「いいわよもう……引き分けで」
「……そっか」
蓮子は、クスクスと笑いながら、答えた。
「……うん。そうだね」
■ ■ ■
「右手にマヨネーズ、左手に醤油! 融合合体! マヨネーズ醤油・ノヴァ!!」
「ただのマヨネーズ醤油だろ、いい加減にしろ!」
あれから、数日後。
2ーBの教室は、いつも通りの昼休みを送っていた。
拓二は相も変わらずお弁当と買い足した菓子パンを消化し、ほかの人からもらった。余ったおかずの処理に勤しんでいる。
曰く、『ちょっと運動して痩せたから、また食べられる。なんて幸せ』なのだと言う。それを機に痩せようという発想は無いらしい。
そんな彼の姿を――――
「…………」
――――お弁当のしいたけを箸でぶっ刺しながら、めちゃくちゃ不機嫌そうに睨んでいる萌子の姿があった。
「あ、あの……萌子ちゃん……?」
「んー……?」
「な、なんか……怒ってる? 怒ってるよね?」
「……べっつに。アンタにゃカンケーないでしょ」
何か既視感のある会話をしているが、決してループしているわけでもなんでもない。
気に入らない。何故か気に入らないのだ。
ただ拓二がちやほやされていると、何故かむかつく。心がざわつくのだ。
「まだ、大園くんのことが嫌いなの……?」
達郎が訊くと、萌子は何も言わずそっぽを向いた。
思わず、達郎はため息を漏らした。
結局、あれから何も変わってないのだろうか、と。
■ ■ ■
「ま、待って……ください!」
時はさかのぼって、引き分けとなった勝負のその後片付けが終わった時、達郎が声を張り上げた。
「うん?」
その人物は、淡島蓮子。
今まさに、家路に就こうとしているところに声をかけたのだった。
この時、周りには誰もいない。
「え、ええとその……ちょっと、お話が……」
「何かな?」
蓮子が振り返り、対峙する。
達郎は、頼りなさげにどもりながら声を紡ぐ。
「も、もし僕の間違いだったら、その、ごめんなさい。でも一つだけ……」
「……言ってみて?」
「あの……ラウンド5の記憶力勝負、のことなんですけど……」
促された甲斐あってか、達郎はゆっくりと口を開いた。
「あの、最後の絵に描かれた木の本数の問題……〝十二本目は無かったと思うんですけど〟……」
「…………」
「答えが十一本なら、大園くんも萌子ちゃんも二人とも外してて、勝敗はドロー。持久走で萌子ちゃんが勝っても3対2で大園くんの勝ち……じゃないかなあ、って……」
ご、ごめんなさい! 何でもないです! とだけ言って達郎が逃げようとしたその時。
「待って」
と、彼を止めたのは蓮子だった。
「……達郎くんは記憶力いいんだね。もっと自信を持っていいよ」
「! え、じゃ、じゃあ……!」
「そう。〝あれの本当の答えは十一本〟。結果は二人とも間違いだったんだよ」
蓮子は確かに、そう言った。
萌子が正しいという嘘を吐いた、と。
「でも、え……ど、どうして……萌子ちゃんに有利になるようなことを?」
「んー……そりゃもちろん、萌子ちゃんが拓二くんと引き分けになってくれればと思ったからだよ」
「え……?」
意味が呑み込めない様子の達郎に、蓮子はそっと笑んで続けた。
「萌子ちゃん、ああ見えて真面目な子だからさ。自分が努力してるのに、他人が努力してないところを見るのが嫌いなんでしょ。だから猫かぶりながら、内心では他人のことを見下すし、おデブな拓二くんには突っかかる。みんながみんな、そうじゃないんだよー……って、ちょっと反論したかったんだ。特に、肥満が怠慢なんて、偏見もいいところだよ」
そう言う彼女の言葉には、過去に自分もそうだったという重みがあるのだが、達郎はそのことを知る由もない。
「でもそこで勝負が終わっちゃったら、萌子ちゃんは結局何も変わらないんじゃないかって思った。最後の持久走……あの拓二くんにはすごく不利な勝負で、彼の頑張りが見れなかったら、何も感じるところがないなと思って。それが、このチキチキ☆人間そーごーりょく勝負を企画した私の本当の目的なんだよ」
「そ、そんな……最後の最後に持久走を持ってくるなんてこと、最初から計算に入れていたってことですか?」
「萌子ちゃんなら絶対そうすると思っただけだよ。そして拓二くんなら、どんな勝負でも絶対途中で降りないともね」
二人には内緒にしてね、と小声で釘を刺す蓮子。
「悪いことしたなと思ったけど、拓二くんを見て、萌子ちゃんが何か考えるきっかけになればいいなって、本当に思ってるよ」
■ ■ ■
「…………」
「ねえ、聞いてんの?」
「う、うわぁ!!」
ぼうっとしていたからか、思わず椅子ごと転げ落ちそうになった。
「き・い・て・ん・の?」
「ご、ごごごごめんなさい! ごめんなさい!」
怒っている萌子に対し、ただただ平身低頭謝るだけの達郎。
これもいつもの光景ではあるのだが。
「はあ……っとにあんたはグズなんだから」
「ご、ごめんなさい萌子ちゃん……」
「まあ、いいわ。……んでさ、あんた料理って……できる?」
「へ?」
突然何を言われたのか分からず、すっとんきょうな声を上げた。
それが癇に障ったのか、萌子が小声で鋭い声を飛ばす。
「だから……! 料理よりょ・う・り! 弁当とか、作れるのっ……!?」
「お、お弁当は……うーん、得意じゃないけど……」
「そ、そう。ふうーん……」
そう答えると、落ち着かない様子でそわそわと萌子が髪をいじりだした。
まあ別にどうでもいいけど、とそっぽを向いている。
「ちょっと……ぎゃふんと言わせたいやつがいるんだけど、さ。それこそ、あっと驚くような? 目ン玉ひん剥くような?」
――――その首筋が、ほんのりと上気しているのが目を凝らさずとも見てとれた。
「……思わず、夢中になるような……」
「…………」
――――萌子ちゃん、ああ見えて真面目な子だからさ。
――――拓二くんを見て、萌子ちゃんが何か考えるきっかけになればいいなって。
「……うん、分かった。今度一緒に練習しよう? ね?」
「……頼むわよ」
何も変わってないと思っていたら、そうではなかった。
彼女の中で、変わったことはちゃんとあった。
それはとても微かで、未熟で、そして不透明ではあるが――――
「ちょっと、何ニヤニヤしてんの、ぶん殴るわよ!」
「ごっ、ごごごごごごめんなさ〜い!」
――――いくら猫かぶりしてもごまかしきれない、舞原萌子という少女としての変化が、そこにはあったのだった。
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