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未来あるある

みんな運営が悪い

作者: 征彌

 俺はドアを開けた。


「おはようございます」

「おはよう」

 あいさつに応えながら俺のデスクに向かう。


 俺の職場はフロア全体がオープンオフィスで、ドアから自分のデスクまで歩く間に何人ものスタッフとすれ違う。


 仕事中にこのフロアを出ることはほとんどないので、服装はカジュアルでもいいのだが、スタッフはみな上等なスーツを着、きちんとした身なりをしている。

 俺もそうだ。

 今、着ているスーツは英国から取り寄せた服地をテーラーメイドにしたもので、裏地は締めているネクタイと同じ柄になっている。タイピン、カフス、腕時計、ベルト、靴、どれも落ち着いた高級感が出るよう吟味して選んだものばかりだ。


「今日も大変そうだな」

「いつもに増してひどいです」

 自分のデスクに着くと俺はディスプレイに目をやった。


「今日はホワイトデーですからね」

「ああ、なるほど」

 俺は小さくため息をついた。


「それで「みんな運営が悪い」というわけか」

 画面はユーザーから送られたありとあらゆる罵詈雑言でうめつくされ、フロアじゅうが忙しく通話対応するオペレーターたちの声に満ちていた。


 よろしい。

 ならばこちらも全力で対応しようじゃないか。

 ユーザーの八つ当たりごときに屈する運営ではないことを見せてやる。


 俺はイスに座った。

 この位置は他のデスクより高くなっており、フロア全体を見下ろすことができる。まるで管制室にいる指揮官のようで、ここに座る瞬間俺はいつも身が引き締まるのを感じる。

 デスクの上に置いていたヘッドセットを装着し、俺はスタッフ向けの内線通話をオンにした。


「おはようございます。今日は3月14日です。ホワイトデーなので、通常より精神的に荒んだユーザーからのクレーム量が増えると予想されますが、我々運営の威信にかけてしっかり対応し問題解決に努めましょう。さあ、みんな、今日も頑張って行くぞ!」

「おーっ!」


 フロアで働くスタッフ全員が拳を振り上げて俺の言葉に応えた。

 これはみなの士気を上げるだけでなく、俺自身を鼓舞するための毎朝の儀式だ。


 そして、業務が始まる。


 俺たちは「Alchemic Hunting Online」というVRMMOゲームの運営チームでユーザーから寄せられる数々の問い合わせやクレームに対応している。


「バグ報告、上がりました」

「スタッフ全員に通知し、パッチの最新リストに対応箇所がないか調べろ。なければ新規でオーダーしておくように」


 フロアのオペレーターたちはマニュアルどおりに個々のユーザーからの問い合わせやクレームに対応している。そして俺はチーフとしてフロア全体の監督と、オペレーターで対応できない込み入った問題に取り組む。


「不正アクセス来てます」

「瞬時IDブロック。急げ!」


「偽画面の報告が入っています。課金ページに」

「ホワイトデーの混乱に乗じて詐欺か、やるな。だが、被害が出る前に潰せ」


 このゲームは現在ユーザー人口が世界で5本の指に入る超巨大仮想空間である。そのためゲームに興じるユーザーだけでなく、犯罪者たちがこのゲーム内で動く莫大な仮想通貨を狙って国内外からひっきりなしに不正アクセスを試みる。

 すなわち。

 魔導師に扮したユーザーたちが「Alchemic Hunting Online」上で仮想の魔獣と戦っているときに、我々運営も仮想空間上で犯罪者相手に死闘を繰り広げているというワケだ。


「テロ予告です!」

「ただちに逆探してユーザーを割り出せ。分かり次第警察に通報」


「自殺予告です」

「ほっとけ…と言いたいところだが、これも一応警察に通報しておくように」


 確かに今日の忙しさは並大抵ではない。

 さすがに非リア充に辛いホワイトデーだけはある。

 早朝から陣頭指揮に立って数時間、気がつくと昼になっていた。


 よどみなく指示を出しながらも、数分前から俺はチラチラと腕時計に目を走らせていた。

 そろそろ時間だ。

 3・2・1・0


 フロアの女性スタッフが一斉に歓声を上げた。


「チーフ、これはっ!?」

「ありがとうございます」

「うれしいっ」


 12時きっかりに目の前にあるディスプレイの左下に出現したバラの花束に気づいたのだ。


 ただのアイコンではない。

 その花束のりボンには仮想コインが付いており、それを使って買い物をするか、俺が作ったリストから好きなものを選んで受け取るかはもらった本人が決められるようにしてある。


「チーフ、やるなぁ」

「来年マネさせてもらいます」

「グッジョブ!」


 男性スタッフからは賛辞が上がる。

 こんなキザなスタンドプレーをしても俺をけなしたりやっかんだりするような人間はいない。なぜなら、俺は日ごろからこのフロアのスタッフに男女区別なく声をかけてその働きを褒めたたえ、今日のように折を見てはちょっとした心づけを与えているからだ。


 俺はフロアの光景に満足するとイスから立ち上がった。


「じゃあ悪いが、私は午後から予定が入っているので、今日は早退させてもらう。もう人事には知らせてある」


「チーフ、もしかして、これからデート?」

「いや〜ん」


 スタッフたちの反応に俺は苦笑した。

「残念ながら、定期検診なんだ。仕事に追われて、つい、何度もすっぽかしていたら最終通告が来てしまってね」


 実は有給で丸一日休みを取っていたのだが、俺は半日分を返上して職場に来ていた。仕事が忙しかったのは建前で、本当は俺からのプレゼントをもらって彼女たちが喜ぶ様子を直に見たかったからだ。


「私が留守でも業務に支障は出ないはずだが、どうか頑張ってほしい」


 デスクの間を歩いて声をかけると、スタッフは目を輝かせてうなずいた。


「はい、分かりました!!」

「お疲れさまでした、チーフ」


 ここは本当に素晴らしい職場だと思う。

 今だって一足先に上がるのが辛いぐらいだ。


 フロアのスタッフたちに軽く手を上げてみせてから俺はドアを閉じた。




 ぶうん、という耳障りな音で俺は目を覚ました。


 虫の羽音だ。


 目が慣れると、割りばしを突っ込んだままの空のカップ麺の容器がいくつも流しに積み上げられ、その上をハエが数匹旋回しているのが見えた。


「定期健診か、めんどくせぇ」


 頭にかけたままだったヘッドセットをむしり取り、ごろりと寝返りをうつと、布団がじんわりと濡れていくのが分かった。

 きっと寝返りのはずみで付けていたオムツが外れたのだろう。


 俺は生活破綻者だ。

 オンラインゲームの中毒でここ数年は普通の仕事はおろか、規則正しく睡眠や食事を摂ることすらできていない。

 今日は定期健診があったからやむなく「落ちた」が、そうでなければ、ずっと仮想空間に留まり続けていただろう。


 だが、俺のようなケースは珍しくない。

 めったにないことではあるが、何かのトラブルで1日ログインせずにいると、必ずどこかで救急車のサイレンが鳴り、窓のカーテンの隙間から生活破綻者あるいはその成れの果てが救急隊員によって運びだされる様子が見える。

 仮想空間は世界中から集ったユーザーたちがひしめきあい活況を呈している。しかし現実(ここ)では、クシの歯が欠けていくように店が減り住民が減り、人気のない通りに貸店舗や入居者募集の看板ばかりが目につくようになっているのだ。


 政府は俺のような生活破綻者に生活保障(ソーシャルセキュリティ)と引き替えに最低限の労働と定期健診への出頭を義務付け、俺たちが勤労意欲を保ち孤独死に至らないようにしている。


 身なりを清潔に保ち定時に仕事場へ通勤するという労働者の最低マナーも守れない俺に政府が与えた最低限の労働は仮想空間でのサポート業務だった。

 配属先の「Alchemic Hunting Online」で俺は運営側スタッフのアバターをもらい、一人のオペレーターとして働き始めた。


 もともとネット中毒の俺にとって仮想空間で働くことはちっとも苦ではなく、また職場で生身の姿を晒す必要のない気安さから、俺は順調に業務をこなし、段々と出世を重ね、気がつくとバーチャル運営のトップの地位にいた。


「運動不足。肥満。成人病一歩手前。行かなくても分かってるんだよ」


 俺は尻をボリボリとかいた。

 手を出すと爪に垢が溜まり、異臭がした。

 最後にいつ体を洗ったのかも覚えていない。


 バーチャル運営で働いて得た給料は俺の口座に自動振込される。

 だが、生身の生活に使うのは最小限だ。


「Alchemic Hunting Online」お仕着せのNPCから始まった俺のアバターは課金して外観のバージョンアップを繰り返した結果、現実世界では存在し得ないモデル体型のイケメンに「成長」した。そのため、身に付けるものもそれ相応のアイテムが必要になり、俺はさらに課金した。

 今の俺は収入のほとんどを仮想空間での生活に費やしていると言ってもいい。

 今日だって。


 ホワイトデーの大盤振る舞いで俺の口座残高は再びゼロになってしまった。


 分かっている。

 フロアで働くスタッフもその多くが俺と同じようなゲーム廃人たちだ。

 今日俺からバレンタインデーのお返しにバラの花束を受け取って喜んでいた美しい女性オペレーターたちだって、あのうち何人かは間違いなく「ネカマ」だ。


「分かってるんだよ」


 俺は壁に手をついて立ち上がった。


 現実を直視するのが嫌で、何度も定期健診をすっぽかしてきた。

 今回出頭しなかったら生活保障(ソーシャルセキュリティ)のIDを抹消され「Alchemic Hunting Online」のバーチャル運営にもアクセスできなくなる。


 よろよろとドアに向かって歩き出す。

 数歩歩くだけで息切れがして目がまわる。


 分かってる。

 どんなにあの世界での俺が有能で魅力的であっても、こっちが、俺の生きている現実の世界だというのは。

 そして。

 いつまでもこんな破綻した生活を続けてはいられないというのも。


 だが。

 同時に分かっている。

 一度運営側の人間として高みからゲームに翻弄される人々を見下ろす快感を知ってしまうと、それを捨てて現実世界に戻るのは不可能なことを。


「ちくしょう」


 こうなると知ってたら「Alchemic Hunting Online」のスタッフにならなかった。

 仮想空間で働かなかった。

 生活保障(ソーシャルセキュリティ)なんて申請しなかった。


「こんなバッドエンドのルートに俺をはめ込みやがって」


 これもみんな政府(うんえい)が悪い。

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