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第二話:銀色が征(ゆ)く

 ……これはどこの異次元か。


出撃()ます」

 黒いヘルメットを被り、颯爽(さっそう)とバッターボックスへ向かう還界さん。鼻歌がロッキーのテーマに変わっている。

「……っ」

 そのあまりにも堂の入った仕草に手強さを感じ取ったのか、山田君(キャッチャー)は息をのんだ。

「――それじゃ、審判部の名の元に、ここに野球部対黙祷部の『対部戦』の開戦を宣言するわ。勝負は一打席、ヒットを打てば黙祷部の勝ち。アウトにすれば野球部の勝ち。どっちが勝ってもいいけど、愉しませて頂戴ね?」

 どこか妖美な長身の女子生徒の開始宣言(プレイボール)によって、その試合は始まった。


 ……話の展開の早さについていけない。

 ずかずかと練習中の野球部に乗り込んでいった還界さんは、

「争いましょう。こっちは全ポイント賭け、そちらは校庭という場所だけ。勝負方法もそちらが望むものでいいわ。文句ないでしょう?」

 と言い放ち、十分後にはこんな場が設けられていた。

「あ、あの……ホントに大丈夫なんでしょうか……?」

「さぁ……どうなんでしょう」

 俺は、バックネット裏から(くだん)のバトミントン部の女子と試合を眺めている。

 彼女が心配するのも無理もない。なんだかよくわからないが、とにかく勝負は始まってしまった。しかも野球の一打席対決という相手のテリトリーの中で。ちなみに、朽木先輩は審判部(こういう試合の審判をする部活だとか。そんなのまであるのか)の生徒が来るなり、急用が出来たとかで逃げるように去って行ってしまった。知り合いだったんだろうか。

 尤も、俺はこの試合どっちが勝とうが負けようが正直俺に実害はないので、野次馬気分で観戦させてもらっている。

 ってな訳で、以下、実況生中継でお送りします。

 

 

 (……コイツ、思ったよりデキそうだな)

(そうかぁ? 『銀色の悪魔』だかなんだか知らねぇけど、所詮オンナだろ)

(……まぁ、な。でも、とりあえず一球様子を見させてくれ)

(へいへーいっと)

 バッテリー間のアイコンタクトが済んだようだ。大輔君(ピッチャー)は、大きく息を吐いてから、振りかぶって第一球―――!


 ズバーーーン!


「ボール」

 一瞬の間の後、如月(審判部の人)主審は冷静に判定を下した。還界さんは微動だにしない。……というか、俺には全く球の軌道が見えなかった。さすがは県大会準優勝のピッチャーである。ホントに打てるのか、こんなの?

(……警戒しすぎか?)

 ピッチャーにボールを戻しつつ、還界さんを観察するキャッチャーは、

「…………」

 ジロリ、と無言で威圧するように睨み返されて、慌てて目を逸らした。

(よ、よし……外角低めいっぱいだ)

(ったく、ヤマちゃんも心配性なこって)

 全く同じフォームから第二球。

「……ハァッ!!」

 ガギーーーーン! ボールは鈍い音と共に弾き返された。

「「「うそっ!?」」」

 バッテリーと俺は同時に驚きの声をあげ、ボールの行方を追う。白球は高く舞い上がり、そのままレフト側のポールの……左側に切れた。

「ファール。惜っしーい♪」

 これでカウントはワンストライクワンボール。還界さんとしては、相手が侮っていたここで決めておきたかったろう。

(――見たか? 今の振り)

(……あぁ。こりゃ、オンナだと思って甘く見てると痛い目見るわな)

 バッテリーがお互いに警戒を促し合う。と、

「……あのエース、意外と制球力が無いのね。あなたが本来要求したコースに対して外にボール半個分もズレるなんて。ま、そのお陰で命拾いしたわけだけど」

 還界さんは、独り言のように何かを呟いた。

「――っ!!?」

 ここからは聞き取れなかったが、的を射た発言だったらしい。キャッチャーの動揺はマスク越しでも見てとれた。……これは、いよいよ彼女の勝利が見えてきた、かもしれない。

(……ダイ、念のためアレでいこう)

(……りょーかい。しっかし、まさか大会用の秘密兵器、こんなトコで使うハメになるとはなぁ!)

 ピッチャー、一際大きく振りかぶって第三球―――


 ――は、速い! 今までの(おご)りを捨てたこの球はまさに渾身、全身全霊の一球入魂!!


(最高のスピードとコースだ! これなら!)

 還界さんのバットが動く。コースは外角低め、二球目と寸分違わず同じ、ように見える。だが、還界さんは『その先』まで看破した。

「――ストレートと同じ球威・球速で打者の手元で落ちるフォーク。試合で投げるなら、球離れが早くなる問題を解決する必要があるわね」

「なっ――」


 カッキ―――――――――――――――――――ン!!

 これ以上ないってくらいの快音。あぁ、白球は完璧な放物線を描き、遥か高く遠い空に吸い込まれて消えていきましたとさ、まる。



 「くそぉっ……ヤマちゃん、オレは、オレは……っ!」

「気を落とすな、ダイ。……相手が悪かった」

 マウンドでむせび泣く大輔君を無視して、悠々とウィニングランする還界さん。今更だけど、このヒトはどれだけ超人なんだろうか? いやホント。

 やがて、俺含め観衆が呆然とする中、還界さんはやけに力を込めてがすっ、とホームを踏み付けると、


「――それじゃ、十分以内にとっとと撤収なさい?」

 

 一点のケチもつけようのない極上(あくま)の笑みで、高らかに勝利宣言した。



 「あ…ありがとうございましたっ!」

「別にいいわ。丁度いいストレス発散になったしね」

 ぺこぺことかいがいしく頭を下げるバトミントン部員の皆さんに目を向けず、鼻歌を口ずさみながら聖書(エロ本)を読みふける還界さん。

「何、ギブアンドテイクというものだ。感謝するなら、我らが部活に依頼するという英断を下した自身に述べるべきだな」

 いつの間にか戻ってきた朽木先輩は、やけに偉そうにご高説たまわった。アンタ何もしてないでしょ。

 

 騒がしい足音が去って、部室が妙に寂しくなる。

「……行っちゃいましたね」

「ああ」

 ……しかし、改めて考えてみると俺はかなり歴史的な瞬間――いや言い過ぎか、それなりに凄いものを見せてもらったんじゃなかろうか。

 県大会で活躍する程の実力があるピッチャーを、僅か一打席でホームランという完璧な形で打ち破った還界さん。彼女は『ストレス発散』ぐらいの出来事としか捉えてないのだから驚きものである。もしかして彼女は、他にもこんな偉業を平然と達成したことがあるんだろうか。だとしたら少しは尊敬してやってもいいかも知れない。

 それにしても。還界さんがやっていることは、彼女の思惑はどうあれ、立場の弱い誰かを救っていることに他ならない。これじゃまるで――正義の味方みたいだ。……そこに、感心するのではなく、違和感を覚えた。失礼かも知れないが(多分、直接言っても気にしないだろうとは思うが)、彼女が慈善事業こんなコトを進んでやるとは思えないから。

「……いや、凄かった」

 そんな疑問を抱いていたからだろうか。思わず、ポツリと本音が漏れた。すると、還界さんは少し目をぱちくりさせた後、すぐに元の表情に戻って、

「当然よ。あんな性別で相手の本質を見極め損ねるようなダメ男に負ける私じゃないわ」

 うわぁ、言いたい放題。

 やっぱり、還界さんは還界さんだった。

 と、


 きーんこーんかーんこーん。


 部活終了を告げるチャイムが鳴った。

「……それじゃ、帰りましょうか」

 還界さんは、手早く帰り支度を済ませると部室から出た。ところでアンタ、その格好のまま帰るんすか?

 俺の正気を疑うような視線をどう取ったのか、

「ああ、明日は貴方にも労働してもらうから、そのつもりでね。集合時間は私よりも早く、遅刻は厳禁です。わかりましたね?」

 ニコリ、とちっとも周りを和ませない笑顔を作って、わざわざ釘を刺してくれた。


 次の日。誰が早送りのボタンを押したのか、学校はいつの間にか放課後になっていた。

「さて……どうしたもんか」

 あの地下部室(いじげんくうかん)に行けば、還界さんが待っている。だが、行きたいか行きたくないかと聞かれれば答えは……正直言って、後者である。

 前回は話の流れに呑まれてしまった感があるものの、今回はこうしてゆっくりと考える時間が与えられている。つまり、前回以上に自分の行動に自分で責任を持つ必要があるのだ。

「……いや、やっぱり、なぁ」

 確かに、あの一打席勝負は見事だった。感動した。しかし俺自身にまで被害が及ぶとなれば話は別である。

 鼻歌混じりでエロ本を熟読する、修道服に墨をぶちまけたような珍妙な服を着こなす白髪の女子、還界さん。

 神のお告げを伝える神父のような口調で全てを語る、夜を纏っているような黒服を好んで着ている男子、朽木先輩。

 ……しかし、改めて考えてみるとどうあがいても異常空間だな。彼らは、下手に介入してしまえば、俺のこれまでの世界観を丸ごとひっくり返してしまうようなダイナマイト並みの危険物に違いない。

「……ホント、帰りたいんだけどなぁ」

 しかし、ここで手を引くと後でどんな報復が待っているか知れたものじゃない。

 ――こんな変な部活になんか入りません。そう言うだけだ。

「うし……行くか」

 不可思議な非日常との別れを告げに。俺の平穏を取り戻す為に。

 ……本当に、それだけの理由で?



「ういーっす」

 いっそ開き直って堂々とドアを開けると、中には既に還界さんが待っていた。いつも通り偽聖書を読み、鼻歌を紡いでいる。

「遅かったわね、雑用A」

 ……なんか、いきなり雑用扱いされた。どうやら、俺が彼女より遅く来たことに怒っているらしい。仕方ないだろ、悩んでたんだから。

「ああ、それでそのことなんだが、還界さん」

 さっさと切り出してさっさと帰ろう、と思ったのだが

「それよ、それ」

 こちらも見ずにビシッ、と俺の鼻先に指を突き付けて

きた還界さんは、

「は?」

「その呼び方をやめなさい。家畜に気遣われる王様なんて、見ていて気持ち悪いでしょう?」

 ……さいですか、自称女王サマ。お言葉ですが、俺にそう呼ばせたのはあなただった気がするんですが?

「えーっと……それじゃ還界、」

「あなた何様? せいぜい或華さん、が妥協点よ」

 おーい、なんか言ってることがさっきと矛盾してるぞー。

「……あら、そういえば貴方の名前、まだ聞いてなかったわね。教えなさい」

 そういやそうだ。というか、もしかして今日バックレてれば逃げ切ることも出来たかも知れない。……まぁ、下してしまった決断を悔やんでもしょうがないか。

 俺が名前を告げると、或華さんはそう、と小さく応じた。それだけだった。興味ないんかい。なら聞くなや。

「それじゃ行くわよ」

「え、どこへ?」

「いいから来なさい」

 がしっ、と首根っこ引っ掴まれ、問答無用でズルズルと強制連行される。……俺は一体何をやらされるんでしょーか? いや、そもそも今日俺はこの部活と離別するために来たっていうのに。

「……なんてこったい」

 最早抵抗する気力も湧かず、俺は大きくため息をついた。


 辿り着いたのは普通教室棟の一階、ゲタ箱地点。平和そうにおしゃべりなんかしながら下校していく生徒達の視線が切実に痛い。だが、同情するなら助けをくれ。ぷりーずへるぷみー。

「それじゃ、屈みなさい」

「屈む?」

 なんでだ。全くもって意味不明だが、一応従っておく。既に今の俺には拒否権どころか基本的人権が尊重されているかどうかさえ疑わしい。

 と、よいしょ、と掛け声がして、ついで肩に重量を感じた。

「ほら、早く立ちなさい」

 ……え、アンタ正気ですか?

 オレの両肩に乗っている重くも柔らかい感触は、どうやら或華さんの、あー……その、オシ、いやケツのようだ、うん。はははは。マジ理解不能。

 何、このヒト一体何を、考えて、しかも両足で締め上げるようにオレの首を挟み込、っつか、い、痛、イタタタタ――!?

「或華さん、締まっ、首締まってるんですけどっ!?」

「トロいからよ、……ソーローのクセに」

 いやいやいや、なに放送禁止用語(いや、カタカナだからギリギリか?)をサラッと口走っちゃってるんですかアンタ。第一見たことないだろ。……っていや、そういう問題じゃないが。どうやら、俺は混乱してるらしいな。人間、一番冷静だと思ってる時に限って客観的に見ると暴走している、って言うし。

 ……ここは落ち着け、落ち着くんだ。こんな時こそ男はクールであらねばならんのだ。心頭滅却、心頭滅却……心を無に………。

 ……。

 ……………。

 ……………………。

「…………ぁ……が……」

 ――意識が薄れていく。あの、息が、できないんですケド。

「……あら、意外としぶといのね。泡でも吹いたら許してあげようと思ったのに」

 ようやく或華(あくま)の両足に込められていた力が抜ける。

「ごはっ、はっ、ふぅ……はぁ……こ、殺す気か、アンタ!?」

「失礼ね。そんなことしたら反応が楽しめなくなるじゃない。それに、」

 ぐわしっ、と頭を鷲掴みにされた、と俺が理解するより早く、

「あ・る・か・さ・ま、でしょ?」

 万力に、締め付けられているような錯覚。しかも何気に地位がランクダウンしている俺。――あぁ母さん、先立つ息子の親不孝をどうかお許し下さい。

 ……それから弄ばれること十分強、ようやく満足してくれたのか、或華さんはどこか恍惚としたため息をハァ、と一つ。サドめ。

「……余計に時間を浪費したわね。本筋に戻りましょう」

 というか、本来の目的なんてあったのか。

「……それじゃ、とりあえず降りろよ」

 その、俺だって一応男のはしくれだし、或華さんだって仮にも女子なんだから。このまま肩車したままってのは、その、色々と困る。お互いの為にも。

 が、

「何言ってるの? ホラ、さっさと走りなさい、馬」

 バシンバシン、と壊れた電化製品を直すオヤジと大差ない手加減のなさで、後頭部を叩かれた。心なしか或華さんの口調は弾んでいる。やっぱサドだ、この人。

「走るって、どこに?」

「勿論、校舎中を、よ。もしかしてあなた、まだ今日の目的を理解していないの?」

 あなたの頭はウニでできてるのかしらね? とのたまいやがる或華さん。振り落としてやろうか。

「……理解も何も、教えてもらってないんだから知るわけないじゃねぇか」

 自然、口調が乱暴になる。が、或華さんはさほど気にする様子もなく、

「それでいいわ。最初(ハナ)っからあなたに頭脳労働なんて求めてないもの。ホラ、足は足らしく黙って(あたま)の言うとおりに動きなさい」

 ピキン。

 その一言で、さすがに俺の寛大なガマンゲージも限界値を超えた。男を否定されるならまだしも(いや、全然許容範囲じゃないが)、まともな思考形態を持った一生命体としての価値まで剥奪されちゃあこっちも抵抗せざるを得ない。

「……りょーかい。んじゃ、……行くぜ!」

 全身に迸る熱いパトスを燃焼、今一刻のみ鋼の如き体躯を得る。

「ちょ……そんなに速くしたらバランスがぶっ!?」

 ごつん。普段歩いている分には絶対に気づかない、校舎と校舎の接合部による天井の高さのズレに或華さんは顔面から激突した。前方不注意、免許(しんらい)をもっていないのに無理に(ひと)を乗りこなそうとした罰である。

「それじゃとりあえずこのペースで校舎三週ぐらいするんでヨロシク」

 淡々と告げる。

「ま、待ちなさい! もっとスピードを抑えなさい!」

 赤くなった鼻を押さえる或華さん。珍しく狼狽してるみたいだが、こっちはまだまだ腹の虫が治まらない。

「了解! スピード1、5倍で突っ走ります!」

「この、だから、ペースを落とせって言ってるでしょってキャッ!?」

 もう人目なんてどうでもよかった。或華さんの意外な一面を見れた嬉しさか、両足は羽のように軽やかだ。本気でジャンプすれば、空だって飛べそうなくらい。

 本当に楽しかった。腹が痛くなる程笑うのは久しぶりだ。

 この行動の意味なんて知らなくていい。俺はただ或華さんを困らせたい一心で、死力を振り絞って校内を爆走し、五分後に生徒指導の強面の教師に捕まってこっぴどくしかられた。その時の或華さんは終始、つまらなそうに視線を泳がせて説教を右から左に流していた。

 ……結局、そのまま流れ解散となってしまった。俺は或華さんに別れを告げることも出来ず(というか或華さんが殺気丸出しのオーラで俺を拒絶していた)、とぼとぼと帰路につくことにした。


 ……こんなに疲れた放課後は初めてだ。

 擦り切れた心と体を引きずって、校門に辿り着いた。ああ、この外に出れば平和な生活ルーチンの枠内に戻れる。

 が。

「ご苦労だったな、神斜」

 どこからか湧いて出た朽木先輩が、俺の希望を見事に打ち砕いてくれた。

「……どうも」

 この人、どうも話が分かりにくい上に長ったらしいので苦手だ。出来るなら、単刀直入に結論から言って欲しい。

「しかし、お前には存外価値があったようだ。全く、これを僥倖と呼ぶのか」

 朽木先輩はふ、と自嘲するように軽く笑った。ほら、早速意味不明発言。

 俺が辟易してますよー、的な顔を向けていることに気づいた彼は、

「ふむ、ところで学校外で宣伝をしても効果は薄い。そろそろ広告塔の任を降りてもいいのではないか?」

「はい?」

 よくわからないことを言ってから、俺の背中に手を回した。

 びりりっ。何かが剥がされる音。こ、これは……。

 ――『部員大募集中! 殺る気がある人歓迎します!! BY黙祷部』。……いやいや、殺してどーする。

「――じゃなくて! なんでこんなのが俺の背中に――」

 あ、そういえば或華さんに背中をバシバシ叩かれた記憶があるよーなないよーな。もしやあの時に? とすると、俺はこんなアホくさい看板を背負(しょ)って校内を駆けずり回されてた、って訳か。確かにインパクトはあるだろうが、こんなキチガイな宣伝方法を採用する部活に進んで入るヤツなんていないだろうに。というか誰か教えてくれよ。全く、触らぬ神に祟りなしとはいえ、薄情なヤツらである。

 と、朽木先輩は不意に声のトーンを下げて呟いた。

「……あれ程愉快そうな還界を見たのは、久方ぶりだった」

 いや、確かに彼女は楽しんでたっぽいが、それは新しいオモチャを手に入れた子供がはしゃぐのと同じ理屈で、そんな真剣に言う台詞じゃないと思うんですが。

「還界は、一存在でありながら完全であることを()としている。故に、不完全である己や他人を(さげす)む傾向にあってな。が、今日の彼女は違った」

 ……えーっと、要するに優等生思考ってことだろう。ところで、彼女に弱点らしきものなんてあるんですか?

「知りたいか?」

 顔に出ていたらしい。ずい、と無意味に暑苦し……もとい年季の入った顔を近づけられ、思わず一歩退く。

「彼女は、母親と二人暮らしだ」

 また話が飛びましたね、先輩。

「両親は早い段階に離婚してな。しかしそこに至るまでの過程が当時幼かった彼女には直視し難いものだった」

 見てきたように言わないで下さい。というか人様のプライベートをなんでそうペラペラ喋ってるんですか、アンタ。

 そう憤りつつも――俺は、止めようとは思わず、耳を傾けていた。彼の口調が、そうすることを望んでいた。

「或いは、彼女の現在の、あー……攻撃的な性格が形成されたのもその辺りに理由があるのかも知れんな」

 関係ない訳がない。というか、俺からすれば丸分かりだ。

 

 “――大地君のせいじゃないよ。わたしが悪かったんだよね? …ゴメン、ね?”


 ヤメロ。そんな顔で笑うのは。

 お前のせいじゃないって言ってるのに。なんでわざわざ罪を被ろうとするんだ。

「彼女の髪が白髪と化したのもその頃だ。余程精神不安定だったのだろうな」

「……マジっすか?」

 悲劇のヒロインここに極まれり、と銘打ちたくなるほどの不幸っぷりである。 

 と、

「―――という説もある」

 くくく、と何がおかしいのか朽木先輩はくぐもった笑いを上げた。なんですかそれ。

「いや、失敬失敬。ここまで飛んだ話にそこまで真剣に耳を傾ける人間は稀少なものでな。少々感動していた所だ」

「は?」

 えーっと、行間を読むと……つまり、ウソってことですか?

「さて、な」

 わざとらしく肩を竦める朽木先輩。心底愉快そうな笑顔がやたらとムカツく。っつーかアレか、黙祷部はサドの巣窟か?

「あのですね……って、あれ?」

 気づけば、朽木先輩の姿はいつの間にか消失していた。人騒がせのクセに無責任な方である。

「ったく……余計なこと、思い出しちまった」  

 ふと見上げると、頭上はどんよりとした灰色の曇天。冴えないね、お互い。


 やや沈んだ面持ちで帰宅すると、留守番電話にメッセージが入っていた。再生する。

『今夜十時半、部活棟の屋上に来るように』

 はい? えっと、この声……或華さん、だよな? でも、なんで俺んちの電話番号知ってるんだろうか。

『……ああ、来なかったらコロ――』

 ガチャン。絶妙のタイミングでメッセージが切れた。

「――行くか」

 十秒と掛からず、決断を下した。だってホラ、この若さでセメント漬けにされて生きたまま東京湾に沈められるのはヤだし、昼間の違和感と朽木先輩の話に少し感じる所があったし、それに――

 ――真に遺憾ながら。どうも、俺は或華さんとの激しくも痛快な日々が、それなりに楽しく感じられる余裕が生まれるくらいにまで成長(?)したようだった。



 夜の学校は、おあつらえ向きにひっそりと静まり返っている。明かりは一つもない。まぁ、あったらあったで怖いんだが。

「さて……どこから入ったもんか」

 ノコノコとやってきたはいいものの、正門はがっちりと施錠されていては入れそうもない。 

 困ったもんだ、と意味もなくきょろきょろ辺りを見回していると、

「…………」

 薄く広がる雲のせいか、あるいは空気が悪いのか星はちっとも見えやしない。

 唯一見えるのは、手を伸ばせば触れられそうな程近くにあるように見える、誰かの目の形に似た半分の月。まるで、一挙一動を見張られているような幻想に囚われる。

 が、俺の意識はその下に集約されていた。

 金色の半身を見上げる、白髪の幽鬼。……いや、あれはヒト。或華さん、その人だった。彼女が立っているのが屋上の落下防止用の柵の上だったせいで、浮いているように見えただけ。顔がきょろきょろと動いているあたり、待ちくたびれている様子だ。あ、柵に八つ当たりしてる。

「こりゃ、早く行ったほうがよさそうだな」

 校舎を取り囲む塀をぐるりと周って、監視カメラ(この学校、つい五年程前に建てられただけあってなかなかハイテクなのだ)のなさそうな場所から、レッツ不法侵入。やれやれ、入学一ヶ月にして早くも停学、なんてのは是非とも避けたい。

 何はともあれ無事に潜入成功。部活棟の玄関はカギが開いていたので助かった。多分、或華さんもここから中に入った、ということだろう。

「…それにしても」

 暗い。

 いや、モチロンスイッチを押せば文明の英知を一身に受けることはできるんだが、守衛さんやら当直の先生やらがまだ残っている可能性も考慮にいれると、あまり目立つ行動は控えておきたかった。

 どこかの窓が開いているのか、時折吹く隙間風の音がやたらと耳につく。こりゃ、確かに幽霊やらなんやらが出てきてもおかしくないシチュエーションである。

 屋上のカギは開いていた。重々しいドアを、ゆっくりと押し開ける。

「……」

 流れるような白髪が、夜風に揺れて(うた)っている。

「……或華、さん」

 声を掛けるのを躊躇(ためら)った。

 高く澄んだ無色の旋律。教会にでも流れていそうなどこかおぼろげですらある音の連なりは、銀幕に覆われた厳かな神殿を連想させた。

「……」

 或華さんは気づかない。あるいは気づいて無視しているのか、こちらに背を向け、金色に煌く半月を見上げ、祈るように詠っている。

 その表情にいつもの刺々しさはなく、例えればそう――聖母、と言うヤツに近かった。

 ……困った。こんな不意打ちは、反則だと思う。

 だから、不覚にも見入ってしまった恥ずかしさを隠すために、

「……或華さん、パンツ見えてますよおぶっ!?」

 冗談を言い終わる前に、細い柵の上で高速回転した或華さんのかかと落とし気味の回し蹴りが顔面にクリーンヒットした。……ちなみに黒

「ごふっ!?」

 追撃が入った。……ま、まさか心を読まれてるわけじゃないよな? この人ならできかねないので不安である。

 すたすたすた、と吹っ飛んだ俺に近づいてくる或華さん。

「……何寝転がってるのよ、あなたは。踏みつけて欲しいのならその減らず口で懇願しなさい」

 誰が言うか。俺にそんな趣味はない。

「いっつ……或華さん、今の歌は?」

 聞いたことのない歌だったので尋ねると、或華さんはきょとん、と意外そうに目を丸くした後、

「……忘れなさい。あなたには関係のない歌です」

 あなたには関係のない歌? なんだそりゃ。

「……もしかして、照れてる?」

「何か言いましたか?」

 笑顔で殺気を飛ばす或華さん。うぉ、マジで怖い。

 黙りこくった俺を屈服したと判断したのか、或華さんはどこか愉しそうに言った。

「それじゃ、行きましょう。標的はすぐ近くにいるわ」

「すぐ近く?」

「ええ。貴方の後ろに」

 ……引っかかるもんか、引っかかるもんか。さっきから執拗に首筋辺りを風がくすぐってきやがるのが気になるが、それだけだ。

「と、ところで或華さん。用件は?」

「ああ、説明って面倒なのよね」

 おい。

「……冗談よ。天文学部からの依頼。結論から言うわ――『幽霊退治』よ」


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