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短編

死熱

作者: 遍駆羽御


 銃弾が発する火花は甲高い音を立てては、何処かへと消えた。その火花が鳴ると必ず、人の呻き声が聞こえてくる。春の横で俯せになって、ライフルを構えていた兵士が春に話しかける。

「全く、クソの役にも立たない上司が戦場にまでいると、部下は逃げ遅れるっていう良い例だぜ」そう行ってから、その埃まみれの金髪男は同じように俯せになってライフルを構えている春に煙草を差し出す。後ろめたい笑みと共に、「一服、どうだ、ここらでさ」

 愛想笑いして、金髪男の英語に対して、英語で返すために日本語を思い浮かべる。煙草は吸えないんだが良いだろうか? それともいつもの通りに煙草なんて吸えない、代わりにお前の穴にぶっ刺してやるよ、人間機関車だ、と下品語を操るか?

 その間にも金髪男の煙草を持つ指先が震えていた。寒さで震えているのではない。辺りを見渡してみれば、木々の毛布で包まれている事は誰にでも解る。尤も、同僚の中には両眼をナイフで抉られて解らない者もいる。そんな同僚達も含めて、勿論春も含めて、一寸先も解らない暗闇から響く運動会の徒競走でお馴染みの音を大の大人が怖がって居る。分厚いコートを着ているように身体が温まっているのはそのせいだろうか。だが、自分は何のカモフラージュにもならない学芸会の衣装並みに馬鹿げた迷彩柄の服を着ているだけだぞ。大笑いしたくなった。保育園児の娘、麻那と競演する気か。日本語を英語に変換しなければならないのに俺は何を考えているんだ? と春は金髪男に眼を向けた。

 その時、右耳の横で徒競走の始まりの音が鳴り響いた。両頬に皺を寄せて、瞼を細めて春に敵意のない笑みを浮かべていた金髪男に異変が起きた。金髪男のおでこに赤い湖が浮かび上がった。笑顔のまま、金髪男は春の肩にもたれ掛かった。

 心の中で警告が聞こえる。走らないとお前は人生という徒競走でビリになる。ビリは惨めだとは思わないか?

 それでも、動けなかった。ただ、木の揺れる音を聞いていた。この揺れは何が原因だろうか? 木と木がじゃれ合って揺れているのだろうか? 春はその考えを肯定する為に頷いて、自分のただ一人の味方であるライフルを握り締め直す。復興支援活動の出発前はこの味方が世界一、素敵な野郎だと感じて餓鬼のように手入れを毎晩したものなのに今じゃあ、心許ない。

 心の中で警告が聞こえる。相手は足の速い奴だ。お前は必死に走らないと負ける。人生の徒競走に負けるぞ。

 訳の分からない言葉で喋る宇宙人の声が春の身体を硬直させた。身体が縮こまり、小便が無性にしたくなった。宇宙人に捕まれば、解剖されるに決まっている。どのSF映画もまるで協定でも結んでいるかのように解剖がメインディッシュだ。逃げたいという意志に反して、筋肉が硬直する。まだ、娘の麻那を育てる為には金が要るんだ! 金を手にして俺は麻那を守らなければならないと宇宙人に命乞いしようとも思った。

 また、徒競走のはじまりの音が聞こえる。闇に混じって何かが倒れる音が聞こえる。悲鳴は聞こえない。

 いつの間にか、春は獣のように四つん場になって、普段では考えられない速度で走る。草が口の中に入り、苦々しい味が粘ついた唾液と合わさって気持ち悪い。声を出さずに嗚咽する。草が抜かるんだ地面の上に落ちる。唾液が垂れそうになるのを啜って走り続けた。

 しばらくすると、宇宙人がやたら、ぶっ放していた音が聞こえなくなった。自分は助かったんだと思い、細い木に背をもたつかせる。

 ゆっくりと息を吸う。吸った瞬間、痛みを感じた。耳に触れてから、掌をみると血が付着していた。もう、一度、耳を触る。今度は耳の全体を触って形が変わってないか、見極める。

 ゆっくりと息を吐く。変わっていない。どうやら、銃弾が掠めただけのようだ。

「くそっ」

 叫ぼうとしたが、口に蓋が被さった。随分と煙草臭い。世界で一番、嫌いな匂いだ。春がその正体について考える前に、口に手を押しつけている人物が身元で囁く。

「くそったれって、叫ぶのは君の悪い癖だ。颯真春君」

 ぎこちないが懸命に伝えようと紡がれた日本語。そんな日本語を喋るのは春の親友、ピータ・ボーダ以外にはいなかった。

 ピータ・ボーダは坊主頭で透き通った青い瞳を持つ春と同年代の二十四歳の男性だ。筋肉質の春に比べて、枝のような細腕にはライフルが握り締められていた。弱々しい垂れ下がった瞼とライフルとでは不釣り合いだ。

「よぉ、坊や」

 と茶化す。そうすると、いつものようにムスッともせず、至って真面目に言葉が返ってくる。

「坊やじゃないですよ、春。今の君の顔こそ、坊やみたいですよ?」

「嘘吐け。俺は麻那に大きくなったら、父ちゃんと結婚するって言われているくらいハンサム野郎だぜ」

 春はピータの肩を小突く。ピータは自分の迷彩柄の手提げから手鏡を取り出すと、春に渡した。春は無言でそれを受け取った。

「ハンサム野郎?」

「まいったなぁ、これじゃあ、麻那に嫌われちまうぜ」

 春が手鏡から見た自分の顔は昔の凛々しい引き締まった顔ではない。鳥肌が立っている惨めな顔が在る。金髪に染めた逆立った髪は全て、後ろの方へと倒れ込んでいた。これではオールバックだ。青いコンタクトレンズは周囲にいるアメリカ人と馴染めるように、と半ば気休め程度だったのだが、今じゃあ、顔と眼が一致していなくて素っ頓狂な気がした。春は思わず、苦笑いした。

「麻那ちゃんはそんな子じゃないですよ。ただ、春に似て大食らいな意地汚い」饒舌に喋り出すボーダを睨むと彼はすぐに掌を返して、「ジョークですよ、ジョーク」と言った。

 春は写真をポケットから取り出すと、それを見つめた。写真には以前の凛々しい春と春の腕に顔を引っ付けている五歳児の颯真麻那が映っていた。写真の風景は夢のように平和だった。閑静な住宅街の風景。汚れ一つ無い自動販売機が太陽の光を反射している。麻那の横を小さな犬が舌を出して佇んでいた。春の愛車が写真の隅に映り込んでいる。その愛車、白い普通自動車の後部座席には春のお姫様、麻那の座るチャイルドシートが設置されていた。よく、そのチャイルドシートにハンバーガーの滓を零しながら、頬張っていた麻那の姿が思い浮かんだ。

「確かにハンバーガーを一口で食べようとして、頑張って口を広げちゃうような。そこが可愛いんだよ」

 自分はその写真の風景の中でずっと、暮らしてゆく事が出来たはずだった。だが、自分は保育園の先生という立派な職業を捨てて、アメリカ軍の兵士として内紛に巻き込まれている。今も胸を突き続ける心の疼きが春を現実へと駆り立てた。優しい現実ではない。厳しい現実に。その現実は春の妻、夏夜を一瞬で奪い去っていった。理不尽という言葉を何度、日々の生活の合間、合間に思い返しては過去を塗りつぶしただろうか。初めは正義を求めてアメリカ軍兵士となり、人々の幸せを守る支援活動を職業として選択した。麻那も満面の笑みを浮かべて、正義の味方だね、と祝福の言葉を与えてくれた。

 頬に涙が伝っていた。今は拭い去る気すら起きない。

 だが、どうだ。蓋を開けてみれば、今じゃあ、支援している国の人間に襲われているんだ。理解できない。そう、あいつらは宇宙人なんだ。

 自分達が持ってくる食料や、燃料などをありがとう、と現地の言葉で言って、歓迎してくれた人間も勿論いた。だが、それだけが彼らの正体ではなかった。宗教を持ち出して異教徒だから、と争いを仕掛ける人間、食べ物を出せ! と襲いかかってくる人間。この国は国として機能していないのだ。宇宙人みたく、出逢う人間が未知そのものなのだ。ここでは日本人の平和ぼけした基準は通用しない。

「春でも泣くんだ?」

 遠慮無く、ピータはそう言うと急に顔を顰めた。

「駄目だよ、発狂なんてしたら。そうしたら、僕は君を撃たなければならない。殺されるのはごめんだからね」

「馬鹿、まだ、俺は大丈夫」

 言葉を続けようしたが、人の足音に気付いた。春はピータと眼でどうしようか? と合図して、草むらを指さしてゆっくりと音を立てずに移動する。草むらの中に身を潜めていると、まだ五歳くらいの少女が暗闇の中から現れた。きっと、道にでも迷ったのだろうと安堵の溜息を吐いた。春は保護してやろうと思い、立ち上がろうとした。

 春の足を掴むと、ピータは首を横に振った。だが、春はピータの手を解いて満面の笑みを浮かべて草むらから出て行った。

 春は少女の前に立つと、英語で話しかけた。

「こんばんは。お父さんとお母さんは何処行ったのかな? 迷子になったの?」

 少女ははにかんだ笑顔を見せると力強く、うんと頷いた。褐色の肌が月の光で薄く照らされて影のある雰囲気を醸し出しているが、中身は何処にでもいる素直な少女のようだ。春は草むらの影に潜んでいるピータの方を向いて、なぁ、大丈夫だっただろう? というように戯けた変な顔を見せた。

 それに呼応するようにピータは餓鬼がピーマンを食べて吐き出すような鬼気迫った顔をした。真面目なピータにしては上出来だと俺は指を指して大笑いした。

「危ない! 春、伏せるんだ!」

「へ?」

 という言葉とピータに対する不快感が腹の中で暴れ出し始めた。いつだってそうだ、短気を起こすのが自分の悪い癖だとその感情を沈めるべく、息を吐く。

「なんで?」

 と喋ったのだと春は自分の耳で自分の声とは思えない素っ頓狂に跳ね上がる声を聞いた。褐色の少女、まだ、百センチくらいしかない幼い身で銃を両手でしっかりと構えている。虫の音に混じって、娘の麻那が虫たちの音を真似している声が聞こえる。

 ほら、みーみー、にゃおんって。

 腹部を手で押さえた。温かいもの、多分、血液の温度が人肌でとても、現実感がある。作られた温度ではない分、自分が死ぬんだという現実を受け入れられた。視界が霞んでゆくと小説ではよく表現されるのに痛みで、戦闘の疲労が無理矢理、快方に向かい、強制的に両眼を見開かせているようだ。木に止まっている蛾の気色悪い縞々模様がはっきりと見えた。餓鬼の頃、自動車に跳ね飛ばされた時だって、これ程のしつこい痛みは感じなかった。

 少女の瞳は一点で固定された。小動物のような優しい瞳は春の真っ赤に染まった迷彩服の腹部を見入っている。

 唐突に震える辿々しい英語で少女は春に言う。

「ごめんなさい。でも、パパがやれって。貴方達は土地を荒らす悪者だって」

 ピータはその少女の謝罪の言葉を聞かずに猛然と飛び出し、持っていたライフルを構える。少女は怯えて銃を構えたまま、固まる。目はピータと夜の黒色に同化しそうな黒光りする銃を小刻みに何度も眺める。

「止めろ! ピータ、撃つな、相手はただの少女だ。プリティーなチビッコに宗教観なんてあるわけないだろう。可哀想に人を撃ったのも初めてだろうに」

「何、言っているですか! 撃たれたんですよ!」

 言葉を発しようとしたが、息が口から漏れるだけだった。それでも、ピータに伝えたかった。もう、一年前のわくにゃん保育園立てこもり事件で聞いた死にゆく、突然の暴力に飲み込まれた子どもの嘆きを聞きたくない。その子を許そう、と。

 声が出ないなら、と春は少女に歩み寄って少女を抱きしめた。泥まみれの質素なワンピースの生地は薄く、罪の震えまで伝わってきた。少女の口から、ああという低い怯えの声が聞こえる。心臓の音が早鐘を打っているのが解る。軽快にとても、元気に走っている。そうか、まだ、この子は生きるんだ。

 朝起き立ての娘みたいな重力に逆らった髪の毛の一本、一本を丁寧に直して、少女の肩を掴んだ。子どもは大人と違って筋力が発達していないので、そっと、包むように揺さぶる。

「君がしたことが悪い事だって解っているよね?」

 少女は戸惑いながらも頷く。片眼からは涙が流れ始める。

 もう、しちゃ駄目だよ、と言葉を続けようとしたが、思い止まった。この子の考えに異教徒を弾圧する父親は賛同しないだろう。それどころか、虐待に繋がる可能性がある。保育士をやっていた時もそういう例があった。

 だから、微笑んで嘘の言葉を放つ。

「お兄ちゃんは大丈夫だから、もう泣くんじゃないよ」

 意識が保たれているうちに少女から離れなければならないと春は無我夢中で走りだした。子どもに死にゆく人の姿を見せるのは教育上、良くない。

 そう考えている自分が可笑しくて、足を何度も木の根に引っ掛けて転びそうになりながらも笑った。

 遠くから自分を呼ぶピータの声が聞こえる。

「悪いな、坊や。俺は今からバカンスだ。ちょっくら、南の島でエンジョイしてくるぜ」 そうピータの叫びに言葉を返してからゆっくりと膝を曲げて、湿っていない地面にお尻を着いた。手提げから麻那がくれたチョコレートを取りだして深夜三時のおやつにしようと包装紙を取ろうと手を動かした。だが、チョコレートが手から飛び出した。

 急に何も考えられなくなり、視界もない。ただ、心だけが在った。

 そんな中、麻那が父ちゃん! と助けを求めているような声がした。自分はあの愛らしい、何に変えても守りたくなる声の主を助けなければ、と強く思った。




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