第二十四話
倒れた次の日、つまり一週間と六日目の事であるが。
本当に一哉が訪れたから驚いた。
きちんとご飯を食べた事を確認し、部屋の掃除をしていた私の道具を奪って
やるから寝ていろ!と一喝された。
さすがにそこまでしてもらう理由はない、と言ったのだけれど
最終確認段階はまだだから体調を崩されても困る、ということで。
まあ、後々の打ち合わせとかまだ色々とあるだろうからごもっともなんだけど。
にしたって色々とこじつけだと思うんだけどな。
結局、なぜかこっぴどく振った相手と一緒にその日は
私が作った夕飯を食べた。
なんだかひどく変な感じだったけれど
帰り際に元気になって良かったと一言残して彼は帰って行った。
基本的に一哉は紳士だ。爽やかだし。
きっと結婚相手としては最適なんだろうな、とも思う。……んだけど。
『結婚願望がまずないのよねー。』
はあ、とため息を吐いて頭をかく。
現在は昨日から一日経った朝の8時だ。
……約束の、二週間目。
なんなのだろう、この非常に落ち着かないそわそわした感じは。
ああ、今日という日が早く過ぎてしまえばいいのに、と思う一方で
24時間しかないなんて嘘でしょ!とも思う。
ここに、彼は帰ってくるんだろうか。
すごく怖くて、私はどうしたらいいものかわからなくなる。
家の中は、昨日一哉も手伝ってくれたから綺麗になったし。
そもそもここに居ても落ち着かない。
……携帯電話さえ持っていけば問題ないわよね。
少し考えたけれど、ここでしおらしく待っているのも馬鹿馬鹿しい。
せっかくの原稿明けなのだし、出かけよう。
そうと決まれば。朝からちょっと長風呂しちゃおうかな。
なぜか少し気分を浮上させながら、私はいそいそと動き出したのだった。
「……で、妙に気合入った格好で朝からひとり出かけてたわけか。」
「うるさいわねー、私の自由でしょ。」
「いいのか?こんなところで飲んでて。」
今日は、確かに珍しくワンピースなんて着て
映画観たり買い物したりとあれこれやってたわけだけど。
そしてまあ、週末だってこともあって目の前の男を呼び出して
ふたりでそう高くもない居酒屋で飲んでいるわけなのだけれど。
本当にこの男は私に対して女性的扱いが皆無ね。……望んでないけど。
目の前で少し呆れた様子になっている佐倉をじと、と睨みつけてやる。
そして私は傍らに置いてあったビールをぐい、とあおった。
「い・い・の!それこそ家にいたらそわそわして落ち着かないわよ。」
「……今日、帰って来なかったら本当に?」
佐倉の言葉に私はぴくり、と眉を動かす。
彼が言葉尻を濁したのがなんだか気に食わなかったけれど、まあいい。
「……うん。今日が過ぎたら、もう待たないし、探さない。」
「…………元々探してはなかったろう。」
「そうだけど!あの子に操立てたりとかそういうことはもうしないって事よ。」
「じゃあ、明日冴島に誘われたら応じるわけか?」
「……そんな都合よく誘われないと思うけど。」
「そんなのわからないだろう。」
「…………。」
というか。
なんで戻ってこない前提の話ばっかしてんのよ。
確かに私だってそうそう期待してやいないけど、縁起が悪いわね。
「まあ、いまだに連絡もなにもないし、賭けは私の負け、かもね。」
「成島。」
ふ、と力無く笑う私を、佐倉が真っ直ぐとみつめる。
携帯電話の液晶画面が示す時刻はもう22時をまわっている。
プライベート用も仕事用も、相変わらず彼からの連絡はなかった。
「まだ、わからないだろう。」
「?佐倉」
「…ったく。こんな日にお前に付き合ってたらこっちまで暗くなる。
さっさと帰るぞ。」
「え、ちょっと待ってよもう少し「甘えるなよ。」
遮られた言葉に、私はぎくりとする。
……家に帰りたくないという思いがあまりにも透けて見えすぎているのだろう。
目の前の佐倉の顔はみるからに呆れていて私は居た堪れなくなった。
……でも、仕方ないじゃない?
初恋は叶わないってよく言うし。こんな年齢で初恋っていうのがまたなんともだけど。
だから余計怖いというか。
その辺りは察して優しくしてくれたっていいじゃないの!
「お前の身勝手な考えもぜーんぶ見えてるぞ。」
「うっ!」
はっ、と鼻で笑った彼の言葉に私はまたもダメージを受ける。
ああ本当にこいつは肝心な時にいっつも優しくない。
「甘えたいなら冴島がいるだろう。ひとりになりたくなきゃ奴を呼べ。
まあ、その代わり覚悟はしておくんだな。」
「呼べるわけないでしょ。だからアンタといるんだし。」
「……たとえお前相手だとしても安全圏に置かれる事が非常に気に食わん。」
「嫌なのよね、普段から色気垂れ流しかけ流しの男って。」
「皆無のお前にはさぞ羨ましい事だろう。」
「なくていいっつうの、んなモン。……あんたの隣に立つ女性が憐れだわ。」
「そんなこと言う女は成島くらいのもんだがな。」
「あら、それは光栄ね。……ま、いいや、帰るか。」
なんか色々と馬鹿馬鹿しくなってきた。
目の前の佐倉と言い争ってると何もかもどうでもよくなってくる。
わかってて挑発してくれているというのも、
なんかこの男だからっていう理由もあって素直に礼を言いたくないのよね。
でも、ま。
こんなところで意地張ってても仕方ないわよね。
「じゃ、ここは私が持つわ。今日のお礼。ありがとね。」
「お前を女と思えない決定的なところはまさしくそれだ。」
にや、と笑んで私が席を立ち上がると、佐倉が苦笑する。
彼の言葉に再度どうも、と微笑んで私はレジへと歩き出した。
駅から家までの距離は大体、歩いて10分程。
普段なら長くも短くも感じない道のりなんだけれど、私は憂鬱だった。
なんだか異様に緊張するし指先冷たいしなんならちょっと足取り重いし。
……今は、23時半。
電車を降りて、とりあえずコンビニに入って雑誌を立ち読みしたりして。
ああ、なにしてんだろ、私。自分で自分の行動にがっくりしちゃう。
だから。こんなことでは駄目なのよ。
早く家に帰らないと。
刻々と流れる時間に暗澹な気分になりながらも、私は携帯電話をまた覗き込む。
……23時45分。ゆっくり帰ればちょうど0時くらいになるか。
出ようかな、と思って雑誌を閉じる。一直線に自動ドアへ向かおうとしたそのときだった。
ふと、レジの前に置かれた和菓子に目が留まる。
―――――――――――――――
「ああー!」
指差して大声を上げる新に驚いて、私は喉を詰まらせそうになる。
すんでのところでなんとか留まり、私は急いでお茶を流し込んだ。
げほ、と少し咳き込む。
「ちょっとなによ新、びっくりするじゃないの!」
「深咲さんずるーい!いつコンビニ行ってきたのー!?」
「え?五分くらい前よ。ちょっと原稿に行き詰ったから気分転換。行きたかった?」
私が少し首を傾げて新を見上げれば、なにやら彼が口を尖らせている。
ちゃぶだいに座っている私と立ち上がっている新では当然目線が大分違っていて
私は若干首が痛い。
元々、彼と私はそれほど身長差がなく、恐らく5センチあるかないかだと思う。
風呂掃除をしていたらしく、長袖をめくり短パン姿の新は
初冬ということもあってなんだかとても寒々しい。
そんなくだらないことを考える私を他所に、新はささ、と私の隣に腰かけた。
「ずるいよう、僕だって苺大福すきなのに!」
「え、ああ、そうだったの?じゃあ買って来れば良かったわねえ。」
「うう、なんかすごい食べたくなってきた!今から僕も行って来ようかな。」
うずうずと身体を揺らす新をみて、
なんだか本当に子どもみたいで思わず噴出してしまう。
しかし彼は、それが気に入らなかったのだろう。
む、と眉間に皺を寄せて私を睨みつけていたが、
何を思ったのかやがて何事かを思い立ったように嫌な笑みを顔に浮かべた。
ひや、と背中に冷たいものがつたって、
私は彼から距離を置こうとしたのだけれどそれはすでに遅く。
腕をがし、とつかまれたと思ったら新は私を引き寄せて突然唇を奪った。
「ん、ふ……!?」
侵入してきた舌が容赦なく口腔内を蠢いていく。
戯れにしては妙に激しいそれに、私は身体を多少引いたが、
新の手はそれを許してはくれなかった。後頭部にしっかり彼の手が回されている。
しばらく堪能するかのように咥内いっぱいに這わせていた舌を
今度は私のそれを絡めとって吸い上げる。
彼の胸を押した私の両手はしかし彼には小さすぎる抵抗だったのだろう。
何を気にするでもなく、彼の行為は続いて。
結局解放されたのはそれから大分時間が過ぎてからであった。
「……ちょ、新…っ急になんなのよ!」
少し息を荒くしながら私が彼を睨むと、新はさも満足したかのように微笑む。
「味見させてもらっただけだよ。やっぱり美味しいね、苺大福。」
「!あ、あんたねえっ!」
「あはは、そんなに怒らなくてもいいじゃない。深咲さんだって感じてたくせにい。」
「うるさい!!」
顔を赤くして怒鳴る私に新はけらけらと声を上げて笑う。
私は、今度から絶対に苺大福を買うときは彼の分まで必ず買おうと心に誓ったのだった。
―――――――――――――――
『……なんか微妙な記憶を掘り起こしちゃったわね。』
レジ前に並ぶ苺大福をながめて私はなんだか微妙な気分になる。
なんとなく、甘いものが食べたくなくもない、けど。
少し迷いつつ、私はそれを2つ、手に取った。
「ありがとうございましたー。」
ガサガサとコンビニ袋を提げながら店を出る。
まあ、その、あれよ。
私も苺大福は好きでよく買うし。別に新が好きだから買ったとかではなくて。
2つ買ったのだって別にその他意はないし。うん。
って私は誰に言い訳してるんだ!
ああもう、そうさ!なんだか面映い思い出に心打たれ買ってしまったのさ!
乙女って年でもないけど恋せよ乙女じゃこんちきしょうううう!
……はあ。なんでまた頭の中パニックになってるんだか。
本当私、最近の自分を自分でどうにかしてしまいたい気分だわー……。
多少自己嫌悪に陥りつつ、私は歩を進める。
当然だが、やがて我が家が見えてきて、
見慣れた成島の表札が眼前に飛び込んできた。
「……パニックになってる間に着いちゃった。」
時間は……うわ、嘘。もう0時まわっちゃってるじゃないの。
玄関の電気は消えてる。……茶の間の明かりも、みえないな。
やっぱり、居ない?
心臓の鼓動がうるさくて、門をくぐるときや
踏みしめる一歩一歩の音さえも気になってしまった。
鞄から家の鍵を探して、どきどきしながら鍵穴へと差し込む。
『がちゃり』
開錠された音が聞こえて、私は今更ながら手が震えていることに気が付いた。
情けない。本当に、私はこんなに弱かったのか、と言いたくなる。
カラカラカラ、と扉が開く音がなんだかせつなくて
きっと今鏡をみたら、自分はひどく情けない顔になっていることだろう。
扉を閉め、施錠する。
「……新?」
名前を呼んでみたけれど、彼の返事は聞こえない。
弾かれたように靴を脱ぎ捨てて、私はまず茶の間、台所へと足を踏み入れた。
「新!居ないの!?」
書斎、本部屋、私室、風呂場にトイレ。
……そして新が使っていた、部屋。
「新……。」
最後にその部屋を訪れて、明かりをつけてみたけれど意味はなかった。
真っ暗だったその部屋に彼が居るはずもない。そんな事はわかっていた。
わかっていたけれど。
ああ、やっぱり駄目だったのね。
最初から、勝てる見込みなんて皆無なんだろうな、ってわかってたはずなのに。
けっこう期待しちゃってたんだろうなあ、私。
「ふふ、馬鹿みたい……。」
力無く笑って、私はその場にずるずるとくずおれた。
『……帰ってきたら、必ずあなたの全部をもらうから。約束だよ。』
『大好きだよ、深咲さん。』
嘘吐き。本当は好きでもなんでもないくせに。優しいわね、新。
いつだって家に明かりを灯してくれた。私に明かりを灯してくれていた。
温かいものは彼が与えてくれたから。
今すごく悲しいのも、痛みに苛む心も、後悔していない。
あなたがくれたもので私はまたひとつ成長することができたから。
恨み言なんて、あるはずもない。
だから、ありがとうと。いつか一言伝えられたらいいと思う。
それと、ごめんね、と。
ごめん、ごめんね、新。
私はあまり強くはないから、ううん、きっと弱かったのね。
あなたもそれは知っていたんじゃないのかと思うから。
だから、去り際にあんな事を言って惑わしたのかな、なんて考えたりもする。
でも、二週間は守ったんだから、いいわよね?
あなただって破ったんだし、きっと本気じゃなかったと、思っていいわよ、ね。
「大好きだったわ、新。」
だから、いいよね。
私はもう、あなたを想う事があったとしたって。
苦しいと思う事があったとしたって。
もう、あなたを待っていなくてもいいよね。
さようなら、新。




