第二話
茶の間へと案内し座布団に座る様に促せばきょろきょろとしつつ
目の前の男は腰を下ろす。
ちゃぶだいに、渋々ながら入れてやった麦茶をドン、と勢いよく置いてやれば
進藤新がありがとうと言って口をつけた。一応最低限の礼儀はあるみたいね。
ったく、こんな闖入者になぜ茶を入れてやらねばなるまい。
本来なら追い出したって良いはずなのだ。
けれど、昨夜の事をまったく憶えていない限り、何をしたのかさっぱりわからないし
相手の話を訊きもせず失態に蓋をするのは27歳女として駄目な気がして。
だからこそ、話が長引く可能性を考えれば喉が渇くかもしれないと
心優しい私は大人の対応をしようじゃないかと考えたわけなんですよ。
ま、相手がもっと危なそうな男だったらもっと警戒もしたけど、
どうみても年下の男の子だしね。
ん?年下…
「ねえ、あなた…そういえばおいくつかしら?ひょっとして…」
少々顔色を悪くしながら、恐る恐る私は質問をした。
それにきょとん、とした様子になった彼は、可愛らしく首を傾げている。
目を丸くするというオプション付きで。
なんだそれ、反則ですよ。こいつ自分が可愛いってわかってやがるな。
その頭をぐぐ、とつかんで限界まで倒してやろうかしら。
そんなことをしてやったら首がさぞかし痛いに違いない。うふふふ。
「…なんか変なオーラが出てるよ深咲さん。怖いなぁ。」
「質問に答えないつもり?というか、その名前を呼ぶのやめなさい!
あなたと私は一晩だけの単なる遊び相手でしょう。馴れ馴れしいわよ。」
私が怒鳴った言葉が気に喰わなかったのか、美少年君、進藤新は
す、と目を細めて先程とは全く違った顔をしてみせた。
なんとも黒いものがうしろから見えるのは気のせいかしら。なんなのよこの子!
「ふぅーん…深咲さんっていつもこんな事しているんだ?
随分と慣れた口ぶりだね。」
私を嘲笑うかのようなその視線が、淫乱女、とでも言っているみたいで
直接言葉にされるよりも酷い侮辱を感じた。
あまりの腹立ちに、自分をおさえることができずに
私はちゃぶだいを握り拳でドン!と思い切り叩いた。
「はあ!?冗談じゃないわ、付き合ってもいない相手と致した事なんて
ただの一度もありゃしないわよ!
ましてや朝起きたら見知らぬ所で隣に見知らぬ男、なんて経験
それこそ一回もなかったから焦りまくったんだからね!」
「へぇー。それはまた、随分と身持ちが固いんだね。
27歳なんだからそれこそそういう経験があってもおかしくなさそうだけど。」
僕としては嬉しいけど?とにっこりと微笑みながらまた進藤新は麦茶を一口飲んだ。
私は、自分が晒してしまった醜態に恥ずかしさを覚えれば顔が赤くなるのを止められずに
たまりかねてぐい、と麦茶をあおった。
いけない、いけない。
相手のペースにのせられるとまずいわ。落ち着かなくちゃ。
冷静に、冷静に。
ふう、と短く息を吐き出せば、私は今の状況を再認識しようと努力する。
ここは我が城。目の前にいるのは行きずりだったはずの相手。
うん、よし。
「それで、もう一度訊くけれど。あなた年齢は?」
「22歳だよ。安心して、淫行条例にはひっかからない。」
「あ、ああそう。未成年じゃないのね。…身分証とか持ってないの?」
「疑り深いなあ。それとも僕ってそんなに幼く見える?」
口を尖らせてぶつぶつと文句を言いつつも、
進藤新はごそごそと財布から免許証を取り出した。
私は無言でそれを受け取れば、ひとつひとつそれを検分する。
…うん、顔も彼だし、名前も本名みたいだわ。年齢も確かに22歳。
住所は…あら、随分とここから遠いのね。
「学校でも近くにあるの?」
「ん?僕もう学生じゃないよ?誕生日がきたら今年で23だもん。
今はもう10月じゃない、とっくに卒業したよ、嫌だな深咲さんてば。」
「別に院生とかだってあるし留年してるかもしれないじゃない。
じゃあ、会社が近くなの?」
「ううん、僕会社には勤めてないよ。どうして?」
「だってこの住所…他県じゃない。ここから2時間くらいはかかるはずよ。
実家暮らしとかじゃないの?だから会社か学校がこちらにあるのかと思って。」
「ああ、これ…うん、まあそうだったんだけど。今は宿無しなんだ。」
「宿無し…?」
「簡単な話だよ。両親が事故で一気にいなくなっちゃったから。
身内は他になくて僕は天涯孤独。」
私は言葉を失った。こんなときどんなことを言ったらいいのかわからない。
文字を生業としてる人間だけれど、やっぱり頭で推敲しないと駄目なのね。
ったく、嫌んなるわ。心理学者とかだったら気の利いたことも言えるもんかしら。
「…それで?就職してないってどうしてなの。
大学は卒業できたんでしょう?」
「まあ、親の遺した金でなんとか、ね。でも住んでる所は手放して…
この一年、フラフラと色んなひとんところ渡り歩いてたけど疲れちゃってさ…
かといって一所に留まるのもなんだか出来なくて。
あの日さ。もうどうでもいいやーって思ってたんだよ。生きるも死ぬも。
成り行きに任せてみようかなって。」
「それで…なんで私とつながるの?」
わからない、と顔を顰めた私に、
進藤新はまた口を尖らせて拗ねるような仕草をする。
そういう所作をするから、年齢より若くみえるんじゃないのか。
「だーかーらぁ。道でぼんやりしてた僕を、無理やり深咲さんが連行したんじゃない。
いっしょにいた男の人、良かったの?
止める様子はなかったから彼氏ではなかったみたいだけど。」
「ああ、佐倉のことね。あいつとは単なる腐れ縁よ。そういうのいらないから。
にしても連行って…なにやってんのかな私は。相当酔ってたでしょ?」
「うーん、確かにお酒臭かったけど…けっこう意識はしっかりしてたよ。
僕にあんな殺し文句言ってくれちゃったし。」
「殺し文句って、なによ?」
恐る恐るきいた私に、にんまりといやぁな笑いを彼がするものだから
私の顔は嫌な予感で顔色を徐々になくしていった。
ききたくないなぁ。
「だったら自分を助けてくれって。
私を生きる理由にしなさい。そしたら私は救われるから。
そう言って、名刺くれてここの住所教えてくれたのあなただよ?
住む所ないなら来いってその口で言ってくれたのに。
起きたらいなくてびっくりしちゃったよ。あんなお金置いていってさ。
目の前が真っ暗になったけど、住所は本物だったみたいで良かった。」
「はあ!?マジで?」
「マジもマジだよ。じゃなきゃ僕ここまで辿り着けなかったもの。」
「あ、頭が痛いわ…。」
本当に、くらくらしてきた。
思わず額を手でおおってしまう。
そんな、他人の人生を左右するようなことをよくも言ったもんだわ。
なんなのかしら。この子に、なにかシンパシーのようなものでも感じたのか。
単なる同情でそう言ったのか。
昨日の自分に会えるものならその理由をぜひとも訊いてみたいものだ。
「ねえ、恋人いないって本当に嘘じゃない?」
「そうよ?あなた相手にそんな嘘ついたって仕方ないじゃない。」
「じゃあどうしてこんなものがあるのさ。」
指差されたそれは、置きっぱなしになっていた妊娠検査薬。
そういえば仕舞うのを忘れてそのままにしていたんだった。
今日、駅に着いてから買ったものだ。
「あなたとしたときの記憶が全くないもんだから心配だったのよ。
でもよく考えてみたらそんなのすぐわかるわけもないし
しばらく経ったら試してみようかと買って袋を開けてから気付いたわ。
産婦人科に行って色々と処置してもらおうかとも思ったんだけど…
なんだか面倒でね、とりあえず結果さえ調べられればそれでいいと思ったの。」
「ふぅん…随分と投げやりなんだね。自分の身体をもう少し大切にしたら?」
「それはあなたに言われたくないわね。
生き残ったっていう事実はその年齢には辛すぎるとは思うけれど
仕方ないじゃない、そうなっちゃったんだから。生きなさい、死ぬまでは、とりあえず。」
その言葉に、目を丸くしてしばらく固まったかと思えば
くすり、と進藤新は笑った。
邪気のない笑顔は、みたことのない表情だ。
「やっぱり深咲さんは面白い。昨夜もね、似たような事言われたんだ。
なるようにしかならない。それこそ成り行きに任せたんなら生きろって。
だからかな…ああ、このひとが生きる目標なら悪くないって素直に思っちゃった。
これって一目惚れってやつかなぁ。どう思う?」
「知らないわよ。…普通訊く?本人に。」
「……ね、深咲さん。もしできちゃってたらどうする?子ども。」
子ども…ねぇ。
それはつまり、そのまましてしまったということかしら。
まあ、彼の話が本当だとするならば、そんなもん用意してなかったろうし
可能性としては低くはないんだろうけど。
「無理ね。私みたいな人間に、ひと一人育てることなんて出来ないわ。」
「ふぅん…てことは、それであなたを縛る事はできないわけだ…。」
「は?」
ぽつり、と呟かれた言葉は、ちょっと訊きたくない類のものだったような。
というかたった今私が言ったことはどうでもいいのかしら。
普通、女がそういう事をさらっと言ったら
少なからず良くない感情を抱いたって不思議じゃないと思う。
私自身、いっこの命を簡単に捨てるなんて言うのは最低だって感じるし。
まあ、言ったのは私自身なわけだけれど。
ぼんやりと頭の中で色々と思っていたことは、
名前を呼ばれたことでぱちんと消えた。
目の前には、にっこりと微笑んだ男がいる。
「安心して。昨日はちゃーんと避妊したから。」
「は!?だったら最初にそう言いなさいよ!」
「えーだって。ひょっとしたら結婚してくれるかもしれないと思ったから。」
「…あんた、なに言ってるの?」
「ねぇ、僕ここに住んでもいいでしょう?
昔から家事好きなんだ。両親共働きでどこか子どもっぽいとこあってさ。
ひとの面倒をみるのって嫌いじゃないんだ。
深咲さん、この家みたらなんとなくわかるけど家事そんな好きじゃないでしょう?
必要最低限はかろうじて、って感じかな。」
その言葉に、私はぐっと詰まった。
正直、その通りなのだ。
料理はそこそこ出来ると思う。洗濯は…たまったら渋々。
掃除は本当嫌いで、見えるところくらいしか気にしない。
水周りの掃除とか本当面倒でだいっきらいなのよ!
ゴミ出しの日とかも…よく、忘れるし。うん。
「家事全般、僕が引き受ける。深咲さんはお仕事に集中できるし、
そうしたら煩わしいことなくなるよ、どう?」
「……それは、あなたを住み込みの家政夫にするって事かしら。」
「うん、今はそれでもいいよ。第二希望ってところかな。」
第二希望?
なんかひっかかる物言いをするわね。
「第二って…第一はなんだってのよ?」
「お婿さん。」
「はい?」
「僕を、深咲さんのお婿さんにして。」
「…あんた、正気?昨日よ、私達が会ったのは!」
「それはもう話したじゃないか。わかってるよ。
だって身体の相性もばっちりだったし問題ないと思わない?」
「そこらへんは記憶がないので同意しかねる!」
「あ、そっか。じゃあ今から続きする?」
可愛い顔をしてこて、と首を傾げる進藤新を、
私は苛立ちと共にすぱん、と叩きのめした。
頭を思いっきりひっぱたいてやったので、かなりいい音がした。
おそらくけっこう痛いはずである。
その証拠に進藤新は頭を抱えながらしばらくぷるぷると震えたかと思うと、
涙目でこちらを睨みつけてきた。
「笑えない冗談は結構よ。」
「冗談でこんなこと言うわけないでしょう、ひどいなぁ。
大体二言目には憶えてないってそればっかり。
昨日の深咲さん乱れまくりで色っぽいわ、泣き顔は可愛いわで
たまんなかったのにー。」
「どこかのエロオヤジかあんたは!」
「いいかげん、名前で呼んでよ。さっきからあなたとかあんたとかばっかり。」
「ああ、ごめんなさい。進藤君だったわね。」
「余所余所しい。そんなのヤダ。」
「…よくわかんない子ね。じゃあ新君って呼べばいいの?」
「くんはヤ。」
「駄々っ子か!最初から新って呼んでくれって言えばいいでしょう、
もう、面倒くさい子ね。」
新、という呼び名に満足したのか、呼ばれた彼はにっこりと微笑んだ。
なんだかなー。なんだかんだであっちのペースじゃないの?
まずいわね、色々と。
「ね、深咲さん。僕をお婿さんにしてください。
今じゃなくていいよ、いつか。僕を好きになったらでいいから。」
つつ、といつのまにか間合いを詰めた新は、
私の隣に座り私の手を握り締めていた。
なんだこの早業は。随分と女慣れしてるわねー…
まあそりゃ、そうか。こんだけお綺麗な顔してるものね。
ため息を吐いて、私はべり、と彼の手を引き剥がした。
「あのね、私はそういうのいらないのよ。必要ないの!
いつかってなによ、一生来ないわよそのいつかは。」
「そんなのわかんないじゃないか。」
「わかるわよ。私はひとを好きにならないの。」
「ふーん…でも、ね。じゃあ、置いてよ僕を。住み込みの家政夫でいいからさ。」
「…それは、ちょっと考えさせてよ。」
「僕を捨てる気?命を拾ったのはあなたなのに。」
「う!」
それを言われてしまうと痛い。
私ってばなんていうことをしたのよ。ありえないわ。
どんだけ無責任な約束をしてしまったのよ。
…知り合った人間が自分のせいで死ぬのはなんとも寝覚めが悪い。
それはちょっと、できれば勘弁してほしいものだ。
「…仕方ないわね。条件付でなら、いいわ。あなたを雇ってあげても。」
「本当!?やったー!深咲さん大好き!!」
「……はぁ。」
抱きつく新を蹴飛ばすのもなんだか疲れてしまい、
私はされるがままになっていた。
自身の怒鳴り声が家中に響き渡るのは、
調子に乗った彼の手が私の服の中へ侵入を果たそうと動いた一分後のことである。
…前途多難ね、頭が痛いわ。