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第十九話

結局、それから集中力は途切れたりしたけれど

新に朝食はいらないと言った以上、意地で私は仕事をした。

朝方の4時頃になってあくびをしながら自室へと入る。

本当なら、今日も新は私の布団にもぐりこんできたんだろうけど、

さすがに部屋に彼はいなかった。まあ、当たり前か。

ゆるゆると目を閉じながら、もしも起きて彼が出て行っていたら

私はどれほどの喪失感を味わうだろうか、と考える。


いっそ眠れなくなれば恋に恋する女だったろうけど、

独り身生活が長い自分は、抗う事無く仕事の疲労を回復する行為に没頭した。

可愛くないよな、本当。

そんな自分を、好きになる男の存在なんて、信じられない。

どうやったら私は、新の言葉を素直に受け止められるんだろうか。

冴島の事だって、やっぱり信用はしきれない。

昔の復讐、とかだったらわかりやすいのに。…でもそこまで傷付けた覚えもない。


すべてが終わったら、少しは気持ちに応えようと思えるのかしら。


そこまで考えたところで、私は意識を手放した。






―――――――――――――――――――――――








「深咲さん、おはよう。ごはんすぐ食べる?」


いつものように身支度を整えて茶の間へと顔を出せば、

新がにっこりと笑ってそこに立っていた。

私は、昨日の言葉の意味をぐるぐると頭で考えて

いっそあれは夢だったのではないだろうか、と思ってしまう。


「深咲さん?」


なにも答えずに固まっている私を不思議に思ったのか

新が首を傾げてきょとん、と目を丸くしている。

ああ、もう、相変わらずだな、その仕草。


「すぐもらうわ、ありがとう。」

「了解!」


笑って、そのまま新はてきぱきとご飯のセッティングをしていく。

ふたり分あるので、新もいっしょに食べるようだ。

ひょっとして、待っててくれたのかしら。


並べられた、お味噌汁に焼き鮭に根菜のサラダをみつめて

私は今日もおいしそうだと顔をにやけさせた。

手を合わせ、食事をいただく前の挨拶を済ませれば

私と新はご飯を食べ始める。


うん、やっぱりおいしい。


「ねえ、深咲さん?」

「んん?」


もぐもぐとおかずを咀嚼しながら新の呼ぶ声に返事をする。


「深咲さんは、冴島のことどう思ってるの?」

「どうって…別にどうとも思ってないけど。」

「本当?本心を聞かせてよ。僕に遠慮しないでかまわないから。

冴島に、惹かれてるんじゃないの?」


探るような新の瞳に、一瞬どきり、とする。

別に冴島に惚れているわけではないし、

今現在、好きの感情を埋めているのは目の前の彼だけだ。


もしも彼の事が気になっているのだとしたら、

それはおとなの女としての汚い打算ゆえだろう。


「改まって変な子ね。本当の本当になんとも思ってないわよ。」

「深咲さん。」

「新。一体どう答えればいいのよ?

私が冴島さんを好きなほうがあなたにとって都合が良いの?」


ため息を吐いてそんなことを言ってみれば

狼狽した新が慌てて首をふる。


「違うよ!そんなんじゃないけど…」

「だったらいいじゃないの。ねえ、新。

確かに私は、昨日あなたの事を信用していないって言ったわ。

でもそれは全部が全部じゃない。」

「!深咲さん……。」

「あなたがここでの働きに誠意をもって尽くしてくれているのも

今現在特定のひとはいないという言葉も私は信じてるわよ。」

「………本当に?」


昨日のように不安気に揺れる瞳をしっかりと見据えて、私は頷く。

なんだか昨日の続きをしているみたい。


「ただ…やっぱり新の事情を私は知らないでしょう?

だから、いつあなたがここを去ってしまっても不思議じゃないなとは

やっぱり思っているのよ。

信じていないっていうのはそういう所よ。

でもあなたが詐欺師とかで、たとえ騙されていたとしても、

それ以上に与えてもらったものが大きいから別にいいかな、

くらいは思えてるの。」


私の言葉の数々に、新は目を丸くして、

やがて呆れたかのようにため息を吐いた。


「深咲さん、僕は詐欺師なんかじゃないよ。

財産しぼりとったりとか、そんなことしない。」

「そうね。私も今はきっとそうだろうなって思ってるわ。」


本心から、私は苦笑しつつも新の言葉を肯定する。

新は、目を細めてじ、と私をみつめる。

なにかを探っているかのような瞳だ。


「僕が、深咲さんを好きだっていうのは信じてくれてる?」

「それは………ごめんなさい。わからないわ。」


信じられないのか、信じたくないのか。

私には、今の自分の感情がよくわからずにいた。

傷付きたくなくてひたすらに予防線を張っているのか、

自分にひたすら自信がないだけなのか。


どっちともいえるし、どっちも違うともいえそうだ。

ただはっきりしているのは、

私は新を好きになってしまったという事実だけ。


「……そう、か。うん、わかった。」


少し苦しそうに新は頷いて、それからは何事を発するでもなく

もくもくと食事を再開した。

私も、それにならってはしをすすめる。


結局、それから冴島との待ち合わせの時間がきて家を出るまで

新となにか会話を交わすことはなかった。









「冴島さん。」

「成島先生!お疲れ様です。」


先に着いていた冴島が、手を振って居場所を教える。

私は視界にうつした場所へと歩を進めれば

冴島の向かい側の席へと腰を下ろした。


先程の呼び方に、私は苦笑する。


「いやだ、先生だなんてやめてくださいよ。柄じゃないんです。」

「そうですか?成島さんは謙虚ですね。」


そう言って冴島は肩を竦める。

なんだか色々と遊ばれている気がしてしまうな。


店員にカフェオレを頼み、私は冴島へと向き直った。

とりあえず、出来た分のデータをコピーしておいたメモリーを差し込んで

立ち上げたノートPCを冴島へとむける。


冴島はおどけた様子から一転、真面目な編集者の顔になれば

拝見します、と無表情で画面に目をやった。

こういう瞬間は、いつも思うがとても緊張する。


運ばれてきたカフェオレに口をつけながら

目の前の男が何を言うかを待つ。

なんとも落ち着かなくて、それでも見た目だけは平常でいようと

うつむきがちになってただただカップに口をつけていた。


「……成島さん。正直、ここまで素晴らしいものだとは思っていませんでした。」

「!冴島さん…。」

「このまま、進めてください。完成が本当に待ち遠しいです。」


とても楽しそうにきらきらした瞳で言う冴島に、

私も嬉しさに顔を綻ばせながら、はい、と力強く返事をした。

戻ってきたノートPCの電源を落とし、元あった鞄の中へと戻す。


顔を上げると、正面にたたずむ冴島が、どこか苦しそうな顔をしていて

私は首を傾げた。


「深咲は、恋をしているんだね。

それか、過去に…本気の相手がいたんだな。」

「!一哉……。」


どうして、と問う前に、私の表情で察したのだろう。

先回りした彼は、わかるよ、と一言呟いた。


「これを読んでいれば、誰だってわかるさ。

俺としたような恋愛を積み重ねただけだったら

もっとドライなものになっているだろうなって思っていたから。」

「…そう、かな。」

「なんか…また振られた気分だな。

それとも、これを書かせた原因て俺だったりしない?」


笑ってまたもストレートな口説き文句を吐き出され、

私は必死で頬を染めないように努める。

この場面でそんな反応をしてしまったら、誤解されそうだ。


「残念でした、あなたは関係ないわ。」

「…だよな。ってことは、言ってた恋人か。」

「恋人?」


一哉の言葉に合点がいかなくて、私は頭上に疑問符を浮かべる。

その様子に驚いたのか、一哉は目を丸くする。


「前に言ってたそういう相手って、恋人じゃないの?」

「あ、ああ…あのときは勢いでそんなこと言っちゃっただけよ。

……恋人ではないから。」


私の複雑な微笑みに、なにかを感じ取ったのだろう。

一哉は、眉間に皺を刻んだまま、次の言葉を発した。


「どうして?君をそこまで夢中にさせている相手が

正式な恋人じゃないってどういうことなんだ。

俺にもまだチャンスあるって思ってもいいの?」

「それは…何度も申し訳ないけれど、私には考えられないわ。

あなたと、もう一度お付き合いすることもできなければ

結婚をすることもできないわ。ごめんなさい。」

「………君がきちんと恋人を作らない限りは、

俺は簡単には引き下がらないよ。」

「か、一哉……。」


射抜くような相貌でみつめられて、私は思わず固まってしまう。

どうしたって、彼とそうなる気にはなれない。

それなのに、こういう仕草で動揺してしまうのは昔を思い出すからなのか。

それとも、汚い打算ゆえなのか。


わからなかったけど、それでも彼の気持ちに応えることはできない。

私はそう感じれば、彼の顔を思い切り睨みつけてみる。


しばらくして、ふ、と表情を緩和させた彼は

仕事用の担当編集としての挨拶をしてくれて、その場は別れることになった。


とにかく、彼とはなにを育てることもできない。

実際に会って感じたことは、それだけだった。





家に帰ってきて、まだ夕方には早いにも関わらず

新が台所で今日の晩ご飯を用意していた。

私はその様子に、どこか嫌な予感を覚える。


何故だかわからないけど、背中に変な汗が流れるのを感じた。


「ただいま…。」


おそるおそる、私は新に帰ってきたときの挨拶を交わす。

これも、彼がいなかった頃は久しくだれかに声をかけることはなかった。

ずっと、ここにひとりだったからだ。

誰かが当たり前のように家に待っていてくれるのはなにより心を温かくされる。


じゃあ、この胸の動悸はなんだろう。

ひょっとして、それがもう叶わないのだということを、

心のどこかが感じ取ってしまったのだろうか。


そんなことを考えていたら、

新が深咲さん、と私に話しかけるので、顔をあげて

彼の顔をみつめた。


台所で、私と新は立ったままお互いをみつめている。


「お願いがあるんだけど。

しばらく、留守にしたいんだ。」

「え………。」

「今のところ、どれくらいかかるかわからないけど

ちょっと本腰入れてさっさと片付けちゃおうと思ってね。」

「……そう。」


私の声は、震えていなかったろうか。

平静を装うのに必死になっていて、無表情が逆に動揺しているんじゃないかと

相手に思わせてしまいそうだ。


どうか、私の気持ちに気が付かないで。


「しばらくって…どれくらいなの?」


淡々とした私の口調の裏には情けないほど感情的なこころが横たわっている。

けれどそれを悟られるわけにはいかなくて、

私の声はどんどん一本調子になっていってしまう。

違和感を覚えるほど棒読みになってしまわないように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


新は、苦笑して肩を竦めた。


「さあ、どれくらいだろう。…深咲さんの小説は?」

「私?…二週間後くらいには終わるんじゃないかしら。」

「じゃあ、二週間後に帰ってくるよ。」

「……帰ってくるの?」


微笑む新に、ついに私は情けない声をあげてしまった。

きっと、瞳も不安気に揺れているのだろう。

でもこれ以上隠せなくて、私はかまわずにじ、と新の顔を見つめた。


私の様子に、一瞬沈黙した新だったけれど

次にはまたにっこりと微笑んで、言った。


「必ず帰ってくるよ。…深咲さんの事、愛しているから。」

「!新…。」


そっと、触れるだけの口付けをされる。

私は、優しいその顔から目を逸らせなくて凝視してしまった。

目をつぶって、ゆっくりとそっと唇に触れる新の一連の動きを見ていたら

彼が本当に私を大切にしてくれているんじゃないかと

どこか期待しそうになる。


けれども、その結論は二週間後に出すものらしい。

ただ、別れではないことだけ信じようと、そう思った。

だからこそ、私は特別なことはなにも言わない。


「新、いってらっしゃい。気をつけるのよ。」

「!深咲さん……」


そう言って、今度は今までみたことないほどに

耐えかねるような苦しそうな顔をしたと思えば

先程とは打ってかわって

噛み付くかのようなキスを新がほどこしてくる。


「ん…」


小さく漏れてしまった声は、歓喜の喘ぎであったのか。

新の唇が私の唇を強く吸い、

無遠慮に舌が割り入って侵入を果たす。


一瞬引きそうになった私のそれを、しかし彼は赦さない。

逃す事無くとらえられれば、

新の舌で私のそれを寝こそぎ絡め取られてしまった。


そこから、痛いくらいに吸われ、

かとおもえば上顎をそろりと舐め上げられ。


口腔内をひたすら犯されて、あふれる唾液は嚥下しきれずに

口端からだらしなく漏れていった。


新の唇が離れると、その漏れたものさえも彼の唇が奪い去っていく。


「ふ、あ、はあっ…」


あまりにも素直に反応してしまう身体に嫌悪しながらも

いっそ最後までしてほしいと思う気持ちを隠しきれなかった。

すがるように彼の背中に腕をまわしてきゅ、と服の布をつかむ。


やがて顔をあげたままになっていた無防備な私の首元を、新たの舌が這えば

ぷち、とシャツの第一、第二ボタンを外していった。

ぞくり、と背中が震える。


鎖骨の少し下あたりで、彼の唇が止まった。

次いで、刺すような痛みが身体を突き抜ける。

その痛みの意味を理解して、私の心は震えていた。


新がゆっくりと私から身体を放すと、つ、と痕を指先でなぞる。

そうして優しく微笑んだ。


「せめてこれが消えるまでは、

深咲さんの頭の中が僕でいっぱいになってればいいな。」


その言葉に、私は彼をみつめる。

一体、どんな顔で私は新をみているんだろう。


「我儘を、言ってもいい?」

「?」


新の言葉に、私は声を出さずに首を傾げた。

彼が、ふ、と目だけで笑う。


「他の男に、決して許したりしないで。

僕の事だけ考えて、僕の事だけ好きになって。」

「新…!」

「……帰ってきたら、必ずあなたの全部をもらうから。約束だよ。」


そう言って、新は満足したかのように微笑むと、

ご飯は温めてね、と言って茶の間をあとにする。


程なくして、玄関扉がカラカラと開いて閉まる音がした。


傷が癒えた猫は、本来の住み処へと戻ってゆく。

拾ったひとときの飼い主の、顔もぬくもりも何もかも忘れて。


頬に伝うあたたかいものが涙だとわかったのは、随分経ってからだった。



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