第六話 一つ目の魔法
エレは涙を流していた。
目の前にいる女性は、確かにエレ。エレオノーラだった。
髪は縮れ毛で、少しふくよかな体格。そして唇は浅く、まつげも長くない。
決して美女ではないその女性は、嬉しそうに小さな絵を抱きしめていた。
「ああ……。ヨハン、私の子、ヨハン…………‼」
立ちつくしているリーゼなど目に入らない様子で、エレは泣きじゃくっていた。
「もうすぐ、貴方の下へ行くからね……」
不吉なことを告げながら、エレは絵画を愛おしそうに指で撫でた。
リーゼは口を開けたまま、エレを眺めていることしか出来なかった。
不思議と、魔女になってしまった恐怖や罪悪感はない。むしろ、力が体に込み上げてくる。
自信という力となって、リーゼは誇らしかった。
「この部屋は好きに使って。火の魔女の部屋なのよ」
「エレはどうするの?」
「私はもう魔女じゃないわ。田舎へ行って、仕事でも探すわ。魔女の時に覚えた、薬を煎じることは出来るから」
エレは笑った。美女ではないものの、彼女本来の可愛らしい笑みが零れた。
「リーゼは魔女になった。新たな火の魔女の誕生よ!」
「エレ……。私、あなたの力を奪ってしまった」
「そんな落ち込むことないわ。私はむしろ嬉しいんだから」
エレは人懐っこい笑みを浮かべた。
ちりん。
聞きなれた鈴の音が聞こえた。
リーゼはエレを見送るために、塔の階段を下りていった。
他の魔女たちの姿はない。
塔の扉が、軽く開いた。
「本当に行っちゃうの?」
心配そうなリーゼに、エレは力いっぱい抱きしめた。
「リーゼも元気でね。時々顔を見せに来るわ……!」
「うん。エレも元気でね。すぐに息子さんのところに行っちゃダメだからね」
「わかってるわ。息子と同じ天国へ行くんだもの。滅多なことはしないわ!」
その言葉を聞いて安心した。
ちりん。
鈴の音が近くで聞こえる。
森の奥から、ネネが歩いてくるのが見えた。
エレは感激し、しゃがみ込むとネネをそっと抱きしめた。
「ネネ……‼ 今までありがとう。会えないかと思ったわ」
「エレオノーラ。今までありがとう。お疲れ様だったね」
「リーゼのこと、よろしくね!」
エレはそういうと、塔を振り返った。天高く聳え立つ、一つの塔。
その名も魔女の塔を。
何度も振り返り、手を振りながら、エレは去っていった。
「上手く奪えたね」
「奪ったなんて言わないで。人聞きが悪いわ」
「奪ったのに変わりないと思うけど?」
ネネはそういうと、二股の尻尾を大きく揺らした。
◇◇◇
部屋に戻ってみると、案外しっくりくる部屋だった。
エレによって丁寧に手入れされた部屋は居心地がよく、何より見たこともないもので溢れかえっていた。
改めて生活するために、掃除を始めたのだが、それでも埃は一つも出てこない。
そんな様子を見ていたネネは、一つの疑問を呈した。
「ねえ、リーゼ」
「何?」
てきぱきと掃除するリーゼは、ネネを見ようともしなかった。
「どうして、魔法を使わないんだ?」
「あ……」
そうだった。もうリーゼは魔女だったのだ。
「でも使い方も分からないし……」
「念じれば何でも出来るよ」
「念じるって……」
「心で思ってごらん。そうだなあ、この部屋を綺麗にしてくださいって」
リーゼは見よう見まねで目を閉じた。なんとなく、目を閉じたほうがいいと思ったのだ。
(部屋を綺麗にしてください)
祈るように心で唱えると、恐る恐る目を開けた。
すると、視界は光で溢れていた。
眩しさに目がくらむ。
本棚という本棚からは本が抜き取られ、宙に浮いていた。そしてぞうきんが華麗に本棚を滑っていく。
窓ガラスにもぞうきんが掛かっており、軽やかに磨いていった。
床はモップが勝手に掃除をしており、ピカピカに輝いて見せた。
「す、すごい……。これが魔法……」
「ただの生活魔法だよ」
「そもそも、火の魔女っていうくらいだから、炎に関する魔法が得意なのよね?」
「そうだね」
「どう使ったらいいの? 火事にならない?」
ネネは大きく頷いた。
「火事になんてならないよ。そういう炎じゃないから。望めば燃えちゃうけどね、魔法の炎なんだよ。ほら……」
そういったネネは、暖炉で燃えている炎に向かって、尻尾を垂らした。
絶句するリーゼを前に、ぷらぷらと尻尾を揺らす。
「熱くない。暖かさは感じるけど、そんな死ぬようなものじゃない」
「そ、そうなんだ……」
ホッと胸をなでおろすリーゼに、ネネは言った。
「ところで、奪えた火の魔女得意の、一つの魔法だけれど」
「そういえばそうだった。どんな魔法なの? エレ、何も言わなかったけれど」
リーゼは想像した。
もしかしたら、大きな炎で世界を圧倒する火を発生させられるのかもしれない。
触れても熱くない火だとしても、望めば燃えるという。世界には脅威だろう。
もしかしたら、魔獣を追い払うことが出来るかもしれない。
そうなれば、必然的に、ヴァイスブルク領の領地を守ることが出来る。
そこまで思い浮かべて、リーゼは思い出した。
もう帰れる家はないのだと。
「…………」
「大いなる想像をしているところ、誠に恐縮ではありますが」
「な、なに?」
もったいぶった口調で、ネネは言った。
「その、火の魔女得意の、一つ目の魔法っていうのは――」
「一つ目の魔法は……?」
ごくり。
息を飲むことしか出来ない。
「暖炉の火を揺らすことが出来る魔法だよ」
「へ?」
「だから、暖炉の火を揺らすことが出来る魔法。それが火の魔女お得意の、一つ目の魔法さ」
「な、な、……」
「なにそれー⁉」
リーゼの絶叫は、塔を駆け抜けていった。




