第五話 火の魔女
エレの部屋に入るのは、昨晩以来だ。それなのに、どこか懐かしい気持ちでいっぱいになっていた。至る所に薬草と思われる植物が干してあり、昨晩見た暖炉にはまだ薬鍋が掛かっている。
エレは、パンと手作りと思われるジャムという質素ながらもお洒落な朝食を用意してくれていた。カップに注がれるのは、香ばしい薬草茶だ。
「いい香り……!」
「でしょう? 私のお気に入りなの」
エレと共にとる朝食は素晴らしいものだった。そもそも家で食べる朝食は、一人だった。継母と弟は別室で取っており、早朝に食べる父親とは時間が合わなかった。誰かと食事をするのは、母親のいた時以来だ。
エレはゆっくりと席を立った。薬鍋へ向かうと、薬匙で混ぜ始めた。
「何を作っているのですか?」
「これは何にでも効く塗り薬よ。飲んでも良いの。味は保証しないけれど」
「凄い。魔女って何でもできるのね……」
リーゼの言葉に、一瞬遠い目をしたエレは、薬鍋をかき混ぜながら微笑んだ。
「そんなことないわ」
「でも、何でもできるんでしょ? 魔法だって……」
エレは軽くため息をつくと、暖炉とは反対方向にある本棚へ歩いていった。本棚には見たこともない本が並んでおり、その本棚の上には小さな絵画が置かれていた。
それは、小さな少年の絵画だった。笑顔で描かれた少年は、どこかエレに似ている。
エレは懐かしそうにその絵を見つめながら言った。
「魔法は素晴らしいわ。何だって出来るもの。でも……」
「でも?」
「ごめんね。なんでもないの……」
エレはそれ以上魔法のことについて語ることはなかった。沈黙に耐え切れず、リーゼは口を開いた。
「その絵はどなたです?」
「これ? これは息子なの」
「そうなんですか……。って、む、息子さん⁉」
「そう。死んじゃったけどね」
「あ、……ごめんなさい」
「いいのよ。知らなかったんだもの。他意はないでしょ」
エレはそういいながら絵を手に取った。
髪色から、瞳の色まで、エレと瓜二つだ。ちょっぴりふくよかな少年だった。
「……ねえ、リーゼ」
「はい?」
「魔女になりたいの?」
「え⁉」
「ネネと話していたでしょう? 聞こえちゃったの」
「ち、違います! ネネが勝手に言っていただけで……」
その時頭を過ったのは、信用されなかった昨晩の出来事だ。
ましてや、エレとは出会ったばかりだ。こんな小娘の言葉に耳を傾けるだろうか。それも相手は魔女だ。
誤魔化すように、リーゼはジャムの乗ったパンを手に持った。
「本当に違うんです……」
「…………」
エレは絵画を本棚へ戻した。
リーゼは誤魔化すように、パンを口にした。甘いジャムは苦味もある。
「疑ってるわけじゃないのよ。ただ――」
「…………?」
「私は魔女をやるのに疲れちゃってね。もし、リーゼが魔女になりたいなら、魔法をあげてもいいかなって思ったの」
「ええ⁉」
食べようとしていたパンが、口から零れ落ちてしまった。
「だって、永遠の時や永遠の美貌、それに永遠に使える魔法を手放すことになるんじゃ……」
それに。
リーゼは言葉を続けることが出来なかった。
ネネの話では、全ての力を失って人間に戻る――。そういう話だったはずだ。
エレは少し疲れたような、妖艶な表情を浮かべた。
「そんなに生きてたって、魔法があったって、いくら美貌があったって――」
エレは絵画を見つめ直した。
「あの子は戻ってこないもの」
その時、リーゼは気付いてしまった。
エレの、火の魔女の弱点を――。
眩い光に、目がつぶれそうになった。
光は星となって、エレの体から弾け飛んでいく。
そして、それらの星はリーゼの中へ吸い込まれていく。
刹那。
僅かな時間の出来事だった。
リーゼは驚いて椅子から転げ落ちていた。
すぐにエレを見たが、エレは顔を手で覆い隠していた。
「え、エレ……。今のって……」
「………………」
「エレ……?」
エレは震えていた。
ゆっくりと起き上がり、エレの下へ向かう。
気付いた時には、リーゼはエレに抱きしめられていた。
「ああ……! リーゼ、ありがとう‼」
顔を上げたエレは、泣きながら笑っていた。
エレの言葉で確信した。
そして、暖炉の脇に置かれていた鏡が目に入った。
リーゼは息を飲んだ。
リーゼの瞼からは長いまつげが。そして、唇は少し厚くなったように感じられる。
化粧もしていないのに、妖艶に見える美貌。
そして、胸には見たこともないふくらみがあった。
「嘘……。な、なんで……⁉」
「リーゼ! 今日から、貴女は……。火の魔女、リーゼロッテよ!」
リーゼは魔女に姿を変えていたのだ。




