第四話 望み
小鳥の鳴き声が耳に残る朝だった。
夜には見えなかった部屋の隅々が、少しずつ目に入っていく。
ここは魔女の塔の一室だ。
小鳥のさえずり以外、リーゼの耳に入るものはなかった。
クスクス笑う声や、見下す視線もない。
毎朝決まって起こしに来るメイドもいない。
リーゼを弟と比べ、罵倒する継母もいない。
それが何故か寂しく感じられ、日常ではないことを示していた。
だらだらと起き上がったものの、体は軽い。
昨晩雨や泥で汚れたドレスが、マネキンに掛かっている。汚れや破れた箇所も見受けられない。それでも、ドレスを身にまとう気にはなれなかった。このドレスは婚約者だったハインリヒが贈ってきたものだ。
悩んだ結果、隣のマネキンに掛けてあるブラウスのついたワンピースを着込んだ。エレの手作りなのか、それとも魔法で作り出したものなのかはわからない。
着心地のいいワンピースは、柔肌のリーゼにとてもよく似合っているように感じられた。
エレに結ってもらった三つ編みを解くことなく、ゆっくりと指でなぞると、リーゼは天井を見上げた。
自宅と違い、シャンデリアはない。
それでも自宅よりも明るく感じるのは、大きな窓のおかげだろうか。
「知らない天井だわ……」
「そりゃあ、君んちじゃないもの」
「そうですよね……。え?」
目の前で、ちりんという音がした。
猫だ。それも黒猫だ。
昨晩見た猫に違いない。何よりしゃべる猫を、リーゼは他に知らない。
「あなたは、ネネ?」
「そうだよ。君の名はリーゼロッテだね。エレ様から聞きました」
口をぱくぱくさせながら、本当にしゃべっている。
あまりの可愛さに声を上げたくなったが、何とか堪えた。
「あの、エレさんは隣の部屋ですか?」
「いや?」
「エレさんにお礼を伝えたいんですが……」
「それが望みなら案内するよ。代償は何を支払う?」
「ええ……」
代償。
昨日の優しい雰囲気から打って変わって、背筋が凍るような気分だった。
ネネは首を横に振りながら、笑っているように見える。
「ごめんごめん。冗談だよ」
「もう、やめてよ……」
「君はどうして、魔女の塔へ?」
「それはネネが魔法か何かで送ってくれたんじゃない?」
「そりゃ魔法で送ったけれど、入口で座り込んでいたのは、君の方じゃないか」
リーゼは昨日のことを思い返していた。
走馬灯のように、断罪シーンから自宅まで、そして自宅から森へ歩いていったことを思い出した。
「私はこの森がある、ヴァイスブルク領の令嬢なんです。森に入ったのは、たまたまで無意識でした」
「ふーん。じゃあ、塔に呼ばれたのかもね」
「塔に、呼ばれた?」
「うん」
ネネの言うことが、まるで分らない。
魔法か何かの話だろうか。
リーゼが考え込んでいると、ネネは窓に目線だけを送った。
「いいかい、リーゼ。この塔には魔女が暮らしているけれど、大魔女は一人もいないんだ」
「大魔女って、確か全ての魔法を扱える天才的な魔女の一人で……」
「それは御伽噺の世界の話だね。実際は七つの魔法を習得すれば、大魔女になれるんだよ」
「そんなことでなれるの? 大魔女って」
「そうなんだ。簡単だろ?」
そんな簡単になれる大魔女が、一人もいないとはどういうことなのか。
首をかしげているリーゼを前に、ネネは尻尾を揺らした。二股になっている尻尾だ。昨晩は暗くてわからなかった。
「エレオノーラも色んな魔法が仕えるけれど、一つのとある魔法を奪うことが出来れば、君も魔女になれるよ」
「どういうこと……?」
「だから、エレオノーラの得意魔法を奪うことが出来れば、君も魔女になれるんだよ」
「奪うって……。私は魔女になんて……」
驚愕するリーゼを前に、ネネはきょとんと首をかしげた。
「でも、塔に呼ばれたんだろう?」
「その塔に呼ばれるって、一体どういうこと? 私は本当に、偶然この塔の前に……」
その時、リーゼの脳裏にある考えが浮かんだ。
髪がプラチナブロンドであることは、リーゼにとって唯一の誇りであり、自慢できるところだ。
リーゼは平凡な顔立ちで、美人とは言い難い。
カタリナの方がどちらかと言えば美人に近かった。カタリナの事を思い出すと、胸の奥を釘が差していくような感覚に陥った。
「魔女になると、永遠に使える魔法、永遠の美、そして永遠の時を生きることが出来るんだ」
魔女になれれば、カタリナを。ハインリヒを見返すことが出来るのではないか。
信用してくれなかった父親や継母は、魔女になった娘をどう思うだろうか。
少なくとも、見下すことはされない。笑いもされないだろう。
エレは美しかった。それが、魔女になれば手に入るというのだ。
「奪われた魔女は、何もない人間に戻るんだ! どう? ワクワクしない?」
「…………」
何故か得意げになっているネネを前に、リーゼは迷っている自分に気付いた。
「どう? 魔女になりたくなってきたでしょ?」
「で、でも……。エレさんから奪うなんて、出来ないよ……」
すると、ネネはその場でバク転して見せた。華麗に着地して見せると、ちりんという鈴の音と共に、二股の尻尾が得意げに揺らいだ。
「奪うは言葉が悪い? じゃあ、魔法をもらうって言い方にするよ!」
「あまり変わってない気がするけれど……」
リーゼの言葉に、ネネはちりんと鈴を鳴らして見せた。
「魔法をどうやって、もらうかだけれど」
聞いてもいないのに、ネネは語り続けた。
「魔女の弱点を見つけるんだ。暴かれた魔女は、たちまち力を失うよ。代わりに、君はその魔女の魔法を一つ、手に入れることになる」
「一つの魔法……」
「そう。でも魔女になってしまえば、自然と何でも出来るようになるんだよ! どうだい? 凄いだろう?」
「だから、私は――」
ちりん。
ネネが再び鈴を鳴らした時だった。部屋のドアがノックされたのだ。
「リーゼ、起きた? 朝ごはんにしましょう」
エレの声だ。
驚いたリーゼはネネを見るが、そこには既に何もいなかった。鈴の音も聞こえない。
「…………」
「リーゼ? まだ寝ていたい?」
「ご、ごめんなさい! 起きてます! すぐ行きます!」
リーゼは慌ててドアを開けた。そこには昨日と同じ服装のエレが立っていた。




