第三話 第一の魔女
リーゼが惚けていると、後ろからギシリという音が響いてきた。慌ててリーゼが振り返ると、美しい女性が薬鍋をかき混ぜていた。コトコトという音と共に、暖炉の火が燃えるぱちぱちという音が聞こえる。
「いらっしゃい、お嬢さん。名前は?」
「…………」
まつ毛は長く、唇は妖艶に厚い。長い黒髪はウェーブがかっている。リーゼとは違い、胸のふくらみもある。
リーゼが女性に見惚れていると、女性は視線を薬鍋からリーゼへ向けた。
「あら。ネネは何の説明もなく、貴女を寄越したのかしら?」
「……あなたは、魔女ですか?」
分かり切った質問だった。それでも、そんな言葉しか口に出来なかった。女性は柔らかく微笑むと、再び薬鍋を見つめた。暖炉の炎がゆっくりと揺れている。女性の混ぜる薬鍋からの音だけが、部屋を包み込んでいた。
薄暗くも、明るい部屋に目が慣れてきた。
女性はきょとんとしていたが、徐に立ち上がると、リーゼの前までやってきた。
「それだと風邪をひくでしょう? お風呂を沸かしたから、入ってきなさい」
「で、でも……」
「お風呂から上がるまでには、服も乾かしてあげるから」
女性はそういうと、優しい笑顔を向けてきた。
どこか安心する笑顔に、リーゼの警戒心は薄れていく。
「でも今日は寝間着を用意しておきますから、それに着替えたほうがいいわね」
「…………」
「可哀想に。よっぽど怖くて、辛い思いをしてきたのね」
女性はふわりとリーゼを抱きしめた。薬のようでいて、甘ったるい香りが鼻をつついた。
想像していた魔女と、目の前の女性はまるで違っていた。
優しさに包まれ、リーゼは目頭が熱くなるのを感じた。
「私は火の魔女、エレオノーラ。エレって呼んで頂戴」
「……リーゼ。リーゼロッテです」
「そう。リーゼ、さあ立ち上がって。お風呂で温まってきなさい。乾いた服に着替えたら、話をしましょう」
「……はい」
エレオノーラこと、エレはリーゼの頬を指ですくい取った。
◇◇◇
お風呂で温まったのち、リーゼはすぐに服に着替えた。
お風呂のお湯には薬草が入っていたのか、素足で歩いてできた傷は既に癒えている。体のあちこちに痛みがあったようだが、今は元の体よりも軽い。
これも、魔法なのだろうか。
リーゼがそう思った時だった。脱衣所のドアから、エレの声が聞こえた。
「着替え終わったかしら?」
「はい」
「そう。ならいらっしゃい」
脱衣所のドアが音を立てて開いた。リーゼは恐る恐る部屋へ足を踏み入れる。先ほどの薄暗かった部屋は明るく、いくつもの火の入ったランタンが浮かんでいる。
「それで、何の望みを?」
「……すみません。望みがあって来たわけではないんです」
「そうよね。そんな気がしていたわ」
「ごめんなさい」
「いいのよ。ネネが入れたんだもの。お客さんに変わりないわ」
「あの、ネネって……?」
エレは目を見開くと、嬉しそうに笑った。とても上品で美しい笑い方をする人だ。
「ネネは塔の前にいた、黒猫のことよ」
「ああ……。あの猫、ネネっていうんですか」
「そうなの。私たちの使い魔なのよ」
私たちということは、他にも魔女がいるのだろうか。
伝承に聞く魔女とは、世にも恐ろしい魔法を操ると聞いていた。
それだけではなく、望みを叶えるために代償を頂く、卑劣さを持っているとも。
幾多の戦争では英雄として迎えられ、陛下からの信頼も厚いという。
「何も取って食いやしないから、怖がらないで頂戴」
「……すみません」
魔女に嘘は付けない。以前父親が読んでくれた絵本に書かれていた。
父親の事を思い出し、目頭がまた熱くなってくる。
「辛かったわね。……今日は隣の部屋をお使いなさい」
「いいんですか?」
「こんな夜更けに、若い女の子を一人追い出すなんてこと、するわけがないでしょう?」
ウインクして見せたエレは、どことなく母の面影がある。
柔らかな金髪が綺麗な母だった。病弱で亡くなるまで、リーゼを一身に愛してくれた。
母はよく言っていた。
リーゼのプラチナブロンドはとても綺麗だと。
「あ、待って」
エレがリーゼを呼び止めた。リーゼが振り返ろうとした瞬間、エレはリーゼの両肩を優しく掴んだ。
「そのままで」
エレはそういうと、リーゼの髪を器用に三つ編みにしていった。
「綺麗な髪だから、こうしておくと痛みにくいと思うわ。リボンはプレゼントよ」
「あ、ありがとうございます……」
「いえいえ。それじゃあおやすみなさい」
「おやすみなさい」
隣の部屋はこじんまりとした客室だったが、必要なものはすべて揃っていた。隣の部屋からは何の音も聞こえない。人がいるのかさえ、わからぬほどだ。
リーゼはベッドに触れた。柔らかく、少し温かみのある布団に触れると、どっと疲れが込み上げてきた。
「寝よう。何も考えたくない……」
すぐに瞼は落ちた。
父と母とピクニックに行った夢を見た気がした。
森へ赴き、メイドたちが持ってきた弁当を、三人で食べた。
とても平和な日々だった。母が亡くなるまでは。
翌朝目覚めるまで、リーゼは思い出の中にいた。




