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あまりにも不自然な様子。光弦は、慌てたように瑠衣を見る。
「ケンカ? や、やーね、一人っ子のアタシには羨ましいくらいだけど?」
あはは、とフォローになっていないフォローをしてくれる。光弦は昔から変わらずやさしいな、と瑠衣はなぜだか泣きそうになった。瑠衣は長女だけれど、もし姉や兄がいたらこんな感じだったのかな、と思うことはよくある。
「瑠衣がアイドルをやめてから、ずっとあんな感じなの」
ね、と母が瑠衣を遠慮がちに見て言う。だれにも、その行動の理由はわからない。亜未はただ、瑠衣を透明人間かのように扱い続けている。
「たぶん、家でダラダラしているのが気に入らないんだと思う。芸能界にしがみついてないで、さっさと普通に働けって思ってるんだよ」
瑠衣の言葉に、母と光弦は顔を見合わせる。
アイドルをやめてしばらくしてから、あの態度になった。だから、それ以外の理由が思いつかない。
「で、でも瑠衣だって、子どもの頃から人前に出る仕事をし続けて疲れているだろうし、半年や1年のんびりしても、ねえ?」
光弦があわあわと、落ち着きなくきょろきょろしながら必死になぐさめてくれる。ありがたくもあるし、情けなくもあるしで、いたたまれない気持ちになる。
「お母さんもそう思うんだけど、亜未ったら……」
ずっとアイドル活動を応援してくれていて、今のていたらくもひとつも文句を言わずに見守ってくれる両親。妹の亜未も、アイドル活動はだれよりも熱心に応援してくれていたはずなのに。求めすぎなのかな、と思うけれど、理由だけは教えてほしかった。
いまだに甘くてミルキーなコーヒーを親に入れてもらっている身として、どうやって妹と関係を構築すべきかわからない。あれもこれもわからない。瑠衣には、歌って踊ること以外なにもない。
「ま、いろいろあるわよね、家族ってさ」
「光弦くんも、兄さんとなにかあるの?」
母が光弦に尋ねる。肩をすくめた光弦は、「そりゃあね、アタシこんなんだし?」と自虐的に笑った。
光弦の言う『こんな』に何が含まれているかわからない。35歳になっても結婚せず、自由に生きていることなのか?
その自虐的な笑顔が、瑠衣にとっては納得できなかった。だって、瑠衣よりもまっとうな道を歩いているようにしか見えないから。
自分よりできていない人間が隣にいるのに自虐するなんて。さっき、温かいもので満たされた心の栓が抜けて、すべて流れていった。なにもなくなった空っぽの心は、少しの風でも身震いするほど冷える。
瑠衣は、はぁ、とわざとらしいほどのため息をついた。
その様子に、母と光弦は視線を向ける。
「みーくんが『こんなだし』って言うなら、私はどうなるの? 芸能界なんかに入って、アイドルを辞めたらなにも残ってない私よりよっぽどみーくんはすごいよ。幸せそうでいいよね、バックパックの旅とかキッチンカーとかさ。あーあ、私みたいな子どもがいてお母さん可哀想」
苛立つ瑠衣を見て、またも母と光弦は目を見合わせる。
亜未といい瑠衣といい、まだ反抗期やってんのかしら、とでも思っているのだろうか。2人の視線の交わりすら、今の瑠衣にとっては癪に障る。
これ以上ここにいたら、もっとひどいことを言ってしまいそうになる。瑠衣は苛立ちを抑えるようにわざとゆっくり立ち上がる。
「……ごめんみーくん。またゆっくり話そう」
「あ、うん。おつかれー」
あいまいな笑みを浮かべて、光弦が手を振った。
久しぶりに会った従兄への対応ではないと、頭ではわかっている。光弦が悪いわけじゃなくて、自分がふがいないのがいけないのだとも十分承知の上だ。
でも、眉間に寄ったシワは深くなる一方。
どうやったら、幸せそうに見られるのだろうか。
*
いまだに、アイドル時代の夢をよく見る。
まったくリハーサルをしていない状態でステージに立たされる夢は、アイドルなら一度は見たことがあるだろう。瑠衣も、数え切れないほど見た。
アイドルを辞めてからは、卒業公演の夢ばかり見る。
満員の日本武道館。8000人の観客が、瑠衣のメンバーカラーである黄色のペンライトを振っている。まるで菜の花畑に包まれているような、あたたかな風景だった。
グループ内ではどちらかというと人気のないほうのメンバーではあった。でも卒業公演の日だけは他のメンバーのファンも瑠衣の色を振り、瑠衣の名を呼ぶ。瑠衣がステージのセンターに立ち、注目を浴びる。
卒業公演のためだけに、豪華な衣装が用意された。多くのメンバーはお姫様みたいなふわふわのドレスを仕立ててもらうが、瑠衣は黒のシンプルなパンツスーツを作ってもらった。お姫様みたいなドレスよりも、自分らしいと思ったから。スタイルが良く見えて、満足の仕上がりだった。
「るーいるい! るーいるい! るーいるい!」
瑠衣は耳に装着したイヤモニを外して、両手を大きく広げてファンの声を浴びた。このシチュエーションに酔っているとわかっていても、全身で声援を浴びずにはいられない。
自分でもわかっていた。これ以上の声援を浴びる日は来ることは、一生ないだろうと。定年退職したアイドルがその後、現役時代以上に声援を浴びられることはほぼない。ましてグループ時代から人気のない瑠衣が、ソロで今以上に成功できることはありえない。
歌が大好きで、アイドルの曲を聴くのが好きで、アイドルになった。アイドルというのは顔が可愛くて歌やダンスがうまいだけじゃ成り立たない職業だとわかったのは、すみれドロップスとしてデビューしてから。
愛嬌があるとか、ファンの喜ぶ言葉を即座に言えるとか、努力している姿を見せられるとか、成長するところを見せられるかとか。
瑠衣は初めから歌が上手かったし、ダンスもそつなくこなせた。トークをまわすのも告知を覚えるのも得意で、ほわほわしていて頼りないリーダーの代わりに仕切ることも多かった。
つまり、かわいげがなかった。
ファンは、初めからなんでも上手にできる子よりも、できなかったことができるようになる子を好む。80点を90点にする子よりも、10点を80点にする子のほうが、努力を認められる世界。
歌とリーダーシップで、グループに貢献できればそれでいいと思った。集客は他のメンバーに任せていればよい。グループでの集合写真が端っこでも、後列でもかまわない。
そんな瑠衣にとって、卒業公演は最初で最後の主人公になれる場だった。あの日の瑠衣は、だれからも幸せそうに見られていただろう。
きっと、もう二度と、あんなに満たされた思いになることはない。これからもずっと瑠衣は後列の端っこで、暗い顔をしながら生きるのだろう。




