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アイドルを定年退職した大森瑠衣は幸せそうに見られたい  作者: 武田花梨
第六章 心の底から燃え上がるもの

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6-3

 トイレを済ませて関係者用の控室に戻ると、OGメンバーの凪沙がいた。


 茶色いボブの髪を今日はゆるく巻いている。久しぶりに会ったすみれドロップスの初代リーダーは、大人の落ち着きをまとわせていた。


「瑠衣、来てくれたんだねー」


 武道館ライブに来るか、という凪沙からのメッセージには、あいまいな返事をしていた。


「うん、まあね。それより凪沙、仕事順調そうじゃない」


「ありがと。コツコツやっておりますよ」


 凪沙はすみれドロップス卒業後、俳優として活躍の場を広げていて、朝ドラにまで出演が決まっている。やっぱり本人を前にすると、劣等感が顔を覗かせる。


 すみれドロップスを卒業したあとの進路としては、俳優をしている凪沙のほか、OGライブに出演して芸能活動をしている人、芸能界を引退して専門学校に通う人、結婚して専業主婦をしながらインフルエンサーをしている人、さまざまだった。改めて、人生の幅というのは広いと思う。可能性は、いくらでもある。


「そうだ、朝ひまりから連絡来たね。卒業するって」


 凪沙の口から、ひまりの名前が出てドキッとする。


「あ、うん。聞いた」


「ウチらの末っ子もとうとうアイドルやめるんだね。卒業後は何するんだろう? ひまりなら、ソロ活動もできるよねぇ」


 凪沙がしみじみと言う。


 地元に戻って婚活、という言葉を思い出すが、みんなには言っていないようなので黙っておく。


 他のOGメンバーも揃ったタイミングで、関係者席への移動をする。関係者は、客電が落ちてから入場する。


 薄暗い中席を移動する。車椅子席のほうを見ると、菜々子をはじめ何人か車椅子のファンがいた。その中でも愁二は新鮮な世界に興味津々なようで、キョロキョロとあたりを見ている。


 菜々子は真剣な面持ちでペンライトのスイッチを入れ、色を変えていた。何色を振るのだろうか気になったけれど、黄色以外を振っている所を見るのはつらいので、それ以上視線をむけることはやめて席についた。


 菜々子に限らず、大変な思いをしてまで見に来てくれている人がいると思うと、瑠衣のアイドル人生は報われる気がした。


 車椅子の人だけじゃない。体調が優れない、仕事が大変、育児や介護に追われている……いろいろな事情の人がいる。その人たちが同じ空間に集まって、光に包まれるステージを見つめる。歌って踊るアイドルに元気をもらって、またそれぞれの人生に戻る。若い頃は、人それぞれに事情を抱えているなんて知らなかった。みんな、幸せに充実して生きていると思っていたから。でも、瑠衣も成長したことでそれは違うと少しずつわかってきた。


 客席の薄明りも完全に落ちる。腹の底に響くような、重低音が響き渡る。いよいよライブが始まる。


 音と光に包まれて、ステージにメンバーが登場する。歓声が沸き起こる。


「すみれドロップスのライブへようこそー!」


 ひまりの煽りに、客席が呼応する。


 可愛い歌、かっこいい盛り上げ曲、バラード曲。曲に合わせてファンはメンバーの名前をコールしたり、しんみりと黙って聞き入ったり。これだけの人数がいるのに、まるでひとつの生命体のように連動して鼓動する。


 やっぱり、ライブはいいなと思った。歌とダンスを披露するだけじゃない。ファンと一体となって、普段のイヤなことや理不尽なことを吹き飛ばして、だれもが笑顔になれる空間。


 また、戻りたい。


 瑠衣は、自分の心が熱くなっていると感じた。


 本編ラストの曲が終わり、アンコールの声が響き渡る。座ってみているだけでも疲れるから、瑠衣はふぅと息を吐いた。その間、関係者席では口と耳を寄せ合って雑談が交わされる。


「ひまり、大人になったね」


「うん、今はリーダーだもん。でも、私たちの妹っていうのは一生だよね」


 OGメンバーの会話を瑠衣は片耳で聞いていた。ひまりは、可愛い可愛いみんなの妹。すみれドロップス結成時からのお姫様だ。


「もちろん瑠衣もね」


 唐突に、隣に座る凪沙が言う。


「私も?」


 驚いて、瑠衣はOGメンバーたちに顔を向ける。暗い中、各々好きな色に光らせたペンライトによって顔が浮かぶ。瑠衣よりも年上のOGメンバーたちは、子どもを見つめるような表情だった。


「困ったことがあったら、いつでも相談して。瑠衣から見たら頼りないかもしれないけど……私たちはずっと、大切なメンバーだから」


「……ありがと」


 卒業しても、メンバーはメンバー。そう言ってもらえて、なんとなく感じていた孤独感が和らいだ気がした。


 ひとりであれこれ考えて、うまくいかなくて。でも、光弦と話して、菜々子と話して……とやっていたら、少し人生が開けた気がした。こうして誰かの心に少しずつ寄りかかれると、少し人生は楽なものになるのかもしれない。


 アンコールの声が響き渡る中、ステージに明かりがつき、音楽が流れてすみれドロップスのメンバーが出てきた。歓声の中で盛り上がるライブ定番曲を1曲披露したあと、メンバーがステージ上に一列に並ぶ。ライブではおなじみの、一人ずつ今日の感想を言う場面だ。年少のメンバーから、来てくれたファンへの感謝、今日のライブのことを手短に語っていく。


 そして最後に、ひまりの番が回ってきた。


「今日はありがとうございました! すっごく楽しかったです。ピンク色のペンライトもたくさん振ってくれてありがとー」


 客席に向かって手を振ると、ひまりは笑顔を崩さないまま、再び口を開いた。


「今日はこの場を借りて、みなさんにお伝えしたいことがあります」


 何かを察した客席は、しんと静まり返る。ひまりは間髪入れず、声をマイクに乗せた。


「羽鳥ひまりは、秋ツアーの最終日をもってすみれドロップスを卒業します!」


 ざわつきが会場に広がる。アイドルのファンは常に「次は誰が卒業するのか?」と頭を巡らせるため、現在最年長のひまりが卒業するという宣言には納得いくものがあったのか、大きな悲鳴などはあがらない。しかし、落胆のため息がもれる。


 ファンの様子を一通り眺めてから、ひまりは言葉を続ける。


「わたし、すみれドロップス結成時は一番の末っ子だったんです。お姉ちゃんが5人もいました」


 ちらり、と関係者席を見る。その視線につられてファンも振りかえる。瑠衣たちは、ピンク色に光るペンライトを振って答えた。


「気づけば最年長、アイドル人生も10年です。この10年、多くの皆さんに支えられて活動してこられました。本当にありがとう!


 ひまりは深々と頭を下げる。顔をあげたとき、どこか寂しそうに名残惜しそうに、客席をじっと眺めた。なかなか言葉が出てこない。ファンからはざわめきがおきる。


 泣いてしまうんじゃないか。ひまりはこれまで、ステージ上で涙を見せたことがないけれど、さすがに……と瑠衣はハラハラしてしまう。


 瑠衣の心配をよそに、ひまりはフッと息を吐くと、笑顔に戻って元気な声をあげた。


「約半年、残りの時間でファンのみなさんとたくさんの思い出を作っていきたいです! よろしくお願いします!」


 会場は拍手に包まれた。瑠衣たちも拍手をする。


 ひまりは、彼氏を作った自分にけじめをつけるために卒業する。最初は、それでいい、それが当然だと瑠衣は思った。でも、ステージで輝くひまりを見ていると、やっぱりもったいないし真面目過ぎると思ってしまう。


 いいじゃない、彼氏がいたって。いいじゃない、将来のことを今決めなくたって。いいじゃない、地元に帰らなくたって。


 置いて行かないでよ。「彼氏を作るなんて、思っていたひまりと違う」なんてガッカリしないから、もう少し側にいてよ。


 ――私と一緒に、歌い続けようよ。


 瑠衣の頬を涙が伝う。


「やだ、瑠衣が泣いてるー。まだ早いよ」


「仲良かったもんね、ひまりと」


 OGメンバーがからかうように言う。瑠衣はただ、うんと頷いた。



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