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アイドルを定年退職した大森瑠衣は幸せそうに見られたい  作者: 武田花梨
第六章 心の底から燃え上がるもの

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19/22

6-1

 半年前、瑠衣とひまりは『日本武道館で行われる大森瑠衣の卒業コンサート』の告知のため、生配信を行っていた。事務所の片隅でリングライトに照らされながら、縦長の画面に収まるように瑠衣とひまりは身を寄せ合う。


「ねーみんなー、来月の瑠衣ちゃんの卒業コンサート、来てくれるー? ……あ、行くってみんな言ってくれてる! お友だち5人くらい連れてきてね。あと少しで完売できそうなの!」


 ひまりが、いつものように可愛い声で告知する。流れていくコメントを拾いながら、上手にコミュニケーションをとっていく。瑠衣は、しゃべりながらコメントを読むという芸当ができず、ただ無言で文字を追うだけになった。『ひまちゃん可愛い!』『仕事終わりにひまりに癒される』『ひまちゃん今日のリップ教えて』コメントはほぼ、ひまりに関するものだった。いつものこと。いちごを譲ったあの日に瑠衣は白旗をあげているのだから、今更嫉妬しても仕方ないと言い聞かせる。


「ちょっと瑠衣ちゃん、少しはおしゃべりしたら?」


 もぉー、とひまりが頬を膨らませる。


「ごめん、器用にできなくて」


 ちらりとコメント欄を見る。『るいるい、しゃべってー』『るいるいがひまりを怒らせたw』『この2人、クラスが一緒でも絶対友だちにならなそう』へぇ、そう見えているのかと瑠衣は目を見張る。同じコメントを見たひまりが、「えー?」と不満そうにカメラに近づく。


「同じクラスだったら友だちにならなそうって書いている人がいるんだけど、そんなことないよー。わたしたち、どんな状況でもぜーったい仲良くなってるって! ね?」


 問いかけられ、瑠衣は頷く。


「そうだよ。ひまりってこう見えて、中身は私と変わらないから」


『ほんとー?』『営業妨害w』といったコメントが流れる。


「やめてよ、イメージ崩れるから!」


 本気では嫌がっていない様子で、ひまりが瑠衣の肩をたたく。ひまりの性格がさっぱりしていて曲がったことは嫌い、というのはファンの人の多くが知るところではある。それでも、陰の瑠衣と陽のひまりは、仲良くなれそうもないと思われがちだ。


「私たちのこと、なーんにも知らないんだから。私が卒業するまでに、もう少し深いところまで知っておいてくださいね」


 瑠衣の言葉に、従順なファンたちは『はーい!』『じゃあもっと2人のエピソードちょうだい!』などとコメント欄で盛り上げてくれる。国民的アイドルとはほど遠かったけれど、あたたかいファンが多くて幸せだったことは誇れることだと自負している。


 とはいえ優しいファンも、可愛いひまりとクールな瑠衣、という記号でしか見ていない。


 私はひまりのことならなんでも知っている。分かり合えている。そう鼻を膨らませていたことも、今の瑠衣からしたら滑稽な姿だった。




   *




「お招きありがと~!」


 亜未だけでなくなぜか光弦も一緒に、瑠衣は武道館最寄り駅の九段下駅2番出口を出る。


「なんでみーくんまで……」


 一般的には瑠衣の顔が知られていないため普段は変装などしないが、今日は思いっきり変装していた。長い黒髪は帽子の中にまとめ、伊達眼鏡とマスクで顔を隠す。日本武道館にはすみれドロップスのファンが8000人集まるわけだから、素顔ではバレる。とっくに卒業した身なのに目立つのは良くない。今も、ライブグッズを手にしたすみれドロップスのファンが日本武道館に向かって流れている。


 北の丸公園の脇を通り、ゆるやかな上り坂を登って田安門をくぐると、日本武道館が見えてきた。


「亜未が、せっかくならどう? って誘ってくれたからよ。チケット代は瑠衣が出すんでしょ?」


「出させていただきます……」


「アタシ、生でライブ見るのはじめて! 楽しみだわ~」


 まだ明るい陽射しが残る中、当日券売り場で9900円のチケットを2枚購入。今の瑠衣には痛い出費だったが、仕方ない。


「瑠衣は、関係者席?」


 光弦が、耳に顔を近づけて尋ねる。うん、と瑠衣はうなずいた。あとあと、「会場にいたのに関係者席にいなかったけど、OGと不仲なのでは?」と妙な噂を流されても困る。関係者席に誰がいて、どのようなリアクションをしていたかについては絶対にネットに書き込む人がいるから。悪気はないのだが、見たことを書かずにはいられない人は多い。


「帰りは2人で帰って。私はライブ後のメンバーと会うから」


 公演後に関係者を集めて挨拶する、という儀式がある。事務所の偉い人、雑誌等媒体の人、番組で共演している芸人、そしてOGメンバーは、ライブを終えた現役メンバーと簡単に挨拶したり写真撮影をしたりする。ファンの中では、OGと現役メンバーが一堂に会した写真を見ることが楽しみ、という人も多い。


 一般の入り口と関係者入り口は違う。ここで、亜未と光弦とはお別れだ。


「じゃ、楽しんでね」


 亜未は、ぎこちない表情でうなずいた。昔みたいに、笑顔で手を振ってくれるまでに仲が良くなるのは、難しいかもしれない。でも、こうして目が合って会話ができるだけで、ありがたいとも思う。


 瑠衣が関係者入り口に向かっていると。


「ちょっとまって!」


 光弦の声で振り返る。光弦が真顔でこちらに駆けて来た。


「どうした? 忘れ物?」


「うん、忘れ物!」


 そう言いつつ、光弦は瑠衣を物陰にひっぱっていく。


「いつの間に亜未と仲良くなったのか聞かせてもらわないと!」


 光弦の背後に、亜未の姿を探す。しかし、亜未の姿はない。


「グッズ買うっていうから、別行動にしたの。で、どういうこと?」


 瑠衣は、朝あったことを話した。とはいえ、亜未の悩みを勝手に話すわけにもいかないから、「ようやく腹を割って話せたの」と伝える。はーん、と納得いったようないっていないような声で光弦がうなずく。


「亜未も、いろいろあるのね」


「みーくんも亜未に優しくしてあげて」


「わかった。アタシも反省するわ。瑠衣にばかり目をかけて、亜未の話を全然聞いてなかったもの」


「みーくんにそこまで背負わせるわけには……」


 光弦は、ふるふると首を横に振る。


「いいのよ。たった3人のイトコじゃない。……あ、別にアタシの老後の面倒を2人に見てもらいたいからってわけじゃないわよ?」


 老後、という言葉は瑠衣にはピンとこない。25歳で定年退職はしたけれど、ほとんどの人が定年を迎える65歳まで40年もある。光弦だってあと30年。そのときの自分の人生がどうなっているかなんて、さっぱり想像もつかない。


「面倒かけないようにするから安心して。単に、無責任に若い子に気をかけたくなってるだけ」


 無責任、という言葉に少し悲しさが募る。確かに光弦とは数年ぶりに会ったし、自由な光弦がいつまでも近くに住んで構ってくれるとは限らない。でも、まだ側にいてほしいと思った。お兄ちゃんお姉ちゃんがいたら、こういう感じなのかもな、と。


「みーくんには、お世話になりっぱなしだね。いつか、恩返しさせてね」


「いらないわよ、恩返しなんて。今日のチケット代で十分。ま、しいていうなら、瑠衣と亜未が幸せになってくれることかしらね」


「そんなのでいいの?」


 幸せになって。ファンからも良く言われてきた。他人が幸せになることがなぜ、喜ばしいのだろう。


「そんなんで、って。アンタずいぶん簡単そうに言うじゃない。幸せになるって難しいことだから、応援したいのよ」


 そういわれると、とてつもなく無理難題を与えられているというプレッシャーに苛まれる。


 そうか、簡単には出来ないからみんなして「幸せになって」って言っているのか。


「じゃ、アタシは亜未と楽しむわね。気を付けて帰るのよ!」


 光弦は細身の体を翻し、颯爽と駆けていった。


 瑠衣はあらためて関係者入り口に向かう。気合を入れよう。事務所の人やOGに会っても、卑屈にならないようにしなくちゃ。


 会場に入り、一時待機室として応接室に通される。亜未と光弦に合わせて早めに来たからか、まだ見知った人は来ていなかった。そうだ、変装を解く前にトイレに行っておこうと、荷物を置いて部屋の外に出た。関係者用のトイレがあるはずだけど、客として日本武道館にきたのは初めてだからよくわからない。ウロウロしているうちに、いつの間にか一般客が往来する通路に出てしまった。



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