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アイドルを定年退職した大森瑠衣は幸せそうに見られたい  作者: 武田花梨
第五章 お姫様の願い

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5-3

 朝6時過ぎに南流山(みなみながれやま)駅についた。通勤のために駅に向かう人の流れができつつある中、ひまりに電話する。寝ぼけ声のひまりは「なんで電話? あれ? いない」と瑠衣がいないことに驚いていた。用を思い出して家に戻ったと言うと「そっか。ありがとう電話で起こしてくれて」と答える。もしかしたら勘付いたかもしれないけれど、追及はされなかった。


 瑠衣は駅前のファミレスに入る。朝6時から営業してくれてありがたい。今帰ると、出社準備をする亜未とかちあってしまうから、7時半以降に自宅に到着するようにした。


 モーニングセットのたまごコッペパンを口に運びながら、出社前に朝食を食べる人や早起きのお年寄りの客を見る。みな、瑠衣よりも長く生きている人ばかり。


 みんなに聞いてみたい。人生でつまずいた時、友だちが自分の思うような人じゃなかった時、自分のことがわからなくなった時、どうしているのか。どうやって、自分の人生を回しているのか。誰か教えてほしい。


 苦いコーヒーを何杯おかわりしても、口の不愉快さは消えない。


 8時頃にファミレスを出て、バスに乗って自宅に戻る。一休みして、夕方になったら日本武道館へ出かけよう。頭の中でスケジュールをたてて玄関のドアを開けると……目の前に、リビングから出てきたパジャマ姿の亜未がいた。今日、土日だっけと思いつつ、いや、平日だよねと頭が高速回転する。


「……朝帰りなんて」


 ぼそりと、亜未が呟く。怖い。背筋がヒヤッとする。


「ひまりの家に。今日武道館ライブだから」


 言い訳のような言葉だけど、ひまりの名前を聞いた亜未は、納得した顔をする。その様子に瑠衣はほっと胸をなでおろす。ライブ前日の決まり事だと覚えてくれていたようだ。


「会社は?」


「体調悪くて」


 たしかに、亜未の表情が沈んで見えた。


「そっか。ゆっくり休んで」


 最低限の声掛けをする。体調が悪いのに、嫌いな姉が話しかけたら余計具合も悪くなるというものだろう。亜未の横を抜けて階段を登って自室に戻る。珍しく会話を交わした気がした。それだけでもう、満足だった。


 自分の部屋に入って、持ち帰ってきた荷物を開く。時間もあるから、今日は家事をたくさんやろう。光弦に「皿洗ってないでしょ」と言われて以降、出来る限り家事をやるようにしている。いつまでも、この家にいるわけにもいかない。一人立ちしたときのためにいろいろと慣れておきたかった。まず洗濯機をまわして……と考えていると、トントンと部屋がノックされる。母かと思い、「はーい」と返事をした。


 ドアの開いた音に顔をあげる。そこには、亜未がいた。


「どうしたの?」


 亜未は無言で部屋の入口に立ち尽くしていた。なにを言われるのかと、身構えてしまう。


 しんとした空気が、2人の間を抜けていく。


 しばしの沈黙ののち、亜未が口を開いた。


「今日のすみれドロップスのライブ、当日券ある?」


「えっと……少しあるって言ってた」


 誰かの卒業公演でもないと、日本武道館を満員にするのは難しい。今回も前売り完売とはならず悔しいとひまりが言っていた。


「……行こうかな」


 瑠衣を見ずに、亜未は自分の足元を見ながら言う。どういうことなのかわからず、瑠衣は首をひねる。


「体調が悪いんじゃ……」


「悪いよ。仕事に行きたくない」


 無表情で、亜未はじっと瑠衣を見据えて言う。思いもよらない言葉に、瑠衣は言葉を失う。


 なにか辛いことがあるのか。どうして行きたくないのか。聞いてもいいのだろうか。聞かない方がいいのだろうか。瑠衣は思考をめぐらせるが、答えがわからない。黙っていることが何よりの得策だと思ってしまう。


「なんですぐ黙るの?」


 心を見透かしたように、亜未は強い言葉で瑠衣を刺す。


 何か言って、余計に嫌われたくない。自分が余計なことを言わない方が、世の中うまく回る。プロフィールに書いて塗りつぶした「いちご」から、瑠衣はなにも変わっていない。


「ごめん」


 瑠衣の言葉を聞き届け、亜未は何も言わず部屋を出て行った。ひょっとして、すみれドロップスのライブの話題を出すことで、歩み寄ってくれたのかもしれない。それを、瑠衣が突き放した。こういうことの積み重ねで、嫌われてしまったのかも。何か言っても言わなくても、結局うまくいかない。


 はぁ、と深いため息をつく。とりあえず、洗濯しよう。体は疲れているけれど、眠れる気はしなかった。


 洗濯に出すものをまとめて1階に降りていく。洗濯機を回して、2階の部屋へ戻る……と、亜未がなぜか部屋にいた。間違えたのかと焦るが、どう見ても瑠衣の部屋だった。


「ど、どうしたの」


 亜未は部屋の中央に突っ立ったまま、瑠衣を見る。さっきから、どういう精神状態なのか心配になる。無表情ではあるけれど、なんだか泣きそうにも見える。櫛を通していない黒髪が、亜未をより疲れさせているように見えた。


「あのさ、普通追いかけない? 妹が無言で部屋から出て行ったらさ」


「……もう、話したくないんだと思って」


 亜未の言いたいことがわからず、瑠衣は言葉を選びながら返事をする。その瞬間、亜未の涙が決壊した。


「追いかけてよ! 会社に行きたくないって言ってる妹をよく無視できるね!?」


「無視してるわけじゃ……」


「お姉ちゃんはいつもそうだよ! いつも自分のために生きててずるいよ! わたしはずっとずっと、お姉ちゃんのために我慢して生きてきたのに、お姉ちゃんはいつ、わたしのために生きてくれるの!?」


 泣いて叫んで、大きな声で自己主張する亜未なんて、10年ぶりくらいに見た。


「亜未、落ち着いて」


 体調が悪いのに、興奮したら体によくない。瑠衣は亜未をなだめて、ベッドに座るよう誘導する。ぼろぼろと涙をこぼす亜未に、ティッシュを箱ごと渡す。


「ごめんね亜未、察しが悪くてなんだかよくわからないけど、何に怒ってるの?」


 正直に言う他ないと思って、わからないとハッキリ言う。亜未は失望の目を涙の幕の向こうに見せつつ、諦めたように鼻をかんだ。


「全部だよ、全部。もう、なにもかもイヤになった」


「それは……仕事以外のことも?」


「そうだよ。お姉ちゃんが不幸そうな顔してるのもムカつく。好きなことさんざんやってきたくせに。わたしの青春をつぶしてきたくせに」


「青春をつぶすって……」


 瑠衣は、青春をすべてアイドル活動にささげてきた自負はある。修学旅行も運動会も卒業式も成人式も行けなかった。でも、それを悔いてはいない。アイドル活動は楽しかったから。メンバーと切磋琢磨してステージに立つこと以上の青春はない。


 でも亜未は、アイドル活動をしていない。のびのび青春を謳歌していると思っていたのだが、どうやら違う様子。


 亜未は、心の中で育て上げた言葉をよどみなく解き放った。


「お姉ちゃんが研修生になった時、わたしはまだ10歳だよ。お父さんもお母さんも、お姉ちゃんの送り迎えとか付き添いで全然家にいなくて寂しかったけど、我慢した。親に甘えたい時期を、全部お姉ちゃんに譲って我慢してきた。お姉ちゃんのアイドル活動がうまくいけばいいって思って我慢してた。学校で、「お前のねーちゃん売れてないアイドル」って言われても我慢してた。ステージに立ってキラキラしているお姉ちゃんのためなら、わたしはなんでも我慢できるって思ってた」


 我慢、我慢、我慢、我慢。亜未がどれだけ自分を押し殺してきたか、瑠衣は知らなかった。純粋に、アイドル活動を応援してくれているものだと。大きな間違いだった。


 これまで溜め込んでいたものが、とめどなく溢れてくるようだった。瑠衣は、それを受け止めなくてはならない。もう、逃げてはいけない。ぐっとお腹に力を入れて、亜未のすべてを受け止めようと身構えた。


「お姉ちゃんがすみれドロップスをやめたら、きっとわたしと遊んでくれるって思ってた。家族で旅行したり一緒に洋服買いに行ったりできるって信じてた。それなのに、毎日家でぼーっとして過ごしてばかり。そっか、お姉ちゃんはわたしに我慢させて申し訳なかったなんて思いもよらなかったんだと思ったら……許せなかった」


 ごめん、という言葉すら、口にできなかった。亜未の言う通りだったから。制服姿もほとんど見ていない。妹の悩みも聞いてあげられない。アイドルをやめて時間があるのに、亜未のために何かをした覚えもない。


 亜未は、ずっとずっと、我慢してくれていた。その結果出来上がったのが、ぼーっとして何もせず時間を浪費するだけの姉だったとしたら、絶望もするだろう。アイドル活動しているのだから、両親が協力的で当たり前、妹が我慢して当たり前、卒業したら疲れを癒すためにぼーっとして当たり前。それらすべてを、当たり前にしちゃいけなかった。


 今更買い物や旅行をしても亜未の心は癒されないだろう。失われた亜未の10代は戻ってこない。


「……ぶん殴っていいよ」


「は?」


 亜未が、目を見開いて瑠衣を見た。


「もう、顔がどうなっても迷惑かける人もいないし、好きにしていいよ」


 大真面目な瑠衣の言葉に、亜未はしばし沈黙する。そして、右手をぎゅっと握りしめた。やる気だ、と瑠衣は覚悟を決める。腫れた顔で事務所の社長に会ったら、びっくりするだろうな。そういえば、今後の進路、決めてなかったっけ。亜未、ごめんね。亜未のことを考えてなかったのは謝る。でも、自分のことすらなにも考えてないバカなお姉ちゃんなの。一発殴ったら、許してくれると嬉しいな。


 瑠衣が懺悔するように目を閉じてこれまでのことを詫びていると、頬に柔らかいものが当たる。目を開いて確認すると、亜未の手のひらだった。


「わたしが、人を殴れるような子だと思ってた?」


 泣きそうな顔で、亜未が瑠衣を見つめている。また怒らせてしまったかも。選択をことごとく間違えている。


「そういうわけじゃないけど……でも、言葉で謝っても今更って感じだし。買い物や旅行をしても、言われたからやってるってなっちゃうし」


「いいんだよ。わたしはわかってほしいだけだから。言葉で謝ってほしいし、これからわたしに尽くしてほしいし」


「尽くす……」


「そう。送り迎えするとか、悩みを聞くとか。行きたいと言った場所に連れていってくれるとか。とにかく、わたしをお姫様みたいに扱って尽くしてよ。一生じゃなくていい。1ヶ月でもいい。この家で一番のお姫様にして」


 亜未は微笑んで言う。願いがあまりにも無邪気で、瑠衣の罪の意識がより深まっていく。


「本当なら、末っ子の亜未が一番のお姫様になるはずだったのに、ごめんね」


「いい年してバカみたいでしょ。でも、このままこの気持ちに蓋をして大人になったフリを続けて働いていたら、壊れちゃうんじゃないかって思うようになってきてた」


「今日、休んだのって……」


 うん、と亜未はどこか恥ずかしそうにうなずいたまま、顔を伏せる。


「自分の心がうまく大人になれなくて、ずっとずっと苦しかった。まさか仕事にまで支障が出るとは思わなかったけど……。わたしはこんなにつらいのに、お姉ちゃんは親に甘やかされて、ファンに甘やかされて、それなのに今は幸せそうじゃなくて。わたしの我慢ってなんだったんだろうって思ったら……」


 瑠衣は、言葉の途中で亜未を抱きしめた。それ以上、言わせたくなかった。何も気づかないバカな姉のために、これ以上悩まないでほしかった。


「私も、子どもだよ。いつまでも、アイドルをしていた時の気持ちのまま。でも、もう大人にならないといけないから……一緒に、大人になろう。いつになるかわからないけれど」


 亜未の、ぼさぼさの頭を撫でる。瑠衣の胸の中からくぐもった声が聞こえてくる。


「……わたしのほうが先に大人になるよ。そしたら、お姉ちゃんのこと許せる気がする」


「いいや。私が先に大人になって、亜未をお姫様にする」


 亜未が体を離す。ぬくもりが巣立つと、亜未は幼い頃のようにイジワルそうな笑みを浮かべた。


「じゃ、まずは今日のすみれドロップスのライブのチケット代、出してね」


「……かしこまりました、お姫様」


 久しぶりに、亜未は瑠衣の前で笑顔を見せた。



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