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アイドルを定年退職した大森瑠衣は幸せそうに見られたい  作者: 武田花梨
第四章 キリギリスの人生

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4-3

 光弦に状況を説明し、愁二とポピーを見に行く許可を得た。光弦は「あらぁ~どうせヒマだから帰ってこなくていいわよ~」と、満面の笑みで言っていた。


 自転車にまたがり、2人は柴又から江戸川沿いを北上することに。


 走り出す前に、愁二は瑠衣に声をかけた。


「今日は風も強いし、僕が前を引きますから」


「前を引く?」


「自転車の敵って、空気抵抗なんですよ。でも、僕が前を走って風よけになることで、瑠衣さんは楽に走ることができます」


「な、なるほど……?」


 言葉はわかるけれど、いまいちピンと来ない。空気抵抗がなくなるとは。


「走ってみればわかりますよ。じゃ、ゆっくり行きますね」


「はい!」


 愁二の後ろ姿を見ながら、瑠衣は自転車を走らせる。ロードバイクは前傾姿勢になるから、おしりを見ながら走っているようになって、ちょっと気まずい。


 しかし、愁二の言う通り、後ろを走っていると向かい風を感じにくい。楽に愁二のスピードについていけていた。


「止まります~」


 橋を渡るための交差点に差し掛かると、愁二は声とともに右手を出し、手の平を見せるようにして合図を出した。停止の際は、後続車にこうしてハンドサインを送るのだと瑠衣は学ぶ。


 葛飾橋を渡り、千葉県松戸市側の江戸川サイクリングロードを走る。


 特に会話はない。自転車で並走することはルール違反だから、ひたすら縦に並んで走る。なんだかロマンチックさのかけらもないし、瑠衣が思い描いていたサイクリングデートではない。これがデートと呼べるものなのか疑問ではある。ただただスピーディーに、サイクリングロードを走る。


「瑠衣さん! ポピー畑ですよ!」


 数キロ走ったところで、愁二が左手を前方に差し出す。そちらの方を見てみると、サイクリングロードより下、河川敷のグラウンド部分の所に広大な赤いじゅうたんが広がっていた。


「すごい!」


 ちょっとした花壇じゃない。サッカーコートよりも広い範囲をポピーが覆い尽くし、風に揺れて波打っていた。


 サイクリングロードからグランドに降りて、自転車を押してポピー畑に近づく。散歩をしている人や一眼レフカメラを持った人が、ポピーを愛でていた。


「こんなところがあるなんて、知らなかったです」


 思ったより、ポピーの花は大きい。道端では見ないサイズ感だった。きちんと育てられた花は、こうも立派に育つのかという驚きがある。じっくり見てみると、まがまがしささえ感じる。赤だけでなく、ピンクや白のポピーも混じっていた。


「河川敷って不思議ですよね。花があって運動場があってゴルフ場があって……。でも、大雨が降って江戸川が氾濫したら、これらが全部川の底になってしまうんですよね。いざというときに僕たちの命を守ってくれるだけでなく、平時はこうして楽しませてくれている」


「自転車に乗るまでは、河川敷に何があるかなんて気にしたこともなかったです」


 じりじりと照りつける日差し。さえぎるものがなく強く吹き付ける風。この風の中でゆとりをもって自転車で走れたのは、愁二のおかげなのだと改めて思う。自転車って一人で走るものだと思っていたけれど、だれかと走ると負担を分け合えるんだとあらためて感じた。もっとも、瑠衣が愁二の前を走ったところで、なんの助けにもならなそうだけれど。


 せっかくの機会だ。瑠衣は、積極的に愁二に話しかける。


「愁二さんは、どうして自転車のメカニックになったんですか?」


 ポピー畑の脇を、自転車を押しながらのんびり歩きつつ、気になっていたことを質問する。


 みんな、どうやって仕事を決めているのだろう、という単純な興味はもちろん、愁二がどういう人生を送ってきたのかが気になっている。


「単純に、親がやっていたからですよ。父親が昔ながらの個人の自転車屋さんで」


「あ、なるほど」


 でも、『ブラン ルー』では真紀の夫のような人物は見当たらなかった。たまたまいなかったのだろうか。瑠衣の思考を読んだかのように、言葉を続けた。


「母が、自転車カフェをやりたいから手伝えって父に言ったら大喧嘩して、今2人は別居しているんですよ」


「えっ」


 まさかの展開だった。


「父は頑固で気難しい職人気質なので、カフェみたいにちゃらちゃらしたものはやりたくないと。だったら愁二に手伝わせるからいい、って。母も、言ったら聞かない人で」


 あの真紀が、そこまで頑固な人だとは思いもよらなかった。


「なんか……人生、いろいろですね」


 真紀は、自分のやりたいことのために夫とケンカしてでも『ブラン ルー』をオープンさせたのか。菜々子も真紀も光弦も、その原動力はどこから来ているのだろう。


「ほんとに。兄は父の味方をするしで、一家崩壊です」


 あはは、と笑っている。笑っている場合なのか、瑠衣にはわからなかった。


 空いているベンチを見つけ、2人はロードバイクを立てかけて座る。ロードバイクに取り付けたドリンクホルダーからボトルを取り、喉を潤わせた。


「お兄さん、いるんですね」


「はい、兄も自転車関係で。瑠衣さんは?」


 思わず、言葉に詰まる。しまった、自分から聞いたのだから、聞き返されることも想定しておくべきだった。


 空いた間を埋めるようにえっと……と口の中で意味のない言葉を生み出してから口を開く。


「妹が、ひとり。最近全然、しゃべってないんですけどね。理由はわからないけど、嫌われているみたいで」


 えへへ、と照れ隠しで笑う。隠しておけばいいものを、馬鹿正直に話してしまった。


 家族とうまくいっていないって、あんまり人には言いたくない。けれど、愁二があけすけに家庭の事情を話してくれたから、瑠衣も話したほうがいいと思えた。


「まあ、きょうだいなんてそんなもんですよ。子どもの頃は、いつでも兄にくっついて遊びまわっていましたが……」


「うちもです。お姉ちゃんがいないとなにもできないって、どこにでもついてくるから」


 瑠衣が友だちと遊ぼうとしても、亜未が必ずついてくる。泣きながら、お姉ちゃん置いて行かないでと追いかけてくる亜未をうとましく思うこともあった。今となれば、もっと遊んであげればよかったのだけど。


 風にそよぐポピーを見つめる。瑠衣たちのそばを、自転車を押して歩く男女2人組が通る。自分たちもデートのように見られているのかと思うと、瑠衣は何かに勝った気持ちになった。きっと、幸せそうに見られているはずだ。


「仲直りって、どうやったらできるんですかね」


 饒舌になり、愁二にトラブル解決方法について尋ねてしまう。愁二は、そうだなぁと青空を見上げて少し思案し、瑠衣を見て難しい顔をした。


「嫌われている理由がわからないなら、やっぱり腹をわって話すしかないんじゃないですかね。余計、修復不可能になるかもしれませんけど」


 仲直りは厳しいと言われたような気がして、瑠衣は浮かれた気持ちがしぼんでいくのを感じた。


「修復、不可能……」


「腹をわって話すことで、すぐに仲直りできるかもしれません。でも、腹を割って話したことで却って溝が深まる……っていうのは、よくあることです。腹をわって話したからって分かり合えるとも限りませんから」


 愁二たちは、修復不可能になってしまったのだろうか。


「人生って、なんか難しいですね」


「だからおもしろい……っていう人はいますけど、僕はもっとおだやかに何事もなく過ぎてほしいです」


 ふふっと、優しい笑みを浮かべて愁二は笑う。この人はきっと、誰かの役に立ちながら、自分は控えめに生きていくことが性に合っているのだろうと瑠衣は思った。自転車のメンテナンスをして、自転車に乗る選手や菜々子のような人を支えることが、望みなのだろう。


 ふと、光弦の言葉を思い出す。


「空っぽの箱から無理やり正解を探したって見つからないから、今は箱をいっぱいにできるよういろいろ経験したらいいわ」


 不思議だ、と瑠衣は思う。いろいろな人や景色を知ることで、自分の輪郭がはっきりしてくるような感覚になる。


 あと少し、もう少しで、今の瑠衣が思う「正解」が見えてくるような気がした。


「愁二さん、いろいろお話聞いてくれて、ありがとうございました」


 瑠衣は、ぺこりと頭をさげる。急に改まった様子に、愁二は戸惑いを見せる。


「そんな、たいしたことは……」


 ひとつの区切りがついたような気がした。


「菜々子さんが心配だし、戻りましょうか」


「そうですね」


 人生初の片思いが、終わった気がした。



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