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アイドルを定年退職した大森瑠衣は幸せそうに見られたい  作者: 武田花梨
第四章 キリギリスの人生

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4-2

 どうしたものか、と頭をなやませていると。


「すみませーん!」


 キッチンカーの外から声がした。お客さんだ。瑠衣はタブレットを手にすばやくキッチンカーを降りる。ロードバイクにまたがったままの女性の後ろ姿が目に入った。


「いらっしゃいませ、ご注文お聞きします」


 タブレットを操作しながらお客さんの正面に回り込むと……。


「菜々子さん!?」


 思わず大きな声がでた。先日車椅子に乗っていた菜々子が、ロードバイクにまたがって立っていた。


「あ、瑠衣さん! よかった会えた~!」


 他人の空似かと思ったけれど、瑠衣の名前も知っている。どう見ても、菜々子だった。見覚えのある眼鏡、顔、声……あの日のように一つに結ばれている髪が、ヘルメットから覗いていた。


 混乱で、口をぱくぱくさせてしまう。夢でも見ているのだろうか?


「あー、やっぱ驚いてる! サプライズ大成功!」


 足元に目をやる。右足で、しっかり地面の上に立っていた。左足は、ペダルに固定されたままだった。サドルからおしりを離して立っているのに左足がペダルに固定されているのは、違和感がある。


「どういう……」


 それだけ声を発することしかできない。


「瑠衣、どうしたの?」


 光弦が、不思議そうな顔でキッチンカーの中から声をかけてくる。


「さっき話した、私の……ファンの菜々子さん」


 もうアイドルではないのに、ファンの人だと紹介するのは恥ずかしかった。でも、それ以上に適した肩書がなく、くすぐったい思いを押しとどめて発言する。


「あー! お噂はかねがね」


 光弦が、目を大きく広げながらうんうんとうなずいた。


「どんな噂してたのよ~」


 ニヤニヤと、菜々子が瑠衣と光弦を見る。


「そんなことより、自転車、乗れるんですか?」


 瑠衣の疑問に、菜々子はハハハ、と笑って右足をぽんと叩いた。


「こっちの足が元気ならいけるのよ、これが。とはいえ、今日が公道デビュー戦だからちょっと緊張しちゃうけど」


「まさか、ひとりで?」


「さすがの私でもひとりではないんだな」


 首を横に振った菜々子は、瑠衣の背後に目をやる。


「あ、来た来た。こっちー!」


 瑠衣が振りかえると……ロードバイクを押して歩いてくる愁二が、周囲を照らすような笑顔で手を振り返していた。


 瑠衣は、またも幻かと思った。ヘルメットをかぶった愁二が、肌にフィットしたサイクルジャージを着てこちらに近づいてくる。筋肉質は肩回りを見て、すぐに目をそらす。


「菜々子さん、勝手にいなくならないでください。めちゃくちゃビビりました」


「だって、アイスがおいしそうだったんだもの。愁二さんがトイレから戻ってくるの、待てなくて」


 菜々子が、すぐそばにある公衆トイレに目をやる。


「相変わらず自由だな……ところで」


 愁二は瑠衣に視線を向ける。不自然な挙動にならないよう、瑠衣は自分の心に「冷静に」と声をかけた。


「瑠衣さん、ですよね」


「そ、うです」


 たった4文字を噛んでしまう。


「そっか、だから菜々子さん、ここに来たがっていたわけか」


「そういうこと~」


 2人で盛りあがっているが、瑠衣にはついていけてない。


「え、えっと……」


「瑠衣、こっちはいいから、おふたりと話してきたら?」


 キッチンカーの中から、光弦が声をかける。意味ありげに、口角をこれでもかとあげて愁二をちらちらと見ている。


「そうしましょうよ瑠衣さん!」


 すぐに菜々子ものっかる。やっぱりこの2人、相性が良さそうだ。


「で、でも……」


「いいからいいから。全員分のアイスコーヒー、ごちそうするわ」


 光弦は、さっそくコーヒーの準備を始める。


「いやいや、お金出しますよ」


 愁二が慌てた様子で、サイクルジャージの背中にあるポケットからスマホを取り出す。


「ほんとにいいんですって! うちの瑠衣ちゃんと仲良くしてやってください!」


 子どもじゃないんだから、と瑠衣は不服に思う。


「お言葉に甘えましょ、愁二さん」


 菜々子が、からりとした笑顔で言う。


「では……ごちそうになります」


 瑠衣がちらりと愁二に視線を向けると、愁二も瑠衣を笑顔で見つめる。どきんと心臓が跳ね上がる。


 光弦は、アイスコーヒーにバニラを乗せたコーヒーフロートを3人分作ってくれた。菜々子は自転車に乗ったまま、右足でケンケンしながら器用に近くの東屋に移動する。幸い先客はいないようだ。


 瑠衣は菜々子の分のコーヒーフロートを持ってついていった。愁二は、瑠衣の自転車の隣に自転車を停めて、歩いてついてくる。


 菜々子は、5cmほどの段差がある東屋の中に自転車のまま乗り上げていく。ベンチの前で止まると、まひがある左足を手で動かしながら自転車を降り、どさっと東屋内のベンチに腰かける。中は広々としていて、自転車を停めていても問題ない。


「あー疲れた! さすがにしんどいわね!」


 愁二が菜々子の自転車を東屋の柱にたてかける。黄色のフレームは真新しく、日陰の東屋の中でも輝いていた。


「お疲れ様です」


 コーヒーフロートを差し出すと、菜々子はにこっと笑って受け取った。


「ありがとう瑠衣さん」


 菜々子はスプーンでバニラアイスをすくい、口にする。「ひゃー冷たい!」と冷たさに驚く仕草が子供のようでかわいかった。その様子を見て、瑠衣と愁二は視線を交わして笑顔になる。言葉はなくても、愁二と心が通じたと思った。瑠衣は恥ずかしくなってコーヒーを吸い込んだ。


 菜々子も愁二も、サイクルジャージを着ていた。


 サイクルジャージは、自転車に乗る際に空気抵抗を受けないために体にフィットするサイズ感だ。だから、愁二の全身の肉感が伝わってくる。ついチラチラみて顔が熱くなってしまい、白いアイスを見て心を静める。


 愁二に気を取られている場合じゃない。菜々子に話を聞かないと。


「菜々子さん、どうして自転車に?」


「ねぇ瑠衣さん。パラサイクリングって知ってる?」


 菜々子はどこかはぐらかすように瑠衣をじっと見て、質問に質問を返した。


「ちょっと……わからないです」


 なにも知らない。きっと、多くの人は知っていることなんだろうと思うと恥ずかしかった。


「体が不自由な人でも自転車に乗って運動ができるってことよ。もちろんパラリンピック競技でもあるの」


「菜々子さん、アスリートだったんですか?」


「違うよ~! スポーツに真面目に取り組んできた人間に見える?」


 文学を愛してきたような人の顔で、意地悪そうに瑠衣を見る。


「つまり……その、足が不自由になってから始めたってことですか?」


「そういうこと。るいるいに触発された私は車の免許をとって、あちこち出かけていたのね。そのときはまだ右足もおぼつかなかったから、手で運転できる車を購入したワケ。そして車椅子でも入れる『ブラン ルー』を見つけて行ってみたら自転車のお店でもあったから、興味出てきて調べたらパラサイクリングっていうものがあるっていうじゃない。私もやってみたい、と思って愁二さんに相談したの。とんだピタゴラスイッチよね」


 愁二を見ると、照れたようにコーヒーを飲んでいた。


「僕は、パラサイクリングの自転車整備をしたことがなかったんです。でも、どうしてもやってみたいってことで、いろんな人に相談して、菜々子さんが乗りやすい自転車を組み上げました。ずっと『ブラン ルー』の近くの公園で乗る練習をしていたんですけど、今日サイクリングロードを走ってみようってことになって」


 先日、『ブラン ルー』で言っていた「相談」とはこのことだったのか。


「できるならば、パラリンピックに出場してみたい!」


 大きな夢を語る姿に、瑠衣は驚く。瑠衣だって、「東京ドームでライブしたい」といった大きな夢を胸に抱いていたけれど、口にすることはなく、叶わないままだった。言ってしまったら「そんなの無理」「大きな夢すぎる」「人気もないくせに」と言われてしまうし、実際東京ドームを目指すほどの人気はない。日本武道館も満員にできず、5分間の物ボケ動画を出さざるをえない程度には。


 これまでアスリートではなかった菜々子にとって、パラリンピック出場は無謀な夢だろう。でも、菜々子は堂々と口にしている。


「あら瑠衣さん、無理、って思ってる?」


「いえ、そんなことは……」


「いいの。無理でも。でも、大きな夢を持たないと、小さな目標ですら手が届かないから。東京ドームを目指せば、横浜アリーナのステージには立てたかもね」


 東京ドームは4万人、横浜アリーナは1万2000人程度のキャパシティだ。


 眼鏡の奥の瞳は、真剣だった。きっと、菜々子はもどかしい思いをしていただろう。おだやかで控えめな性格のメンバーが多いすみれドロップスは、誰一人として「東京ドームを目指す」なんて宣言しなかった。


 けれど東京ドームを目指すと大口をたたいた後輩グループは、先日横浜アリーナの単独公演を行った。チケットは完売した。


 すみれドロップスでのアイドル活動になんの後悔もないけれど、あの時ばかりは嫉妬で気が狂いそうだった。


「あの~、どういう会話です?」


 愁二が純粋な瞳で菜々子と瑠衣を見ている。るいるいだの、東京ドームを目指すだの、愁二にはなんのことやらわからないワードばかりを出してしまった。


「……気にしないでください」


 瑠衣は、愁二に見られないよう菜々子を睨む。菜々子は「やべ」と口を動かして視線をさまよわせた。そして、話を変えるように大きな声をあげる。


「自転車はいいよぉ! 段差があっても乗り越えられるもの。車椅子じゃ、この東屋には一人では入れない」


 5cmの段差がこの東屋にはあった。確かに、自転車であれば前輪を軽く持ち上げればなんの問題もなく乗り上げられる。特にロードバイクは軽いから、女性でも片手で前輪を持ち上げることが可能だ。


 菜々子は、目を輝かせて黄色い愛車を見つめる。


「自転車は、車椅子では乗り越えられない段差も、狭い道も行ける。車を停められない場所にも行ける。私、すごく自由になれた気分よ。リハビリをがんばったおかげで、自分の体重を支えるくらいまでは回復して本当に良かった。自転車に乗って体を動かすことで左足のまひもマシになるかもって先生がおっしゃるの。希望はたくさんある!」


 将来になんの不安も曇りもない少女のように、夢を語っている。日よけの有る東屋なのに、瑠衣は眩しい思いで目を細めた。


「すごいな、菜々子さん……」


 自分でどんどんと道を切り開いている。瑠衣は、社長との面談にすら答えを用意できていないというのに。


「私がすごいんじゃない。るいるいのおかげでここまでピタゴラスイッチできたんだもの。黄色い自転車は感謝のしるしよ」


 これまで、ファンの愛情を感じたことは多々あった。でも、ここまで人の人生に影響を与えていただなんて、知らなかった。知ろうともしていなかった。知らないだけで、こういう人はいるかもしれないけれど。


 頭の中で、何かが動きかけた。瑠衣の今後の人生の方向性が、見え隠れしている。でもそれがなんなのか、やっぱりまだわからなかった。


 早く、答えを出したい。焦る気持ちをおさえこむように、アイスコーヒーを飲んだ。


「あの~……お2人とも、いい加減『るいるい』を教えてもらっても……」


 遠慮がちに、冗談めかして、愁二が言う。瑠衣は恐縮して謝罪する。


「ごめんなさい、何度も仲間外れにしてしまったみたいで」


「いえいえ、全然……」


 愁二が言いかけたところで、菜々子は「あ~~~」とわざとらしいほどののんきな声をあげた。


「私、休憩したいから、お二人でサイクリングでもしてきたらどうです? この先の土手で、ポピーが綺麗に咲いてるって聞きました。今、ちょうど見頃ですってよ」


 わざとらしく右足を投げ出すようにして、菜々子は東屋から動かない、と意思表示をした。ヘタな芝居だ。


「でも菜々子さん、ほっとくとひとりでどっかに行くから……」


 愁二は難色を示す。自転車に乗りはじめた菜々子を一人にするのは不安なのだろう。一方の菜々子は、面倒そうに手をひらひらと振った。


「だぁいじょうぶ。そうだ、瑠衣さんの従兄の……」


「光弦って言います」


「光弦さんとおしゃべりでもしようかな~気が合いそうだし?」


 うふふ、とスポーツ用ではない眼鏡の奥の目を細める。


 少女漫画で見る、気になる男の子と2人きりにさせてくれるシチュエーションみたいだ、と瑠衣は思った。これまで経験したことのないことを味わっている気がする。


「でも、瑠衣さんにご迷惑じゃ。お仕事中なのに」


 愁二は難色を示し続ける。遠回しに断りたいのか、ほんとうに遠慮しているだけなのか、瑠衣にはわからなかった。


 でも、愁二がどう思っていても、一緒にロードバイクに乗って、ポピーを見に行きたい。 ここで押さなければ後悔する。瑠衣は、ぐっと意思をかためた。


「しゅ、愁二さん! 私もまだまだロードバイク初心者なので、いろいろ教えてください!」


 瑠衣は、心の底からの望みに突き動かされて、正直な思いで誘った。人生で男性を誘うなんて、はじめての経験だ。じわり、と全身に汗がにじむ。


 菜々子が、こっそりと手の親指を立てる。


 瑠衣の誘いに、愁二は笑顔を見せた。


「僕でよければ、ぜひ」


 好きな人に、自分の誘いを受け入れてもらえたことが、とんでもなく幸せだった。体が、春の風に溶けてしまいそうになるくらい、ふわふわゆらゆらと輪郭がおぼつかない気持ちだ。



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