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アイドルを定年退職した大森瑠衣は幸せそうに見られたい  作者: 武田花梨
第三章 生かしてくれてありがとう

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3-3

 少し会話が途切れたタイミングで、真紀がアイスティーを持ってきてくれた。どのタイミングでテーブルに運ぶべきか、迷わせてしまったかもしれないと思うと、申し訳ない気持ちになる。


「真紀さんごめんなさい、なんだか深刻な話をしてしまって」


 菜々子の言葉に、真紀は首を横に振った。


「もうラストオーダーの時間ですし、お店閉めちゃいますね」


 そう言って、入り口の「OPEN」の札を「CLOSE」にした。午後4時でラストオーダーになる。話の内容的に、もう瑠衣がアイドルだったことは真紀も察しただろうに、知らないふりをしてくれていた。


 お互いアイスティーで喉を潤わせる。すっきりした飲み口で、ホットで飲んだキャンディやディンブラのどちらとも違う、鼻を抜けるフルーティーな香りが印象的だった。渋みが少ないから、きっと瑠衣の好みを反映させてくれたのだろう。


 お互いに喉を潤わせ、再び瑠衣と菜々子は向き合う。


「すみれドロップスとるいるいに出会った私は、曲を覚えて、どのタイミングでファンは声をかけるのか勉強して、光る棒ことペンライトも買って、通販で買える限りのるいるいグッズを買った。とにかく楽しくて、1日があっという間で、気がついたら「死ぬなら今だ!」って声が聞こえなくなっていたの」


 幸せそうな顔で、菜々子は昔を振りかえる。楽しい夢を見ている子どものような表情だった。


 そして、瑠衣の目をじっと見つめる。一瞬眉尻を下げたが、すぐに先ほどまでの幸せそうな微笑みをたずさえる。


「るいるい、私を生かしてくれてありがとう」


 菜々子は泣いてはいない。けれど、何度も涙を流して涸れ果てた末の微笑みに見えた。


 瑠衣のほうが、泣きそうだった。でも、自分が泣くのは違うと思って、ぐっと我慢した。我慢のために奥歯を噛みしていると言葉が出せなくて、ただ菜々子を見つめるしかできない。その顔を見た菜々子は、ぷふっと笑った。


「メンバーの卒業コンサートでよく見る顔ね。泣くのを我慢して、ぶちゃいくになってる」


「ぶちゃ……!」


 面と向かって不細工と言われた! ネットではいくらでも書かれているけれど、対面で言われたことはない。


「あら、人のことはヘンだのなんだの言っておいて、ぶちゃいくはダメなの?」


「……別に、構いませんけど。それにしても、よく見てますね私のこと」


「当たり前じゃない。命の恩人なんだから」


 すると、スマホを取り出して画面を見せてきた。


「今もホコリもかぶらず綺麗に並べてあるよ」


 瑠衣のグッズが並べられている部屋の写真だった。ひな人形を飾るような段になっていて、アクリルスタンドと呼ばれる透明なアクリルに瑠衣の写真がプリントされたものを中心に並べられていた。壁にはポスターやマイクロファイバータオルが所せましと貼られている。黄色ばかりの祭壇に、瑠衣の目が点になる。もちろん、この手の応援をされたことはある。けれど……。


「今も、ですか?」


「今も。新しいグッズがでなくて寂しいのよね」


 グッズなんて、とうに捨てられていると思っていた。グループをやめて半年も音沙汰のないアイドルなんて、もう引退したようなものだ。それなのに。


 唖然としたまま、瑠衣は菜々子の顔を見ることしかできなかった。一方の菜々子は、スマホの画面を見ながらふぅとため息をつく。


「なんか、責任感じるのよね、今のるいるいを見ていると」


 責任という言葉に、瑠衣は首をかしげる。菜々子はスマホから瑠衣に視線を移した。眼鏡のフレームが西日に反射して、キラリと光る。


「ファンの私が、幸せにしてあげられていないんだなって。アイドルを笑顔にするのはファンの仕事だもの」


 あ、主語デカいって怒られるわ~とおどける菜々子を見て、また瑠衣は気落ちする。やっぱり、幸せそうに見られていないんだ……。


「歌、続けないの?」


 菜々子はためらうことなく瑠衣の核心に迫る。


「……続けたいです」


 瑠衣はためらいながらも本心を答えた。


 続けたい。菜々子に問われてするりと言葉が出てきた。自分でも驚いて、思わずアイスティーを飲んで感情を腹の底に戻してしまう。


 歌いたい。歌うことで、誰かの心を動かしたい。誰かの人生を良くしたい。誰かに幸せになってほしい。


 ふつふつと、腹の底で眠ることなく燃えはじめた思い。けれど……芸能活動は商売だ。商品価値がなければ、続ける意味もない。私なんかが……という思いが、瑠衣の中から消えることはなかった。


 この思いを菜々子に吐露したところで「商品価値がないだなんて!」って怒られそうだから、黙っていた。


「今は何してるの?」


「……めちゃくちゃグイグイ聞きますね」


「こんなチャンスないもの! 事務所のホームページには名前も写真も載っているから、引退はしていないんでしょ?」


 目を輝かせて、菜々子はぐいと前のめりになって瑠衣を見る。


「一応、事務所に所属したままです。今は親戚のキッチンカーを手伝っていて――」


 ことのあらましを、簡単に説明する。


「あれで通っているの?」


 菜々子は、表に停めてある瑠衣のロードバイクを指さした。瑠衣はうなずく。


「なるほどね」


 ズズズ、とほとんど空になったアイスティーを吸い上げながら、なぜか菜々子は何かを思いついたような顔をした。


 そのとき、CLOSEにした店を訪問する人がいた。音に誘われ顔を向けると。


「菜々子さんすみません、お待たせして」


 これでもかと爽やかな空気をまとう、瑠衣と同世代の男性が店に入ってきた。瑠衣は、思わず息をすることも忘れた。


 人生で見てきた男の人の中で、一番かっこいいと思った。


 短く切りそろえた髪、しっかりと芯のある瞳、通った鼻筋とほほ笑んでいるように固定された唇。日に焼けて健康的な肌は筋肉質で、日頃運動しているのだとわかる。


 芸能人のはしくれとして、瑠衣だって何人もの俳優やアイドルを見たことはある。だれもが整った顔立ちをしていたし、背も高くて顔も小さくてオーラもあった。でも、今目の前にいる男性は、その誰よりもかっこいい。輝いている。


 菜々子とどういう関係? と思い見てみると、菜々子は驚いた顔をして瑠衣を見ていた。そして、ほう、と声もなく唇を動かすと、あからさまに作った笑顔を浮かべた。


「真紀さんの息子さんの愁二さんよ。おかえりなさい。相談事があったんだけど、もう時間も遅いし今度にします」


 聞くまでもなく、すべてを解説してくれた。


「愁二さん……」


 まるで高熱を出したときのように、どこか遠くで自分の声が聞こえた瑠衣は、おどおどと菜々子の顔だけを見る。


「ごめんなさい、昼過ぎには戻れる予定だったんですけど、事故渋滞で」


 愁二は、申し訳なさそうに大きなリュックを床に置いた。荷物がパンパンに詰まっているみたいだ。


「昨日までやってた自転車ロードレースのメカニックとして、長野県のほうに行っていたんですよね」


 菜々子はなんでもかんでも知っている。自転車ロードレースとは、ロードバイクで舗装された道を走る競技。街中を封鎖して走ることもあれば、山の坂道をひたすら登る大会もある。海外では「ツール・ド・フランス」などが有名だ。日本国内でもさまざまなレースが開催されていて、プロチームもある。愁二は自転車を整備するメカニックとしてチームに帯同していた、ということだろう。


「そうなんです。菜々子さんのお知り合いですか?」


 愁二が瑠衣に視線をやる。思わず瑠衣は顔を伏せてしまう。なぜだか、顔を見られない。


「こちら瑠衣さん。ひとりで来ている同士、ちょっとおしゃべりしていたの」


 ねー、と菜々子が瑠衣に同意を求める。瑠衣は少し顔をあげ、愁二の顔を見て、会釈するふりをしてまた顔を伏せた。


「表のロードバイクは瑠衣さんのものですか。今度、メンテナンスとかクリーニングのためにぜひまたご利用ください。カフェ利用の方は割引させてもらってるんで!」


 はつらつとした声に、おそるおそる顔をあげる。愁二は、白い歯を見せて笑っていた。


 これ以上顔を見つめたらおかしくなってしまうと本能で察知し、瑠衣は顔を伏せたままうなずいた。


 なんだろう、この気持ちは。どうしてこんなに落ち着かないのだろう。すごく暑い。アイスティーで体が冷えているはずなのに。氷だけになった冷たいコップを恨めしく握る。今こそ飲み干してこの体の熱を冷やしたい。




 愁二とはそれ以上の会話をせず、店をあとにした。もっと話してみたかった気持ち半分、これ以上話せない気持ち半分。引き裂かれた反対の思いを同時に胸に抱いてしまい、瑠衣は自分のことがことさらよくわからなくなっていた。


 帰宅する菜々子と共に、店の裏手にある駐車場へ向かった。


「介助は不要よ」


 自由に動く右足を使って運転席に乗り込む。車椅子をたたんで運転席から後部座席に入れて、ドアを閉めた。器用なものだなと感心する。


 窓越しに手を振って菜々子を見送った。連絡先くらい、聞いておけばよかったかな。でもまたここに来れば、きっと会える。





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