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アイドルを定年退職した大森瑠衣は幸せそうに見られたい  作者: 武田花梨
第三章 生かしてくれてありがとう

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3-2

「あの、ご一緒していいですか?」


 人見知りの瑠衣にしては、かなり勇気を振り絞った。どうしても、話したい。


「え、いいです、けど……」


 いぶかしむ顔で瑠衣を見あげる。あまり歓迎されていないような表情。なぜだ、拝んできたくせにと瑠衣は解せない気持ちになった。でも、ここで折れてはいけない。


 瑠衣は、自分の荷物を手に女性の前の椅子に座る。


 正面からまじまじ見て、ようやく見覚えのある正体が分かった。


「すみれドロップスのライブ、何度か見に来てくれていましたよね?」


 ライブ会場には車椅子席がある。車椅子のままライブを楽しめる席だ。その席で黄色のペンライトを振ってくれていた女性で、卒業コンサートの日本武道館にも来てくれていた。日本武道館は広いけれど、客電がつけば2階席の最後列の人もよく見える。


 すると、女性は眼鏡の奥の目を丸くし、頬を赤らめた。


「お、覚えて……?」


「はい。私、自分のファンの方のお顔はたいてい覚えていますので。応援、ありがとうございました」


 ぺこり、と瑠衣が小さく頭をさげる。女性は、よかったぁ、と声をもらした。


「急に声かけたから、怒られるかと思ってびびっちゃいましたー!」


 あはは、と明るい声で笑う。


「怒るなんてそんな。嬉しいです」


 話す瑠衣を、女性はまじまじと見つめる。


「こんなに間近で見たの、はじめて。美人~肌透明~髪の毛とぅるんとぅるん~生きてる~」


 顔をにょきっとつきだすように、どんどんと瑠衣に顔を近づける。といってもテーブル越しなのでそれほど接近するわけではないが。


 現役時代は、チェキ会など間近でファンに会うイベントも多かったものの、今はこうして見られることはなくなっていた。だいぶ恥ずかしい。


 それにしても、ずいぶんと幸せそうな人だと思った。前向きなオーラを感じるし、元気だし、明るいし。


「私の顔なんて、そんな、たいしたものでは……」


「たいしたものですっ!」


 どん、とこぶしを軽くテーブルにぶつける。


「いいですか。アイドルは自分の容姿でもってお金をファンから頂いているんです。そういう風に自虐されたら、正直申し上げてこっちがバカみたいじゃないですか」


 正論ではある。でも、それをすんなりと「わかりました!」と腹落ちさせることはできない。自信がないものはない。実際、瑠衣を好いてくれるファンの多くが「歌が好き」と言ってくれるから。


 瑠衣は、自分から話しかけておきながら、イライラした。なんでお説教されなくちゃいけないのか。


「歌でお金を頂くことに誇りはあります。でも、あれだけ可愛い子に囲まれたら私なんて……」


 強めの口調で言い返す。一度だって、センターに立ったことはない。いつだって、センターに立つひまりの後ろ姿ばかり見てきた。そんなことくらい、何度もライブに来てくれた人ならわかるだろうに。


 しかし、女性は首を振った。


「私には、るいるいが一番。歌もダンスも容姿も性格も何もかも、私にとってのセンターよ」


 じっと、瑠衣を見つめる。隙間のない強い意志にたじろぐ。


「そんなわけ……それに、私の性格なんて深いところまで知らないくせに」


 ステージに立つ以外では、ブログを書いたり、ラジオで話したり、インタビューに答えたり。その程度しか、自分の心の内を明かしていない。軽く自虐したりコンプレックスを語ることはあっても、瑠衣の本当の心なんて知る由もない。


 女性は物怖じすることなく「そうねぇ」と視線をめぐらせ、瑠衣に戻した。


「るいるいは、ディズニーに行ってもキャラクターのカチューシャを付けることに抵抗があるタイプでしょ。でも、みんなに合わせて頑張ってつけてる。そういうところが好き」


 そんなことかよと思いつつ、言っていることは当たっている。


 カチューシャを付けるのは、本当は恥ずかしくてたまらない。でも、付けないと逆に浮いてしまうから、頑張ってつけていた。


 そのことについて語ったことは一度もない。それなのに、なんでわかるのだろう。


「あと、ファンを名乗る女に「何にも知らないくせに」って言っちゃうところもね」


 余裕のある笑みで、女性は瑠衣を見た。


 完敗。ケンカを買ったこと自体負けだった。


「ごめんなさい……」


「そういう素直なところも私のお気に入りポイントよ」


 そのタイミングで、店員の女性がやってきた。大きな声で話しすぎたか、と瑠衣は肩をすくめる。


菜々子(ななこ)さん、お知り合いだったの?」


 車椅子の女性は菜々子と言うのか。


「知り合いじゃないです~今仲良くなりました」


 ね、と菜々子が瑠衣に目くばせする。どうやら、アイドルとファンという関係は隠すらしい。瑠衣のためなのか菜々子自身のためなのかはわからないけれど、乗っかっておくほかない。


「こちら、瑠衣さん。こちらはオーナーの真紀(まき)さん」


 どうも、と今更ながら会釈する。


「真紀です。瑠衣さん、はじめてのご来店ですよね?」


「はい。あ、すみません、あっちのテーブルに食器置きっぱなしで。あちらは片付けてもらって、新たに紅茶頂いてもいいですか?」


 真紀は、ふわりと上品に笑う。


「もちろんです」


 メニュー表を見て、アイスティーを注文する。菜々子も同じものを注文した。ホットから淹れる本格アイスティーだそう。茶葉はお任せ、とのことだった。


「少々お待ちください。菜々子さん、愁二(しゅうじ)もうすぐ来ますから」


「はーい」


 愁二とは誰だろうと思いつつ、きっと真紀の夫だろうと勝手にあたりを付けて頭の中から追い出した。


 真紀が奥に戻ったことを確認し、瑠衣は話を続ける。


「ブログによくコメントもくれてましたよね。ナナコって名前で」


 名前を聞いて、ブログのコメント欄によく書き込んでくれた「ナナコ」を思いだす。「るいるい愛してる」とだけ書く日もあれば「今日のライブでは声の出し方が変わったように感じました。ボイトレの先生が変わったのでしょうか。正直申し上げて前のほうが好みです。しかし喉を守るためならば仕方ありません。参考までにどうぞ」などと書く日もあった。でもこの人ならなんだか納得だ。いかにも書きそう。ちなみにボイトレの先生が変わったことは、当たっていた。


 ブログの話をした途端、菜々子は顔をしかめた。


「あれは深夜に暴走したファンの行き場のない感情を無様にぶつけた、いじらしくも痛ましいテキストなので……」


「私は、けっこう好きでした。正直申し上げてヘンな人だとは思いますが」


「あ、私の口癖覚えてる!」


 菜々子のイヤそうな顔に、瑠衣は思わず笑う。さっきの仕返しができた気分だった。


「でも、るいるい……じゃなくて瑠衣さんが、ファンのことを結構覚えていたってことに衝撃。なんだかファンに興味ないって顔してるし」


「興味はありますよ。でも、素直にありがとうとか言えないタイプで」


「だよね。でもそれ以上に……壁を感じた」


「壁……?」


 そんなものを作った覚えはない。


「なんて言うかな~。私のことを好きなファンって、どっかヤバいんじゃね? みたいに思ってたでしょ」


「ヤバいとは思いませんけど……ヘンな人たちだとは思ってます」


 瑠衣の正直な物言いに、菜々子はあはは、と口を大きくあけて笑った。感情に素直な人だ、と瑠衣は感じた。


「まぁ、正統派な人生を歩んできたとは言えない人は多いかもね」


 菜々子は、自分の車椅子をぽんぽんと叩いた。


「失礼ながら、そう思います。普通に生きていたら、ひまりみたいな子を応援するはずですから。ディズニーのカチューシャがどうのじゃ、納得できません」


「草~」


 たいしておもしろくなさそうに、ネットスラングを放つ。瑠衣は面食らってしまった。真面目な大人の女性が「草」なんて使うとは。瑠衣の表情を見て、菜々子はあらやだ、と手で口元を覆う。


「日頃ネットばかりで生きていると、ついついこういう言葉遣いでちゃうのよね~」


 菜々子は眼鏡をくいっと持ち上げた。


「疑り深い子ね~ほんと。カチューシャだけじゃ信用できない?」


 瑠衣はこくり、とうなずいた。それだけで心から信じられる人なんているわけがない。


「そこまで気になるなら教えてあげる。あとで聞かなきゃよかったって言わないでね」


 瑠衣は頷いた。


「私はね、るいるいに命を救われたの」


 るいるいに救われた、という言葉に目を見張る。


「私、人命救助はしてないんですけれど……」


「当たり前でしょ。この車椅子生活が始まった5年前に、人生に絶望してよ」


 言わなきゃわからない? とでも言いたげに渋い顔をした。瑠衣は、少し茶化してしまったことを反省する。


「病気の後遺症でね。ベッドに寝ころんだまま、24時間頭の片隅で死にたいって思ってた。夜中に目が覚めて、家族はみんな寝静まっているな、と考えて「死ぬなら今だ!」って思った経験、ある? 油断したら、本当にやってしまうかもしれないって、恐怖で震えたことある?」


 菜々子は他人事のように話す。そのおかげか、壮絶さを感じるまでに時間はかかった。けれどじわじわと、その恐ろしさが足元から迫ってくる。


 瑠衣は言葉を無くし、小さく首を横に振る。菜々子はそれを見て笑顔になった。


「なくてよかった。あんな思い、るいるいは一生しなくていい」


 まるで、親が子を見るかのような優しい瞳だった。瑠衣は、菜々子の優しさを感じて思わず鼻の奥がつんとなる。


 菜々子は、過去を懐かしむかのように語る。


「親にこれ以上悲しい思いをさせたくないから、死にたくはなかった。でも、ぼーっとしていたらほんとうに死んでしまうかもしれない。気を紛らわせるために動画サイトをひたすら見ていたとき、あなたに会ったの。5分間、1人でひたすら物ボケをしている動画よ」


 日本武道館のチケットの売れ行きが芳しくないとき、告知として動画サイトにメンバーのチャレンジ企画を載せていた時期があった。瑠衣は、なぜか物ボケをやる担当になった。あの時ほど、5分間があんなに長く感じた経験はない。


「その動画を見て、この子、めちゃくちゃ一生懸命生きてるって思った。面白くない物ボケを5分やり続けるなんてすごいって感動しちゃったの。この子がこれだけ一生懸命に日本武道館に来てほしいって言ってるんだから、行ってみようと思って」


「……物ボケで、ですか?」


「ごめんなさいね、歌じゃなくて」


 うふふ、と菜々子はどこか人ごとのように語る。そして、夢を見るような瞳で瑠衣を見つめた。


「あの動画きっかけのお客さん、いたんですね。初めて会いました」


「やっぱり、ヘンな人よね」


 瑠衣は深くうなずいた。無意味だと思っていたあの動画がきっかけだなんて、わからないものだ。


「すみれドロップスのライブのために調べて、はじめて知ったんだけどね。日本武道館って車椅子の常設席が30席あるの。普通のコンサートホールだと、車椅子のためにわざわざ席を取り外してもらわなくちゃいけないのに。日本武道館にはすんごい広い多目的トイレもあるし、館内はバリアフリーだし。そこでようやく、私、生きててもいいんだって思えた。世間に許された気がした」


 瑠衣は、なにも言えなかった。自分のための席が常に用意されている。自分が入れるトイレがある。そのことで、生きてていいって世間から許可をもらえた気持ちになることはない。与えられて当たり前だと思っていたから。


 菜々子の、飄々とした性格の裏に隠されていた心を少し感じ取って、表面を見て「幸せそう」などと思ったことを恥じた。


「すみれドロップスのライブも最高だった。正直申し上げて、私はアイドルをバカにしてたの。可愛くてちょっと歌とダンスがうまいだけでちやほやされてさ。ずるいじゃんって」


「ずるいって……」


 よく、言われる。若くてちょっと綺麗なだけでちやほやされてずるいって。小学校、中学校の同級生にも言われた。そのたびに傷ついた。持って生まれたものをずるいと言われたら、何も言い返せない。


「けど、そんなことなかった。会場には、『生』が詰まっていた。ステージにも客席にも、生きる喜びも悲しみもすべてが詰まっていた。ただ、顔がいいだけで適当にアイドルやっている子たちだったら、きっとそうは感じなかったはずよね。ありきたりだけど元気もらっちゃったし、今となっては生きがいになったってワケ」


 瑠衣は、菜々子の熱のある言葉にあてられていた。


 「生きがい」「元気もらった」「生まれてきてくれてありがとう」そのような言葉をもらうことは、アイドル活動をしていれば日常茶飯事だ。けれど、今、目の前で改めて言われたことで、瑠衣の心に熱いものが生まれた。


 施設の設備やファンからの感謝の言葉を当たり前のように享受するばかりの人生を、少しばかり恥じた。





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