ヤングケアラー出身カサンドラ一歩手前
私が幼稚園児の頃、私の母は統合失調症になり、母は長期入院し、私はヤングケアラーとなった。
山陰の限界集落のド田舎で、家事をし、妹と弟の世話をする毎日が嫌で、高卒で家を出た。
V系にどっぷり嵌まり黒ロリバンギャとなった私は、東京で派遣の事務をしながら適当に生きた。お金が足りないのでキャバ嬢もした。その頃はちょうど就職氷河期と呼ばれていた。
東京で生きるにはお金が足りない。追っかけていたバンドも数年で皆解散や活動休止をした。華々しい爆発から、一瞬で訪れたV系氷河期。
退院し自宅に戻っていた母から帰ってきてほしいと言われ、潮時かなと地元に戻ったが、高卒に仕事はない。
ハロワの職業訓練で介護の資格を取り、超ブラック施設に就職。
気付けば35歳。介護福祉士の資格を取り、管理者研修を受け、ブラック施設の管理者となっていた私には、そのまま一生猫に囲まれて一人で生きていく道が見えていた。
結婚に興味がなかった。家族なんていらないと思っていた。結婚はしないと言い続けていた。
けれど、体を壊し、入院したことで立ち止まってしまった。本当にこの道でいいのだろうか。
36歳。
ギリギリ子供も産める。付き合っていた一つ年上の彼氏は安定職で、少し頼りないけれど優しい。病室にいると産婦人科病棟から赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。
37歳。婚約。結婚。妊娠。
38歳の誕生日に出産。それから子育て。
44歳。今。私はカサンドラ症候群の一歩手前にいる。
43歳の時に娘が発達障害だと言われた。けれど、高IQの2Eギフテッドらしく、育児はそう困難ではなかった。娘よりも、夫とのコミュニケーションで、イライラしたり絶望することが年に数回だがこれまでもあった。
娘が発達障害だと言われて確信したのは、夫のASD。本人は無自覚だ。
亭主元気で留守がいい、である。平日は気にならない。年末年始の長期休暇などにモヤモヤが溜まっていき、毎年誕生日頃に爆発する。
私の誕生日は娘の誕生日である。毎年、娘の誕生日を祝うためにプレゼントを用意し、ケーキを用意し、プランを練る。
夫は何もしない。目の前で部屋を飾り付けていても手伝おうかもない。(プレゼントやケーキは夫の働いたお金だけれど)
普段から、何もない。バレンタインにチョコレートをあげてもホワイトデーに何もない。毎年。
私は私の誕生日を祝ってもらえないし、娘のお祝いはタダ乗りされている気持ちになる。(全て夫の働いたお金だけれど)
せっかくの誕生日なのに、虚しくなる。
あなたはASDだと、言ってしまっていいだろうか。夫がASDだと診断されてくれば、共感や寄り添いに期待するのをやめて、ASDだからしかたないと思えるだろうか。
娘が発達障害だと言われても、夫は何も調べたりしない。娘の療育もリハビリも就学先も、私は一人で決めた。
まだ、カサンドラ症候群とまではいかないけれど、入り口にいるのは感じる。年に数回は、ASD夫に絶望している。
まだ幼く素直で可愛い娘。私は複雑困難になるであろう2E娘の反抗期を、この夫と乗り越えていけるだろうか。
誕生日、娘は「ママもお誕生日おめでとう」と祝ってくれた。お祝いのお手紙をくれたお友達に、ありがとうの返事を書けた。発達障害でも、夫とはタイプが違う。
娘に救われている。と、同時に娘に依存しないように気を付けなくてはと思う。
今、カサンドラの入り口で、どうにか踏みとどまっている。
一昨年、私は義実家とプチ縁切りをした。夫の母親は、よく言えば天真爛漫。正直に言えば、老婆の皮を被った幼稚園児のような人だ。
自分の思い通りにいかないと拗ねる。自分が世界の中心にいたい。相手の都合は関係なく、衝動的に行動する。非常識な言動行動が多い。
今思えば彼女も発達障害だったのだろう。
だからといって、また会いに行こうかとは全く思わないけれど。
夫(息子)が大好きで、子離れできない義母。
陣痛中の産院に突撃してくる義夫母。
当日朝に電話してきて、こちらの都合お構い無しで来る義夫母。
私の目の前で、赤ちゃんの娘(孫)に向かって「ママですよ」と言う義母と、それを笑って見ている義実家一同(夫含む)。
積もりに積もる不快感で夫に文句を言っても、返ってくる言葉は「悪気はないから」
それでも耐えた。5年。夫の母で、娘にとってはおばあちゃんだから。
その年、お盆に行ったのに、敬老の日に来なかったからと義母から怒りのメッセージがみてねに書かれていた。見かねた私の母が母なりに寄り添うメッセージを送ったのに、義母はそれにも噛みついてきた。
それを見て、もう無理だと感じた私は、みてねのメッセージを閉じ、スマホの義母の電話番号をブロックした。
もういいやと思った。実の家族からすら逃げた元ヤングケアラーである。義実家と疎遠になるなど容易かった。
縁切りと言っても、盆正月は私は行かず、夫と娘だけで義実家へ行ってもらうというだけだけれど。
そこで思う。
私はいつか、夫のことも、娘のことも、もういいやと思うのだろうか…
限界まで我慢して逃げることが、ヤングケアラーだった自分の自己防衛だったのだと思う。もしかしたら私の中身も、まだあの日逃げた18歳のままなのかもしれない。




