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成長著しい年長さんの秋

5歳で発達障害だと言われた娘。


支援学級希望を提出するも、市教委から幼稚園で困っていないから支援学級は難しいと言われました。



 夏休み半ば。


 9時30分に娘を療育へ送り、10時から市教委の人と幼稚園の担任の先生と私は、市役所の一室で娘の就学について話をした。


 私は娘を支援学級に入れたい理由を話した。人が多い場所が苦手なこと、情報量が多いと困ること、慣れない場所では走ったり回り続けること、急に歌ったり踊ったりしたくなる事、感覚過敏の数々…


 自分の子供が通常学級に通えないであろう説明をすることは辛かった。


 けれども私が何を言っても、市教委の人は娘が幼稚園では困っていないから支援学級に入るのはは難しいとしか言ってくれない。


 幼稚園の先生も、なぜ私が娘を支援学級に入れたいのか分からないといった風で、幼稚園で困る事はほぼないと説明をされる。仕方がない。だって、本当に娘は幼稚園では困っていないから。

 参観日や行事を見ても、幼稚園では娘は定型児にしか見えない。


 未就園児のクラスの頃から通う少人数の公立幼稚園は、子供の自主性を本当に大切にしてくれ、無理やり子供にしたくないことをさせることもなく、辛抱強く子供がやりたくなるまで待ってくれる。


 静かな環境と、物心のつく前から行っているなじみの場所であること、極端な変化の少ない毎日。娘は幼稚園を安心できる場所だと認識し、公立幼稚園の方針がばっちりと娘に合っていることで、奇跡のように何も困らず生活ができている。


 けれど、小学校はそうではない。なのに、幼稚園では困っていないからと繰り返されても何も納得できない。

 できる子を無理やり支援学級に入れようとしている毒親だと思われているのだなと苦しくなった。


 小学校の支援学級の先生は、希望者は全員支援学級に入れると説明してくれたのに…


 もういい。入れないなら入れないで仕方がない。そう思って、私はダメ元で支援学級を希望する書類を書いた。




 新学期、最初にピアノの発表会があった。娘は

1歳半からヤマハのグループリトミックに通い、3歳から個人のピアノ教室へ移った。

 リトミックでは集団で音に合わせて体を動かすことができていた。ピアノ教室に変えた理由は単純に、クラスが上がった際に通えない曜日になってしまったからだった。


 始め娘は自宅での毎日のピアノ練習を嫌がっていたが、しばらく経ったある日から急に嫌がらずに練習をするようになった。今思えば自閉症の特性で、ルーティン化に成功したのだとわかる(練習時間は長くはないけれど)


 発表会の曲は『かわいいおともだち』左手の和音は三本指で、5歳の小さな手では指いっぱい広げなくては届かず、小指の力が弱くて他の音も鳴ってしまう。


 目と頭が疲れるからと、音符が多い曲の楽譜読みを嫌がるし、せっかく先生がスタッカートが好きな娘に(多分)選んでくれたのに、娘はこの曲に取り組むのが難しかった。


 娘には完璧主義があり、己が拙い演奏をするのが許せないのだ。これはピアノの練習と相性が本当に悪い。ピアノは今の曲が上手に弾けるようになったと思ったら、次はまた少し難易度が上がった曲をたどたどしく弾くところから始まる。できないとやりたくなくなる。

 おまけに娘には発達性協調運動障害まである。やっぱり発達障害の娘にピアノは無理なのか…


 娘の大好きな紫の新しいドレスを買った。頑張って練習したら発表会で着れるよと声を掛け、なんとか頑張ってそれなりにスムーズに弾けるようになると、今度は楽しくなってスムーズに練習をしだした。


 発達障害でもピアノ、やれるじゃん(そこまで上手くはない)

 バレエの発表会もやれたし(そこまで上手くはないし、体は硬め)


 娘がポジティブになると、私もポジティブに考えられる。あ、もしかしてピアノとバレエが発達性協調運動障害のリハビリになっていたんじゃないかな。娘は食べこぼしは多いけれど、ハサミは得意だし、バレエのサテンシューズだって(なんとか)結べる。


 発表会、娘の出番は最初の方だったため集中力が保ち助かった。緊張で表情は硬かったけれど、スムーズに弾くことができた。自分の演奏後はホールの外に出てもいい事も助かった。

 疲れてグズグズしだした娘を連れ出し、外でジュースを飲んだりして過ごした。


 発表会の最後、花束を貰えた。長く続けるとトロフィーも貰えるらしい。娘はトロフィーが欲しいからピアノを続けると言った。


 このバレエとピアノの発表会ラッシュは、大変だったけれど、間違いなく娘と私の自信になった。 


 発達障害の特性を、娘は理性とIQで抑えることができているのではないか。しなくてはいけない場面ではきちんとできる。その分、家で暴れているのかもしれない。


 娘は疲れたり、眠かったり、落ち着けなかったりすると回る。広い場所では公転。狭い場所では自転。この発表会ラッシュの頃、娘は毎日のようによく回っていた。


 また始まったと、いつもそれを私は遠い目をして見ていたが、ある日、これが常同行動というものだと気がついた時、急に気にならなくなった。好きなだけ回ればいい。害はない。意味のわからない行動だから怖かった。なぜ娘が回るのか分かった今は、もう怖くはない。


 娘の常同行動が自傷や他害ではなかったのは運が良かった。たまにヘドバンするのはびっくりするけれど。(壁に頭を打ち付けたりではなく、ロックバンドのライブでするような頭を振る行動)母は元バンギャなのです。 


 奇声ブームもあった。こちらは周りに迷惑なので少し困った。ガラスの近くや声の響く場所で大きな声を出して、音の反響を確認しているように見えた。

 まるで実験をしているようだなと思ったので、そのうちやらなくなるだろうと思っていたら、やはりいつの間にかやらなくなった。何か納得できる実験結果を得られたのだろうか。




 この頃、理学療法士に勧められてナビゲーションノートを作った。娘の特性、困り事を単純に箇条書しただけだけれど。発達障害の特性なのか、ギフテッドの過度激動なのか、分類はできないけれど、思いつく限りすべてを書いた。これは娘の発達障害を理解する上で(まだほとんど理解できませんが)、やってよかった。


 そうして、何もわからない発達障害素人の状態から、少しずつ娘の発達障害を理解できはじめた頃、新たに知った言葉を検索しては療育の先生に相談した。(療育の先生は週1で会うので話す機会が多かった)


 療育に行きだしてすぐ、療育の先生から「上手に育てられましたね」と言われた。その頃は、療育に出遅れたのは3歳半で発達障害に気が付けなかった自分のせいだと思っていたから、リップサービスだとしてもありがたかった。(今なら3歳半で発達障害だと食い下がっても様子見と言われて終わりだっただろうなとわかる)


 療育で劇的に何かが変わることはないけれど、気軽に質問できる専門家と繋がれたことはありがたいと感じていた。けれど、娘は療育に行くのを嫌がった。単純に、慣れない場所が苦手だからだろう。




 発表会が終わったら、今度は幼稚園の運動会の練習が始まった。娘は負けるのが嫌いで、負けそうなことには取り組まないところがあった。けれど、この運動会の練習で一生懸命に負け慣れる事で、負けても頑張る事ができるようになった。

 同時に、できなさそうな事は最初からやらない子だったのが、できなくてもやってみて、できるように少しだけれど努力できるようにもなった(諦めは早い)。公立幼稚園凄い。



 10月半ば、ここでやっと主治医の診察の順番がきた。けれど、もう支援学級に行くことを決めたし、いろいろな葛藤の末私の思考も落ち着き始めていたし、今更感が半端なかった。 

 多動はいつか落ち着くのか? 服薬は必要なのか? そんな事を聞いたと思う。


 娘の主治医は県内では屈指の発達障害の権威であるらしかった。(申し訳ないがどれほどすごい医師なのかは知らない)けれど、その時は本当に聞きたいことがあまり思いつかなかった。


 その先生は娘のWISCの結果(処理凸他高めWM平均)を見て、まず、「この子は生き辛いですよ」と言われた。ギフテッドを検索していても、ギフテッドと入力すれば生き辛いと続けて出てくる。そうなのかな? ポジティブでマイペースに生きているように見える娘も、いつか生き辛いと苦しむのかな…


 先生は無理に周りに合わせなくてもいい事、苦手な事は苦手でいい事、苦手だから助けてと伝えられるようになる方が大切な事、もし感想文が書けなければ親やAIに書いてもらっていい事などを話された。学校の勉強などより、もっと先の事を見て話されていたのが印象的だった。


 なるほどなとは思ったけれど、親としては小学校なんてどうでもいいとは割り切れない。


 娘には様々な学習障害があるような気がする。けれど、今考えても、何ができて何ができないのかわからない。小学校に入ってみないとわからない。




 主治医の診察のあった週の土曜日に運動会があった。少人数園ゆえ出番がたくさんあった。むしろ出番しかなかった。踊り、走り、また走り、綱引き、玉入れ、そしてまた踊った。 


 やっぱり、幼稚園では定型児にしか見えない。バレエやピアノの発表会の時のガチガチの顔とは違い、娘はとても穏やかで楽しそうな笑顔で参加していた。娘にとって、幼稚園が安心できる場所であることがよくわかった。




 年長さんの秋、なんとも成長著しいと感じていたところ、運動会の後、娘は急に行き渋りをしだした。療育も、バレエも、幼稚園も、私と離れたくないから行きたくないと泣いた(ピアノはちょうどお休みの日だった)。


 疲れたのか、なんだったのか、わからないまま2週間ほどで行き渋りは終わった。


 幼稚園は2年保育のため、去年娘が行き渋りをしなかったのは年中さんでの入園だったからだと思っていたけれど、もしかしたらこれが発達の遅れというやつで、だから年長さんで他の子が早々と終わらせる行き渋りになったのかなと思った。正解はわからないけれど。


 不思議なことに、この行き渋りが終わると、ずっと嫌がっていた療育に行くことを嫌がらなくなった。単に慣れただけかもしれないが。怪我の功名。




 そろそろ就学前健診がある。私は以前書いたナビゲーションノートを元に、小学校で困りそうなことの一覧を作った。


 この時に、単に感覚過敏だと思っていた数々を、もしかしたら聴覚情報処理障害と、感覚情報処理障害なのではないかと思い至った。


 文字の多い本を見たがらない事、楽譜を読むとすぐ疲れる事、計算式の長い問題はやりたがらない事、長い文章は伝わらない事、聞き返しや言葉の覚え間違えが多い事、耳で聞いた指示はすぐに忘れる事、やたら強い刺激を入れたがる事…


 近所の耳鼻科で聴覚検査をし、聴覚に異常がないことはわかったが、聴覚情報処理障害は診断できる病院は近くにないと言われた。


 


 次の日、小学校の就学前健診に行った。小学校の椅子は綺麗な椅子が少なく、汚れた椅子が目立った。娘は汚れた椅子には絶対に座らないというこだわりを見せたが、他は困ることなく健診を終えた。


 と思ったら、健診が終わった瞬間、体育館の床に背中をつけ、クルクルと回り出した。この回転のパターンは久し振りだった。大きめのショッピングセンターなどに行くとよくやっていた。発達障害だと言われてからは、娘が一番苦手な場所であるショッピングセンターにはあまり行かなくなった。


 健診の次は、支援学級の説明だった。娘は支援学級に入れるらしい。(市教委にあんなに入れないかもしれないと言われたのは本当になんだったんだろう)


 娘は発達障害児として扱われる場に行くと、発達障害児らしく振る舞う。これは意図しているのかはわからない。発達相談や発達の診療、支援学級の見学や説明、就学相談、そういった場ではいつも娘は回っている。

 試し行動のようにも見えるし、そういった空気を感じ取っているのかもしれない。


 だとしたら、通常学級にした方が良かったのだろうか? 通常学級に入れば、定型児たちに混ざってそれなりに擬態して過ごせるのだろう…


 けれど、娘は発達障害児なのだ。発達障害児として過ごした方がストレスは少ないのか?


 答えがわからない。けれど、もう支援学級に行くことは決まった。もう、この道を正解と信じて進むしかないのだと思った。



                 


                     …続く




 

次回は喘息?で入院、幼稚園の発表会、書けない日記…

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