5歳の娘が発達障害だと言われました
5歳の娘が発達障害だと言われました。
知能検査をしたら、まさかの2Eギフテッドでした。
「多動性と衝動性、自閉傾向もありますね。小児科を受診してください」
2月。初めてきた場所の無機質な部屋。私と夫、幼稚園の先生、それから知らない3人の大人たちに囲まれた5歳になったばかりの娘は、渡された落書き帳とクレヨンに、部屋に入ってから一言も喋ることなく、少しのひらがなを書いたあと、何度もクレヨンを落としながらぐちゃぐちゃな絵を描いた。その絵を見た女性がそう言った。
ぐちゃぐちゃな絵は衝動的で、クレヨンを落とすのは不注意。喋らないのは自閉傾向らしい。
続けて、男性に小児科の一覧を見せられた。その中に慢性便秘で娘が毎月通っている小児科の名前があった。
「ここが主治医です。慢性便秘で通っています」
「では、そちらに書類を送りますので2週間後以降に発達相談の予約の電話をして受診してください」
「わかりました」
「ご両親と娘さんは以上です。幼稚園の先生はこれから少しお話を聞かせてください」
女性に言われ、私たち親子は退室して帰宅した。
青天の霹靂。娘は幼稚園の年中で、バレエ教室とピアノ教室に通っていたが、どこからも発達の事で指摘されたことはなかった。
娘は活発で、踊りと歌が大好きだ。曲が流れると赤ちゃんの頃からおすわりしたまま、それこそハイハイするより先に踊っていた。
ちょっと活発過ぎるかなと気になって、私は自治体の3歳半健診の時に多動の相談をした。
「ママの隣で座れてお話を聞けているから発達障害じゃありませんよ。私の息子は多動だから、違うってはっきり分かりますよ」
担当の保健師さんにそう言われた私はそれで安心しきって、娘はやっぱり発達障害じゃなかったんだなと、それ以降多動じゃないかと思うこともなかった。
けれど、私の不安は心の奥底で燻っていたのだろう。
発達相談は任意だった。イタズラが多い事と、買い物中にお店で走ってしまうことが気になって、きっと違うと思いながら、軽い気持ちで相談を申し込んだのだ…
幼稚園でも困りごとはなく、申し込み時に担任の先生も、こだわりと手先が伸び切らないのが気になるけれど、発達障害と言うほどではないのではないかと言われていた。
いつもの小児科に電話をした。いつもは予約無しで行って即見てもらえるのに、発達相談はなかなか予約が取れなかった。
あの時違うって言われたのにと、ずっとモヤモヤしながら予約の日を待った。
その日、何枚かプリントを書かされ、何枚か読んでおいてと渡され、この病院に予約取ってから行ってと紹介状をもらった。
その病院の予約も、取れたのは1ヶ月先だった。 何も進まないまま、ただ予約の日を待つだけの日々はとても長く感じた。
顔合わせ的な簡単すぎる診察があり、作業療法士を紹介され、感覚統合のリハビリが始まった。
トランポリンをただ飛んでるだけにしか見えない…
なんの意味があるのか、何を目指しているのか、何も説明もないし意味もわからない。
確認してくださいと渡された黄色い紙に、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、発達性協調運動障害と書いてあった。リハビリの目的は特性の把握らしい。
病院というところは、こちらから聞かなくては何も教えてはくれない。何を聞いたらいいかもわからない発達障害素人の私に分かったのは、3つの病名と、特性の把握のためにトランポリンをしているんだなと言う事。訳がわからない毎日。主治医は多忙のため診てもらえるのは半年後らしい。
年長なので、時間がないということがわかった。この時もう4月。小学校入学までに、なにやらしないといけないことがたくさんあるらしい。
小児科で知能検査をしてくれる場所を紹介された。
少年鑑別所。悪いことをしたわけではないのに、なんだかズシンと心が重くなる響きだった。
それから、特性がある子の小学校の就学相談があった。当日幼稚園の先生は?と言われたけど、幼稚園の先生と来てと言われなかったので知らないです。娘と2人で受けた。娘はまた、知らない大人に囲まれて落ち着けず、ずっと部屋を走り回っていた。
「支援学級がいいでしょうね」
どこかの小学校の先生だという女性に言われた。
発達障害児向けの小学校見学も行ったけれど、さらっと見せられただけなので支援学級か通常学級か、どちらがいいのかさっぱりわからない。
マンモス校なので、人混みが嫌いな娘はこの小学校は無理なんじゃないかなと思い、他の小学校に入れないか聞いたら、引っ越しをしない限り不可能と言われた…
家、建てるんじゃなかった…
行政、医療に不信感バリバリで、でも、どうしたらいいのかわからない。藁にもすがる気持ちで、私は幼稚園の娘のクラスメイトの発達障害の子のママに話を聞いた。
「うちは発達支援センターで色々教えてもらっています」
聞いたその日に、即電話した。相談員さんがすぐ来ていいと言ってくれて、色々わかりやすく説明してくれた。
娘が発達障害だと言われてから、発達障害界の人に初めて寄り添われた気がした。
療育も探してもらえたけれど、この時もう6月。2カ所しか空きがなかった。急いで見学して、このうち1カ所と、同時に発達支援センターと契約することになった。
市役所に行って手続きをして、手続きが終わるのにまた2週間かかった。この間に知能検査があった。初めての場所が苦手な子がちゃんと検査受けられるのか心配したのに、娘はクイズ楽しかった。と楽しんで帰ってきた。心配して損した。
この時私はこの知能検査で、もしかしたら娘が、ギフテッドだとわかるのではないかと少しドキドキしていた。
私たち家族は娘の発達障害の特性よりも、数々の感覚過敏に困っていた。着れないボタンの服、嫌いなお風呂、苦手な掃除機の音…
ネットで検索魔をしていると、どうも、娘は発達障害の特性よりも、ギフテッドの過度激動の方が当てはまる気がしたのだ。
でも、そこまで頭は良くないなとも思っていた。娘はちょっと賢いけど普通だと思っていた。
娘は自宅保育の一人っ子だ。なので他の子と比べてどうだとか、比べる機会もなかったし、娘の発達が普通だと思っていた。けれど、2歳で60ピースのパズルを完成させた時、さすがにネットで検索した。
『2歳 パズル』
すると、2歳で100ピースとか、3歳で300ピースとか、それはそれはすごい子がゴロゴロいた。
じゃ、娘は普通か。
また私の普通は娘にセットされる。娘は次に80ピースのパズルを完成させると、飽きてパズルはしなくなった。
娘はベビーの時からこどもちゃれんじをしている。こどもちゃれんじでは、3歳前頃からひらがなの教材が届き始める。なので、3歳でひらがなの読み書きができるのもそんなものかと思っていた。だって、こどもちゃれんじで届いたのだから。
ある日、娘が山口と漢字で紙に書いた。うちは山口県在住である。娘は高速道路の標識で山口も出口も全部やまぐちと読んでいたので、それで覚えたんだなと普通に思った。だって、山口ってひらがなで書くより漢字で書く方がたぶん簡単。
そんなこんなで私は、娘が見せるギフテッドの片鱗を、それまでことごとくスルーしていた。
知能検査の結果はIQ100〜130で、気が散ったり問題用紙チラ見で答えていたので点数は実際よりは低く出ていると思いますとのことで、凸凹がまあまああるのがわかった。
その結果をいろいろな場所に提出したけれど、誰もギフテッドとは言ってくれない。知的に高いとか、浮きこぼれるとか言われたけれど、IQ高いだけでギフテッドじゃないのかな?
検索しても、130はギフテッドの下限みたいだし、また微妙な数字を出してくれたものだ…
7月、療育開始とバレエの発表会があった。4月頃から発表会の練習もあったので、この間、もう、めちゃくちゃ忙しかった。
私が保健師さんに娘が発達障害ではないと言われて信じたのは、娘が3歳から発表会に出ていたからだった。
大人に混ざり、先生の指示に従い練習し、スポットライトを浴びて舞台で踊れる。そんな子が発達障害なわけがないと思っていた。だって、発達障害素人でしたから。
2月に発達障害だと言われ、はじめは違うと思った。けれど、外濠は埋まり、初めての場所、特に病院や就学相談の場では特に落ち着けず、部屋中を走ったり、回転するイスで回り続ける娘を見る機会が増えると、やっぱり発達障害なんだなと思うようになった。
発表会の練習で少しでもできないと、発達障害だからできないんだと勝手に絶望したりした。
私は市教委に支援学級希望を伝え、小児科で診断書を貰った。ADHDとASDの疑いと書かれていた。
発達障害だから…
でもそれは、私が勝手に決めつけただけだった。
バレエの発表会、娘は先生の指示通り上達し、できなかった動きもできるようになり、ちゃんと舞台で今年も踊れた。
なんだ、発達障害でもできるんだ。発達障害って言われたからって、何も変わらない。今までも、これからも、娘は娘だ。
こうして、怒涛の一学期が終わった。バレエの発表会は夏休みの初日だった。夏休みの最初の1週間は親子でぐったりとした。
ここで、市教委から電話が来た。
「幼稚園で困っていないので支援学級には入れない可能性が高いです」
この電話、未だに意味がわからない…
…続く
次回は夏休みから書いていきます。
2学期はピアノの発表会や、就学先の決定、行き渋り、喘息で入院などがありました。




