第一話
「ねえ、今日から来るバイトの子ってそろそろ?」
古い雑居ビルの三階から少女が窓を開けて見下ろすと、大きなボストンバッグを肩から下げた少年がきょろきょろしながら道を歩いていた。
「あれかね」
上から覗いた若い男が、目線でソファに座る青年へ問うた。
どれ、と妙にじじむさい動きで窓辺に近づいた青年は、ちろりと見やって
「ああ、そうそう」
と笑った。
「今日は全員集合ってそういう?」
青年は若い男に答えた。
「そう。顔合わせしないとね」
「ねえ迎え行っちゃっていい?」
「いいよ」
「はーい!」
弾かれたように走っていく少女の風で、別のデスクチェアに座る老人の持っている本のページがぱらぱらとめくれた。
「お茶出しといて!」
「ん」
若い男はひらひらと手を振る。
数分後、窓の下の少年は少女に手を引かれて玄関に入っていった。
「やー、ほんとにそっくり」
ソファに戻り、ローテーブルに肘をついた青年は、誰ともなく呟いた。
*
真夏を少し過ぎた、午後の光が差し込む応接室で、少年は汗をかいたコップとともにちまりとソファに座っていた。
「よ、ろしく、お願いします……」
「よろしく」
彼の向かいのソファには、青い髪を後ろでくくった青年が一人、足を組んで座っている。すらりとしていて、男とも女ともつかず学生にも老人にも見えるような奇妙な印象だった。
「前にもきみの家で会ったけど改めてね。
私はリノ。きみのお義父さんの友達。
一応ここの所長で、これからきみの雇い主だ。あと魔法使い」
「魔法使い……」
最近は名乗る者も少ない職種だ。たしか専門職として履歴書にそう書く人間は現在この国の全人口のおおよそ3.8%……とどこかで聞いたような。
「言ってなかったかな。あ、もしかして本物は初めて見た?」
「はい」
素直な返事に、リノは愉快そうにくくくと笑った。
「じゃああとで種も仕掛けも全部魔法の手品でも……」
「はいはいはいはい! あたしシュカ! 十七歳でしょ? 同い年! よろしくね」
所長を遠慮なく遮って、ソファの後ろから抱きつくように声をかけてきたのは、迷っているカイをここまで連れてきてくれた少女だ。オレンジ色の髪と、人懐っこそうな同色の目をしている。
「あ、はい。さっきはありがとうございました」
「かしこまらなくてよろしいぞえ。ただしセンパイとしてあがめたまえー」
「こら急に詰めんで」
彼女を引っ剥がしたのは背が高くがたいの良い細目の男。東国の血を感じさせる黒い目をしている。
「俺はヨウ・リュー。ヨウでええよ」
「ヨウ、さん」
「気ぃ遣いじゃの」
彼はけらけらと笑う。シュカと少し仕草が似ている。
「二人は兄妹?」
「似とる?」
「似てないし! 違うよ! 師匠が同じなだけ」
「じゃあ、ヨウ……が兄弟子?」
「ふっふっふ」
シュカが指を振った。
「……俺のが歳は上じゃろ」
「カイ・ヴェイン」
名を呼ばれた少年が、揉めている二人から目を話して声の主を見上げると、クリアファイルを持った老人だった。
意外と若々しい声だ、と思った。
ファイルから書類を出し、ソファの前のローテーブルに置いていく。
「これが契約書類だ。最後まで読んだうえでサインを。控えはお前の実家に送っておく」
「彼はバズ。ここの経理とか事務手続きを一手に抱えてる」
と、リノ。
「我々が一番逆らってはいけない相手だ」
バズはまったくというように鼻から息をついた。
「僕はお前たちの一番の味方だと思っているがな。モノを期限通りに出してくれてさえいれば」
所長は口をおどけた子どものように尖らせた。
書類には、やや圧の強い右上がりの字で『リノ・ディクスン・カイル』とサインがある。
少年――カイは、差し込む陽の光につやつやと輝く金と黒のボールペンを手に取った。
縁の錆びたキャップを外したペン先が、開きっぱなしの窓から漂う湿気たぬるい風に触れた。故郷の街では聞いたことのない数多の人々のさざめきの奥から、うっすらと潮騒が聞こえる。
ボールペンは根本が重く、馴染みのない書類に緊張する心に反してするすると滑らかな書き心地だった。
サインを終えた彼を、ともすれば親のような、優しい声音でリノは包んだ。
「ようこそ『ヤオヨロズ・ハーパー』へ。歓迎するよ、カイ」
*
ペンを置くやいなや、カイはシュカに腕を掴まれ滞在時間数分で事務所を飛び出した。
「観光ガイドしてくる!」
「忙しいなあ」
不思議な抑揚で笑うヨウの横をすり抜けた。
事務所の外扉には『〜街のお困りごと、解決いたします〜 ヤオヨロズ・ハーパー』とこれまでに見たことのない筆跡で掘られた木札がかかっている。
階段を駆け下り表通りに出る。トールマンと呼ばれる、最も人口の多い種。肌色や質感の異なる様々な亜人。小柄でずんぐりした、おそらくドワーフの血を引くサラリーマン。カイがこれまでの一月で出会うくらいの種類の人々が、一瞬ですれ違い、水を飲み、横断歩道を渡り、車のハンドルを切っている。
そこからしばらくは案内というより、引きずり回されているに近かった。活気のある市場、船が行き交う港、最新の魔導具が並ぶショッピングモール。カイの体力ゲージが赤く点滅し始めた頃、シュカはようやく足を止めた。
表から一本入った通りの、飲料の自動販売機の前で、携帯端末のアプリを起動し、簡易魔法陣に当てるとピッと読み込み音がする。ケースにはストラップがついていて、ふわふわのぬいぐるみが揺れていた。ガコンと音を立ててふたつ出てきた缶ジュースを、彼女はひとつ放ってくる。
「おつかれ。へいパス」
「……ありがとう」
俗に魔法陣と呼ばれるもの、正式には『書紋』……の汎用化に関わり、それまで各家の伝統とされてきた魔法とそれに類する科学分野の大幅な技術革新をもたらした稀代の魔法使い、ええと……。疲れた頭で歴史の授業をぼんやり思い出す。
緑色の細長い缶は炭酸飲料で、タブを引くとほんの少しだけ中身が指にかかった。
第三副都心の名に恥じない高層ビル・歴史を重ねて黒ずんだ石造りの倉庫・高台の閑静な住宅街が混在する港湾都市、エリス。魔法と科学技術が奇妙なバランスで共存しているこの国にあって、潮の香りが時折鼻孔をくすぐるこの街は、大きさこそ劣るものの多様性に関しては随一であった。
柑橘を模した爽やかな味付けのジュースは、疲れた足のほてりを少し沈めてくれるようだった。
道の遠くに霞む急坂を見やる少年に、少女が言った。
「坂の上はね、いわゆる高級住宅街ってやつ。たまーに依頼ある。港に行けば行くほど庶民的かな。このへんは……ま、中くらい?」
「中くらい……」
おのぼりさんモードのカイを、シュカは道の端に寄せる。
「そう、中くらい」
道路を挟んだ向かいでは、手を繋いだ親子が階段を降り、地下鉄の駅へ消えていく。
少年の視線を見ながら少女は続けた。
「カイがふらふら歩いてたってよほどのことがなきゃ急に殴られたりとかしないけど、なれないうちはあんまり細い裏道は通らないほうがいいかも。……ほら、スリとか」
彼女の手にはカイのズボンのポケットにあった財布。
青い顔で慌てて全身をぱたぱた叩く彼に、少女は歯を見せて笑った。
「ごめんごめん。はい」
カイは黙って受け取り、ボタン付きのポケットに財布をしまった。
「……」
「……あの、ほんとにごめんってば。なんか、似たような歳の子と喋るの久しぶりであたし、テンション上がっちゃって」
「おれも」
「え?」
「……」
「学校の友達とかは? あたしがいうのもなんなんだけど……行ってないし……」
この国の義務教育は留年や落第をしなければ15歳で終わる。それ以降は高等課程ということになっているが、社会の近代化に伴い子どもたちは少なくとも18歳前後まで何かしらの学校に通うことが多かった。
「……い、言いたくなかったら、いいよ、別に……」
「ごめん、そのうち」
沈黙に耐えかねたシュカが一気にジュースを飲み干した。
「……どっかカフェとか入ろっか!新しく出来たっぽくて気になるとこあってさ!あの、経費?でいけるよ、たぶん!」
勢いよく空き缶をシュートする。きれいな弧を描いて缶はゴミ箱に吸い込まれた。
「ナイッシュ」
カイがぼそりと呟いて笑った。
「うん。……ありがと」
*
シュカに連れられて入ったのは、湾岸地域寄りにある、真新しいはずだがどことなく懐かしさのある喫茶店だった。色ガラスの嵌め込まれた窓が作り出す穏やかな光に吸い寄せられるように、二人は店内へと足を踏み入れた。カラン、とドアベルが心地よい音を立てる。コーヒーの香ばしい匂いが疲労を少しだけ和ませた。
店内はこぢんまりとしているが、清潔感があり、居心地がいい。使い込まれたような風合いの木のテーブルと椅子が並び、壁には異国を思わせるタペストリーが飾られている。客はまばらで、静かな時間が流れていた。
入口のカウンターには猫のような魔法生物が寝ている。猫より耳が一回り大きく、毛色は焦がしたバターのような色が手足と耳と尻尾の先にだけついていた。
「いらっしゃいませ。お二人ですか?」
店主が一人で切り盛りしているらしい。カウンターキッチンから洗った手を拭き拭きやってくる。おそらくこの国の人ではないな、というなまりがあった。
「二人で」
窓辺の席に案内される。小ぶりのメニューを頭から終わりまでざっと見渡す。
「けっこう食事もいろいろある」
「ね。あ、パフェあるよパフェ。かわいい」
添付の写真通りなら、カウンターにいたあの生き物を模したらしいアイシングクッキーが上に載るようだ。絶妙に左右の目の位置がずれていて可愛らしい。
注文を済ませた後、シュカが携帯端末を取り出す。
「Myleのアカウントある?」
いわゆるコミュニケーションアプリだ。
「連絡用のグループあたしから招待しちゃうね」
カイが自身のアカウントを教えると、ぽこりと招待通知が届く。
地元の友人と義父くらいしかいないグループに『ハーパー』という文字が増えた。
よろしくお願いします、と文字を打つと、程なく四人分の「よろしく」だの「歓迎」だのというホログラムスタンプが返ってきた。
彼の端末は型落ちであまり通信が速いわけではないのだが、やけにさくさくと動く。通信状況を見てみると、電話回線を使用した通称フラグメンツのほかに、無線電波通信――通称エーテルネットの表示がついていた。しかしメニュースタンドの裏表を見てもパスワードも簡易魔法陣もない。
シュカも気づいたらしく首を傾げている。
「ご注文のアイスカフェオレとオレンジジュースです」
店主がやってきた。オレンジジュースを受け取ったシュカが彼に尋ねる。
「あの、これ店のですか? それとも他のお店のやつ?」
画面の通信表示を見せる。店主は「ああ……」と困ったように口を開いた。
「実は、なんの契約もしていないんです」
異変は開店して数日後であったという。
ある日やってきた学校帰りの学生が「ここめっちゃ電波いい」と言い出した。
続けて商社マン風のサラリーマンが「店長さん、ここエーテルネット使えるんですか?」と聞いてきた。
近所の店の通信が入ってきてしまっているのだろうか。挨拶がてら聞きに回ってもみな違うという。
「もしかしてファロン……あの入口にいた子なのですが……のせいなのか、他に理由があるのか……」
「便利だからいっかって感じでも、ない?」
シュカに店主は頷く。
「まだ店を開けてから一月経っていないのでね。もし妙な契約でもしてしまっていたなら、来月の通信代の引き落としが怖くて」
そういえば、と店主は口を開く。
「昨日のお客さんに言われたんですよ、『ハーパーに相談してみな』って。ご存知ですか?」
シュカはカイと目を見合わせた後、にっこりと笑った。
*
店の営業終了後。
バズを留守番として残し、リノとヨウも加えた四人は喫茶店へ足を踏み入れた。
相変わらずとぐろを巻いてカウンターを陣取っている魔法生物は、ベルの音に片目を開けたが、そのままもうひと眠りといくようだった。
「お、珍し。ウェイブレットか」
ヨウがそっと手を出す。小動物はふんふんと鼻を鳴らして手の匂いを嗅いだ。
「えーと、ウェイブレットって、どういうわけでこういう……ペットとかになってるんだっけ」
と、シュカ。
カイもどこかで聞いたような気はしたがあまり詳しく覚えていなかった。
「お? おお。あんな」
ウェイブレット。昔は、雷のたびに現れる幻獣のような扱いであった。電気が発明された頃、盗電の原因として嫌われ野生種は数を減らしたが、魔法科学と撚り合わされた通信網の発達に従い、彼らの存在が無線通信の安定に寄与するという調査結果が発表された。最近ではこういった飲食店で飼われていることがある。気性は猫同様人に懐くが猫同様にあまり躾には期待できない。撫でると溜め込んだ魔力のぴりぴりした刺激がある。
その間に店長に話を通していたらしいリノが戻って来る。
「あ、ウェイブレットだかーわい……いった!」
もふりと背中を触ろうとしたリノの手と毛並みの間に、閃光が見えるほど盛大な静電気が起こった。
「大丈夫ですか!?」
店主が飛んでくる。ウェイブレットは首の鈴を鳴らしてカウンターから店主の胸に飛びついた。
「ああ失礼、問題ないです。急に触ってごめんね……た、溜め込んでるねえきみ……」
魔法使いは手を振り振り答える。
店主にファロンと呼ばれた小動物は(まったくだ)というようにリノを見た。
「……あいつじゃないんか?」
ヨウが怪しむようにファロンを見つめた。
「どうかなー……さて、バイトくん。初仕事だよ」
カイは小さな探知機のようなものを渡される。
「これをあそこの隅に置いて。あ、高いから落とさないでね」
急に手のひらが汗をかいて湿ってきた。
「持たせた後にそういう事言わないの!だいじょぶ、一個まではまだ備品あるから」
「先月まで二個じゃったのう?」
「あれはねえ!フカコウリョク!」
四人で手分けして店の中に置いた後、リノに言われた店主がフロアの照明を落とす。
(あれ……何かが中に浮いてるような……)
カイが目を凝らしていると、リノがパチンと指を鳴らした。
魔法使いから放たれる細かな光の粒が、砂絵のように店へいくつかの魔法陣を映し出した。
「えーと……地鎮祭の安全祈願と商売繁盛、これは……施工業者の配線、こっちは……うっす……前のテナントの名残かな?あと……」
光の粒はどうやら、この店が開店するまでの、魔法にまつわる作業工程を映し出しているようだった。
「うーん、開店前日の二十四時までに、何らかのおかしい作業はされてない……かな……」
「じゃあさっきの……ファロン、は?」
カイの問いにリノは答えた。
「美味しい電波の食べ放題してるだけ」
失敬な、とでも言うように、ファロンの鈴のような鳴き声が聞こえた。
設定は……などとぶつぶつ言いながら、魔法使いは四隅の探知機の設定を弄りにいってしまった。
手持ち無沙汰の三人と店主が残される。
「……今回俺達の出番はなさそうじゃの」
「いいじゃん、平和で」
きょうだい弟子にカイは尋ねた。
「出番?」
二人は答えた。
「まあ、ケンカとか?」「用心棒とか」
思ったより物理的で、平和に育ってきたカイはどう答えていいかわからなかった。
「よろしければどうぞ」
ファロンを下ろした店主が三人分のコーヒーを淹れて持ってきた。
「故郷の淹れ方でしてね。とても濃いので、砂糖をたっぷり入れて飲むんですよ」
ほー、と言ったヨウが砂糖壺を開けた。
「店長、クリル海あたりの人?」
「ええ」
店主は自身の小さなカップにも砂糖を入れながら、問わず語りのように話し始めた。
「昔、よく入り浸っていた店がありまして。友達の親の店なんですけどね、時代の流れで閉店しました。こんな感じの店で、港にあって、食事とコーヒーがある。私の親は忙しくて、よく彼の……友達の店に預けられていた。迎えが来るまで一緒に席で学校の宿題をやったりね。常連さんに教えてもらったこともあった。食事のメニューがびっくりするほどたくさんあってね……。閉店の日、なぜか私は急に気恥ずかしくなってしまって、“美味しかった”って言えなかったんです。今でもちょっと心残りで……すみません、つまらない話を長々と」
「ああ、いや。意外とね、そういうのあとで聞かせると、たまーにウチの所長がなんか思いついたりするんじゃよ」
なんで、お気になさらず。
店主は目を細めた。
リノが照明を落とす許可を取りに来た。都会の落ちきらない暗闇に、またいくつかの光の砂絵が浮かび上がる。
不意に店主が尋ねる。
「そういえば、最初にいらっしゃったお二人は……学生さん?」
「い、行って、ないです……」
「おや、失礼」
目線がカイに集まる。
「もう出ちゃったんです」
彼の端末の画面には、『卒業試験:合格』という文字列が浮かんでいた。
「え、そうなんだ!あったまいいー」
素直な褒め言葉にカイはひどく気まずそうな顔をした。
明かりをつけて戻ってきた店主が再び口を開く。
「……そう。私はあの店が忘れられなくて、よく似たこの街で店をやろうと思ったんです」
開店前日。祝いの席に件の友人もやってきた。
店主の作った羊肉の串焼きを肴にエールを飲み、ゆるんだ口で彼が口を開いた。
「実は飽きてたんだ、父さんのコーヒーにも母さんのパンにも。今でも思うよ、たいして美味しくなかったなって。
なんならお前のほうがセンスあるしうまい」
彼は串から肉を食いちぎった。
「うん、めちゃくちゃジューシー。ソースも断然好き。
……でも、お前と遊んだあの店で一緒に飯食うのは、なんというか……味じゃなくて、楽しかったよ」
この店あそことそっくりだな、なんか嬉しい。
「その時思い出したのは、彼と彼の親と、たくさんの常連さんの声で溢れていた店内でした。だから友達が帰った後に店の裏でお願いをした。色んな人とたくさんお話したいなあ」
「それだ」
暗闇からぬっと出てきたリノに店主は驚いて振り向いた。
「店長、そのご友人は日付が変わった後に帰りました?」
「ええと……たしか、トラムの終電が日付の変わる直前だと言って、ぎりぎりの時間に帰りました。駅が近いですからね」
港湾部を走るトラムの停留場がちょうど裏道を通ればすぐのところにあるのだった。
「で、そのあとに店の裏でお願いをした……」
「はい」
リノはもう一度四隅の探知機を何やら弄り、もう一度照明を落とさせた。
「これは、開店前日二十三時五十九分から〇時に切り替わる瞬間の記録」
魔法使いが指を鳴らす。
先ほど一番薄く立ち上っていた砂絵が、ひときわ強く輝いている。
その上には、おそらくほとんど魔力を持たないであろう店主が煙のように立っている。
彼の頭の斜め上。
「街住み妖精だ」
幼い子供のような、ただの煙のような、ファロンのような……どれでもあるようでどれでもない、しかし強烈に「見える」という感覚を残す生物が、光の粒をまとって存在していた。
「このテナントの前の持ち主は相当験を担ぎたがりだったんでしょう。祝福の陣を何度も書かせたようだ。しかし持ち主は代わり、あなたが来た。重ねがけは効果が発揮されないこともあるが、土地にはくっきり跡が残る。跡のある場所に魔法生物は惹かれやすい。……街住み妖精は、時代の進歩により都会へやってきた妖精です。基本的に人間の近くにいれば良質な魔力が摂取できる……と考えたのはウェイブレットと同じだが、彼らはさらにお節介焼きで、純粋なものが好きだから」
魔法使いは店主の肩を叩いた。
「開店前日は満月だ。満月の夜十二時は彼らの力が一番強まる時です。新しい人間を歓迎して、サービスしてくれたんでしょう」
彼はほっと息をついた。
すっかり日も暮れた夜の、静かなさざなみが店に響いていた。
*
「あたしパフェ!」
「ええと……ソーダフロート」
「ピザトースト。あとコーヒー」
「コーヒーをもう一つ。それと『甘い豆のおやつパン』」
「バズけっこう甘党だよね」
「……」
「うーん。じゃあ私『オルチャ・ベルトマ』」
承知しました、と店主が笑う。
数日後。
ヤオヨロズ・ハーパーの五人は件の喫茶店を訪れていた。
大した依頼料にならなかったからと、店主からの招待を受けたのだ。
相変わらず入口にはファロンが長々と寝そべっている。
あんまり盗み食いしてると太っちゃうぞー、とリノにからかわれた彼女はおもむろにリノの手に前足を乗せ、盛大に静電気を発生させた。
携帯端末を見る。相変わらず回線は爆速だ。
そういえばカイもファロンを撫でさせてもらったが、冬にセーターを脱いだ時よりも弱い刺激しか感じなかった。やはり魔法使いなんて名乗るからにはなにか体質が違うのだろうか?いつか聞いてみよう。
「カイ・ヴェイン」
バズに声をかけられて顔を上げた。
「は、はい」
「街には慣れたか」
硬い声音に反してこの人、存外優しい。
カイは微笑んだ。
「……はい」
「なら良い」
調理を進める店主を遠くから盗み見た。
自分もこうして、この人たちと何度も食卓を囲むたび、楽しいと思えればいい。
そしていつか――
自身がつい先日まで通っていた小さな学校の、土埃の立つグラウンドを、カイは懐かしく思い出した。
懐かしいと思えればいい。
程なくして料理が運ばれてきた。
「お待たせしました。パフェ、ピザトースト、ソーダフロート、おやつパン……『オルチャ・ベルトマ』」
イカにライスを詰め込んで焼いたような見た目だが詰め物が紫色に怪しく光る、湯気を立てた謎の料理がリノの前に置かれた。
こわごわとナイフを入れる愉快な上司を、カイたちは楽しそうな目で見守った。
お読みいただきありがとうございます。
腰が重すぎて締め切りがないとアクセルを踏めないので、一話を書き出すためにイベントに申し込み印刷所で製本をお願いしました。
ヨウの喋り方は方言変換サイトで標準語→岡山弁で出しています。ネイティブではないのでふんわり大目に見てください。
はるか昔に考えたキャラクターが動きだしてくれてちょっと嬉しい。
『オルチャ・ベルトマ』は見た目に反してフォンダンショコラ的な美味しさの甘いおやつだと思います。




