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その夜、面会時間も過ぎたというのに、見知らぬ男性が尋ねてきた。 もちろん、侍女立会いの元での面会だった。
開口一番に、見知らぬ男性は謝ってきた。 「まさか、このような事が起こるとは思わなかった。 想像が足りなかった」と、頭を下げ続ける。
私の両親を騙すようにして、国外に出る事に、気が引けた見知らぬ男性は、古い友人の反対を押し切り、私の両親に打ち明けたそうだ。
その上、勝手をするお詫びにと、私の入院費を支払ったらしい。 両親は、どんなに喜んだだろうか。
聞けば、不安を訴え続ける古い友人に、見知らぬ男性は、私の身の安全を保証したそうだ。
今でさえ、宮廷の病棟内の堅固な警備付きの病室。それに足して、面会禁止と自身の侍女を付けた。
そこまでしてやっと、古い友人の同意を得ていたのだ。
『娘の幸せを願わない親はいない』
古い友人はどんな思いで、見知らぬ男性の考えを聞いていたのだろうか。 そんな事は、とうの昔に試している。 そして、今があるのだ。
古い友人が懸念した通り、見知らぬ男性から計画を聞いた両親は、彼にバラしたのだ。 私を売って、我が家の仕事を得るのだ。 それが、私の両親なのだ。
案の定、見知らぬ男性の考えを嘲笑うかのように、彼と彼女はその警固の隙間をぬって、私の病室に現れたのだ。
そして、優しい見知らぬ男性は、自分の侍女から私が病室で彼にどんな仕打ちを受けたのか、聞かされたのだ。
「本当に申し訳ない」
謝られた所で何も変わらない。 私はここから出て、また彼に捕らわれるだけ。
今朝までは、とても気分が良く、世界中が私を祝福している、と思っていたのに。
「それで、急なのだが………」
言い淀む見知らぬ男性が、チラリと私を見る。
「今すぐ、ここから出ようと思う」
「今からですか? 国境を越えるのには、許可書が間に合わないのでは?」
本来の出発日が明後日になっていたのは、入出国許可書が間に合わないからだった。
「いや、ここから先にある、迎賓館に行こうと思う」
馬で駆ければ、ものの数分らしい。 闇夜に紛れて出発すれば、誰にも気づかれないだろう。
「とにかく、ここには、この病室は安全では無い。 出国の準備ができるまで、迎賓館に避難していて欲しい」と、見知らぬ男性は訴える。
迎賓館といっても我が国の施設だ。 関係の無い私が滞在するのは、不審がられるのではないか?と不安を訴えると、迎賓館の一部に、自国の者しか立ち入らない空間がある、と教えてくれた。
乗りかかった船だ。最期まで付き合おう。
私は、決めた。 ここに残れば、確実に彼に束縛される人生しかない。
だが、逃げ出せば、少なくとも彼から逃げる事はできる。 誰も知らない異国で、辛い人生になるかもしれないけれど。
究極の選択だが、私は彼から逃れたい。
******
見知らぬ男性の侍女と、揃いのお仕着せを着た私は、侍女と共に病棟の裏口へと向かった。
見知らぬ男性は、裏口の向こうの通りに、馬を寄せて待っている手筈だった。
念の為に、侍女が病棟の廊下で、誰も来ないか見張っている。
「大丈夫です。 行ってください」
「ありがとう」
そう言う私に、侍女は淋しげに微笑む。
「助けられなくて、ごめんなさい………」
「仕方ないわ。 まさか病室で襲われるなんて、思わないでしょ?普通」
そっと裏口を開けると、ヒンヤリとした風が吹き込んでくる。 身が引き締まる。
「じゃ、またね」
「お気をつけて………」
―――パタリと裏口が閉まった。 新しい旅立ちだ。
私はフードを深く被り、小走りで向かいの通りを目指し走り出す。
が、突然、誰かに腕を引っ張られた。 恐怖で心臓が止まりそうになった。 彼に見つかったのだろうか、と振り返ると、まさかの彼女だった。
また、計画がバレたのだろうか。と、身構える私に彼女は謝罪する。
「あなたが、そんなにも彼と別れたがっているとは知らなかったわ。 勘違いして、ごめんなさい」
驚く私に彼女は捲し立てる。
「あなたのお母様が心配してたわ。 それに、あの人にも先程会ったわ。 馬の準備ができるまで、向こうに隠れるわよ。 この月明かりじゃ、誰かに見られてしまうもの」
混乱する頭で私は考える。 彼女は彼の味方では無かったか?
だが、見知らぬ男性が用意すると言っていた馬の気配が、通りの向こうには感じなかった。
通りの向こうといっても、宮殿の敷地内なので馬の息づかい位は、聞こえてきても良い距離だった。
それもあり、私は彼女を信用した。 それに、宮殿内の事は彼女の方がよく知っている。
そんな彼女が、急に立ち止まった。
建物が並ぶの外れ、丁度、開けた場所だった。
私も立ち止まり、彼女の言葉を待っていた。
とたん、ぐらりと私の身体が崩れた。 慌てて手を伸ばす私が見たものは、ニタリと笑いながら私の手を振り払う彼女の笑顔だった。
一瞬の出来事だった。 階段なのか、坂なのか。 斜面を転がり落ちた私は、暗闇の底で目を開けた。 あちこち身体をぶつけ、痛みが走る。
「アハハハ、大丈夫? 生きてる?」
見上げれば、青白い闇夜に彼女が覗き込んでいるシルエットが浮かぶ。
「彼は? 馬を用意してくれているのでしょ?」
「大丈夫よ。ちゃんと、ここにいるわ」
彼女が少し横にずれると、もう一人分、闇夜に浮かび上がる影があった。
「あなたも、グルだったの? 私を騙していたの?」
私はヒステリックに叫んだ。
信じていたのに。 彼から逃げられると喜んだのに。 覚悟を決めたのに。 全てが嘘だったなんて。
「アハハハ、俺は嘘なんて付いてないよ。 言っただろ? 俺から逃げられると思うなよって」
その声は、彼のものだった。
全身の力が抜けて、私はその場に座りこんだ。
終わった。 すべてが終わったのだ。
湿度の高い土の香りが、鼻腔に広がっていく。
見上げる私の視界に、青白い闇夜に浮かび上がる、二つの重なり合う影が映った。
私は後悔する。 あの時、美しい彼を欲しがらなければ………。
キラキラと煌めくハチミツ色の髪を胸に抱き、その程よい筋肉がついた身体、それでいて細身の彼の背中に爪を立てる権利を、独占しようと思わなければ………。
その湖面のように澄んだ、コバルトブルーの瞳を占有しようとしなければ………。
彼の低く心地良い囁きを、共有する心の広さがあったならば………。
私は、こんな暗くて狭くて淋しい場所に、居なかったのではなかろうか。
お気に入りのアクセサリーのように、彼を独占しようとした罰なのだろうか。
この先の人生を悲観した私は、ゆっくりとその瞼を閉じた。
更新お休みします。 一ヶ月以内には、続きが仕上がる………予定です。




