10
隣国へと続く山道の見張りの塔から、砂煙を上げ、逃げるように国境を通り過ぎる馬車列を、見送っている集団があった。
「やっと、御役御免だな」
「あぁ………」
ブラウトは脱力感から座りこんだ。 本当に疲れ切っていた。 やっと『古の魔女』疑い、それも、魅了の魔女からやっと解放されたのだ。
―――始めは、何の冗談かと思った。
エルヴィアが「古の魔女が復活したみたい」と息を切らせ、魔法省に駆け込んできたあの日から、全てが始まった。
『古の魔女』
この世の理とは、かけ離れた所にある魔法を使う魔女。 膨大な魔力を持ち、緻密な魔法を扱う魔女。 天性の魔法使いとでも言うのだろうか、呼吸をするように魔法を扱う。 魔方陣も魔法道具も呪文もいらない。 ただ、願うだけ。 それだけで、魔法が発動してしまう。
その『古の魔女』には、主となる魔法があった。 回復魔法ならば、偉大なる聖女として崇められ、炎や水であれば、怖れられ排除される。 不憫な魔法使いでもあった。
ただ、今回復活したのは、どちらかといえば厄介であり、そして異色な魅了使いであった。
魅了使いは、過去、国政を崩壊させる程の影響力があった。 なにせ、無意識に相手を魅了してしまうのだから。
「どうやら、その魔女、男爵夫婦の養女で、先日デビューしたばかりらしいわ。 なのに、もう、社交界の話題の中心なの。 まぁ、人目を引く容姿では、あるけど………」
エルヴィアが、興奮気味に話し出す。
「以前の『古の魔女』も、貴族の養女として登場してたじゃない?」
―――そう。 資料にある『古の魔女』は、貴族の養女として登場したのち、王太子や影響力の強い公爵、その側近などの庇護を受け、彼らの婚約者たちと愛憎劇を繰り広げた。
それは、次世代を担う予定の若者たちの未来を、混沌とさせたのだ。
その時の混乱の記録から、今後起きうる事態に備え、対策研究を行なっていたのは魔法省であり、ブラウトやエルヴィアが所属する魔導師団でもあった。
眉唾ものだった『古の魔女』。 それも、希有な魅了使いの登場に、彼らは震えた。
それは、怖いもの見たさだったのかもしれない。
ところが、記録に残る時代と違うのは、今どきの魔法使いは、ほぼ全員が魅了に対処できていた。 魅了の解除、もしくは中和は徹底して教え込まれていた。
それほど魅了は恐れられていた。
「どうやら、彼女と出会った令息たちのほとんどが、彼女に入れ込んでるらしいわ」
エルヴィアが嬉々として報告する。
「あの『古の魔女』と似てない?」
****
ところが、やっぱりと言うべきか、調査上、彼女は『古の魔女』と言うほどの魔力は、持ち合わせていなかった。
ただ、人を惹きつける魅力は持ち合わせていた。 少し珍しいピンクブロンドの髪色や、ときおり蒼にも見える深い青紫の瞳は魅力的で、どうしても人目を惹いてしまっていた。
その容姿端麗で、艶やかな彼女が夜会に登場すると、其処だけ花が咲いたように輝き、人目を引くのは当たり前だろう。
その彼女が年頃になる頃、ブラウトとの接点が出来た。 彼の父親の取引相手が男爵だったのだ。
彼女は『イリス』と名乗った。
その日から、夜会などでブラウトは、視線を感じるようになった。 その視線の先を追うと、決まってイリスにたどり着いた。
また、ブラウトと親しい令嬢たちが「イリスに意地悪をされた」と、訴えるようになっていた。
ブラウトは戸惑っていた。
自身の立場もあったので、特定の令嬢と親しくする事は避けていた。 そのせいか、勘違いした令嬢たちから『女性関係が派手だ』と噂される事になってしまったが………。
そうやって、避けていたにも関わらず、面倒事に巻き込まれている事に、困惑していた。
そんな時、何か楽しい玩具でも見つけたかのように、嬉々としたエルヴィアに誘われた夜会で、再びイリスに出会った。
戸惑うブラウトにエルヴィアは言う。
「ねぇ、楽しい事になっていると思わない? きっと彼女『古の魔女』よ」
「まったく楽しくない。 どちらかと言えば迷惑だろ? ただの顔見知りなのに、俺の彼女気取りなんてさ………。 それに『古の魔女』ではない。って結果が出ただろ?」
ブラウトにとってイリスは、ただの一度挨拶を交わしただけなのだ。 ただ、それたけなのだ。
「それよ、それ。 どこかで聞いた話だと思わない? あの『古の魔女』をモデルにした、大ヒット小説よ」
「えぇ………」
顔を歪め嫌悪感を表すブラウトに、エルヴィアは畳み掛けるように話し出す。
「ほら、見て。 みんなの憧れのブラウトを独占しようとするだけじゃなく、殿下やその側近にも馴れ馴れしいのよ」
「みんなの憧れって………」と言いながら、エルヴィアの視線の先を見てみると、確かにイリスの周りに人垣ができていた。 そのメンバーは王太子とその側近候補たち。 エルヴィアや小説で言う所の、将来有望な重要人物たちだった。
言葉を失っているブラウトに「ね?」とエルヴィアは得意そうに言う。
「彼女に興味が湧くでしょ? 無理言って、お父様にお願いしたの」
筆頭公爵の、エルヴィアの父親からの誘いを断れる者は、国王だけだろう。
彼女は小説の舞台そのままに、この国の次期有力者を集めたらしい。
すると、思惑通り、とても無礼に、王太子やその側近たちに声を掛けに行ったそうだ。 一男爵令嬢が。 紹介もなく。
「もう、嬉しくて仕方がないわ。 小説の中だと、私は悪役令嬢なのかしら? でも、私、誰とも婚約してないから無理だわね………」と、残念がっている。
「ブラウト、ちょっと来てよ。 仕上げをするわ」
ブラウトはエルヴィアに腕を引かれ、イリスと王太子たちが談笑する輪に入り込む。
そこで、再びエルヴィアによって、イリスに紹介された。
「こんにちは」と顔を赤らめるイリスは、ひいき目無しで見ても可愛いとは思う。 ブラウトにとっては、ただ、それだけだった。
だが、事態は一変した。
イリスとの談笑中、彼女から向けられる視線に、ブラウトは、何とも言えない違和感を感じたのだ。 虫酸が走るというか、言い難い不快感。
自分を覗き込む蠱惑的なイリスの瞳が、深い紫に見えた。 最高級品のアメジストのような。
耳鳴りと頭痛がしたが、ブラウトは微笑みを絶やさない。
*****
―――馬車が続々と公爵邸を後にする中、とある一室に王太子を含めた面々が集まっていた。
「ごめんなさい………」
エルヴィアがしゃくりあげて、許しを請いながら泣いている。 誰も、彼女を責めないが、当惑していた。
「マズイ事になった」
それが、一同の意見だった。
ブラウトが感じた不快感を、王太子たちも感じていた。 だが、イリスがブラウトと話し出した辺りから、その不快感が増したのだ。
そして、感じた『魅了』の魔力。
イリスは『古の魔女』なのかもしれない。 今、魔導師長が隣室で、ブラウトの残留魔力から、それを判定していた。
重苦しい沈黙の中、すすり泣きが響いていた。
そんな中、隣室へ続くドアが、重々しい音と共に開いた。 皆の視線が魔導師長の後方、絶望の表情を抱えたブラウトに集まる。 そして、魔導師長の言葉を待っていた。
その緊張感をもて遊ぶかのように、魔導師長はゆったりと、のんびりと、一つポツリと空いている椅子へと向かっていた。 そして、言う。
「………魅了ですね。 それも、かなり強力な。 よく、ブラウトが自身の意思を保っていられた、と思いますよ」
重苦しい沈黙と溜息が室内を覆った。 魔導師長の後方に立ち尽くすブラウトは、心なしか震えているようにも見えた。
「………殿下に、魅了の痕跡は?」
エルヴィアの父である公爵が、魔導師長に尋ねる。
「微かにはありますが、意図的に発動したものではないでしょう。 彼女は『古の魔女』に匹敵する魅了使い、といってもいいでしょう。 それも、時々によって使い分けられる能力まである」
「と言うのは?」
王太子が魔導師長に問う。
「魅了したい相手によって、その威力をコントロールしているのでしょう。 もしくは、自然、そうなっているのか。 殿下たちには、自分に惹きつける為の魅了、ブラウトには自分に興味を持たせる為の魅了。 ………もしくは、自分に夢中にさせるために、殿下たちに発動した魅了より、強い物に調整したのだと思われます」
沈黙が続く。
「ブラウトが魅了の魔力中和に特化していて、魅了解除も得意なのが幸いでした。 ………ここからは、私個人の考えなのですが、彼には魔女の相手をしてもらいます。 魔女が、他の男性に興味を持たないようにしてもらいます。 そして、エルヴィア嬢には、その協力者になっていただきたい。 ひとまず、魔女が我が国に害を及ぼすかどうか、確認がとれるまでの間、魔導師団の監視下に置きたいと思います」
魔導師長の言葉に皆、息を呑む。




