孤立の誓約と青年ら
ヨハネスは隣にいらっしゃる陛下と内閣主席に気づかれぬようため息を吐いた。内謁の間だとは思えぬほど人が多い。
こちらゴーディラックからは国王陛下を始め、内閣主席、軍事総司令官、内務大臣。あちらヴァロワール共和国側からは大使を始め、国防大臣、経済大臣、ASNの対ゴーディラック局長。私はゴーディラック側に、マカレナはヴァロワール側の通訳官としてテーブルについている。本音を言えば、マカレナをヴァロワール側につかせることに不安があるが、やむを得ない。人数が多いため、私1人で対処することが難しいのだ。
大使ドロン様が「先日、ゴーディラック王国南方のティレアヌス地方にて反乱者の処刑があったとの情報を掴んだ」と強い視線を向けた。
ASNの対ゴーディラック局長マルシャン様も「昨年も反乱者の処刑があったと伺いました。現在そちらの情勢は如何ほどなのですか?」と続けた。
私は言葉を選びながらあちらの言葉を陛下とにお伝えした。ここで訳す単語を間違えてしまえば、国際関係が危うい。
当方の軍事司令官ベッカー様は「ティレアヌスの不穏分子らは一掃した。故に懸念事項などない」と言い切った。
マカレナは一瞬、曖昧な表情を見せた後、訳しあちらの大使らに伝えた。大使はピクリと片眉を上げた。まずい、虚偽に気づかれたかもしれぬ。マカレナ、頼むから表情を変えるな。
大使は「ゴーディラック王国国王陛下。ヴァロワール共和国は今後もゴーディラック王国との関係を維持することを願っております。故に我々はゴーディラック王国の現状を正確に知ることを望んでおります」と真っ直ぐ陛下を見た。それから私に視線を移した。「もしもあなた方もヴァロワール共和国との関係を維持することを望むのなら、正確な情報を。誠意をお見せください」と続けた。
マカレナは戸惑ったように瞬きした。好奇心旺盛なマカレナは困るであろうな。ゴーディラックにとって唯一の異国であるヴァロワールとの関係が断たれてしまえば……、ゴーディラックは孤立してしまう。孤立してしまうと食品やガラス、武器などの輸入品を得られなくなる。ワインや工芸品などの名産地であるティレアヌスとの関係が危うい今、ヴァロワールからの輸入品は非常に貴重だ。
極力、刺激しないよう言葉を選び陛下にお伝えした。ピクリと陛下の額に青筋が立った。
陛下は「では聞こう。こちらが情報を出せば、そちらは何をするのだ? こちらの機密情報を見せることでこちらには一体どのような利があるのだ?」と危うい言葉を放った。
マカレナ、頼む。亀裂の入らぬ言葉を選べ。マカレナは泣きそうな顔で仏訳した言葉を大使に伝えた。
大使は「もうお忘れか? なぜヴァロワール共和国とゴーディラック王国との間に交流があるのか?」と怒りに目を見開いた。私は大使の言葉を訳し、陛下に耳打ちした。
陛下は「ああ。50年前、我が国の軍のみの力でティレアヌスを占領下に置いた。その武力に脅威を抱いたからであろう?」と笑った。マカレナが訳し、大使に伝えた。
ヴァロワール経済大臣ジラール様は「違う、そちらの都合の良いように歴史を捏造したのか? 事の発端は65年前。ゴーディラック王国が飢饉にと陥ったことにある。国際社会との交流を断ったゴーディラック王国にヴァロワール共和国が援助の手を差し伸べたことに始まる」と割入った。
陛下は「ではもう飢饉のない現在、ヴァロワール共和国との関係を続けることにどのような利がある?」と見えない剣をチラつかせた。
訳した言葉を大使に伝えたマカレナと、ため息を吐く私の目が合った。
なぜ唯一の異国との交流が断たれるかもしれぬ場に我々が立ち会わねばならぬのだ? 通訳官でしかない我々にできることはただ1つ。関係に亀裂の入らぬよう言葉を選ぶこと。だが、このような話になっては言葉を選んでも手遅れだ。
大使は「では、ゴーディラック王国は国際社会から完全に孤立しても構わぬ、と。例え他国がゴーディラック王国を侵略することを望んでいたとしても、ゴーディラック王国に情報が入ることはない」と陛下を睨んだ。「それで良いと? それがゴーディラック王国の総意ということで良いか?」
この緊急事態に気づいていただこうと私は言葉を選びながら陛下に伝えた。陛下がギロリと大使を、あちらの経済大臣を、ASNの局長を睨んだ。内謁の間全体に緊迫した空気が漂う。マカレナは真剣に天井を睨んでいる、打開策を練っているのだろう。だが、マカレナ……。
マカレナがダンっと立ち上がり「総意などではありません」とフランス語で叫んだ。「私は望んでおりません。ヴァロワール共和国との交流が断たれることなど! 私たちゴーディラック人にとっては唯一の異国ですもの!」
「マカレナ」と私は低い声で呟いた。
陛下が私を小突いた。私はマカレナの言葉を訳し陛下にお伝えした。陛下に更なる青筋が立った。
私はどうすべきか。通訳官としての役割に徹するべきか、マカレナに加勢すべきか。今後のゴーディラック王国のためを思えばマカレナに加勢すべきだ。だが我が身と家の安寧を思えば役割に徹するべきだ。マカレナが大使を相手に交渉している。マカレナが一瞬ニヤリと笑った。ふっと脳裏にエリザベスの今後が浮かんだ。ヴァロワール共和国との交流が断たれてしまえば、何かがあった時にエリザベスを国外へ逃がすこともできぬ。
私は体勢を変え、陛下に向かい合った。
「陛下、もしもヴァロワール共和国との交流が絶たれてしまえば国防の問題はもちろん、ガラスや最新武器などの輸入品も得られません。ガラスが手に入らなければ、鏡や窓などは作れません。最新武器が手に入らなければ、今後如何にしてティレアヌス派らを制圧するのですか? 現在我々が所有する最新武器すらも数年経てば、奴らも所有するようになるでしょう」と囁いた。
陛下は逡巡するように大使を見た後、ゴーディラックの内閣主席に視線を向けた。
陛下は「其方は如何に考える? あの国との交流を断たぬようにする手段について」と呟いた。
内閣主席は「婚姻はいかがでしょうか? 陛下、来週で成年を迎えられる王女様がいらっしゃるでしょう。婚姻によって得られた縁は簡単には切れません」と陛下に提案した。
良い案だ。また、その婚姻によって生まれた子を次代の通訳官とすることも可能だ。だが、ヴァロワールには王族も貴族もいない。と、なれば……。
私は「陛下。ちょうど大使には独身で20歳のご子息がいらっしゃいます」と期待を籠めて囁いた。それから「彼のことは私も存じ上げております。人柄もよく勤勉な青年です」と情報を追加した。
陛下は頷き大使を見た。大使もこちらを見た。マカレナの目は爛々と光っている。あちらは上手く行ったのか。
大使は「ではこちらは今後もゴーディラック王国との交流を望む。だがそちらはどうだ?」と期待の眼差しを向けた。私は安堵の心持ちで大使の言葉を訳した。
陛下は「こちらも同じことを望みましょう。しかし今後どうなるのか未だ読めぬ情報を易易と寄越すつもりはありません。しかし、友好の証として、リヴィアをあなたのご子息の妻として与えましょう」と鷹揚に告げた。マカレナは嬉しそうに訳した言葉を大使に告げた。
大使は戸惑ったように「私の息子の妻に……? しかしあの子はまだ大学生……」と一瞬顔を顰めた後、「いえ、あなたの提案を受け入れましょう」と応じた。
陛下の文官が契約書を作成した。陛下と大使は署名をした。ひとまず1つの危機を乗り越えた。私は安堵を息を吐いた。
*
私は隣に立つエリザベスを見つめた。普段と比べドレスの締め付けは緩やかだが、やや顔色が悪い。
「大丈夫か? エリザベス」と私は彼女の手を取った。
「ええ、大丈夫です」とエリザベスは微笑み、馬車から降りた。
彼女が階段で転ばぬように支えながら、王宮の大広間に入った。王女の、かつてティレアヌスを征服した英雄の孫娘の成年祝いの舞踏会だ。大勢の貴族でごった返している。階段の下では王女の父親である陛下が待機している。
「ジュリア王女のおなり!」と叫ぶ声がした。
貴族らが一斉にお辞儀をした。白に近いピンクのドレスを着たジュリア王女が一歩一歩、やや緊張した面持ちで階段を降りる。明るい栗色の髪に青い瞳で、大切に育てられたことが窺える純粋で愛らしい顔つきの王女だ。陛下が手を差し伸ばした手を、受け取ったジュリア王女はにこりと微笑まれた。
ワルツが奏でられた。親子は踊り始めた。視界の端にモハメドが入った。此度の縁談により大使の一人息子であるモハメドは、急遽呼び出されたと聞いた。モハメドは舞踏会の最後に、婚約者としてジュリア王女と踊る予定だ。
私はそっとマカレナに近寄った。
「マカレナ。モハメドはワルツに慣れていないであろうから、次の曲の時に1度踊ってやれ」と囁いた。
マカレナは「はい」と頷いた。表情は見えない。
マカレナの視線の先にはパース子爵がいる。マカレナは彼が謀反に加担していた証拠を掴めなかったそうだ。故に彼も貴族の1人としてこの舞踏会に出席している。
一曲目が終わった。国王陛下はジュリア王女の母であるアレクシア妃のもとへ行った。その隙にパース子爵がサッと王女の手を取った。ジュリア王女が恍惚とした視線をパース子爵に向けた。まずい、と思いモハメドを見ると、彼はマカレナとの会話を楽しんでいた。先が思いやられる。
エリザベスの顔を見ると、先程よりは顔色が回復していた。だが無理は禁物だろう。
「エリザベス、今日は座っているか?」と広間の端に椅子を指した。
「ええ」とエリザベスは頷いた。
エリザベスの手を取り、支えながら椅子に座らせると彼女はホッと一息吐いた。ふとジュリア王女がいた位置を見るとパース子爵ともども消えていた。だが誰も気づいていないようだった。
エリザベスがさり気なく腹部に手を当て「今夜の舞踏会がこの子に響きませんように」と小さく祈った。
大使「大学生のモハメドはいざとなれば逃げられるだろうな」
次回、王女の初恋




