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糸の先に咲くもの

 酷い目眩により明美は自室のベッドで寝ていた。窓から漂う土の香りに顔を動かした。昨日から4月に入った。馬車が去っていく。医者のハリス先生が乗っている。私は上体を起こし、窓の外を見た。雪解けの季節だ。氷柱からぽとぽとと雫が垂れている。一滴一滴に夕日が指し、プリズムのようで……。腹に触った。

 吐き気が酷いから夕食は食べたくない。そうフリーダに言うと、彼女はシェフと話をしに行った。

 私はこてんとベッドボードに頭を預けた。1羽のカットウが空を飛んでいる。ゆっくりと瞬きをした。ゆっくりと重たい瞬きを……。



 


 

 長い長い糸がある。糸の色は赤なのか、緑なのか分からない。この糸を手繰り寄せるべきなのだろうか? 握った手のひらには糸の一端があった。この糸を手放すべきなのだろうか?

 迷っているうちに糸はどんどん脆くなっていく。私が決める前に、糸はひとりでに切れてしまうだろう。







「エリザベス、エリザベス。起きなさい」と肩を揺すられる。「体が冷える」

「うう……ん?」と私はゆらゆらと目を開いた。「ヨハネス様」


 私が目覚めたのを確認した後、ヨハネス様はベッドに腰掛けた。眼尻が柔らかい。彼はゆっくりと私の髪を撫でた。


「子を授かったようだな」

「はい」と私は頷いた。何となく逃げたい。

 ヨハネス様は「めでたいことだ」と顔を伏せた。


 めでたい……? 私はヨハネス様の頬に手を伸ばした。ヨハネス様はピクッと身動いだ。本当にめでたいことなの? ヨハネス様にとって。めでたいことなの? 私にとって……。私の母は2人いる。1人はヨハネス様と結婚するため、書類上の養母となってくださったボーヴァー伯爵。もう1人は……、実母だ。私はゆっくりと腹に触れた。いずれは大きくなってくる……。私は母になれるのかな……?

 ううん、明るいことを考えないと。心に負担掛けたら流れちゃう、まだ初期だから流れやすいらしい。私はにこりと笑った。


「ヨハネス様。子どもは男の子がいいですか? それとも女の子?」

 ヨハネス様は怪訝そうな顔で「子の性別は親が選べるものではないであろう?」と顔を上げた。

「存じ上げております! ですが、どちらの方が嬉しいですか?」


 ヨハネス様はこの子をどう思っているのか、分かるといいな。私は笑みながら首を傾げた。ヨハネス様は再び私の髪に手を伸ばした。今日は1日ベッドにいたから、髪を下ろしたままだった。


「其方はどちらがいい? ジョエルのような息子か?」

「私達はジョエルと血縁関係がないので、ジョエルとこの子が似ることはないじゃないですか」と私は笑った。「そうですね…………。どっちでもいいです」

「そうか」とヨハネス様は私の肩に顔を埋めた。「其方はスヴェトラーナ=ジョセフィン后のことを知っているか?」

「ええ。ヴィンス7世の后だった方でしょう?」

「そうだ。彼女の美貌については?」とヨハネス様は上目遣いで私の顔を見た。


 私は何も言わずに頷いた。エミリアさんの実家だった喫茶店に飾られていた肖像画を思い出す。妖精のように儚い雰囲気を持つ光輝く金髪碧眼の美しい娘。今思うと、あの絵では髪を下ろしていたから少女時代のものだろう。

 ヨハネス様は重苦しいため息を吐いた。


「1917年。彼女が35歳になった頃、急速に美貌が衰え始めたため処された」

「え?」


 え? ああ……。

 ヨハネス様は私の腕を強く掴んだ。私は心を落ち着かせようと息を吸い吐いた。


「当時の国王だったカルヴァス王は彼女の遺体に特殊な処理を施し、彼女の遺体を地下に保管した。今も生前と変わらぬ姿で地下にある」

「ミイラってことですか?」


 私は世界一美しいと呼ばれるミイラを思い出した。ミイラとなった子どもと違い、スヴェトラーナ=ジョセフィン后の場合は美貌を保存するために殺され、ミイラにしたのだろう。

 それから気になることがもう1つ。


「1917年?」

「ああ、そうだ。なにか気にかかることが?」

 私はこくんと頷き「その年には他に何があったのですか?」とヨハネス様の顔を私の肩から引っ剥がした。

 ヨハネス様は「その年には……血が多く流れたな。其方にまつわることもある。その年だった、塔に監禁されていたはずのレティシア・アディヤ(第一王女)が行方不明となったのは」と真っ直ぐ私を見た。

「レティシア・アディヤがその年に?」


 1917年か。

 腹を括ろう。この人は敵じゃない。私も真っ直ぐ彼を見つめた。


「ヨハネス様。数年前、祖母の家で家系図を見たことがあります」


 私の言葉にヨハネス様の目が微かに鋭くなった。私はニコと微笑んだ。


「私の曾祖母の名は1917年生まれのエリザベス。レティシアという名はありませんでした」

「エリザベス? 其方と紛らわしいからエリザベス1世と呼ぶが……」


 余計紛らわしくなったよ。私、半分イギリス人だから。


「私、エリザベス1世はレティシア・アディヤの娘だと考えていました。しかし産後で人目を盗んで逃げられるのでしょうか?」

「無理だ」とヨハネス様は即答した。「子を生むのは通常であっても危険だが、あの塔で子を生めば……」


 ヨハネス様はふっと顔を上げた。なにかに気づいたように強く光る眼差し。


「もしや、エリザベス1世はスヴェトラーナ=ジョセフィン后が生んだのでは? その前年までヴィンス7世は生きていたのだからあり得る話だ。そして急激に衰弱したことにも理由がつく」

「つまりエリザベス1世はレティシア・アディヤの妹だと?」と私は息を早めた。鼓動も早くなった。


 私は頭の中に家系図を展開した。


 ヨハネス様は「恐らくスヴェトラーナ=ジョセフィン后は残された娘たちを守るため2人を国外へ亡命させたのだろう」と私の耳元で囁いた。

「そう言えば、レティシア・アディヤの他の王子や王女はどうなったのですか? レティシア・アディヤが残っていたのなら処刑ではないですよね?」

「ああ」


 スヴェトラーナ=ジョセフィン后が生んだ子は7人。王子3人と王女が4人。第一子はレティシア・アディヤ、第二子のアブラーモ王子。末子、第7子のエリザベス1世。

 ヨハネス様は私とベッドボードの間に入り座り、私の腹を包み込むように抱きしめた。


「バベット・クロエ(第二王女)は流行り病に掛かり亡くなった。王子王女の中で彼女だけが革命の前に亡くなっているな。フローレンス・エレーヌ(第三王女)は塔の中で肺炎に掛かり亡くなった。王子達はヴィンス7世と同時期に……」


 ああ。処刑されたのか。


「女の子だったら、いいなぁ。この子」と私は目を伏せた。「ティレアヌスとの関係は不安定なのでしょう? この時期に男の子が生まれたら……」


 男の子が生まれちゃったら、素直に祝ってあげられないかも。ヨハネス様の手の上から、私の手に触れた。私の出自がアレなせいで……。


「ヨハネス様、マカレナから聞きました。エミリアさんは亡くなられたのでしょう?」

「マカレナ……」とヨハネス様の声に一瞬怒りと呆れが見えた。

 私は「もしティレアヌスとの関係に何かあれば、私もこの子も危ない。けれど女の子であれば……」とヨハネス様に寄りかかった。


 女の子であれば、生き残れる可能性は微かだがある。ヨハネス様は小さく頷いた。


「其方に似た娘であれば、陛下が確実に目をつけるであろうな」

「陛下、私を側妃にと望んでいらっしゃいましたもんね」


 私が欲しいのか、私の中に流れるスヴェトラーナ=ジョセフィン后の血が欲しいのか分からないけど……。


「ヨハネス様に似た娘だったらどうなるのかしら?」

「私に……。きっと人質のように後宮に入れられるが、寵姫にはならぬだろうな」


 ヨハネス様、美丈夫だと思うけど。ヨハネス様は私に腹の上に置いた手に力を籠めた。


「其方の実母はどのような母親だった? 娘と会えずとも愛し続ける母だったのか?」

「いいえ……。きっと愛してはいないと思います。会えなかった10年は長すぎたみたいで」と私は笑った。


 ヨハネス様に同じこと聞いても意味はないだろう。ヨハネス様の実母はヨハネス様が1歳のころに亡くなっているから。継母だったボーヴァー伯爵夫人との関係は良好みたいだけど。


「そんなことよりヨハネス様、この子が成長する頃にはどんな世の中になっているのでしょうか?」

「さあな」とヨハネス様は私の頭に口付けた。「それより来週の舞踏会に参加できるのか?」

「ガヴィーナ(第四王女)」という称号が、明美の名前の一部になっていた理由。

先祖の方のエリザベスが早くに亡くなった影響で情報の伝達が上手く行かず、ミドルネームとして認識されていたから。

次回、国交の未来。

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