閑話 仕掛けるのは甘い罠
「北風と民を治められる国王陛下に栄光と祝福を」
謁見の間の重々しい雰囲気に潰されぬようマカレナははっきりと挨拶した。今日は私1人で陛下に挨拶しなければならない。失言をしても助けてくれるお兄様もヨハネス様もいらっしゃらない。
「此度はハイド伯爵の後継として通訳官を志すことを許していただけたこと、心より感謝申し上げます」と丁寧に悪印象を与えぬようお辞儀をした。
「頭を上げよ」と陛下の声が響く。
ゆっくりと頭を上げた。陛下の隣に第一王子殿下もいらっしゃる。こちらも後継を意識し始めたのだろうか。陛下は40歳だから……、そろそろ死の備えをしなくてはならない御年だ。
陛下は「よもや、女の身で通訳官を志すとはな」と頬杖をついた。「婚約破棄したと耳にしたが、男の世界に入る以上婚約者は必要でないのか?」
私は「はい。18歳になった後に婚約破棄された私には新たな縁談は上がらぬでしょう」と微笑んだ。
陛下は殿下を一瞥なさった後、目線を私に戻した。
「第一王子アドルフは22歳だ。どうだ?」
思わず私と第一王子殿下の目が合った。殿下には既に妃がいらっしゃる。だから側妃としてだろう。男爵の娘が第一王子の側妃だなんてシンデレラみたい。だけど、そんなこと言われても……。脳裏にエリザベス様が浮かぶ。エリザベス様は場を躱す才能をお持ちだった。エリザベス様を意識して首を傾げた。少しきょとんとした顔で。早く帰りたい。早く帰ってティレアヌスへ行く準備をしたい。
「陛下のご厚情には感謝いたします。しかし私は通訳官としての修業も、文官としての仕事も続けます。そのため今は結婚など考えられません」
「今を逃せば二度と結婚できぬとしても?」
「はい」
だって結婚してしまえば、夫の意向によっては文官を辞めなくてはいけない。もしかすると通訳官は続けられるかもしれないけど……。
その時、陛下の文官が面会時間の終わりを告げた。陛下は退室を許可された。私はお辞儀して静かに謁見の間を出た。一歩一歩前を見据え歩く。
私が文官を続けることは決して諦めない。通訳官としてなら異国の方々と見知らぬ異国の文化と接する機会を得られる。そして文官としてなら……。
突然、誰かとぶつかった。
「申し訳ありません! 考え事をしておりまして」と頭を下げお辞儀をした。
「大丈夫です。私は気づいていましたから」と男、いやパース子爵が私の顎を掴み顔を上げさせた。「それよりマカレナ嬢、あなたにお話したいことがあり、探していましたよ。庭園へ行きましょう」
「はい」と私は頷いた。
パース子爵が差し出した右手に私の手を重ねると、彼は私の手を左肘に掛けた。広い階段を降り、庭園に出た。庭園に出た後も彼は私の手を取ったまま歩き続けた。東屋へ行くつもりだろう。と、言うことは……。脳裏に今まで読んだ幾冊もの恋物語の佳境の場面が浮かぶ。ヒロインが最も喜び、鳥も花も歌う場面だ。
ちらとパース子爵の横顔を見た。何度もティレアヌスへ行っているせいだろうか、貴族らしくなく日焼けしている。整った鼻筋、繊細な印象を与える詩人のような顎の線。華奢な体格。ヘビのように細い曲線を描く目。
ドキドキする。これからどんな瞬間が待っているんだろう。ゆっくりと階段を上り東屋に入る。東屋は庭園の中でも高い位置にあり、庭園を一望できる。庭園は秋の色に染まり、ひんやりとした秋風が木々を揺らし、葉を舞い上がる。
「マカレナ嬢」と彼は私の手を一旦放し、ひざまずく。彼の声から確かな決意と温かな想いが読み取れる。
薄曇りだった空から東屋に柔らかな光が差す。
「マカレナ嬢。私は長年、私と共に生きられる人を探し求めていました。クリスチャンであること。私と共に時折ティレアヌスまで行くことが出来ること。平民との交流を苦に感じない方を探し求めていました」
私は相槌を打った。クリスチャンであること、ティレアヌスまで行けること、平民との交流を苦に感じないこと。全部旧ティレアヌス王国復活のために動く貴族として必要な妻の条件だ。
パース子爵は「まだ見ぬ方を求め私は日々を生きておりました」と続ける。「そんなある日、エルミナの町を全力で疾走するあなたを見かけ一目で心を奪われました。貴族の娘でありながら、自由に町を駆けるあなたに強く心惹かれました」
私は口元を抑えた。見られてたのか。珍しい本を買えた上に、骨董品屋に外国語の本があると聞いて興奮して走った所を。顔が火照る。
「マカレナ嬢。心よりあなたを愛しております」と彼は私の手を取った。「どうか私の妻になってください」
その言葉は、秋風のように優しく鋭く、確かな力を持って私の心に届いた。パース子爵の真摯な眼差しと、手のひらから伝わる温もりに、心が揺れ動きそうだった。この心の揺らぎを恋と呼ぶのかな?
けれど、マカレナ。よく考えて。パース子爵はティレアヌス派。証拠はまだ掴めていないけれど、先日のティレアヌスの暴動に関与している可能性が高い。もしそのことが発覚すれば……。妻、もしくは婚約者も含め一族の者は処されるだろう。
日が沈む気配を感じ顔を上げた。空は橙色に染まり、木々の影が長く伸びている。私は死にたくなんてない。こんなにも輝きと驚き、未知に溢れるこの世界を置いて逝きたくない。けれど……この心の揺らぎを放置すれば恋というものを深く知ることができなくなる。
私は静かに身を屈め、パース子爵と目を合わせた。
「閣下、私は喪中の身。婚約も婚姻も叶わぬ身です」
「そうだったな……」
私達の結婚には政略なんて絡まない。だから両親の承認を得た上で婚約の内定を得ることも不可能。喪中の私は求婚も受け入れられない。そのことを利用して返事を先延ばしにしないと。
パース子爵は私の顎を掴み、唇を重ねた。胸がときめく。唇が離れると彼は私の髪を撫でた。
「君の喪が明けるまで待つ。だけど出来るなら、僕をロミウスと呼んで欲しい」
「はい、ロミウス様」と私は頷いた。
名前で呼ぶ、ということは恋人同士だと周囲に示すようなもの。だけど、事情をハイド伯爵に説明すれば死は免れないかしら?
「ロミウス様。私、この後お兄様と会う予定があるので戻らねばなりません」
「おや。それでは兄君を心配させぬうちに戻りなさい」
「はい」と私は立ち上がる前にパース子爵、ロミウス様に口付けた。
庭園から王宮を通って、馬車に乗った。その夜、予定通りティレアヌスのアウレリア行きの汽車に乗った。ロミウス様が謀反に関与している証拠を掴むため。
汽車には1週間半も乗らなくてはいけない。私はため息を吐き、背もたれに寄りかかり眠りについた。
*
アウレリアに到着した私は朝の光に包まれ、うーんと背を伸ばした。アウレリアはゴーディラックに比べまだ暖かい。10月末なのに。
駅から出て馬を借りた。馬に乗りながら周囲を見渡した。港町らしい潮の香り、魚の香りに包まれる。ゴーディラックと比べ質素なドレスを着た御婦人方。教会の鐘が鳴り響く街。どうすればいいんだろう。私がこの街を深く知ろうと思えば文官になるしかない。女だもの、私。だけれど文官としてティレアヌスに行くには主の付き添いとして、もしくは内偵として行くしかない。ヨハネス様は旧ティレアヌス派の息の根を止めることでご自身の安定を図ろうとしている。私がこの街について知ることは、この街に揺らぎを齎すことに繋がるかもしれない。けれど、私はこの好奇心を抑えられない。だってこの世界には私の知らないもの、知らない文化で満ち溢れているんだから。
私は馬を闊歩させエミリア・ガゼルの邸宅へ向かった。
「国王陛下の使いとして参りましたローレンスと申します」と門番に旅券を手渡した。
門番は私がゴーディラックのアウリスに住む貴族だと確認すると、あっさり私を通してくれた。執事の後をついて行き、エミリア・ガゼルの部屋の前に立った。
執事は「エミリア様。国王陛下からの使いがいらっしゃいました」とノックした。
「国王陛下からの……? いいわ、入りなさい」と中から声がした。
エミリア・ガゼルの部屋に入りお辞儀をした。私の背後でドアが閉まった。執事の気配が遠のいた。私はゆっくりと顔を上げた。
「お初にお目にかかります。エリザベス・ド・ハイド様に仕える文官、マカレナ・ド・ローレンスと申します」
私の言葉にエミリア・ガゼルはゆっくりと目を見開き、手元から毛糸を落とした。腹は大きく膨らんでいる。やはり、彼女は妊娠している。
「エリザベス様の? 何かありましたの?」
私はゆっくりと首を横に振った。
エミリア・ガゼル。ティレアヌスとゴーディラックを繋ぐティレアヌスの商人の娘。ゴーディラックの国王である陛下の愛人、現在陛下の御子を身籠っている。――もし男の子が生まれればまたもや旧ティレアヌス派が騒ぎを起こす火種となりうる――。エリザベス様がティレアヌスに滞在していた際、交流は不都合であるはずなのに親交があった。
「エリザベス様より、エミリア・ガゼル様のご無事を確認するように、と命じられました」
「あら」とエミリア・ガゼルはお腹を庇いながら毛糸を拾った。一瞬、彼女の瞳に深い悲しみが見えた。
先日のティレアヌスで起きた暴動の犯人の1人であり、先日処刑となったマキシオは彼女の弟だ。つまり、エミリア・ガゼルは多くの火種を抱えている。
エミリア・ガゼルは「よろしければエリザベス様にお手紙を書いてもいい?」と微笑んだ。
「ええ。後日、主にお渡しいたします」
手紙は一旦、ヨハネス様のお目に入れないといけない。内容次第ではエリザベス様は手紙の存在を知ることはない。
エミリア・ガゼルは便箋を取り出し、熟考の末に書き始めた。
結婚より夢なマカレナ。現実に潰されつつ夢を捨てきれないエミリア。甘い罠に絡め取られ現実が薄くなるロミウス。
次回、明美の異父妹。




