光と陰の輪舞曲
私はふぅとベットの柱にしがみついた。コルセットがきつすぎて死にそう。スカートが幾重にも付けられた後、ドレスの上衣が装着された。ふと鏡を見ると、二の腕が少し丸くなっていた。やっぱりちょっと太ったよね。私はちょっとだけ首を傾げて笑った。秋らしい「バーガンディー」のドレス。部屋を出る時、もう一度鏡を見た。一見、首まで布に覆われている清楚デザインに見えるけど、背中だけわっと驚くほどセクシー。
閣下と馬車に乗り込んだ。この馬車は貴族街に隣接する王宮へ向かっている。窓から入る10月らしいゆったりとした風を感じながら私は息をした。
「エリザベス」と閣下は私の顎を掴み視線を合わせた。「私が言ったことを忘れぬよう」
「分かっております」と私は頷いた。陛下への忠誠心を見せること。それが今回のミッション。
正直陛下への忠誠心なんて欠片もない。けどやらないと、何かがあれば私は真っ先に殺される可能性がある。政治が……ティレアヌスとの関係が、ヴァロワールとの関係が不安定になった時。どれもほぼとばっちりなのに。マジ理不尽だと思うけどやらないと。ジョエルを守るために。
私はくりんと夜空を見た。大丈夫。閣下が力強く私の手を握った。絹の手袋越しに手を握られると変な感じ、真冬用の手袋とも違うから……。
馬車が王宮に到着した。長くて裾が広すぎるドレスに足を引っ掛けそうになりながらも馬車から降りた。スカートを持ち上げ階段を上がっていく。このスカート、めっちゃ重たいから如何に軽やかに見せるかが勝負! くっと口角を上げた。
大広間に足を踏み入れた瞬間、シャンデリアの光が私を圧倒させようとまばゆく輝く。煌めくドレスと貴族たちの姿が、まるで舞踏会のために用意された舞台のように美しく並んでいる。少し息を呑む。その華やかに息を呑みつつも、私は腹に力を入れ背筋を伸ばした。
周りの目が私に集まるのが分かった。どうせ、もう誰かが私について、閣下との関係について噂しているだろう。それは仕方がない。人の口にとは立てられないんだから。私はただ、慎重に動けばいい。
「エリザベス、肩の力を抜きなさい」と閣下が低い声で囁いた。
私はすぅと深呼吸をして、軽く肩を回した。閣下が伸ばしてくださった手を取り、人々の中に入った。人混みの向こうで声がした、中年の男の声だ。――たぶん国王陛下の声だけど、私の背が低すぎて見えない――。
「ようこそおいでくださった。本日の舞踏会が、皆さまにとって楽しく、有意義なひとときとなるよう、心より願っている」
国王陛下の挨拶の後、一瞬の静けさがあった。それからオーケストラによる演奏が始まった。人々が移動を始めた、閣下は私の腕を取り動いた。人々が広間に円を描くように群れている。ようやく国王陛下が見えた。国王陛下は玉座から立ち上がりお妃様に手を差し出し、ダンスを始めた。
「エリザベス。あのお方は側妃のアレクサンドラ様であらせられる」と閣下は私の腰に手を掛けた。「陛下に后はいないが、第一王子の母君であるアレクサンドラ妃が事実上の后だ」
私は口を開き掛けた時、一曲終わった。次の音楽がゆったりと流れ、広間に旋律が響く。貴族らが踊り始めた。閣下に静かに私に手を差し出した。私は閣下の手を取り、踊りの輪へ入った。ワルツ、最近習わさせられていたけど、緊張する。
閣下は自然と曲のリズムに乗り、フロアを静かに滑るように踊り始めた。周囲の貴族たちが目を見開き、私達の姿をじっと見ている、閣下はあまり気にしないみたい。私は閣下の肩に手を置き、彼がリードするままに身体を預けた。
「どんなに穏やかで美しく見えたとしても、ここでは私たちは常に見られている。」と閣下が小声で言った。
閣下の言葉に、私は首を傾げながら周囲を見た。やっぱり視線を感じる。閣下と結婚してから1年とちょっと経つのに公の場に出るのは今日が初めて。
「分かっています」と私は微笑んだ。
2曲目が終わった。私は少し息を整えた。その時、目の前に国王が現れた。引き攣りそうになる顔を隠すため丁寧にお辞儀した。周囲の賓客が静まり返る。
「ハイド伯爵夫人、私と踊っていただきたい」と陛下は私に手を差し出した。国王の声はやや低く、どこか冷徹さが感じられる。
私は指輪だらけの陛下の手を一瞥してから「ありがとうございます、陛下」と手を取った。
これから踊るのは国王。忠誠心を見せなくてはいけない相手。この人に私たちの命が掛かっている。陛下の手が冷たくて、私は緊張して息が浅くなる。音楽のテンポが変わり、再び舞踏の中へと引き込まれていく。
「お前のような存在が、王国にとってどれほど重要か、私はよく理解している」
「それは光栄にございます。」と私は微笑んだ。私の出自が絶対に、周囲にバレないよう。
視界の端で閣下はどこかの夫人と踊っているのが見える。
国王陛下の踊り方は流れているみたい優雅、こなれている。すごい存在感に圧倒されながらも、私は必死にその重圧に耐えていた。陛下の分厚く冷たい手のひらが私の背中を支えているけど、気持ち悪い。陛下は色欲の眼差しを向けている。私が無言で舞踏を続ける間、陛下は何度かその視線を向けてきた。陛下の目に宿る暗い光が見え隠れしている。
陛下は私の腰に回した手に力を籠めた。
「ハイド伯爵夫人、話があるので着いてくるよう」
陛下の言葉には圧倒的な力と暗黙の期待が込められている。私は頷くしかなかった。踊りの輪に紛れて私達は広間から離れた。隣にあった小さな部屋、そこの隠し扉と長い通路を抜け庭園に着いた。いつも見ていた迷路のような庭園。3、4m間隔でベンチが設置されている。
陛下は「掛けなさい」とベンチを指した。
私は一瞬迷ってから座った。ドレスの裾が広すぎて、陛下が座るスペースはない。
陛下は「ハイド伯爵夫人、いやエリザベス嬢。其方がこうして公の場に出るようになったことには意味があるのか」と私を見据え「このような時期に」と鋭く目を光らせた。
「私は夫に命じられるまま行動しているだけです」と私は立ち上がった。「そして夫がこの時期に私をこの場に出してくださったのはきっと、私が反意など抱いておらぬことを陛下にお見せするためでしょう」
流れる冷や汗。震えそうになる唇。逸らしそうになる視線。全てに逆らい私は目を据わらせ、背筋を伸ばし、つっかえそうになりながらも真っ直ぐ答えた。
このような時期。ティレアヌスの暴徒が私を「ティレアヌスの女王に」と主張していた。何で彼らがそんな主張をしたのかは知らない。操りやすそうだから? 旧ティレアヌス王国の公爵家にルーツがあるから? ううん。今、そんなこと考えてる場合じゃない。私は人畜無害そうな子どもっぽい笑みを浮かべた、ほんの少し首を傾げて。
陛下は目を見開き息を呑んだ。何かに強く焦がれるような強い眼差しを私に向けた。手を伸ばした、少し震えている。陛下の冷たい指先が私の頬に触れた。――冷たいのは指輪に体温を奪われたから?――。
「エリザベス嬢。我が寝所へ来て欲しい。私の子を生め」と熱く囁いた。「そうすれば信じよう、其方に反意はないと」と指先に力を籠めた。
むき出しの背中が、腕が、頬がゾワゾワする。瞳に嫌悪感が浮かびそうになるのを必死に堪えた。
「陛下?」と私は初そうに首を傾げた。
「以前から后にしたいと願っていた妃がいる。彼女を后とすれば彼女の実家が我が治世の、次の治世を大きく支えることだろう。しかし彼女に子はおらぬ。故に后には出来ぬ。しかしエリザベス嬢、其方が私の子を生めば、その子を彼女の子ということにしよう」
脳裏にカッコウが浮かんだ。ふと空を見ると星空が美しかった。煌々と輝く美しい幾千幾万もの星。けれどティレアヌスで見た星には敵わない。あれほどにまで美しい星は知らなかった。思い出すたびに息を呑む。けれど陛下は同じティレアヌスの星を見ても恐れるのだろう、敵の地だから。
「陛下。あなたのお言葉に逆らうようで恐ろしゅうございますが、私はあなたの忠臣ハイド伯爵の妻です。神と人との前で誓い夫婦となりました。そのようなことをすればアブラハムの妻サラを娶ったファラオのようになるのでは……。陛下のご治世にそのようなことがあれば……」と震える声で囁いた。上手くいきますように。
陛下は諦めたように笑ったあと「そうか……」と私から手を離した。「戻ろう」と踵を返した。
「私は……ハイド伯爵の妻として国王陛下のご期待に応えるよう尽力いたします」と陛下の背中に向け呟いた。
その答えが揉め事を避けるため浮かんだ言葉だった。国王は微笑みを浮かべることなく、ただ頷いた。広間に戻ると閣下はどこかの貴族と話していた。陛下はどこかへ姿を消した。金髪碧眼の貴族がこちらに手を差し伸べた。
「あなたと踊る名誉を私にいただけませんか」
私は微笑み、彼の手を取った。彼の背は高い。――閣下ほどじゃないけど――。彼が私の腰に手を回した。周囲の男性と比べ華奢な体格。思い出した。この間マカレナと密会していた男性だ。彼は巧みに踊りの輪に混ざっていった。くるりくるりと踊っている。閣下が目を光らせている。彼が私を抱き寄せ、耳元に口を寄せた。
「エリザベス・ド・ハイド。お初にお目にかかります。私はロミウス・ド・パース、あなた様が王位に就くことを望む者でございます」
思わず私の顔がこわばる。ティレアヌス派だったか、旧ティレアヌス貴族の子孫だったか忘れたけど……ヤバイよ! さっき陛下に啖呵を切った矢先に……! なんて不運! 動悸が激しくなる。今すぐパース子爵から離れないと! くるりくるりとダンスは続く。
「私に王位に就く意思はございません」
くるりと片手が離れた。回りながらもう片方の手首を捻り、彼から離れた。踊りの輪に紛れ逃げた。喉が乾いたから優雅にワインを飲んだ。余計に喉が乾いた。どうしよう、お酒以外にないのかな?
「ハイド伯爵夫人。お1人ですの?」と30くらいの女の人が横に立った。
誰? この人もティレアヌス派だったりしないよね? 周囲にはたくさん人がいる。
「ええ。あなたは?」と私は首を傾げた。
「夫はあなたの夫と話し合いの途中ですわ」
「そうですの」と私は閣下を見た。確かに中年男性と話している。
「あなたはハイド伯爵の一体なんですの? ハイド伯爵はいずれローレンス嬢を娶られる。現状、第一夫人であるはずのあなたは1度も人前に出たことがなかった」
私は口を小さく開いた。なんて言えばいいのか分からない。私だって知りたかったよ、そんなこと。
その時、背後から「私と踊らぬか?」と低く親しみ深い声が聞こえた。
私は振り返り「ええ」と閣下に微笑み掛けた。
「お話し中申し訳ありません。ユーカリ子爵夫人」
私は閣下が差し伸べてくれた手を取った。分厚くも華奢でもない手。骨太で力強く私の手を包み込んでくれる温かな手。
私達は優雅にフロアを進みダンスの輪に戻った。周囲の貴族たちの視線が集まる。私はほんの少しだけ肩の力を抜いた。 未だ閣下が何を考えていらっしゃるのか分からない。なぜ私を公の場に出してくださる気になったのかすら。けれど私にとって閣下はフリーダの次に安心出来る人だった。笑みが漏れた。
「お前が笑っている方が良い」と閣下が優しく呟いた。
「ありがとう存じます、ヨハネス様」
閣下、ヨハネス様の目が大きく開いたがすぐ冷静な表情に戻った。私は上目遣いで見つめながら微笑んだ。
輪舞曲はまだ続く。軽食を取りに行くためか、踊る貴族が少しだけ減る。コルセットのせいで息苦しさを感じながらも踊っていると、閣下が私の耳に唇を寄せた。
「エリザベス、愛している」
ジョエル「エリザベス様は舞踏会らしい……。いいなー、美味しいご飯いっぱい出てくるんだろうな〜」
マカレナ「それより、アルファベットの勉強を終わらせちゃおうよ」
ジョエル「マカレナ姉さまは舞踏会行かなくていいの?」
次回、マカレナとの婚約破棄。




