言葉にならない風の中で
図書室に籠もっていた明美は人の気配にパッと顔を上げた。フリーダだった。沈んだ顔をしている。
「エルサ様。閣下から電報をいただきました。私の身内が天に還りました。そのためしばらくお暇をいただきます」
天に還る……。亡くなったってことか。
「身内が?」
「ええ。ロイスの妻が亡くなりましたの」
「ロイス様の奥さまが? つまりマカレナたちのお母様が?」
「ええ。今年で49歳でした」
今思うことじゃないけど、マカレナとアーサーの母親だから40くらいだと思ってた。この国ではだいたい15〜17で結婚するらしいし。私のお母さんは39歳だから余計に。――って言うかお母さんこの国の人じゃなくて日本人なんだけどね――。
ゆっくりと瞬きをした。葬式、あるよね。
「私も行ったほうがいいのかしら? 閣下はなんと仰るのかしら?」
「閣下からの電報によりますとエルサ様の判断に任せるそうです」
私はゆっくりと首を傾げた。来るなってことかな。
「それじゃあ私はこちらにいるわ。フリーダはご家族と水入らずで過ごしてちょうだい」
フリーダは黙り込んだまま微笑んだ。私の髪を優しく撫でた。私はフリーダから離れ、本棚から本を取った。
「フリーダはいつ出発するの?」
「夕方出発いたします」
「そう。夕食は汽車の中でいただくの?」
ここまで行って私は気付いた。アウリスとアウレリオは汽車2週間の距離だ。
「ねえ。葬式には間に合うの?」
「ええ。春から山を切り崩しての工事があったそうで……」
「そうなの」
山を切り崩したんだ。私の脳裏に昔見た映像が蘇った。時短になるのは助かるけど、環境破壊みたいに思えてリアクションに困る。私は懐中時計を見た。そろそろダニエル達との約束の時間だ。
「ダニエルたちの所へ行ってくるわ」
「今日は何についてお教えになるのですか?」
「今日は水分補給について。昨日は回復食の話をしたから」
私は図書室を出て階段を駆け下りた。ティレアヌスのドレスは重くないし、コルセットも緩めだから動きやすい。尤も昔着てたTシャツとジーンズには絶対かなわないけどね!
庭園に出ると噴水の所でダニエル達が待っていた。私に気づくとジョエルが駆け寄り、私に抱きついた。暑い。
「奥さま! 遅い!」
「ごめんねぇ。フリーダとお話してたの」
ジョエルはぷぅと頬を膨らませた。ダニエルはバッと私からジョエルを剥がした。私はダニエルの頭を撫でようと思った。けど残念、ダニエルの背は私よりほんのちょっと高かった、ヒールを履いている私より……。初めて会った時はスリッパを履いてても私の方が高かったのに。
「ダニエルとジョエルって誕生日はいつなの?」
ジョエルは「僕の誕生日は7月15日です!」と真っ先に答えた。
ダニエルは「来月の13日です」とはにかみながら笑った。
私は「あら、それじゃあダニエルはもうすぐ11歳になるのね」とダニエルの頭を撫でた。
ジョエルは私の手を引っ張り噴水の縁に座らせた。ダニエルは離れた所から見ているアンネリースに視線を向けてから、私の隣に腰掛けた。ジョエルはキラキラとした目で私を見た。
「今日は何について教えてくれるの?」
「今日はね水分補給について」と私はポケットから筒を取り出した。「水を飲むことがどれくらい大事かは知っている?」
ダニエルは「知っています」と頷いた。
「じゃあ、清潔な水を飲むことの大切さは?」
「それが飲めれば理想的だということも」
「そうね、理想的よね」
ティレアヌスから遠く離れた国々では清潔な水を求め喘ぐ人々がいる。私は頭を振った。疲れているのかな……。私らしくない。なぜ他愛もない会話から重いニュースに頭を引っ張られるんだろう? 環境破壊に、医療の地域格差。
私は「じゃあ綺麗な水を作るにはどうすればいいのか知っている?」とジョエルの頭を撫でた。少し肉付きが良くなったみたい。
ダニエルは「わかりません」と頭を横に振った。
私は花や木があるゾーンに目を向けた後ポケットからノートを取り出した。簡単なろ過の仕方をイラストで書いた。
「まずはガーゼと小さな石を小さな穴の空いた缶か何かに敷き詰める。それから砂利、砂、布の順に敷き詰める。最後に水をかければある程度綺麗に出来るわ」
「なるほど。庭にあるので真似したらダメですよね」
「ダメよ。きっと庭師がこっぴどく怒るわ」
私は声を潜め「あのおじいさん、こだわりが強そうに見えるもの」と笑った。
ジョエルはノートを覗き込み「これ、明日やってみたい」と目を輝かせた。
そりゃやってみたいよね〜。私は少し考えた。
「そうだ。後で私、フリーダを駅まで見送りに行くわ。その時に砂やら持ってくる。そして明日この実験をやってみましょう」
「じゃあ、明日も同じ時間に噴水のところでね。ねえ今何時?」
「もう14時。ダニエル、ジョエル。頑張ってね」
「はーい!」
ダニエルとジョエルは走っていった。ジョエルは何かをダニエルに言われている。私は彼らに手を振って見送った。なんて平和な午後だろう。今まで満たされなかったものが満たされるような穏やかな時間だった。風がそっと吹き、ノートの端をめくった。ろ過装置のイラストの先、まだ何も描かれていない白いページが、ぱたぱたと揺れた。
フリーダの再登場から再退場まで、フリーダの影薄かったですね。明美の関心がよそを向きつつあるから。
次回、フリーダ不在の中の悪巧み。




