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はずれものの恋、ユーラシアのはぐれ島で  作者: 神永遙麦
この手を伸ばす先:ティレアヌス
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名前をつけられない日々

 暑い日が差す中、明美、ダニエル、ジョエルの3人は噴水の側にいた。明美は缶を傾けジョエルの手に灰を掛けた。レベッカに貰った灰を、使い古しの缶に入れたものだった。

 ジョエルがじっと手のひらを見つめている。灰まみれの小さな手を。ダニエルも興味深そうに見ている。私は2つ目の缶に噴水の水を入れた。私は、そっと2つ目の缶に手を伸ばした。噴水の水を缶に入れた。むわっとする空気の中、水が冷たく指先を打つ。


「じゃあジョエル。この灰をウイルス、つまり悪い病気の素と言うことにするわね。このウイルスは割とどこにでもある。ならどうする?」


 ジョエルはぼんやりと手のひらを見つめている。ダニエルは手を挙げた。


「洗い落とします!」

「じゃあ洗ってみて」


 私はダニエルに水の入った缶を渡した。ダニエルはジョエルの手に水を掛けた。灰はだいたい落ちた。けれど手にべったりついてしまった灰もある。


 私はうまくいったと思いながら「どう?」と微笑んだ。

 ダニエルは「あまり落ちていないです」と頭を振った。

 私は「じゃあ次はこれを使ってみようか」とポケットから石鹸を取り出した。


 ジョエルは石鹸には見向きせず手についた灰を指でほじくり取ろうとしている。私は身を屈めジョエルの手を取った。


「ねえ、ジョエル。これを知るとお姉さんが楽になるかもしれないよ」

「ホント⁈」とジョエルはパッと顔を輝かせた。ダニエルはうんうんと頷いている。

「本当よ。いつかお姉さんが治る時、あなた達が会いに行くでしょう? 病気が治りかけの人が一番危ないの、病気をうつされやすいから」

「じゃあドルカスの病気が早く治るためには僕が頑張んないといけないんだね!」



 ジョエルはパッと石鹸を受け取った。手にした石鹸を強く握った。手の隙間からツルンと石鹸が脱走した。ダニエルが「あわわ」と慌てて石鹸をキャッチして、ジョエルに「気をつけろよ」と手渡した。

 私は笑いをこらえながらジョエルの横に立ち、「手はこうやって洗うとより綺麗になるよ」と手を動かしてみせた。


「まず大まかに洗う。次に指と指の間も洗う……」

 

 ジョエルは真剣な眼差しで私の手の動きを真似ている。私は少し期待しながら微笑んだ。ちゃんと伝わったかな。


 石鹸で手を洗ったあと、私達は噴水の縁に腰掛けた。ダニエル、私、ジョエルの順で。ダニエルは私が渡したメモを見ている。手の洗い方を簡単なイラスト付きでまとめたメモ。ジョエルは歌っている。可愛いと思い私は微笑んだ。


「それはなんて曲なの?」

「わかんない!」


 ダニエルはメモを読むのを中断した。それから身を乗り出しジョエルを見た。

 

「よくドルカスが歌ってたやつじゃなかった?」

「それだ。タイトル知ってる?」

「知らない。ってかドルカス、昼でも夜でもずっと歌ってたよね」

「ベッドの中でも歌ってたよね」


 ジョエルの言葉にダニエルはふっと顔を曇らせた。この間会いに行った時、ドルカスさんは歌っていなかった。噴水の音が静かになった。私はくるっと後ろを見てみた。噴水が活動を休止していた。

 ダニエルは「ドルカスが1番歌ってたのは何だったっけ?」と顎に手を当てた。

 ジョエルはうーんと考えた。「忘れちゃった!」と顎にちっちゃな手を当てた。

 

 私の胸の中にさざなみのようなものが広がった。ざわざわする。胸に手を当てたついでに懐中時計を取り出した。


「ねえ、ダニエル、ジョエル。もう2時だけど大丈夫かしら?」


 ジョエルは「戻らなきゃ」とパッと立ち上がった。その勢いに私まで(ついでも噴水も)釣られて立ち上がった。

 ダニエルは「明日もまた来ていいですか?」と急に真剣な顔で私に尋ねた。

 私は「もちろん。明日もまた同じ時間でいいのかしら?」と微笑みながら頷いた。

 ダニエルは「はい! ありがとうございます!」とジャンプしながらジョエルの手を引き走って行く。

 2人が去って行った。ジョエルが手を引かれ走りながら手を振ってくれた。私も手を振り返した。噴水の水音だけが残った。

 私はその場に座り直した。足元に置かれたままだった使い古しの缶を見つめた。その底にわずかに残った灰が、ゆっくりと風に舞い上がっていく。かすかに手についたままの灰。さっきジョエルの手に灰を掛けた時についたのだろう。私は噴水に手を浸した。

 

 手持ち無沙汰になり、屋敷へ戻ることにした。重い足を慣性だけで動かした屋敷に戻ると手紙が届いていると知らされた。部屋に戻ると机の上に一通の手紙が置かれていた。ハイド伯爵からだ。緊張しながら手紙を開いた。

 目を通し終えた私は首を傾げた。何があったんだろう? 手紙の内容は短く、気をつけろ、という内容だった。何があったのか、全く見当もつかない。ティレアヌスで何があるんだろう?何事か分からないけど返事を書かないと。書き物机の引き出しから便箋を取り出した。



 

「敬愛するヨハネス様へ」



 1行だけ書いたところで手が止まってしまった。どんな言葉を綴ればいいのか……。ハイド伯爵からの手紙を読み直した。ハイド伯爵からの手紙の文末には「愛するエリザベスへ」と綴られている。いつだってそうだ。私も「愛するヨハネス様へ」と書いたほうがいいのかな? 一応夫婦なんだから。でも私、彼を愛しているわけでも恋しているわけでもない。ゴーディラックでは唯一頼れる人だけど……。私は窓を見た。眩しい光を受け、噴水が力いっぱい輝いている。階下からジョエルの勇ましい叫び声が聞こえる。ネズミが出たようだ。

 クスリと笑いが漏れた。明日は何を教えよう?

明日が来るのが楽しみになってきた明美。

次回、アウリスへの帰還?

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