図書室で紡ぐ明日の約束
夕方になり明美はベンチから立ち上がった。パンパンッとスカートを払った。庭園から部屋に戻ろうと歩き始めると、後ろから誰かがこちらに走ってくる音が聞こえた。振り返るとダニエルだった。走ってきた勢いを殺せず私にぶつかりそうになったのを、前に出てきたアンネリースが抱き止めた。ダニエルは「ごめんなさい」とアンネリースの腕から出た。それから私に向き直った。
「奥さま。お願いがあります。よろしいでしょうか?」
「どんなお願い?」
「病気にならない方法を教えて下さい」
「そんな方法があったら私が知りたいわ」
ダニエルは「え?」と声を漏らした。
私は首を傾げた。何でそんな方法をお医者さんでもない私が知ってると思ったの? 少し考えていると視界にジョエルが入った。庭園の奥から駆けてきたジョエルはダニエルの背に隠れた。思い出した。先週、ダニエルの家で空気の入れ替えをした。その時に何で空気の入れ替えが必要なのか簡単に説明したことがあった。
私は腕を組んだ。
「でも病気にできる限りならない方法なら知っているわ」
「教えていただけますか?」
ダニエルの言葉に私は軽く首を傾げ考えた。うん、暇を持て余しているから大丈夫だよね。
「いいわよ。今日? 明日?」
「明日の昼1時過ぎにお時間をいただけますか?」
「いいわよ。場所は図書室でいいかしら?」
「はい」
そのままダニエルと別れ、夕食を終えた私は部屋の本棚からノートを取り出した。昔保健体育で習った知識を覚えている限り書き連ねた。基本的なことは覚えている。あやふやな所は図書室の本を頼りに思い出した。図書室の情報は少し古いかもしれないけど、思い出す手掛かりはなる。書くかどうか迷ったのは人工呼吸のやり方について。某パンヒーローの主題歌に合わせて胸を圧迫すると習ったけど……。どうしよ? 似たような曲がこの国にないかなぁ? 一晩迷った結果、今度フリーダかアンネリースに聞いてみることにした。2人ともちゃんとした貴族だから音楽についての素養はあるはず。
昼過ぎ、約束通り図書室でジョエルを連れたダニエルと会った。私はジョエルの目線に合わせ腰を屈めた。
「ジョエルもお勉強するの?」
「うん。ダニエルが僕も勉強しろっていいました」
「そう。字は読める?」
ジョエルはむっとしたように口を尖らせた。
「読めないです」
「そう。ダニエルは?」
「読めます。アンネリース様に習ったので」
「アンネリースに?」
「はい」
私は思わずドアの方を見た。アンネリースはいつも通りドアの外で待機している。学校がないのかな? 奉公先の人に習うものなのかな?
私は肩をすくめ椅子に腰掛け、ダニエルとジョエルも座るよう促した。
「じゃあダニエル。まず何で空気の入れ替えが必要なのかは覚えている?」
「はい。空気がこもっていると病気が悪化するから、と」
「そう。空気が籠っていると色々なバイ菌が部屋中にいる状態なの。だから窓を開けて綺麗な空気と入れ替えるのは大事よ」
ダニエルはパッと手を挙げた。
「あの。部屋の外に出た汚い空気はどこに行くんですか?」
オーマイガッシュ。私は軽く目を瞑った。ちょっと違うかもしれないけど何とか思い出した。
「大自然が綺麗にしてくれるわ。……神様が作って下さった自然は偉大ね」
「本当にすごいです」
ティレアヌスの人には「神様」出しときゃいいと思って、適当に最後のを足したらいけた。
「じゃあ換気の話の次は、とっても大事な手洗いの話」
「手はいつも洗っていますが……」
「いつ洗っているの?」
「配膳の前に洗っています」
「配膳の前だけ?」
「後は……用を足した後に」
必要最低限すら満たしていない。私は軽くおでこを抑えた。ふとジョエルを見ると机に突っ伏して寝ていた。可愛いなぁ、と思って見ていた。するとジョエルが寝ていることに気付いたダニエルがジョエルを揺さぶった。
「ジョエル。起きろ。起きろってば」
ジョエルはむにゃむにゃと目をこすり起きた。うーん。自分から言ってきたダニエルはともかく、8歳のジョエルには退屈だったかな?
「今日は一旦この辺で終わりにして、続きは今度にする?」
「申し訳ありません。奥さま」
「いいの、いいの」
ダニエルはジョエルを引きずって出ていった。私は図書室を探し回った。子ども向けの本をいくつか見つけた。最悪、ジョエルにはダニエルが教えればいいけど、ダニエルもまだ10歳だからなぁ。だから飽きない方法をいくつか考えてみよう。私、お医者さんでも医学生でも看護師でもないけど、できる範囲で頑張ろう。
『シンデレラ』が目に留まった。
子ども、他人に勉強を教えたことがなかった明美なりに一所懸命考えたのですが、一部失敗。ダニエルとジョエルでは衛生面を学ぶことに対する熱意にズレがあるから。
次回、ジョエルへのアプローチ方法。




