時計の針が止まる前に
愛するエリザベスへ。
こちらでもようやく夏を迎えた。アウレリオでは夏は盛りを迎えていることだろう。其方は息災に過ごしているか?
其方のピアノの腕前が上がり続けていると聞き安堵している。おそらくこの手紙がそちらに届くころには更に上達していることであろう。
エリザベス、あまり出歩かないようにしなさい。近頃ティレアヌスについてきな臭い噂が耳に入りつつある。教会に行きたいのであれば必ずアンネリースを連れて行くよう。くれぐれも護衛無しで出歩かないように。買い物もなるべく人に任せなさい。
其方が安全な環境にあることを祈るヨハネス・ド・ハイド。
手紙を書き終えたヨハネスは立ち上がり、手紙を持ったまま歩き回った。くどいだろうか? 私はチラリとロイスを見た。
先日、エミリア・ガゼルの邸宅にアーサーを潜入させた。その結果、エミリア・ガゼル懐妊の報せが入った。ロイスの推測が当たっていた。国王陛下がティレアヌスのエミリア・ガゼルのもとを訪れたのは4月だった。ならば生まれるのは来年の冬頃だろう。彼女がゴーディラック国王の子を身籠ったことか公になればティレアヌス派の貴族らが騒ぎを起こしかけない。旧ティレアヌスの支持者であるパース子爵は今マカレナと文通、密会を重ねている。故に彼に関する情報は入りやすい。
「ロイス。アレが公になれば、ハイド家までもが疑惑の眼差しを向けられるのであろうな」
ロイスは書類仕事の手を止め「そうなりますでしょうね」と頷いた。
「またローレンス家も疑惑を向けられることでしょう。私の父と兄はティレアヌスの牧師でしたから」
「ハイド家も似たようなものだ。其方も知るように我が曽祖母はゴーディラック=ティレアヌスの併合により没落したティレアヌスの公爵令嬢だった。真田、祖母もティレアヌス貴族の血を継ぐ。如何に動けば疑惑の眼差しを向けられぬのか……」
更に現在、エリザベスをティレアヌスに置いている。療養という口実を使っているが、如何なる目で見られることか。そう言えばエリザベスの高祖母スヴェトラーナもまた公爵令嬢であった。
私は重苦しいため息を吐いた。現在、婚約中のマカレナはロイスの娘だ。マカレナとの婚姻を延期し、ティレアヌスと関係のない家門の娘と婚姻するか?
私は机の引き出しから手紙を取り出し、カーテンが揺れる窓辺に腰掛けた。先日届いたエリザベスからの手紙だ。エリザベスは誰に教わったのか綺麗なお手本のような字を書く。エリザベスからの手紙にはピアノの勘を取り戻しつつあること、読書に裁縫といった変わらぬ日常を送っていること、庭で読書をしていたところネッチュウショウ ——日射病のことだろうか?—— になりかけたことが綴られていた。
今最も危険な場にいるのはエリザベスだろう。彼女は今、ティレアヌスの旧都アウレリオにいる。暴動があるとすれば真っ先に巻き込まれる。彼女はそのことに気付いているのだろうか? 私は妹に続き、エリザベスまでも喪いたくはない。
「ロイス。現在エリザベスにつく護衛はアンネリースしかいないが、男でもいいから2、3人護衛を増やすべきだろうか?」
ロイスがペンを落とした。ロイスがペンを取り、ペン先の無事を確かめた。
「お言葉ですが閣下。私は以前からそう申し上げておりました」
そう言えばそうであったな。2年前、アンネリースをエリザベスの護衛としてつけた頃からそう進言されていた。妻の側に置くため信用できる騎士を数人探さなくては。そしてエリザベスはいずれ……、エミリア・ガゼルの子が生まれるまでにゴーディラックへ戻さなければ。だがゴーディラックのどこに彼女を置けるだろうか? エリザベスはなるべくアウリスから離しておきたい、国王陛下の目の届かぬ場所へ。彼女の書類上の養父母であるボーヴァー夫妻は? いや、彼らにはまだ幼い子どもがいる。恩あるかつての継母に余計は手間を掛けられぬ。
風で机の上に置き放っていた書類が飛んだ。ロイスが書類を拾いに行った。私は立ち上がり窓を閉じ鍵を締めた。
いっそ、彼女をこの国から出してしまうことが最も安全なのではないか?
私は油に切れた機械のように頭を振った。
エリザベスに出会った瞬間、彼女を国に置くことを心の内で定めた。そしてその通りにした。国王陛下が彼女を側室にと望んだ。しかし私は外堀を埋め彼女を我が物とした。美貌が衰えた、ただそれだけの理由で殺させはしない。彼女をこの国からは出さぬ。決して。だが、必ず守る。
若白髪が増える原因、ここにありけり。
次回、図書室で紡ぐ明日の約束。




