黄昏時
明美はいつものように庭園で本を読んでいた。夏もののドレスを買いに行った時、立ち寄った本屋で手に入れた歴史書だった。旧ティレアヌス王国の貴族に関する歴史書だ。自分のルーツくらい、自分で探らないと。
もともと旧ティレアヌスとゴーディラックは1つの王国だったらしい。15世紀、イグナシオ6世の治世。王妃の子である第2王子アドリアンと、側妃の子だがイグナシオ6世が寵愛していた第7王女プラヴェータ。この2人が王位を巡って対立したらしい。ゴーディラックでは王女は王位を継ぐことが出来ないのにも関わらずプラヴェータ王女には多くの支持者がいた。それで国が分裂したらしい。これが旧ティレアヌス王国の始まりだった。
私は手を屋根のようにして本の端にかざした。さすがに7月ともなると日差しがきつい。帽子を被っていても限界がある。指で顎の汗を拭った。パタパタという足音がした、ダニエルがこちらに走って来ている。
「奥様、すみません! お客様が来てます!」
「お客様?」
はて、お客様……。エミリアさんとは手紙のやり取りすら出来ていないから違う。
「どなた? お名前は伺ったの?」
「はい! フリーダ・ド・ローレンス様です!」
懐かしさに私は「フリーダが来ているの?」とパッと目を見開き立ち上がった。
それからドレスの裾を持ち上げ屋敷までダッシュで向かった。客間の前に着き、私は切れる息を整えた。息もせず走っていた、バカの所業。私の息が落ち着いた頃、レベッカがドアを開けた。
ソファに腰掛けていたフリーダが柔らかく微笑んだ。相変わらず頭に柔らかくスカーフを巻いている。
「ご無沙汰しております、エルサ様。お体に変化はございませんか?」
私はそそくさとフリーダの向かい側に腰掛けた。さっきまで読んでいた本は……膝の上に置いた。
「もう元気よ、フリーダ。あなたは元気? 私がこちらに来た後、故郷に帰ったと聞いていたけど」
「ええ。故郷のリオナスにて日々を送っておりました」
「リオナスってどんな所なの? ティレアヌスにあることは知ってるけど」
「山に囲まれた川沿いの小さな町です。毎年この時期に子どもたちが小さなボートを流す祭りがありますの」
「ねえ、フリーダ。リオナスってどこにあるの?」
「こちらより南の方にあります」
「ふーん」
私は首を傾げ、トントンと足を揺らした。
ティレアヌスはゴーディラックの南側に位置する。ここ、アウレリオはティレアヌスの中だと北側。つまりリオナスからゴーディラックへ行くとき、アウレリオは経過地点。
「フリーダはどうして来てくれたの? アウリスへ行く途中だったの?」
フリーダはふるふると頭を振った。頭に巻かれたスカーフが陽炎のように揺れた。
「いいえ。閣下から再びあなたのお側にいるよう仰せつかりました」
驚き。なぜなのか分からない気持ち。嬉しさ。安心感に包まれる感じ。もうアウリスへ戻れないという微かな失望。私は立ち上がり掛けたが、膝から本が滑り落ちる音で我に帰った。本は床を滑っていきフリーダの足にぶつかった。
「ごめん、フリーダ。痛くなかった?」
「ええ、まったく痛くありませんよ」
フリーダは本を取り軽く払ってから、私に渡してくれた。リアがお茶を持ってきた。
「歴史の勉強中でしたの?」
「いいえ……。ううん、やっぱり歴史の勉強中よ。未だにこの国……勉強から逃げていたツケが今更回ってきたみたい。何も知らないことに気付いたの」
危ない、危ない。私が外国人だと口を滑らせてしまうところだった。ここにはフリーダ以外の人もいるのに。
「さっきまで、建国の話を読んでいたの。初代は女王だったんだって」
「存じ上げております」とフリーダは相槌を打った。
リアが客間を出た。私はゆっくりと瞬きをした。
「でも不思議なの。どうして側妃が生んだ王女に多くの支持者がいたの? 王女は王位を継承できないはずなのに」と私は首を傾げた。
「彼女が味方につけたのは教会ですよ。プラヴェータ女王は後宮の廃止を掲げ、貴族社会から排除されていた教会を味方につけたのです」
「策士ねぇ」
それにしても側妃の子が後宮の廃止を求めるなんておかしな話だなぁ。
夏の日差し盛る中、明美は部屋でふんふんとフリーダが貸してくれた本を読んでいた。読んでいるのはティレアヌスとゴーディラック、2つの国と教会にまつわる歴史本。
特に疑問に思ったことがなかったけど、ゴーディラックの一夫多妻制を巡って王侯貴族と教会は意見の相違でよく揉めていたらしい。その結果、教会を離れた王侯貴族が増え教会の権力は少しずつ小さくなっていた。でも昔戦争があった時、死後の不安を感じた貴族らが洗礼だけでも受けておくこととした。そこでまた揉めたらしいけど……。
「ねえ、フリーダ。献金を払えば洗礼が許されるなんて不思議な話ね。だって普段は信仰から離れた日常を送っているのにそれで天国へ行けるなんて」
フリーダは「まるで昔ドイツで販売された贖宥状のようでしょう?」と軽く眉間に力を込めた。
私は「じゃあプラヴェータ女王はルターのような存在ねぇ」
恐らく王位に就くためだけど、プラヴェータ女王は後宮の廃止や教会の権力の復活を掲げ教会を味方につけた。目的はどうであれ500年以上前の聖職者にとってプラヴェータ女王はルターのようなものだったのだろう。
この本の歴史はどの時代まで取り扱っているのが気になる。バッとページを捲り、後ろの章まで飛ばした。ひゅっと喉が鳴った。この本の最後から1つ前章題は「スヴェトラーナ=ジョセフィン后の影響」だった。
思いがけぬ所で高祖母の名を見つけてしまった。処刑された国王であった高祖父の名前は驚くほど見かけないのに。
私は一字一句逃すまいと集中して読んだ。
曰くジョシュエ3世の従兄弟であるケイレブ•ド•ヴィア公爵の、三女として誕生。生後まもなく母方の祖父グスマン伯爵の養女となり、モンテリオで育つ。
知らない地名に私はフリーダを見た。
「ねえフリーダ。モンテリオってどんな街なの?」
フリーダは編み物の手を止めた。そして宙に地図を描くように指を動かし始めた。
「ティレアヌスの中央部にある街です。確か……ワインが有名な街ですわ」
「キリスト教徒ってワイン飲んでもいいの?」
「教会によって意見は違います。私の夫は飲まない人でした。罪の元だから、と。しかししかし私の上の息子はよく飲みますわ。イエス様も飲んでいたから、と」
サラッと明かされたスクープに私は目をかっ開き、ソファから軽く身を乗り出した。フリーダの亡くなった旦那さんが牧師なのは知ってた。けどね!
「息子さん、もう1人いたの⁈ ロイス様のお兄様⁈ 牧師なの⁈」
「継子ですが、いますよ。ロイスより10歳上でカスティリオで牧師として仕えています」
言っちゃなんだけど、10歳上の継子って……。旦那さんと結婚年の差あったんだね……。私は何となくゲンナリした気分で本を読み進めた。
ワインの街モンテリオで育ったジョセフィン嬢は7歳で祖父を亡くした後は、平民街の市場の近くに建てられた屋敷で育った。信心深い祖母の意向により、よく教会のボランティアに参加していたらしい。12歳で祖母を亡くすと今度は首都アウレリオに住む両親に引き取られる。けれど世俗的な母や姉とそりが合わず体調を崩しがちになった。1896年(当時14歳)から貧民街で目撃されるようになった。
私の脳裏にマカレナが浮かぶ。しょっちゅう1人で平民街へ遊びに行く、とアーサーが愚痴っていた。
でもマカレナが遊びに行くのは強すぎる好奇心が故。ジョセフィン嬢は恐らく教会の活動の一環だろう。
1899年、再三の申し出を受けゴーディラック王国のケネス王子(後のヴィンス7世)のもとに嫁ぐ。教会で結婚式を挙げること、教会での活動を認めることがジョセフィン嬢がヴィンス王子に出した条件だった。嫁いだ直後は第二王子の妻、という立場から教会での活動は自由に出来たらしい。けれど1900年にレティシア王女、1901年にアブラーモ王子……計5人の王子王女を立て続けに妊娠したこと、1905年に即位したフランツ•ピーター一世が子宝に恵まれなかったことから教会での活動から遠ざけられるようになった。
本を読む手が止まった。文字を追う目の動きすらも。
レティシア王女は1900年生まれだった。おばあちゃんによると、曽祖母のエリザベスは1917年生まれ。「レティシア」は「エリザベス」の偽名だと思っていた。でも、きっと違う。いくら何でも生まれ年を17年も誤魔化すのは無理。じゃあ、レティシアは曽祖母じゃなくて高祖母だったの? ヴィンス7世は高祖父じゃなくて曾々々おじいちゃんだったの? 混乱しそう。
私は頭を抑えた。今度はさすがにフリーダには聞けない。だってフリーダは知らない、私がヴィンス7世の子孫(仮)ということは。
私は本をテーブルの上に置いた。フリーダが編み物から視線を外しこちらを覗っている。私はソファから立ち上がった。少し頭がぼーっとする。
「大丈夫よ、フリーダ」
窓にコテンとおでこをつけた。知らないうちに夕方になっていた。庭園いっぱいにオレンジの光が満ちている。少しガラスがぬくい。庭園ではダニエルが石畳を拭いている。もう夏だから少し涼しくなる夕方に仕事を回したのだろう。
脳裏に少し前に見たダニエルの赤くなった目尻が過ぎった。
教会での活動に熱心スヴェトラーナ后だったら、ダニエルの涙を見た時どうしたんだろう?
私は目をしばたたいた。
決まっている。私のようにうだうだと考えず、何か手を差し伸べただろう。
辻褄の合わない年と、先祖と自分の差。
次回、片付けと脱皮。




