新たな屋敷とエリザベスと過ごす夜
新たな屋敷に足を踏み入れた瞬間、ヨハネスが感じたのは緊張だった。慣れぬ家の匂い、先程すれ違った貴族らの目、ここが首都であるという事実。
「今宵はもう遅い。明日に備えゆっくりと休むよう」
それだけを皆に伝え私は部屋に戻った。今度の私の部屋は、以前と変わらない内装となっている。湯浴みを済ませたもののエリザベスをこの部屋に呼ぶのを忘れていた。従者にフリーダへの言伝を頼んだ後、夫婦の寝室に移動しベッドに腰掛けた。控えめなノック音が聞こえた、ベッドの脇の方向からだ。エリザベスだろう。
「入りなさい」
「失礼いたします」
隠しドアからエリザベスが出てきた。安堵したようにエリザベスは笑った。
「無事に閣下のお部屋に着いて安心しました」
「良かったな。今までと違う間取りゆえ、其方も戸惑ったであろう」
エリザベスは私の顔を見ながら、ベッドに腰掛けた。私の隣ではなく反対側だ。そしてエリザベスは本を読み始めた。私は目線だけではなく体ごとエリザベスの方に向けた。エリザベスが子を産めば厄介だ、故に抱くのは月に一度としている。呼ばれても抱かれない日が多い、と気づいたのかエリザベスは私の寝室に本を持ち込むようになっていた。
「何の本を読んでいるのだ?」
「聖書です」とエリザベスは顔を上げた。
「フリーダが渡したのか?」
「はい。変な小説を読むくらいならこちらを読みなさい、と貸してくれました」とエリザベスは笑った。フリーダの声真似が妙に似ているな。
変な小説……。以前から思っていたが、ティレアヌス地方の片田舎で生まれ育ったフリーダの価値観は、こちらの価値観とズレがあるな。
「今どこを読んでいる?」と私は身を乗り上げ、エリザベスを抱き寄せた。
「今、デリラがサムソンの髪を剃り落としたところです」
「そうか。まだ物語として読める部分か。民数記はどうだった?」
「ひたすらに人名と数字だらけで、飛ばし読みをしていました」とエリザベスは可愛らしく笑った。
思わず鼻で笑ってしまった。だが雑談はここまでだ。私は顔を引き締めた。
「エリザベス。大事な話がある」
エリザベスはパタンと聖書を閉じ、膝に置いた。「何でしょうか、閣下」と真摯な目でこちらを見つめてた。
やはりスヴェトラーナ后によく似ている。サラサラとした真っ直ぐな髪をリボンで括っているだけだがよく似合っている。大人の女性らしい結い上げた髪も似合ってはいるのだが、彼女の歳の割にやや幼い顔立ちには少女らしい格好の方がまだ似合う。
「此度の移動で其方は私と共に宮廷貴族として名を連ねることとなる」
「存じ上げております。身辺には気をつけろ、接する貴族には注意しろ、というお話でしょうか?」とエリザベスは首を傾げた。
「そうだがそうではない。私は基本的に其方を表に出さないと決めているからな」
エリザベスは一瞬表情が消えた。だが彼女は間を置かず微笑み首を傾げた、目の表情は読めない。
「表に出さない、とは? 婚約者だった頃のように、でしょうか?」
「そのつもりでいる。尤も当面は新入りの宮廷貴族としての挨拶があるため、第一夫人である其方も連れることとなるがな」
「ならば誠心誠意、務めさせていただきます」
エリザベスの蒼い目がぐっと引き締まったように見えた。
こうは言ったが、エリザベスを表に出すのは気が進まない。故に対策は進めている。すぐに其方も知ることとなるであろう。
箱入り嫁が爆誕しそう。どんな策が練られているのかは知らない明美さん。
次回、次章に移ります。




