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はずれものの恋、ユーラシアのはぐれ島で  作者: 神永遙麦
新婚時代:最初の3ヶ月
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マカレナのフランス語

 私はぽすんとテーブルの前に座り読書を始めた。

 昨日、初夜を済ませた。空気を読まなかった月経が終わったから。でも、なんか思っていたのと違った。ワーホリの人たちに教わったのは避妊の方法とかだったけど、肝心の行為については習わなかった。行為に関しては映画からの知識の方が多いけど、具体的に何をするのかまでは知らなかった。


 体の怠さを無視して読書と書き物を続けた。けれど外国の本なんて手に入らないからこちらの本を訳すしかない。正直、フランス語以外も復習したい。8歳より前に習得した、且つ習得後に何度か使う機会があった言語は大丈夫だろう。だけどそれ以外は厳しい。もう韓国語やロシア語は思い出すのが難しい。一度は習得したんだから勘は取り戻せるだろうけど。

 ハァとため息を吐くとハイド伯爵が入ってきた。うん……、私室に閣下が入ってくるのには慣れたよ。


「閣下、いかがなさいましたか?」


 閣下は私の隣の椅子に腰掛けた。


「用がなくては妻の私室に入ってはいけないのか?」


 めんどくさっ。


 私は「いいえ。ただ今日は平日なのに何かあったのかしら、と考えまして」とにこやかに答えた。

「来月にボーヴァー家へ訪問することが決まっただけだ」

「そうでしたの。お茶会としてですか? それとも舞踏会?」

「茶会だ」


 お茶会、ということは大急ぎでドレスを新調する必要はないか。良かった。

 閣下は私の手元の本と紙を見た。


「小説をフランス語に翻訳しているのか。何に使う気だ?」


 マカレナのことって言ってもいいのかな? マカレナ、スパイ容疑で殺されない?


「フランス語の復習用です。数年もの間、使わずにいると語学力も落ちてしまうので」


 閣下は考え事をするように指を組んだ。何か思い当たることがあるらしくまじまじとフランス語に訳したほうの小説を見た。


「マカレナの教材用か?」


 ドキンと背筋が凍ったように伸びた。瞳孔が開いているんだろうな、と思いつつ表情を変えず首を傾げた。閣下は原語の小説の開いてあったページを読み始めた。


「其方のフランス語訳はかなり正確だが、其方の語学力には見合わぬ教材の選択だ」


 知ってる、どう見ても子ども向けの小説だから。閣下はページを捲った。


「マカレナはフランス語の本を所持しているとロイスより報告を受けた。関連があるのだろう?」


 疑問形だけど確信してる、絶対。どう答えるのが正解? どうすれば火の粉が飛ばない? 平和に終わるパターン?

 青い目には視線を惹きつける力があるらしいから、上目遣いで閣下を見つめながら考える。閣下は小説をテーブルに置いた。


「エリザベス、私はマカレナが外国語を学習していることに怒りを感じているわけではない。だが其方がマカレナに外国語を仕込もうと言うのなら、私に報告する義務がある」


 何で? 外国語を使える人数が増えるから? 統計データが変更されるから? それとも閣下はフランス語を使える人を求めている? それはないか。私は息を吸った。


「私がマカレナにフランス語を教えているのは事実です。ですが彼女はフランス語話者とは呼べないため報告を省略しておりました」


 嘘じゃない。ようやくアルファベットの暗記を脱して簡単な単語を覚え始めているところだから。発音なんてかなり怪しい。マカレナは発音記号が読めないから、ゴーディラック語のアルファベットでよみがなを振っている状態。マカレナが「Merci」を「メフシ」って発音した時は頭を抱えてカナを振り直した。


「閣下はどのようにフランス語を習得なさったのですか?」


 閣下をまじまじと私を見つめた。そして顔を逸らした。


「17年前、この家を離れ、ヴァロワール共和国大使館に居を移した。ただそれだけだ」


 心の奥の1番繊細な所に涼しいソーダーを掛けたようだ。

 17年前……。閣下は今21歳。つまり閣下が4歳だった頃だ。

 私は大きく目を見開いた。母が財前さんと再婚した。財前さんにとって私はいらなかったらしく厄介払いと言わんばかりに私は1人留学に出された。当時の私は4歳だった。

 ぶるりと小さく身を震わせた。


「怖い、ですよね。見知らぬ人々に、見知らぬ常識ばかりの世界に放り出されてしまうのは」

 閣下は「言葉の通じない環境で私は、兄が亡くなるまでの4年を過ごした。言葉が通じない建物で異邦の大人たちに囲まれて育った恐怖など其方には分からないであろう、エリザベス」と怪訝な目でこちらを見た。


 私は小さく笑った。


「ちょっとは分かります。怖くて不安で、溺れそうで……。だからこそ言語習得が早くなるのかもしれない、効率的な方法かもしれないけれど」


 閣下はなぜか私をギロリと睨んだ。

 

「エリザベス、其方が外国語話者であることは極秘である。其方の出自がどうであれ、この国では叔父の私生児となっている。平民上がりの私生児が外国語など話せないであろう」

 私は「それもそうですね」と頷いた。

 閣下は「それからエリザベス。其方の出自を慮ると交流を避けるべき貴族は多くいる」と指を3本立てた。


 真面目な話だ。何の脈絡があるのか分かんないけど。閣下はまっすぐ私に向き直った。


「オルラン家を始めとするデイヴィス王朝の打倒に積極的に関わった家門。パース家を始めとする旧ティレアヌス家の支持者。ボペレアン家という運良く生き残った旧デイヴィス家の血縁者。分かったか」


 分かったけど覚えられない。深呼吸して姿勢を正した。


「それだけですか? ゴーディラック王国、全ての家門との交流に制限は掛けられないのですね」と閣下を見た。いっそ全部制限掛けられた方が覚えやすいのに。

「それは当てつけか?」と閣下は可笑しそうに目を細めた。「現状、第一夫人にあたる其方の交流はやすやすと制限を掛けられぬ」

「第一夫人?」と私は首を傾げた。

「ゴーディラックでは伯爵家以上の貴族は家長が複数の配偶者を娶ることは許されている。 ティレアヌスでは禁じられているそうだが」


 何となく心が揺らいだ。ぎゅっと目を閉じた。目を開き、また閣下を見つめ頷いた。閣下何も言わずは私の頭を撫でてくれた。

抑圧してますね。

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