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はずれものの恋、ユーラシアのはぐれ島で  作者: 神永遙麦
新婚時代:最初の3ヶ月
23/89

春の庭に咲く睡蓮

 目を覚ました時、視界に入ったのは私の顔を見つめるハイド伯爵だった。


「もう大丈夫なのか?」

「ええ、お陰様で問題はありません」


 お腹は痛いけど「大丈夫か」と聞かれれば大丈夫。大丈夫。

 私が起き上がると、横になっていた閣下も起き上がった。


「エリザベス、今日は庭に出るか」

「はい。今日のご予定は大丈夫なのでしょうか?」


 声が上ずっちゃったけれど……やばいよ。お貴族の庭って! きっとすごいよ! もしかしてリアル『秘密の花園』かも! あ、秘密じゃないか。


「今日は土曜日だから問題はない」


 春らしい柔らかな黄色のドレスに着替え、食事を終えた後、私はアンネリースに導かれ庭園へと足を運んだ。正面玄関を抜けると、目の前には広大な庭園が広がっていた。色とりどりの花々が咲き、まるで自然が生み出したアート。それも水彩画タイプのアート。庭園のベンチには閣下が座っており、私は彼のもとへ駆け寄った。


「お待たせしました」

「いや、先に向かっていただけだ」


 閣下は相変わらず無表情だ。彼は立ち上がり、手にしていたバラの花束を私に差し出してくれた。


「ありがとう存じます、閣下」

「勝手に作っただけだ」


 急に閣下の声のトーンが下がった。どうして? 閣下が私に手を差し出して下さったから、私は手を繋いだ。そのままハイド伯爵は歩き始めた。

 

「こちらは宮廷庭園の株分けでいただいたバラだ」

「すごいですね」と何ていいのか分からず無難な返事をした。

「こちらは祖母の出身領から株分けでいただいたグラジオラスだ」

「初めて見る花です。本当に美しいですね、この庭は」


 私は感嘆の声を漏らした。目の前には、バラやチューリップ、そして小さな花々が風に揺れている。風が優しく頬を撫でた、風は池から来たようだった。


「池があるのですね、お庭に」

「ああ、涼しいだろう」

「ええ、あの睡蓮も綺麗ですね」

「ああ。其方の国ではどのような花が咲くのだ?」


 私の祖国? 現実逃避のようにグラジオラスを見た。紫色でスイートピーを串刺しにしたような花だった。


「サクラが有名ですね。毎年外国人がたくさん来て……」と軽く目を瞑った。脳裏に桜を浮かべようと頑張った。

「サクラは東アジアの花だと耳に挟んだことがあるが」


 わお、閣下って博識。私は驚き目を見開いた。


「ご存知なんですね。父はイギリス人ですが、母は東アジアの出身で」

「そうか。母方の国の旅券はどこにある?」


 没収されるやつ? 軽く冷や汗をかく。良かったお祖母ちゃん家に置いてきて。


「持っていません。母方の国にも家にもほとんど縁がなかったので」


 閣下はぐぅと声を詰まらせた。私は顔を逸らし、フウと背筋を伸ばした。お腹が痛い。座りたい。


「この白いお花は?」と話をずらした。

「これは庭師が植えたゼラニウムだ」と閣下は

「お花らしいお花ですね」


 小さいころよくこんな感じのお花を描いていたなぁ。しゃがんでゼラニウムをひと撫でした。ハイド伯爵が庭師のもとに行った。ハァとゼラニウムの繋ぎ目を見てみた。閣下が戻ってきたので立ち上がろうとした。けれどフラリと視界に稲妻が走り暗転した。

 

「おい!」と慌てた声の閣下に体を支えられた。

「あ」と私は体勢を立て直した。視界がポワンポワンと少しずつ元に戻った。


「大丈夫か、エリザベス」


 ハイド伯爵は私を抱き上げ池のアーチ橋を渡り東屋に向かった。閣下の胸元に耳が当たってる状態だから分かったことがある。閣下、めっちゃドキドキしてる。よく見ると額に汗を滲ませている。東屋は白くてドーム状の屋根の建物で、床はレンガ畳、池の上に座しているから涼しい。閣下は私を東屋のベンチに座らせた。


「エリザベス、あまり顔を動かすな」

「ありがとう存じます、閣下」


 閣下の眉間に軽く皺が寄った。どうして? あ、「閣下」って呼んでるから? ヨハ……無理! ハイド様? いや、結婚したから私もハイドか。と、言うか勝手に不機嫌になる前に「エリザベス」という呼び名を変えてほしい。

 池の水面に小さな波紋が広がり、白い睡蓮が揺れ動いた。ハイド伯爵は人差し指と親指で眉間の皺を伸ばした。そして屋敷の方角を見た。


「エリザベス、7月にはこの屋敷を引き払い首都アウレスに本邸を移す」

 私は思わず「閣下、なぜ本邸を移されるのですか?」と勢いよく顔を上げた。

「婚姻にあたる、国王陛下からのご指示だ。それ以上其方に話すことはない」


 私は俯き視線だけを上げた。


「承知いたしました」


 私は思考を読まれないよう目を睡蓮に向けた。

 理由は私でも察しがつく。ハイド伯爵と私の婚姻にあたる指示だから。私が前科者だということが関係しているのかもしれない。さすがに前科者が領地持ち貴族の夫人はまずいだろうから。冤罪だったとしてもダメなのだろう。けど……私は領主夫人としては何も出来ないし、人を動かす力もないから無害だと思う。

 睡蓮が揺らいだ。私は軽く目を瞑った、日差しが水面に反射していたから。

 あぁ……、ここでも私はいない方が良かったのか……。嫌だなぁ。


 私は目尻を緩め閣下に顔を向けた。


「閣下、気分がすぐれないので自室に帰ることを許していただけますか?」

「許す。しっかりと休みなさい」

 私は立ち上がり「失礼いたします」とお辞儀をした。


 私は無礼にならない程度の速歩きで東屋を出た。

 苦しい。消えたい。何で私がいるの? なぜ私はこの国に来たの? いいえ、この国の外にいたとしても私は……。何のために生まれてきたの、私。私は本当の意味で閣下の妻にはなれなかった。本当の意味で両親の娘にもなれなかった。私は、私は……。ダメね。今年で18歳になるのにこんな子どもっぽい……。


 屋敷の中に入りマカレナと目があった。隣にはマカレナがいる。私は自室のドアに手を掛けた。


 私はふと「マカレナ、今日フリーダを見かけないんだけどどうしたの?」とマカレナを見た。

「本日お祖母様は体調がすぐれないそうでお休みをいただいております」とマカレナは眉尻を下げた。

「大丈夫なの? フリーダは」

「大丈夫ですよ。ただの高血圧ですから」

「フリーダって血圧が高いの?」

 マカレナは「それが分からないんです。お医者様によると普段は正常な血圧なんですが」と肩を竦めた。


 昨日の結婚式で興奮したのかな。


「マカレナ、アンネリース。少し1人にして」と私は部屋に入った。


 アンネリースはお辞儀をした。


「ではドアの前で控えております」


 私はドアを閉じた。ドアに寄りかかったまま座り込んでしまった。腕を強く引っ掻いた。17歳。若いって分かっている。世界の全てを知るには若い。でも、消えたい。私、消えたい。

 腕を引っ掻いて引っ掻いて引っ掻いてあかぎれのように腫れたことに気づいた。血を連想する赤い傷。きゅっと眉間に皺が寄った。現実にギュンと引き戻された。絶対に生きてやる。ここで死んだら負け。全部に負けたことになる。環境に、政治に、カルチャーショックに、人の思考に。絶対、絶対に負けない。死なない。駄々っ子のように負けず嫌いになってやる。

ハイド伯爵の力になりたい、と願っていてもハイド伯爵を信じられない明美。

次回、マカレナの夢。

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