武器にならなかった経験【就活短編小説】
私は休学や留年をして人生遠回りをしました。
何回就活しても一番行きたかった企業には行けませんでしたが、誰よりも就活というゲームには詳しいです。
Xでは多くの人が就活の情報を発信していますが、情報というのはその人の思考力が伴っていないと正しい方向で落とし込むことができません。
現代人は特にこの「思考力」というものが衰退していると思い、この思考力を伸ばすのに必要な一つの手段として私は「小説」をお勧めします。
でも現代人はわざわざ小説なんて読まないでしょう。ショート動画を見るのに慣れ過ぎて、小説どころか10分程度のYouTube動画ですら苦痛に感じるはず。
そこで、まずは読みやすい短編小説から挑戦してほしいと思います。
それでは本編へどうぞ⇩
第一章 ガクチカがない病
午後三時の学生会館。
エアコンの利きすぎた空間に、濁ったような空気がこもっていた。四角く並べられた机の内側に十数人の学生たちが腰掛け、誰もがワークシートにペンを走らせている。
「学生時代に力を入れたことを、三百字以内で」
印刷された文字が、新谷蓮の前に鎮座している。ペンを握る手に汗が滲んでいた。
「ゼミで自治体と連携してプロジェクトを──」
「長期インターンでWebサービスの立ち上げを経験しました」
「バイトリーダーとして売上前年比120%達成!」
周囲の声が、遠くから水の中を伝って聞こえてくるようだった。けれど、その一語一句が鋭利な刃のように突き刺さってくる。
──お前は何をしていた?
「……」
新谷はペンを置いた。記憶をたどる。コンビニのレジ、気まずい沈黙のゼミ、月に数度だけ顔を出す幽霊サークル。何一つ、語れるものがない。
ガクチカ。
就活の神話のように語られるその単語が、新谷の喉を塞いでいた。
「では、新谷くん、どうですか?」
声が飛んだ。就職課の職員の、柔らかすぎる声だった。目を向ければ、全員の視線が自分に向けられていた。
「えっと……まだ、模索中というか……特に……」
言葉がすべって崩れた。誰も笑わなかった。けれど誰も、助けもしなかった。
「じゃあ、これから作っていこうか。まだ時間はあるからね」
──時間なんて、あるわけがなかった。
◆
夕方、外に出ると、太陽がすでに傾いていた。渋谷駅へ続く道に、人の群れが波のように押し寄せてくる。誰かとすれ違うたび、新谷は自分が空っぽの容器に思えた。
何かをしてこなかった自分。
何者でもなかった自分。
だからこそ、何かにならなければならない。今すぐに。
焦りは、喉元を締めつけてきた。
スマートフォンを取り出し、就活アプリを開く。企業のロゴが、ガチャのように次々と表示される。その中に、ひときわ目立つバナーがあった。
「ガクチカは今からでも作れる」
「本気のインターンで、圧倒的成長を掴め」
「君の可能性を、世界に解き放て」
指が、自然とスクリーンを押していた。
バナーの先に映ったのは、明るいオフィス、笑顔の若者、スタートアップの代表者と並んで写る学生たちの集合写真。
──これだ。
選んだのではない。すがりついたのだった。
第二章 輝いて見えた地獄
「うちは、本気の人しか採ってませんから」
面談の場でそう告げたのは、グロウズ株式会社の人事、神崎彩花という女性だった。
ネイビーのジャケット、整った髪、微笑みを浮かべたまま一切の隙がない。新谷がこれまで見てきた“就活に強い人間”のすべてを凝縮したような人物だった。
「“ガクチカがない”って、それ、環境のせいにしてるってことですよね。でも、うちは違う。やれば、誰でも成長できます」
成長。
その言葉だけが、新谷の胸に熱を灯した。
何も持たない自分でも、“やれば報われる”場所がここにはあるのかもしれない。誰にも語れなかった空白を、ここで埋めることができるのかもしれない。
「──やらせてください」
そう答えたとき、神崎は満足げに頷いた。
「じゃあ来週から、朝八時にオフィス集合で。初日から実戦だから、覚悟してね」
覚悟──という言葉に、不思議と嫌悪感はなかった。
◆
初日、グロウズのオフィスにたどり着いた瞬間、新谷は首をかしげた。
渋谷駅から徒歩五分。
ビルは薄汚れた雑居ビルの五階。表札は印刷した紙をラミネートしただけで、剥がれかけていた。階段を登る途中、換気扇のような音がずっと鳴っていた。
ドアを開けた瞬間、目の前に広がったのは、パーティションもない狭いフロアにギチギチに並べられたデスク、点滅する蛍光灯。だが、空気だけは異様に明るかった。
「新谷くん!? 今日からだよね? よっしゃ、数字獲ってこー!」
満面の笑みで声をかけてきた社員が、資料の束を手渡してきた。
「これ、今日から使うトークスクリプトね! とりあえず最初は丸暗記して、ロープレ、それからもうアポ取り行こう!」
スクリプトには、馴染みのない単語が並んでいた。
「はじめまして!Growzという営業支援会社です!」
「御社のInstagram、更新止まってましたよね? それ、改善すればCPAもっと下がると思うんです」
CPA? LTV?リード数?
横文字が洪水のように押し寄せてくる。
「アポ10件取れたら、初日合格! 佐伯、先週トップだったよね?」
呼ばれた佐伯美優という女性が、無表情のまま「はい」とだけ答えた。インターン生らしいが、疲弊しきった顔だった。
「逆に未達の子は、来週から“リモート勤務”に切り替えてもらいます。まぁ、実質リストラだけど」
神崎が軽く笑った。けれど、その目はまったく笑っていなかった。
◆
夕方、新谷はヘッドセットをつけ、初めてのテレアポを始めた。
「……あ、はい。Growzの──あ、あの──」
プツッ。
切れる。
またかける。名乗る途中で、また切られる。
「うちは結構です」「なんで学生が電話してきてんの?」「ふざけんな」──。
三十件かけて、二件話を聞いてもらえたかどうか。
耳が熱い。喉が焼ける。水を飲もうとした指が震え、ボトルを倒した。
ノートが濡れた。焦って拭おうとしたとき、隣からそっとタオルが差し出された。
佐伯だった。
「……最初は、みんなそう」
それが、彼女の最初の言葉だった。
◆
終業時刻は、存在していなかった。
誰も時計を見ず、誰も帰ろうとせず、誰も“今日もお疲れ様”と言わなかった。
帰り道、渋谷駅前のガラスに映った自分は、朝と同じスーツ姿だった。けれど、どこかで、何かが削れていた。
──これは、“成長”なのか?
疑問が浮かぶたび、それを飲み込む声が心の奥から聞こえた。
──ここで逃げたら、他でも通用しないぞ。
それが、神崎の声だったのか、それとも自分自身の声だったのか、もはや判別できなかった。
第三章 成長という麻薬
朝、五時半。
スマホのアラームが鳴る前に目が覚めてしまう日が増えた。眠れなかったのではない。寝ることに意味を見出せなくなっていた。
着替え、パンを口に押し込み、電車に乗る。人の波に流されながら、スマホで今日のアポリストを確認する。日課になったその行為に、達成感も不安も感じなくなっていた。
「新谷、今月のアポ、何件いった?」
その問いかけが、グロウズでは“おはよう”の代わりだった。
八時の始業。誰も席を立たない昼。終わりのない夜。
いつの間にか、曜日の感覚も、週末の存在も消えていた。
──これが、“成長”の対価?
最初は確かに手応えがあった。
喉が裂けるほど電話をかけ、数少ない“アポ獲得”がSlackに報告されると、社内チャットがざわついた。「ナイス!」「エース誕生!」「今日も飛ばしてこー!」
数値が積み上がっていく。そのたびに、自分の存在がようやく認められていくような錯覚を得た。
けれど、奇妙だったのは──“慣れ”が早すぎることだった。
達成しても、誰も称賛しない。
落ち込んでも、誰も慰めない。
“昨日と同じ今日”が、ただ繰り返されていく。
◆
飯田拓実がいなくなったのは、水曜日だった。
最初は体調不良かと思った。けれど、Slackからも姿を消し、連絡はつかなかった。出社しない理由を誰も話さない。神崎はこう言った。
「飯田は“この環境に合わなかった”。それだけ」
たった一行で、彼の存在は処理された。
誰も飯田の名前を口にしなかった。
語られないことで、存在はよりいっそう“無”に近づいていった。
──俺も、いつかそうなる?
不安は、口に出す前に、数字で黙らされた。
「未達の子は、翌月の稼働減らしますから」
「営業は根性。情緒は不要」
「感情より、結果出して」
数字は、感情を否定するための言語だった。
グロウズという会社は、数値という麻薬で、若者たちの心を鈍らせていく場所だった。
◆
佐伯美優は、壊れるのが見えていた。
顔色が青白く、口元は常に乾いていた。缶コーヒーを握る指がかすかに震えていた。
「……大丈夫?」
新谷がそう尋ねたとき、彼女は少しだけ笑った。
「わかんない。……でも、“成長してる”って思うと、やめられないんだよね」
成長。それは希望だったはずなのに、今や麻薬になっていた。
翌日、美優は過呼吸で倒れた。
社内の誰も動揺しなかった。
神崎はタブレットを見ながら「またか」とだけ言い、新谷に指示を出した。
「外、連れてって。深呼吸させれば戻るから」
“戻る”とは何に?
──人間に? 社員に? 使い捨ての部品に?
外の空気は、異様に冷たかった。
美優はベンチに座ったまま、遠くを見つめていた。
「……もう、何が普通かわかんないや」
その言葉を聞いたとき、新谷は自分のなかで、何かがはっきりと壊れていくのを感じた。
◆
夜十一時。
渋谷のスクランブル交差点。
ビルのガラスに映る自分の姿は、もう“誰か”の模倣にしか見えなかった。
「……俺、本当に変わったんだろうか」
心のどこかが、ずっと囁いていた。
──やってる感に溺れてるだけじゃないのか。
──“何者か”になったつもりで、自己満足してるだけじゃないのか。
「ここでやれなきゃ、社会じゃ通用しない」
「みんなもやってるんだから、自分だけが甘えてるだけ」
そう言い聞かせ続けてきた。それが、自分を支えていたはずだった。
けれど、その“支え”はもう、ほつれていた。
スマホを取り出して、アポリストを開こうとした指が止まった。
──なぜ、ここにいる?
答えは、もう出ていた。
けれど、それを認めるには、少しだけ勇気が足りなかった。
第四章 武器にならなかった経験
都内某所、○○商事の選考会場。
無機質なカーペット。白く塗られた壁。高すぎる天井から照明が降り注ぐ空間に、無数のスーツ姿の学生が座っていた。笑顔、沈黙、緊張。すべてが無理に整えられたように見えた。
新谷蓮も、その中にいた。
姿勢を正し、目線をまっすぐに。これまでのインターンで叩き込まれた「社会人のフリ」を、無意識に実践していた。
──俺には、武器がある。
グロウズでの経験。鬼のようなテレアポ、心をへし折られながらも積み上げた数字、精神論で血を滲ませた日々。誰よりも現場で戦ったという自負があった。
「学生時代に頑張ったこと、それが一番問われる場所でこそ、報われるはずだ」
そう思っていた。
◆
GDのテーマは、「若者の読書離れを解決するには?」
新谷はすぐに発言した。堂々と、論理的に、説得力を意識して。
「営業経験から言わせてもらうと、やはり“本”というプロダクトを“どう売るか”に問題があります。SNSとの連携、マーケティング動線の設計──」
「でもそれって、“読む”ことへの動機付けとは違くない?」
一人の学生が静かに言った。
「そもそも読書って、売る売らない以前に、“触れる機会がない”って話じゃなかった?」
新谷の言葉が、空中で宙吊りになった。
“武器”だったはずの営業視点が、誰の共感も得られなかった。
むしろ、議論の方向をずらした“ノイズ”のように扱われていた。
──俺のこの一年って、何だったんだ?
心臓が冷えていく。
議論は別の方向に展開されていき、新谷は言葉を挟めなかった。
「時間です。では発表者、お願いします」
もちろん、彼ではなかった。
◆
次は個人面接。
一対一。顔と顔。言葉と沈黙。ごまかしの効かない場所だった。
「学生時代に力を入れたことを教えてください」
「営業代行のベンチャー企業でインターンをしました。テレアポやアポ取りを中心に、最終的には……月間アポ数トップを──」
面接官は静かに頷いた。メモは取っていない。
「それは、あなたじゃなくても達成できた成果ではないですか?」
「え?」
「スクリプト、リスト、ロープレ──営業代行の環境って、仕組みが整ってる。あなたの頑張りは、その構造に乗っかっただけじゃないですか?」
「……でも、私は、自分でトークも改善して……」
「それは上司の指導を受けて、ですよね?」
──違う、俺は……。
けれど、その“違い”がうまく言葉にできなかった。
「うちの仕事は、“仕組みの中で頑張る”ことではありません。“何が必要かを考える”仕事です。──今日は、ありがとうございました」
面接は、終わっていた。
◆
帰りの電車の窓に、今朝と同じ顔の自分が映っていた。
スーツ、ネクタイ、無表情の目。
けれど、その中身は、抜け殻だった。
「この一年間、俺は、何を得た?」
“ガクチカ”は、武器じゃなかった。
“成長”は、社会の通貨にならなかった。
自分が必死に食らいついたものは、履歴書に書けるかどうかだけの飾りに過ぎなかった。
──俺は、空白を恐れすぎていた。
なぜ「何かをやってきた」と言える材料を、そんなにも欲しがっていたのか。
なぜ、「語れる何か」がないと、社会に入れないと思い込んでいたのか。
深夜、新谷はノートを開いた。そこには、何も書かれていなかった。
だが、その空白が、初めて少しだけ温かく感じられた。
第五章 空白を生きる
ES、GD、面接。どれだけこなしても「この一年の経験」は、“それがどうした”のひと言で退けられる。
「どんな経験よりも、何を考えてきたかが大事なんです」
誰かの面接対策noteに書いてあった言葉を思い出す。
けれど、考える暇もなかった。数字、ノルマ、クレーム、アポ、電話、また数字。
何を考えた?
──「逃げたら終わり」しか考えられなかった。
◆
その日、新谷のメールボックスに、一通の素っ気ない文面が届いた。
件名:ご応募ありがとうございます
本文:形式ばらず、お話できればと思います。木曜午後、ご都合いかがでしょうか。
差出人:灯書房
灯書房。聞いたことのない名前だった。
検索しても、サイトのレイアウトは古く、口コミも見当たらない。だが、奇妙な安心感があった。どこか、懐かしいような。
──この違和感は、悪いものじゃない。
直感に導かれるように、返信を送った。
◆
木曜、午後。
東十条。住宅街の外れ、小さな木造の二階建て。そこが灯書房の本社だった。
「新谷くん?」
玄関を開けると、白髪混じりの小柄な男性が出てきた。社長だという。
名乗るより先に、彼は急須を持って台所へ向かった。畳の部屋に湯気のたつ湯呑が置かれる。外の寒さが、じわりと解けた。
「ここ、オフィスっていうより、昔の貸本屋みたいなもんでね。派手なことは何もやってない」
社長は柔らかく笑った。
久しぶりに、“誰かに構えずに話せる”空気だった。
「──で、うちに来ようと思ったのはなぜ?」
新谷は、一瞬答えに詰まった。
「……自分でも、わかりません。ただ、これまでいろんな会社を受けてきて……どこかで、“すごそうな場所”ばかりを選んでいた気がして。中身がどうかより、世間に説明できるかどうかばかりを気にしてました」
「世間への説明。なるほど」
「何かを語れる“武器”が欲しくて、必死にインターンもやって……でも、それが何だったのか、最近もう……よく、わからなくなって」
社長は、黙って頷いた。
「そういう人、多いよ。語れるようにするために動く。でも、自分の中身が置いてけぼりになる」
「……はい」
「空白を抱えてることは、恥じゃないよ。空白があるからこそ、“何を大事にするか”が見えてくる。君が言った“わからない”ってのは、考え始めたって証拠だ」
新谷は、何も返せなかった。ただ、こみあげてきたものを喉の奥で飲み込んだ。
◆
数日後、灯書房から内定の通知が届いた。
大企業でも、成長企業でもない。けれど、そこには“答えのないまま進む勇気”があった。
「武器がないなら、丸腰で行けばいいじゃないか」
そんな社長の言葉を、新谷は履歴書の最後の一行に書き足した。
◆
就活サイトを何気なく開く。
グロウズ、ではないが──あの会社によく似た、キラキラしたバナーがいくつも並んでいた。
「ガクチカを武器にしろ!」
「インターンで圧倒的成長を!」
「“自分を語れない奴”は、社会に出る資格がない!」
もう、その言葉たちに胸は痛まなかった。
ただ、静かに思う。
──いつか、誰かがこの構造に“NO”を突きつけなければ。
でも、それは今日じゃない。
今日の自分は、ただ、“空白のまま進む”と決めただけだ。