うまい話には裏がある
「デッッッッカ……」
舟が出る港で、千草は口をぽかーんと開けたマヌケ面で立っていた。
と言うか客観的に指摘されなくても、自分は今相当なマヌケ面であると千草は自覚できていた。
それくらい豪華客船ゴールデンユニバース号は巨大だったのである。
無論これより大きなクルーズ船は山程あるだろうが、人生で初めてこの手の舟を目撃する千草にとって、ゴールデンユニバース号の船体はまさしく圧巻という他ない。
「デカい。すさまじくデカいぞなんじゃこりゃ。これ本当に海に浮くのか? 海中にこっそり台とかあったりしない?」
まるで子どものようなはしゃぎっぷりである。
「やめろバカ。いちいちそう過剰反応するな愚か者め」
舟が早朝であるせいか、夜見は眠そうにくあっと欠伸した。
ハイテンションな弟子と違い、いつも通りに見える。
「いやだって師匠、俺こんなデカい船初めて見たんですよ? はしゃぐなって言う方が無理ありません?」
「こんなのデカいだけだ。ここですることと言ったらせいぜい部屋でダラダラすることくらいだ。家にいるのとそうそう変わらん」
随分冷めた反応だが、千草は夜見がデカいクーラボックスを持っていることを見逃さなかった。
「……何ですかそれ」
「酒だ。この手のクルーズはアルコールが別料金であることが多いからな。しかもこの手の場所じゃ酒は高いと相場が決まっている。なら外から持ち込めば実質タダというわけだ」
ふふんとドヤ顔する夜見。
そのクーラボックスの中にある酒だって結局買ったものなんだからタダじゃねーだろと思ったが、突っ込まないでおいた。
「そう言えばこの中にはバーもあるらしいぞ。行ってみるか?」
「俺、未成年何ですけど」
「気にするな。四捨五入すればハタチだろ」
そんな暴論が通ったら法治国家は終わりである。
「て言うか、バーがあるんならこの酒いらなかったじゃないですか」
「バカめ。それは部屋で飲む用だ。バーで飲む酒はバーで飲む酒だ。全然違う」
よく分からない拘りである。
家で食う弁当と外で食う弁当みたいなものかな、と千草は結論づけることんいした。
「お前の分のチケットを渡しておくぞ。無くすなよ」
「はいは――」
千草が受け取ろうとした瞬間、狙い澄ましたかのように風が吹いた。
「あ」
「え」
風にさらわれ、チケットはひらりひらりと飛んでゆく。
「ちょ、ま!?」
「行ってしまったな」
「呑気に言ってる場合ですか! チケット飛んでっちゃったじゃないですか!」
「あれはお前のチケットだ。私のは無事だから問題はない」
「俺にとっちゃ大問題なんだよ!?」
千草は慌てて人混みをかき分けながら、飛ばされているチケットを追う。
「げっ……!?」
チケットの向かう先は海であった。
間に合わなければチケットは海に落ちる。
最悪海に飛び込んで回収しなくてはならないところだが、今は12月。
確認するまでも無く真冬である。
いくら不死身に近い肉体とは言え、穏やかに終わるとは到底思えない。
一時的に死ぬ思い、もしくは死ぬことになるか、はたまた豪華客船でのクリスマスを諦めることになるか。
あまり嬉しくない二者択一である。
「クソッ仕方ないか……!」
幸い着替えはスーツケースの中にある。念のため二着分持ってきたので今着ているのがダメになってしまっても対応は可能だ。
問題は海水に浸かってしまったチケットで入船できるかということだが……深く考えないことにする。
意を決したその時――千草は何者かの気配を感じ取った。
妖魔の気配と似た感覚だが、その気配の持ち主が妖魔ではないことは知っていた。
何故か?
その気配は――間違えようもない、幼馴染のものだったからに他ならない。
人混みの中から、人影が飛び出した。
余りにも人間離れした跳躍力で、人影は――四宮信乃はチケットをキャッチして着地した。
そのアクロバティックな動きに、目撃した人々は自然と拍手をしていた。
拍手に照れくさそうにしながらも、信乃は走ってきた千草に目を向け……そのまま硬直した。
「千草……?」
桜色の唇が自分の名前を発しただけで、千草の胸に懐かしさが込み上げてくる。
四宮信乃は幼馴染みであり、平安時代から続く妖魔殺しの大家、四宮家の跡取り娘である。
幼い頃、妖魔によって両親を失い、天涯孤独となった千草を引き取ったのが、信乃の母親である四宮梓だった。
それから千草が与田切夜見に引き取られることとなる五年前まで、家族同然で過ごしてきたのだ。
夜見に引き取られてから、一度も対面は愚か連絡すら出来ない状況だったが、まさかこんなところで再会を果たすとは。
神様も粋な計らいをするものである。
――ああクソッ こーゆーときって何を言えばいいんだ?
話したいことは山程あるというのに、何から切り出せばいいのかサッパリ分からない。
取りあえず無難にお礼を言っておこう。
「えーっと、その、ありがとな。チケット取ってくれて。これで海に落っこちてたらクリスマスが台無しになるとこだったぜ」
信乃はしきりに千草とチケットを交互に見ている。
「この船……」
「うん?」
「この船、千草も乗るの?」
「千草もって……信乃も乗るのか?」
「……うん」
「マジか! いやあ嬉しい偶然ってのは続くもんだな。いやホント、初詣の時に奮発して五十円玉投げた甲斐があったって――」
ビリ
「はい?」
見間違えだろうか。
チケットが真っ二つになっていた。
ビリビリ
二つが四つに。
ビリビリビリ
四つが八つに。
そこから先は数えることも不可能になり、最早無数の紙屑となったチケットを、信乃は放り投げようとして、思いとどまったのかポケットにしまった。
さすがにポイ捨てするのは気が咎めたらしい。そういうマメなところは相変わらず……
「ってちょっと待てえ!?」
なんて、感慨に耽っている場合ではない。
「おまっ、再会早々なんつーことしてくれたんだ! これじゃ船に乗れねーだろ!?」
「乗らないで」
有無を言わせぬ口調で、信乃は言った。
全てを切り伏せると言わんばかりの眼光に、思わず身がすくむ。
「この船には絶対に乗らないで。もし乗ったら――海に叩き落とす」
忠告はしたから。
そう言い残し、信乃は去って行った。
千草はそれをただ見送るしかなかった。
「なんなんだよ、あいつ……」
突然の再会に喜びを噛みしめる暇すら無く、チケットを破られ、挙げ句の果てには殺害予告である。
ガンダムの主人公じゃねーんだぞ、と突っ込む暇すら無かった。
信乃は昔から真面目ながらも少々天然というか、たまに突拍子も無いことをする少女だったが……まさかここまでのことをしてくるとは。
ボーゼンと立ち尽くしていると、夜見が千草の分のスーツケースも引っ張りながらやってきた。
「どうした、まるで突如再会した人間にチケットを破られ『おまえを殺す』と言われたような顔をしているが」
「俺そこまで分かりやすいですか?」
「割とな」
厳密には殺すではなく海に叩き落とすなのだが、まあこの気温じゃ似たようなものである。
千草はかくかくしかじかとこれまでの経緯を説明した。
「信乃……ああ、梓の娘か。他の対魔師との合同任務と聞いていたが、そうか。梓の娘がその相手とはな」
今でこそ四宮家との交流は絶たれているが、先代当主の梓と夜見は友人同士だったと千草は聞いている。
訳あって四宮家にいられなくなった時に、新たな引き取り手が夜見だったのはそれが理由だ。
だがそれよりも、千草は聞き捨てならないことがあった。
「……あのー師匠? なんですか任務って。まるでこれから乗り込む客船に妖魔が潜んでいて、それを信乃と協力して討伐しろとか、クリスマスホリデーもへったくれもないような展開になりかねないような気がするんですが、気のせいですよね」
気のせいと行ってくれ、頼むから。
祈りが通じたのか、夜見はふっと柔らかく微笑んだ。
「よく分かったな千草。寸分違わずその通りだ」
「嫌じゃあああああああああああああああ!」
出航前の港にて、哀れな少年の悲鳴が響き渡った。