豪華客船危機一髪
「……こんなところにいた」
屋敷近くの森の中。
一際大きい木の根元で、千草は体育座りをしていた。
「……なんだよ信乃。梓さんに探してこいって言われたのか?」
千草は見るからに拗ねていた。
「母さんがそんな心配すると思う?」
ここに来たのは信乃の意思だ。千草がふて腐れた時に来る場所というのは大体予想が付く。
そして現在、四宮家に来て五年ばかりが経過した男の子が、ふて腐れている理由もこれまた予想が付くのであった。
「前から言っているでしょ。四宮家の修行は、千草には無理だって」
「そんなの、やってみなくちゃ分からないだろ!」
「やってみたじゃない。で、結局ダメだった」
「ぐぬぬ……」
四宮家は対魔師の家だ。
この家に生まれた人間は、幼いうちから、訓練を始める。
けどその修行内容は四宮家の人間――つまり鬼の血が体に流れている人間に最適化されたものであるため、ただの子どもである千草は完全に蚊帳の外なのであった。
千草は何度も梓に対魔師としての稽古を付けてくれと頼み、その度に梓はNOを突きつけてくるのだった。
「て言うか、なんでそんなに対魔師に拘るの? 対魔師って危ないのよ、死んじゃうことだってあるんだから」
年齢故に実戦の経験は乏しかったが、信乃は先輩ぶって言った。
実際誕生日は2ヶ月ばかり早いのだから、自分の方がおねーさんであることは確かなのだ。
「……でも、信乃は対魔師になるんだろ?」
「うん」
逆にそれ以外の未来というのがまるで想像できなかった。
「でも俺は対魔師になれない……てことはさ、いつか離ればなれになるってことじゃないか?」
「それは……」
だが、千草の言葉はあながち間違ってはいない。
千草は四宮家の人間だ――少なくとも信乃はそう思っている――が、対魔師ではない。
きっと彼は対魔師になれないし、無理矢理なったとしても四宮家の人間達に届くことはない。
本当の意味で人生を共有することは極めて難しい――
「……仕方、ないでしょ」
――嫌だ。
言葉とは裏腹の感情が、胸に湧き上がる。
だが口には出さなかった。
千草に親しみを感じることは何度もある。
しかし経った今胸に湧き上がった感情は――衝動は、異質だ。
幼い信乃は、自己防衛の一環としてその感情を封じ込めたのだ。
そんなことを知らずに、千草は閃いたとばかりに指を鳴らした。
「例えばさ、俺が信乃の刀になるとか! そしたらいくら俺が弱っちくても、信乃が強ければブンブン振り回して妖魔に勝てるだろ?」
「……」
時々千草は突拍子もなくしょーもないことを言う。
「そんなこと、出来るわけないでしょ。大体どうやって刀になんのよ」
「ちぇー、言いアイデアだと思ったんだけどな。そうすれば一緒にいられると思ったんだけど」
「……刀って消耗品だから割とすぐ新しいのに交換されるんだけど」
というか、大体の武器はそうだ。
だからこそ「壊刃」という技があるわけで。
「話の腰を折るなよ……えっとじゃああれだ。絶対に壊れない……いや、壊れてもすぐ元通りになる刀だったら、大丈夫だろ」
「母さんの村雨みたいな?」
「そう、そんな感じ!」
「ますます無理よ」
村雨と言えば超一級、大業物中の大業物だ。
作り出されて500年以上、四宮家当主と共に常に最前線を戦い続けているという刀としては余りにも規格外の代物。
ただの刀でさえなるのは無理だろうに、村雨級となれば百回死んでも叶うまい。
四宮家当主の証は伊達ではないのだ。
完膚なきまでに否定されて、千草はますます凹んだらしい。
まあいつものことなので信乃は気にしていないが。
「もう日が沈むわよ。いつまでこうしているつもり?」
「ストライキってヤツだ。稽古付けてくれるまで、俺はテコでもここを動かない!」
信乃が今腰に差している木刀で突っつけば、すぐ転がりそうだったが、今はそれよりも手っ取り早い方法がある。
「もうすぐ晩ご飯だけど」
「よしすぐに戻るか」
テコでは動かないが晩ご飯では動くらしい。
なんとも現金な奴だ。
だがそんな千草が、信乃は嫌いではなかった。
空が赤く染まる中、二人は並んで屋敷に戻った。
――それが、二人が離れ離れになる半年前のことである。
夜の海。それも冬の海ときたら、とんでもなく寒いと思われるがしかし、刀になった千草は神経がないのか海水に浸かっても何も感じなかった。
もっとも、信乃はそうではなかっただろう。
さすがにどれくらい寒かったんだ、なんて聞けるはずも無いが。
千草達は鬼に勝った。
だが誤算があった。
村雨による壊刃の連発。
その威力が、余りにも高すぎたのだ。
船は完全にバラバラになり、救助船も沈んでしまった。
海に投げ出された信乃は、村雨《千草》を掴みながら海を泳ぎ、浮かんでいた船の欠片の上に上陸して今に至る。
困ったことは山ほどある
第一は、千草が人間に戻れないことだ。
戦闘中は自由に形を変えられた筈なのに、それが終わってしまえば微動だにしていない。
もっとも、刀のままであることは幸運だった。
今二人が乗っている船の一部は、辛うじて海に飲まれるのに抗っている状態だ。
これでもう一人追加、となればあっと言う間に沈むのがオチである。
そんなことになっていたら……きっと、互いに譲り合って共倒れというなんとも笑えない結末になっていただろう。
そんなことを千草が考えていると、船の欠片に横たわっていた信乃が言った。
「……ねえ、覚えてる? あんたが昔、自分は刀になるんだーって言ってたこと」
『なんじゃそりゃ、そんなこと言ってたのか俺?』
随分子どもっぽいというか何というか。
「そこは覚えてなさいよ……私だけ覚えてるとか、バカみたいじゃない」
「いやだって、そうポンポン覚えてるもんじゃねーだろそういうのって。まあ、実際なっちまったのは昔の俺も予想外だっただろうな」
しかも超大業物の村雨ときたものだ。
分不相応というか、身の丈に合わないというか――だがそうでなければ鬼を倒せなかったのだから、結果オーライということにしておく。
『……ところで、俺達助かるのか、コレ?』
「……さあね。こればっかりは私も分かんない」
冬の海は寒い。極寒である。
千草はまだしも、信乃にとってはお世辞にも良い環境とは言えまい。
しかもここがどこなのか……そもそも日本の領海なのかも分からないし、トドメとばかりに通信機器は使えない。
一難去ってまた一難というべきか。
妖魔を倒したと思ったら、今度は大自然の脅威にさらされるハメになるとは予想外であった。。
『信乃、大丈夫か? キツかったら言えよ』
「滅茶苦茶寒いけど……まあ、何とかしてみる」
信乃の声はどこか力が籠もっていない。
嫌な予感を振り払うように、言葉を並べ立てる。
「ったく、豪華客船でのんびりできるかと思ったら、こんなイカダじみたボロ板の上とかどう言うことだよ……最悪のクリスマスだ」
「それは同感……でも、最悪って言うのは、少し違うかも」
「ん? そりゃどう言うことだ?」
「……教えない」
ふいと信乃は視線を逸らした。
なんだそりゃ、と千草も苦笑する。
だが、こうなった信乃は聞いたとしても教えてくれない。
最悪よりはマシ、ということだろうか。
夜見に丸め込まれてクルーズ船に乗り込んだのが昨日……いや時間的には一昨日のことで、今はこんなところで遭難している。
なんというか、滅茶苦茶な3日間であった。
普通だったら今頃豪華なクリスマスディナーなんかに舌鼓を打ってベッドでヌクヌクしていた筈なのに、このザマである。
充分最悪のような気もするが、その中でマシなことと言えば……信乃と再び会えたことだろうか。
その点だけで限れば本当に万々歳な訳だが、信乃も同じ事を……いや、それは多分違うだろう。
村雨で鬼の力を制御できるようになった。
あの呪いじみた力を、だ。ある意味これは、長い間離れていた幼馴染みと再会できたことより有意義なことだったに違いない――
「……む」
『どした?』
「……なんか急に腹が立ってきたような」
『なんだそりゃ』
やっぱりよく分からないこともある。
ちょっとした信乃の不機嫌に首を傾げつつも、千草には一つ心に浮かんだことがあった。
『……決めた』
「何が?」
『もう海はこりごりだ。来年は山に行く』
温泉街もいいが、こじんまりとした山奥の旅館というのも悪くない。
「少なくともこの極寒の海に放り出されるなんてことはないだろ? 風呂入って卓球してゲームして……今度こそ、ダラダラしたクリスマスを過ごすんだ。信乃も嫌いじゃなかったよな? 温泉」
小さい頃旅行に行った時は、すごい長風呂だった記憶がある。
「え……私も?」
『あー、悪い。嫌だったか?』
さらっと頭数に入れてしまったが、やはり予定も聞かずに言うのはマズかっただろうかと思ったが、信乃は口元を緩ませて笑った。
「……それは、いいかもね。うん、とってもいい――」
『だろ? だから――信乃?』
返事は無かった。
信乃は満足げな表情を浮かべて、目を閉じていた。
海水に濡れた部分は所々凍り、その肌は、ぞっとするほど青白い。
『信乃! おい! 目を開けろ! ふざけんなよここまで来てに……タイタニックじゃねえんだぞ!』
返事がない。
体を揺り動かそうとしても、今の千草に手足はないのだ。
ただ声をかけることしか出来ない。
「つーか、仮にそうなるなら立ち位置逆だろうが! ふざけんじゃあねえぞ! 信乃! 信乃――!」




