バトンタッチ
骨に亀裂が入った。
壁をブチ破った信乃の体は、確実に悲鳴をあげつつある。
「これくらいで済んだだけ、まだマシか……!」
籠手で再び刀を形成し、襲いかかる血の刃を捌いていく。
千草を助け出したいのは山々だったが、少なくとも縫い付けられていればそれ以上の追撃は喰らうことはないだろう。
今は信乃が白紙を引きつける。それしかない。
「貴女様は理解している筈です。人間の状態では、私には勝てないと」
「ふざけないで、誰が……!」
相手の力を複製し、その身に取り込む。
なんとも凶悪な力だった。
白紙は筆を放棄し、鎧の力のみで信乃と戦っている。
状況は極めて悪い。
だが信乃は引くつもりなどない。
「絶対に、倒す――!」
「言ったでしょう。私には勝てないと――」
廊下の壁や天井――全方位から刃が付きだし信乃を襲う。
鎧から生成した刃の遠隔操作――それが『鎧の鬼』の力を取り込んだ白紙の新たな武器。
ただ切り払うだけでは駄目だ。
「壊刃――!」
刀の代償に顎門の如く迫る刃を砕いた。
しかしそれらすぐに元のカタチを取り戻し、信乃に牙を突き立てる。
皮膚が、肉が、抉られていく。
それでも信乃は、傷だらけの脚で、ズタズタになった床を踏みしめた。
「私だって――負けらんないのよ……!」
背後から迫る刃を刀で受け止め、砕く。
防戦一方から、徐々に天秤が傾いていく。
信乃は視覚外からの刃の攻撃に適応しつつあった。
「馬鹿な。何故――」
「――目よ。あなたはどこから襲うか自分の目で見て判断してる。どこから襲ってくるか、大体分かる」
視覚外からの攻撃にどう対応するか?
答えはシンプルだ。
刃が見えないのならば、相手の目を見ればいい。
白紙に肉薄せんとする信乃を再び刃が襲うが、信乃は致命傷と刀を振るうのに支障がでるダメージ以外は全て無視して駆けた。
白紙は大剣を振り下ろすが、信乃は刀で大剣の一撃を滑らせるように受け流した。
「あんたの剣は単調すぎる」
「何っ」
そこから繰り出されるは、切り上げによるカウンター――!
火花と血が、宙を舞う。
「てんで素人ね。刀の扱いがまるでなってない」
なるほど今の白紙の力は確かに強力だ。
鬼の称号を背負うだけはある。
だが――こと剣の腕という一点においては、素人もいいところだ。
雑に振るっても並の対魔師ならば一溜まりもない。だが、その身を削る勢いで鍛練を重ねてきた信乃からしてみれば、赤子同然。
「そんな付け焼き刃で、私に勝てるとでも思ってるの?」
そこから繰り出される信乃の剣術はまさしく疾風怒濤。
白紙が息をつく暇も無く、鎧を弾き、肉をこそげ落とす。
力で劣るならば技で対抗する。
こちらの土俵に、相手を引きずり込むまでだ。
白紙は距離を取ろうとするが、信乃は逃がさぬと食らいつく――!
「――壊刃!」
鎧に侵食されていない脇腹を貫いた刀が炸裂し、巨大な風穴を開けた。
「硬い――もっと霊力を注がないとダメか!」
理想ならば全身、できれば右半身全てを吹き飛ばしたいところだったが――現実はそう甘くはない。
信乃が新たに刀を生成する頃には、白紙の傷も癒えていた。
「さすがです我が主。人の身でありながら、ここまでの力を……あなたが完全な鬼であれば、どれだけ心強いか」
「生憎、そんなつもりは毛頭ないっての」
だが、通じる。
信乃の剣で対抗できる以上、勝機はある――
その仮定は間違っていなかった。
だが、信乃は忘れていた。
白紙が取り込んだのは、鎧の鬼の力であることを。
そこに宿る鬼の本能は――同胞であろうとも、容赦はしなかった。
「――!? ぐっ、が……」
異変は突然だった。
白紙がもがき苦しみ始めるのと同時に、鎧が徐々に浸食していく。
予想外の事態に、信乃も動きを止めた。
「これは……!?」
「……やはり、そうなりますか。それでも、長く保った方でしょう……」
だが白紙は、苦しみながらもこうなることを予想していたようだった。
「私の意思は、塗り潰される――そう言う、ことです。貴女様の力を取り込むということは、そういうこと、なのですよ」
白紙は苦悶に歪みながらも、その表情はどこか穏やかだった。
まるで、自分は成すべきことを成したと言わんばかりに。
「これで……良いのです。私如き未熟者が、偉大な貴女様の力を制御できる筈も無し」
やがて、全身が完全に鎧に覆われた。
「捧げられるものならば、体も心も、存在すらも――全て捧げましょう」
それが最後の言葉だった。
電源が切れたように、鎧の動きが止まり――やがて、ゆっくりと顔を上げた。
「……ふぅ、やーっと表に出てこれた」
白神の声ではない。
声音も口調も、全て違う。
だが、知っている。
これは紛れもなく――自分の声だ。
鬼と化した、自分の声。
「あれ? 僕が目の前にいる! どーゆーことかなあ、これは……ああなるほどね。そう言うコトか」
納得したと、ウンウンと鬼は頷いた。
「どうやら僕は本物じゃあない……分身――いや違うな。コピーされた力が僕として受肉したってことか。なるほどね」
「――!」
ようやく、信乃は理解した。
白紙が複製したのは信乃の鬼の力ではなく――鬼としての存在そのものだったのだ。
それが白紙の自我を乗っ取り、受肉した。
考え得る限り、最悪の事態だった。
「あれ? 千草がいないや。久しぶりに遊んだら不死身になってるっていうんだから驚きだよねえ……ますます僕好みってカンジでさあ」
「あなた――千草をどうするつもり」
「必要? その質問。僕《信乃》なら分かるでしょ。また遊ぶんだよ――ずっとね。まだ近くにいるみたいだし……仕切り直しといこうかな」
スキップするように歩き出した鬼の前に、信乃は立ち塞がる。
「……何のつもりかな?」
鎧で鬼の表情は見えない。
だが、その声に弱冠不機嫌の色が混ざっていた。
「その質問こそ必要? 私《鬼》なんかに、千草は指一本触れさせない……!」
「フゥーン……そう言うコト言っちゃうんだ」
鬼が手をかざすと、鎧の一部が剥離し、両刃の剣が生成された。
「良くないなあ……良くないよ、本物だからって……」
信乃の身長を優に超えるそれを、鬼は軽々と片手で担いだ。
「ああでも、そうか! 僕《信乃》をぶっ殺せば僕が千草を独り占め出来るんだ!」
いやー閃いちゃったと笑う鬼。
その直後、彼女は常人であれば一瞬で廃人と化してもおかしくない殺意を信乃に叩き付けた。
「という訳だからさ――死ねよ」




